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笑顔で背中の大きな銃をこちらに渡そうとしたのを、フェルは固辞しました。
違うのです、これじゃ威力が足りないと言いたいわけじゃありません。
別にフェルは銃で活躍したいわけではないと伝えるのに、非常に苦労しました。
何度「いえ、フェルさんは心の底では、これを欲しているはずなのです」と言われても、そんな心当たりはありません。フェルに銃は不要です。
ただ、幸いにと言っていいのでしょうか。身体と魔力の調子自体は、そんな会話をしている間にも快調に向かいました。
妙なひきつれ、あるいは痛みの予兆がありません。
素人判断をするべきではないのでしょうが、ひとまずは大丈夫そうです。
また、それとは別に、その、ええと、もう限界でした、お腹が。
フェルにしては珍しいことなのですが、空腹を強く感じています。
こちらも実に数年ぶりの体験でしたが、小腹と違ってまったく嬉しくありません。
弱いものは常に感じていたのですから、それがより酷くなっただけです。
フェルは食堂へと案内されました。
銃の歴史講義と、魔力転用による重火器の作成についての展望を聞きながらでした。
途中も思っていましたが、あれほどの戦いがあった後にしては寮内はギスギスしていません。
てっきりそこかしこで喧嘩の二十や三十くらいは出くわすと予想していましたので、本当に意外でした。
フェルに対しても、微妙な視線を向けられることはあっても「あ゛あァん?!」と睨みつけてくる輩はいませんでした。
なんのトラブルもなく食堂へとたどり着き。
「身体は、大丈夫そう?」
昨日、口説かれた人にそう声をかけられました。
一目で見て分かる、引き付けるオーラのようなものがあります。
きっと本人は気づいていません。無自覚に人をたらす類の人です。
その隣には、昨日一緒になって浮気なジゴロを退治した人が座っています。
背が高くて細くて、しゅんと背筋を伸ばしている人でした。
物音一つ立てずにお茶を飲んでいます。
なんとなくですが、前は違っていた気がします。いえ、予想でしかありませんが。
新人がひとつの冒険を越えたような自負が、もう背を丸めないことを決意した雰囲気が、黒を基調とした衣服からもありました。
その周りにも、いろいろな人がいました。
共通点はまるでないけれど、なんとなく、いい人たちだなと思いました。
強く決意して、悩んだ末に、当然のことみたいに、自分よりも他の人を優先してしまう、そういう人たちです。
「おはようございます、フェルは、まあまあ平気です」
「まあまあ? っていうか、おはよう。大丈夫そうなら良かった」
「はい」
「冒険者は、モンスターから皆を守る仕事だよね。大切な身体だ」
「は、はい?」
「たくさんの人を助けてる、人の夢とか希望をまるごと守ってる」
「そ、そうですか?」
「すこし辛そうに見えるけど、お腹すいてる? よかったら一緒に――」
笑顔のまま、言葉が止まりました。
周囲の、主に後ろにいる人達の視線が下に向けられ、すぐに視線が外れました。フェルからは見えない机の下です。
止まった笑顔の隣では、変わらず背の高い黒衣の人がお茶を飲んでいます。
なぜか片手でした。
もう片方の手がどこにあるのか、フェルからはまったく不明です。
「フウさん、フウさん……? ここ人前、わかってる……?」という言葉が聞こえた気もしますが、まったく不明です。
フェルは一礼してその場を去りました。
きっとこれが最適解です。
フェルからはよく見えていないだけで、ここも少しはギスったやり取りがあるのかもしれません。
未だに壊れたままの中庭を見ながら、そう思いました。
◇ ◇ ◇
ともあれ、朝食です。
座りながら、どれにしようか迷います。
脳内にメニューが展開され、ずらりと並びます。
朝食だけあって軽めのものが多いです。
まずは全部注文からスタート――
ああ、いえ、無制限の飲食はもうダメなのでした。
一般的な食事しか摂ってはいけません、せいぜい十人前くらいでしょうか?
毎朝のフェルの食事の、半分くらいなので認められると思います。
そうなると、何を選ぶか吟味しなければなりません。
直感的に、お腹にたまるものを選択しなければ。
「お……?」
ふと、メニューの右下の方に、見慣れないマークがありました。
木を意匠化したような、へんなボタンです。昨日の昼には見かけなかったものでした。
どういうことかを訊くと、
「それは、「願い」を叶えるための、その参照ができる経路です」
そう答えられました。
ああ、そういえばここは、美味しいごはんを出してくれるレストランではなく、願いを叶える家でした。
フェルにとってはご飯の比重の方が大きかったです。
「それを使い、より良い食事を頼むこともできますよ」
「もっと詳しく教えてください」
「はい」
記憶を燃やし、願いを叶える、そうしたシステムについて教わりました。
フェルが手にしたこの木端は、記念品ではなくそのバフとなるものだったようです。
昨日はやけに突っかかられているとは思っていましたが、そのような理由があったのですね。
フェルの頭の中には、食べた昼飯とこれから食べる夕食のことしかありませんでした。
「フェルさん」
「はい」
「あなたはすぐに旅立つのですから、きっとそれを使ったほうがいいのでしょう、それはわかっています」
「そうですね、フェルはまた来れるかわかりません」
「ならば、注意してください、いえ、気をつけてください」
「?」
シスター服に相応しい、とても真剣な顔です。
「フェルさんはきっと後悔します。どうしてもそうなってしまいます。それを止めることはできません、ですから、どうか覚悟だけはしておいてください」
「どういうことです?」
「直接体験したわけではありません。だから、絶対ではありません。けれど、願いを叶えた多くの人が、そうなってしまっています。とても強く、後悔をしています」
たぶん、必要な忠告だったのだと思います。
けれど今日にも立つフェルにとって、この場で願いを使わずにいるということは、ありえませんでした。
どうせ明日をも知れぬ冒険者です、ここでぱあっと使ってしまわずにどうするのでしょう。
気軽に、宝箱を開けるような気分で脳内のボタンを押しました。
◇ ◇ ◇
海、いえ、空?
どこか分からない透明な場所に、気づけばフェルはいました。
わかるのは、ここがやけに広々とした場所であること。
昔、かなり高い山に登ったことがありますが、その景色よりも更に遠くを見渡せる感覚があります。
その中でも、フェルのいる地点は薄くて、すぐ前に濃い領域がありました。
やけに詰まっていて、それでいて調子良く動いてる、まるでフェルの魔力変換能力をもっともっと複雑にしたようなものです。
たぶん、猫とか犬が人間を近くで見上げれば、こんな感じになるんじゃないかと思います。
違うとはわかります、悪意がないこともわかります、けれど、本当には理解できない相手、似ているようで異なる巨大な存在です。
あ――
いつの間にか持っていた木のカケラ、それが、解けました。
一本一本が繊維みたいにバラバラになって、フェルの周りを囲んでいました。
すぅ、っと意識が明るくなります。
いままでボンヤリとした思考だったことに、ようやくそうなってから気づきました。
え、なにここ――
戸惑うフェルを他所に、問いかけられました。
――なにしたい?
なんとなく、頭の中に「叶えられそうなもの」が浮かびます。
普通なら、一日しか過ごしていないフェルには無理なものだったのでしょう。
木欠片のバフがあればこそです。
ただもっと長く暮せば、ここにあること以上の望みを叶えることができたとは思います。
ちょっと、もったいないかな……
後悔とはこれでしょうか?
思いながらも、フェルは望みを言いあぐねていました。
満腹になりたい――
一言で言えばそれです、これ以外にはありません。
けれど、言われた言葉が突き刺さっています。
一回しかお腹いっぱいになることができない、それでいいのか、と。
フェルは、フェルは――
満たされたい、お腹すきたくない、普通にご飯を食べたい、ちゃんと食べて感謝したい、足りないと文句を言いたくない……
ああ、確かに誰かに望まれた、そのような気がします。
うまく言葉にできません、ぐちゃぐちゃです。
何を言っているのでしょう。
フェルは自分で何を望んでいるのかも、上手く言えません。
――了解、あなたの願いを、たしかに家は聞いたよ。
けれど、あっさりとそう言われてしました。
叶えられようとしています、フェル自身も上手く言えない願いを。
――かなり変則的だけど、たぶん問題ない、と思う。
ちょっとだけふわふわでした。
――記憶燃焼機構、起動。
ぐわん、と吸い込むように周囲の木繊維が燃え上がり。
――家とフェルさん、たぶん相性が良すぎる。少しだけ記憶を見るよ。大丈夫、家じゃないものは、絶対に燃やさないから。
魔力が一箇所へと集まり、システムが起動します。
古くて新しい、とても複雑な機構が動き出し――
目を、覚ましました。




