34 エピローグ あるいはある空腹の終わり
一日中泣いていました。
もう完全にもとに戻った、子供の姿になってしまった後でも強く抱きしめ、少しでもその残り香に縋ります。
離すことができませんでした。
フェルのことを、もうまったく認識できず、不思議そうに暴れていましたが、それでもなお、無駄なことをしていると頭で理解した上でなお、そうせずにはいられませんでした。
一時間ほどして、どうにか腕を離しましたが、とても難しかったです。
もしかしたら、ひょっとしたら――
そのごくごく僅かな可能性を思うと、離しがたかったのです。
絶対にありえないだなんて、誰が保障できるでしょう。
離してしまえば次の瞬間に起き得た奇跡が、この手から完全に消えてしまうのです。
ぶるぶると震える腕を引きはがすのに、数人がかりの力づくが必要でした。
その後でも、泣いて過ごしました。
その間、シスター服の人が、ずっと側にいてくれました。
何も言わずに、ただ側に。
本当に、本当に後悔しています――
そう涙ながらに訴えたことは、憶えています。
覚悟なんかでは、まったく足りなかったと、そう続けました。
結局、一日中、ずっと泣いて過ごしました。
ご飯を食べることも忘れて。
だって、部屋に戻ってベッドあったのは、実家から持ち出した枕だったのです。
ツギハギが消えず中央にありました。
枯れたと思えた涙が、また溢れます。
泣いて、泣いて、気絶するように寝て、気づけば朝になっていました。
◇ ◇ ◇
朝は訪れます。
なんでも無いことのように。
ベッドから身を起こし、洗顔所で顔を洗いに行きました。
鏡の中のフェルは、酷く腫れぼったい目をしています。
にっ、と無理に笑ってみましたが、あまり効果はありません。
酷い顔であると自覚したまま、食堂に向かいます。
シスター服の人に途中で出会い、お礼を述べました。
「気にしないでください」
慈愛深くほほえみ、フェルに新たな銃を手渡しながら、そう言いました。
受け取らざるを得ませんでした。
食堂は、昨日よりも閑散としていました。
枕投げ大会に参加するためだけにいた人の大半が、もう帰ったためでしょう。
まだ、あのプレートメイル姿の騎士の人は見かけません。
よっぽどの重体であるようです。
「……」
そのことに対してどう思えばいいのか、フェルはまだ掴みあぐねていました。
自分自身の気持ちがわかりません。
恨みなのか、尊敬なのか、羨望なのか、それすらも。
頭を振り、メニューを開き、もう慣れた注文を行おうとして、ふと気づきます。
ひょっとしたら、と思い、一人前を注文してみました。
いつものフェルにとっては、二十分の一人前に相当します。
待つ間に、手を開けて閉じるのを繰り返します。
ここに身体がある――
そんな当たり前のことすら、フェルはどこか蔑ろにしていた気がします。
やがて朝食が届きました。
変な格好の人形が机の前に置いてくれます。
パン、ベーコン、目玉焼き、サラダ、ヨーグルト、一切れの果物。
豪華です、量は少ないですが。
焼き立てのパンを、おそるおそる口に運びます。
小麦の香ばしさを感じながら、ゆっくりと噛み締め、飲み込みました。
ベーコンの味の濃さに驚き、黄身の滑らかさに驚嘆し、ドレッシングのかかったサラダの鮮烈さに目を白黒させ、ヨーグルトの優しさに安堵し、果物はしかたなく食べました。
実はフェルはいままで、ちゃんと味わっていなかったのかもしれません。
「ごちそうさまでした」
きちんとそうお礼を述べます。
お腹は、満たされていました。昨日の朝と同じように。
忙しそうに調理している家の子は、フェルのことは視界にも入っていないように動いています。
興味がないのではなく、本当に空気としての扱いでした。
フェルだからまだいいですが、この子を気に入っている人にとって、これはきっと堪える扱いだろうなと思いました。
昨日まで子犬のようにまとわりついていた子が、今日にはいないもの扱いの完全無視です。
そして、誰か別の人が褒めれば、それをとてもとても嬉しそうに喜ぶのです。
人によっては脳が焼かれることでしょう。
肩をすくめ、お皿を片付けに行きます。
そうしなくても自動でやってくれるようですが、なんとなく、そうしたくなりました。
預けていた武器防具を引き取りにいきます。
使い慣れた、革鎧と巨大なハンマーでした。
人によっては、規格外に巨大なハンマーという人もいますが、フェルにとってはちょうどいいものです。
柄の部分はそれほど長くなく、狭い場所でも力任せに振り回せるように出来ています。
「お、うぉ……」
持てませんでした。
一体どうしたのかと思いましたが、すぐに納得します。
「保有魔力、出力」
今のフェルは、常に魔力を垂れ流しにしていません。
自分自身で調整する必要がありました。
「……」
この武器も、ひょっとしたら変えるべきなのかもしれません。
魔力を出したときだけ武具となる、そういったものに。
このままでは、また魔力を常に放出しておく必要があります。
まあ、今ほとんどお金持っていないので夢物語ですが。
いままで、だいたい食費に使っていました。
長く長くダンジョンに潜っては、ギルド併設のレストランへ趣き、一回で食料すべてをかっ攫ってまたダンジョンに向かう、そんなフェルのことを、人によってはモンスターの一種として見ていたようですが、仕方がなかったのです。
ちゃんと自分で調整ができるようになったのですから、これからは――
いえ、お金儲けということを考えると、同じ生活をするべきかもしれません。
食事で取っていた魔力補給を、ポーションや道々で採取する薬草類で代替すれば、割と安くすませられる気がします。
考えてみれば、皆がひたすら苦いと言っていた薬草は、フェルにとっては苦美味いものでした。
ちょっと苦手と言わず、もっと積極的に食べておくべきでした。
未来の展望としての、道草採取生活に思いを馳せながら、出発の準備を整えます。
「もう行くのですか」
「はい」
出口で最後の挨拶をします。
手渡されそうになった長銃はさすがに断りました。
ただ、シスター服の、恩人の先行きについては述べました。
「フェルには、あなたがしようとしていることが良いのか悪いのかわかりません。けれど、後悔することがないように叶えられることは願っています」
「それだけで十分すぎます、クソ感謝だ」
たぶん、口が悪い方が素なんだろうなと、なんとなく思います。
――あ、散歩?
家の子が、通りかかりそう問いかけました。シスター服の子だけに。
「いいえ、お見送りです」
――そうなんだ、家もしようか?
「見えない人ですが、それでもよろしければ」
――お、おお?
きょろきょろとしていました。
フェルのことは、目に映っていません。
どっちなんだろう、とその姿を見て思いました。
昨日の「願い」は、ひょっとしたら魂の発現ではなく、フェル自身の内部から生まれたものだったのでは。
千々に乱れた想いの内、もっとも強いものが現れただけでしかなかった。
フェルが願いを言ったから、今こうしていないものとして扱われている――
首を振りました。
考えても先のないことです。
だって「願いを叶える場」にフェル自身もいたのですから、巻き込まれたとしてもおかしくありません。証明しようのないことです。
「……ポルターガイスト扱いというのは、何度見ても慣れないものです」
「ポルターガイストですか?」
「ええ、家の子から見えない人を、そう呼んでいます」
――むぅ、家、ノケモノだ。
シスター服が家の子をワシャワシャと撫で、撫でられた方は恥ずかしそうに身悶えしていました。
それを数人が血の涙を流しそうな顔で睨んでいます。
そっか――
どこかで納得しました。
手を振り、都への長い長い道を行きながら想います。
ひょっとしたらいるのかもしれません。
家の子にとってのポルターガイストが、フェルにも。
もっと見えないだけで、まったく喋れないだけで、ぜんぜん触れることが出来ないだけで、ポルターガイストが、側に。
それはまあ、正直言えば、少しだけ嫌かもしません。
ずっと親に見張られながら生活はしたくありません。
それでも、どこか救われるような気持ちがします。
大きな家――振り返りそこを見ます。
調子がいい話かもしれません。
ですが、フェルにとってその家は、あの台所は、故郷のように思えてなりませんでした。
4章 了
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