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フェルが、いつから空腹を抱えるようになったのか、実はあまり憶えていません。
気づけばそうなっていました。
故郷で母親が病気で亡くなり、天涯孤独の身となった辺りでは普通だったような記憶があります。
けれど、各地を周り、ダンジョンに潜り、それなりに力をつけるに従って、食欲もまた増えました。
食い貯めもまた冒険者の技能の内ではありますが、フェルのそれはなんだか度を越していました。
食べても食べても、穴が空いたようにまだ足りない、ずっとお腹が空いています。けれど、空いているだけで、苦しいというわけではないのです。
ちょっと我慢すればいいのかな、そういう状態が続きます。
何日でも、何十日でも、あるいは一月以上でも。
ギルドで調べてもらったところによると、魔力変換能力のためだそうです。
たとえ食べなくても、周囲から魔力を吸収し、飢えをしのぐことができます。
ずいぶんとお得な、東洋の仙人みたいな能力ですが、フェルにとってはただ厄介でした。
だって、フェルは食べたいのです、お腹いっぱいになりたいのです。
なのに、それが満たされることがありません。
半端な空腹だけが、ずっと、ずっと続きます。
張り付いて離れません、決して。
まるで呪いのように。
だから、小腹とはいえ満たされた感覚は、本当に久しぶりで、涙が出るほど嬉しいものでした。
ああ、生きていてよかった、心からそう思いました。
これを作ってくれた子が神様のように思えました。
ここが宗教施設でも構いません、崇めます。
だから、家主という方から夕食の権利を剥奪されたときは、本気で絶望しました。
なんて酷いことを言うのかと。鬼畜生かと。悪魔かと。
フェルにどれだけの恨みがあれば、そんな酷い言葉を言えるのかと。
いえ、道理としては、理解できるのです。
いままで何をしても満たされ無かったのに、わずかとはいえ身体の中に留まり在るのです。生半可なものではなかったのでしょう。それをタダで泊まりに来た客に振る舞うのは、ありえないほどの大盤振る舞いです。
けれど、けれど――
ああ、口内で咀嚼しても消えず、喉を滑り降りて胃の中に降りた感覚は久しぶりで、ほとんど忘れていたものでした。
いったいフェルは何年間、普通の意味でものを食べていなかったのでしょう。
何をしても、絶対に勝つ――
フェルがそう決意するには、十分すぎるほどでした。
◇ ◇ ◇
まあ、その後、普通に負けたわけですが。
決意とか熱意は継続的な鍛錬のためにこそ必要で、即効性のあるバフでは無かったようです。
「はふぅ……」
ベッドの上で、盛大に息を吐きました。
「ふぅ……?」
のびー、と腕を前へと伸ばしながら、なんだか体調が妙なことに気が付きます。
いえ、身体、ではないのでしょう。
魔力の通りに、なんだか違和感があります。これまで空気のようにひょいひょい動かすことができたものが、まるで重い油であるかのように不自由です。
「お、ごぉ!?」
どうなっているのかと試していると、唐突に激痛が起きました。
まるで捻挫している最中にストレッチをやってしまったかのような、とんでもない痛みです。
魔力的肉離れ――そんなものがあるとしたら、きっと今のフェルのようだったのでしょう。
わずかでも動けば激痛が約束されています。
「あ、う゛、あぁ……」
ゆっくりと、呼吸を繰り返します。
どんな動きが、どんな魔術の操作が、この痛みにつながるのかわかりません。
地雷原がどこにあるのか不明、そんな気持ちのまま、おそるおそる身体を倒し。
「ほふぅ……」
横たわって、ようやく息をつくことができました。
じんわりと、慰撫されている感覚があります。
治されて、いるのでしょうか?
それでもまだズキズキとした痛みはありました。
急激なものは収まったけれど、消えずにまだ残っています。
出どころは、きっとフェルの空腹です。
足りない魔力を求めて貪欲に魔素を吸い込んでしまっているのです。
普通であればフェルの栄養を補給するその活動が、そのまま痛みに変換されています。
「ああ……」
ちょっと、つらいです。
最低限で、この痛みで済んでいるのです。
あの素晴らしい茹で野菜のことすら、フェルはちゃんと思い出してはいけません。
あまりぐうぐうお腹が減るようなことをしてはいけないのです。
夕食――いえ、ずいぶん時間が経っているようなので朝食でしょうか、それを楽しみにすることすら、許されていません。
目を閉じ、ゴロンと横になります。
両手を祈るような格好で、顔の前に置いていると――
「どうぞ、これを」
冷たい何かを、そっと両手の間に入れられました。
「ふえぁ?!」
目を開け、飛び起きると、そこには大きな銃をスリングで背中側に吊るした、シスター服の人がいました。
フェルの手のなかにあるのは、小さな拳銃でした。
本当にちいさくてすっぽり収まってしまうくらい。
膝をついて渡した格好のまま、シスター服に似合った慈しみの表情をしています。
最初に枕投げ大会があったことを教えてくれて、始まったと同時に雄叫び上げて攻撃してフェルが返り討ちにして、お昼に注文の仕方を教えてくれて軽機関銃を貸してくれた人でした。
どういう人なのか、まだフェルの中で定まっていません。
「銃は偉大です、常にあなたを救ってくれるのですから」
これひょっとして、フェルは自殺を薦められてます?
◇ ◇ ◇
妙なことを言われているような気もしていますが、まずは、謝らなければならないことがありました。
いつの間に入ったのかわからないそのシスター服の人に、フェルは起き上がり深々と頭を下げます。
「どうしたのでしょうか、銃が足りませんか?」
「いえ、あの、せっかく借りたのに、フェルが銃を壊してしまいました。ごめんなさい」
キョトンとした顔をした後、肩をすくめていました。
「銃とは、壊れるものです。あなたがそれによって怪我をしていないのであれば、銃にとって相応しく、また満足な最期であったに違いありません。どうか、お気になさらずに」
いい人でした。
「あなたがあの銃で有象無象を蹴散らし、木っ端微塵にする様子は実に爽快でした。あれほどの破壊活動を成し遂げた上でのジャムなのですから、まったく問題はありません」
危険思想でした。
「いや、でも、これは、そのぉ……?」
手元のちいさな銃を示して言います。
「あなたにとって、きっと必要なものでしょう? 危険な場所では銃は必須なのです」
「ええと……」
銃、というのは冒険者にとっては、割と高価なおもちゃ扱いでした。
弱くはないのです。その強さはよく知られています。
けれど、コスト、という面でどうしても二の足を踏んでしまいます。
「……言いたいことは、よくわかっているつもりです」
残念そうに、けれど決意深い言葉でした。
「今は確かに聖粉は魔の侵入を許し、その活動を存分に発揮されていません。人々の手に渡ることを止める悪魔の活動が、この世にあまねく満ちています。けれど、それはきっとフェルさんの助けになってくれると思うのですよ」
「え、え?」
誰か、翻訳を。
そのフェルの様子に気づいて、一つ頷き。
「クソッタレの魔素がガンパウダーの邪魔しやがって、ここじゃ上手く燃えないんだよな、クソが。ちゃんとした火薬はクソ魔素抜きしてからじゃないと使えないからクソ高え。でもなあ、クソをクソのまま許してはいけないんだ」
とても優しい顔のままで言っていました。
いや、でも、言っていることは合っています。
火薬はそのままじゃ使えないので、大量生産に向いていません。
即効性があって、殺傷能力が高い。
けど、それはあくまでも対人用であって、モンスター相手ではありません。
それが冒険者の間での共通認識でした。
ある意味、毒の使用に近い扱いかも知れません。人間相手にはよく効きますが、身体の大きさも構造も違う相手には十分な効果を発揮しません。
高くてよく分からないものを使う愚か者――そんな扱いをされてしまいます。
「大丈夫です」
「なにがですか?」
シスター服が拳を握り、燃えた目をしていました。
「銃とは、素晴らしいものなのです。老若男女関係なく、誰もが誰かを殺せる武器です。銃の前では一切が平等です。そこに差別はありません。優れた文明とは、優れた道具を作り、十分に使うことができる人たちの集まりです。つまり、拳銃くらいは使えて当たり前、それくらいのことは飲み込まなければなりません」
「え、えっと?」
拳を握ったまま、天井を睨んでいました。
その視線の先にあるのは、きっと夢とか希望とか銃社会とかです。
「そのための、目標があります」
「そ、それはなんです?」
聞いてはいけない気もしましたが、そう問いました。
「ここは願いを叶える家です、ですからここに、魔素が入り込まない部屋を作成します」
「え」
「そして、その部屋で火薬の製造を行います。無煙火薬の元となる自己反応性物質には既に当たりをつけています。いえ、それ以外にも既にある火薬たちから魔素を抜く場所も必要でしょう。火薬の大量生産を成し遂げるのですよ」
両手を広げ、朗らかな笑顔でした。
「そうして、あまねく全ての人々に、拳銃が行き渡るようにするのです!」
ここを兵器工場にするつもりだ、この人……
「フェルさんが手にした銃は、きっとその第一歩となってくれます」
こんなに嬉しくないプレゼント、あんまり無いかも知れません。
「その銃を使い、昨日のような活躍を期待しています」
「無理です」
思わず即答しました。




