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後ろ髪を五億本ほど引かれてもなお向かった先、あの家から四日ほど旅した地点に、それはあった。
一見すると、ただの岩肌だ。
つるんとした表面は苔むしておらず、つややかだが、おかしいと言えるほどじゃない。
だが、この地点こそがダンジョンの入り口だった。
多くの生贄、あるいは英雄を飲み込んだ場所だ。
ボクの背後には、見送る人々がいた。
万が一にも入らないように、けど、誰かが「排出」されたら即座に動けるように、最適な距離を保ちながら。
そこには医療班と、団長と、父がいた。
どうしてだか父にバレていた。
誰だ伝えた奴は。
言いたい説教を二十時間ぶんくらい溜め込んだ表情で、けど一言も口に出さずに見守ってる。
ボクのしつこい粘着戦略は、父のを参考にしたものだった。
生きて戻れば説教四十時間は覚悟すべきだ。
「うん」
ひとつ頷く。
父はじぃいっと見つめてくる。
きっと帰って、その説教を受けて見せる――
決意するボクの目の前。つややかな岩の表面に、線が入った。
手の早い画家が行ったデッサンのような縦横のライン、それは見る間に厚みを増し、立体的な形になる。
扉だ。
両開きのそれは第四掲示板を思わせる。
だが、もっと精緻に、より禍々しく、まったく場違いに出現する。
完全に作成が終わった扉は、かちり、と軽い音を立てて、まったく素っ気なく開いた。
中央からふるい空気が漏れる。
一月の間、密閉され続けたにおいだ。
中から、誰も出てくることはなかった。
覚悟していた血臭も「捨てられた」者もいない。
人もモンスターも見える範囲になく、ただ新たな人間の訪れだけを待ち受けた。
王子様は、まだ無事だ。
その認識だけで、ボクが進む理由になる。
「行ってきます」
足を踏み入れた。
境界を踏み越える。
即座に背後で扉が閉まり、鍵のかかる軽い音が続いた――
◇ ◇ ◇
自然洞窟のダンジョンが続く。
奇妙なほどに静かだった。
ボクの足音しか聞こえない。
最初の緊張、ここが絶死のダンジョンであるという認識も揺らいでしまうほど変化がなかった。
あまりに単調、常に集中力を削がれる。
これではいけない、ちゃんと罠を調べろ、奇襲を警戒しろ。
そう自戒をしても、五分たち、十分たち、一時間も経過すれば難しくなる。
なにも、本当になにも起きなかった。
グネグネと曲がりくねった洞窟道が延々と続く。
雑魚モンスターすらも出ない。
まさかとは思うがこの距離の遠さが攻略不可能のソロダンジョンの正体なのか?
簡易試薬紙で毒ガスを警戒しながら、思わずそうぼやく。
一定の広さの洞窟が続くだけだ。
初心者用ダンジョン以下の、観光地散策の有様だ。
「ん……?」
ようやく、変化があった。
剣撃の音だった。
騎士団にて、あるいは訓練中によく聞いた、鋼同士を打ち付け合う響きだ。
同時に、道にも変化が生じた。
ただの自然の産物が、徐々にその粗さを少なくした。
デコボコした道のりが歩きやすくなり、やがてはあの扉の周りのような滑らかさへと変わる。
自然物から人工物へ、継ぎ目なく当然のように。
いつの間にかボクは、騎士団内部を思わせる硬石の道を歩いていた。
足音が響く。
嫌な予感が、明確な死の予感が、背筋を這った。
薄暗がりが、徐々に明るさを増す。
通路を行ききったその先にあったのは――円形闘技場だった。
円形闘技場、その直径は二百五十歩ほど、観客席が三段あり、数万人が入れると思われる観客席には、まばらに人影もある。
影法師のようなものが、ゆらゆらと揺れる。
天井はドーム型の曲線を描き、全体がほのかに光っている。
熱を感じさせない淡い光だ。
中央にいるのは、二人の剣士。
優れた技量で争い合う。
どちらも、同じく影法師の姿だった。
全てを睥睨する位置に、観覧席のひときわ目立つ場所に、ニヤニヤと笑う悪魔がいた。
「ようこそ、よく来たな?」
ダンジョンボス・ヴィガーラ。
その姿は、一言でいえば口だ。
横に細い楕円状に、皮肉に笑う口だけがついていた。
それでもそれを『人』と思ってしまうのは、見えない頭の位置にハンチング帽があり、スーツを着こなしているからだ。
巨大な口、帽子、手袋に靴にスーツなどがあるが、その中間は完全な透明でなにもない。
人間とはかけ離れた姿。
だけど、ボクの目はそこには向かなかった。
その背後に陳列されるように、いくつものガラスケースが立てかけられていた。
美男美女、老いも若きも様々な、美しさという点だけは共通している者達が、透明な棺に入れられている。
その中に、彼がいた。
寝たままだ、身動き一つしていない。
呼吸していた。
動いていた。
ボクは初めて、生きた彼と出会った。




