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契約する――
たしかに家はそう言った、そう口にしようとした。
できなかった。
意思はあるのに、思っているのに、言葉にできない。
なにかの想いがせき止めてる――わけじゃなかった。
どうにか皆のことを思い出したいと思ってる。心から。
なのに、それを音に出して言えない。
本を手に置いて言おうとする行動が――魂を捧げる選択が実行できなかった。
その機能が、とつぜん途切れたみたいに、何も出来ない。
ああ――
これは、この状態は、覚えがある。
ロックだ。
定められた、やってはいけないことだった。
「酷いことをしますね」
声がしていた。
窓の外から。
文字を読みながら、どこかで想像していた通りの、魔女の声が。
「あなたが勝手に契約をできないよう、すでに「願われて」いたのですね」
飛び出してどこか遠くへ行った、そう思わせておいて、実はずっと側で様子を伺っていたらしかった。
家が苦しむ様子を黙って見てた。
けど、どうだろう、願われていた、のかな。
もし、そうだったとしても、それは家にはわからないことだ。
どういう影響が出てるか、家自身にも不明だった。
「これは、わたくしめが想定していないことでした」
というか今、どうして声が聞こえてるんだろう、魔女は結界外にいるはずなのに。
いや、そういえばこれ、強固な結界だけど音は遮断していない。
そうしないと願いを家が聞こえなくなるから、そういう基本設定がある。
悩む間に、家は大声で叫べばよかったのか。
「本当に悪辣ですね。このようなことが起きると予想し、一度限りの機会を誰かが使ったのでしょう? わたしめの登場を、ずっとずっと前から予期していたのですね」
「そういうわけじゃねえな」
魔女の反対側、私室のドアから聞き慣れた声がした。
「!」
同時に、壊れた。
強固に張られた結界が跡形もなく。
「そこの家が、勝手にヘンなものを買って、ヘンことにならねえようにするためだ」
窓外の気配が今度こそ逃げようとしたけど、それよりも先に黒い縄みたいなものがドアの隙間から飛び出して、捕縛。そのまま室内に引きずり込んだ。
「ここまでの好き勝手されるとは思ってねえよ」
扉を開けて入った家主は、いままでに見たことがないくらい不機嫌だった。
◇ ◇ ◇
――えっと……
「おい」
何を言えばいいのかわからない家に向けて、家主は変わらない不機嫌さだった。
そのまま、じっと家のことを見る。家はどうすればいいのかわからず右往左往してしまう。
やがて、はあ、と家主は息を吐いて。
「契約したいんなら、別にいいぞ」
――え、いいの。
「思い出したいんだろ、その手段がそれなら、別にいい」
――お、おお。
ズルズルと魔女を室内に引きずり込みながら、家主は続ける。
「けどな、それはオマエの主を私からコイツにするってことだ」
――へ……?
「まったく自覚ねえで、やろうとしてたのかよ、おい」
呆れたように。
「魂の契約を結ぶってことは、私の位置にコイツが置き換わるってことだ、コイツの狙いは、結局のところそれだろ」
「乱暴ですね」
「うるせえ盗人」
「ふふ、縛られるのは久しぶりです」
嫌そうにしながら、家主は家に向けて問いかけた。
「だから家、選べ」
――なにを?
「私かコイツ、どっちを選ぶ?」
――え、家主。
即答した。
なぜか家主は意外そうに目を丸くしていた。
そっちの方が家は意外だ。
でも、そっか、この魔女の狙いはそれだったのか。
結局のところ狙われていたのは家自身、ってことなのかな。
まあ、でも、惜しいことをしたのかも。
縛られて寝転んで長い髪で顔を覆った魔女、その人の提案自体はそこまで酷いものじゃなかったし。
「あー」
家主はなぜだか顔を背けてる。
耳が赤いようにも見える。
ごまかすみたいに散らばった紙を拾い上げて、「うげえ」と心から嫌そうなうめきを上げた。
「なんだこれ、ひでえ契約だな」
――え、そうなの?
「三分の二くらいの確率で私が、三分の一くらいオマエが破滅する契約だ」
――へ。
「いや、仮に断ったとしても、紙の形で残る以上、いつでも契約できる状態で残る。そう考えると確率はもっと上か?」
――どういうこと……?
家主は縛って転がした魔女を踏みつけながら、紙を確かめていた。
「記憶を再生する、ってあるけどな、これな、誰の記憶だ?」
――それはもちろん、家の……
「違うな、オマエのじゃねえ、オマエの記憶は燃えて消えた、どうやったって戻らねえ」
――え、でも……?
「よく読め、そう勘違いさせる書き方してるだけで、どこにもそう書いてねえ。再生されるのは、オマエやこの家にこびりつた魂、その持ち主の記憶だ。契約すればオマエに、それがぶち込まれる。一個や二個ならいいが、この場合は数十や数百だ」
「ふふ……」
「笑ってんじゃねえ。しかもだ、これ魂に付随する記憶だろ、魂に刻まれた情報なんざ、平和で穏当なものの方が珍しい。下手すりゃ数百のトラウマが一斉に想起される」
――ええ……
「つまり、三番目の契約を選んだら、オマエは破滅してた」
「わかりませんよ?」
「崖から突き落としても助かるかも知れねえみたいな理屈は止めろ」
――じゃ、じゃあ二番目のは。
「こっちはもっと悪辣だ」
「わたしめに得のない契約ですね?」
「そうだな」
意外とあっさり家主は頷いた。
「ごくわずかな魂を得て燃え残しを作る、この場合に残るのは家自身の記憶だな、魔女であるオマエに短期的な得がねえ。だから、欲しいのはもっと別のモンだろ?」
「さて」
「魔女であるオマエと、ここの寮生が契約を交わした、欲しいのはその事実だ」
「……」
「気が長い計画だな、おい?」
――どういうこと?
「割合の問題だ、仮に二番目の契約に乗った場合、この魔女と契約を交わした奴の数が増える、だんだんと、だけど確実に。これで寮生全員が「魔女と契約を交わした人間」になったらどうなる?」
――どうなるんです?
「ちっとは考えろ、まあ、私も断言はできねえけどな、最低でも私の位置にこの魔女が来る。魔女がこの家のオーナーになる」
寮生全員と「魂の契約を交わした」ら、実質そうなるのか。
「同時に、「魂を使った契約」を選ぶやつも出てくる、一度目はオマエの方を選んで、二度目はそっちだ。実際にもうそれをやっちまったんだからな、心理的な抵抗は薄い」
息をついて断言した。
「三番目が短期的なオマエの破滅だとしたら、二番目は長期的な乗っ取りだ。どっちにせよ、この魔女が欲しがったのは、私の立ち位置だ」




