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呼びかけられる声がして目を覚ましました。
フェル……フェル……
と確かに繰り返し呼ばれたように思えましたが、周りに誰もいません。
寝ぼけ眼できょろきょろしても、見えるのは壁と壁と壁、人っ子一人いませんでした。
そもそも、まったく知らない部屋です。
窓が一つもないのに明るくて、とても爽やかな雰囲気で、小鳥が飛び立ってないのが不思議なくらいでした。
寝て起きたら不思議な場所で目を覚ます――なんだか、まだ夢の続きでも見ているような。
「これが妖精郷、というものでしょうか」
いちばん近い印象がそれでした。
静かで、清潔で、けれど何かに満たされている。フェルが知らないルールがあって、それを乱したらいけないように思えます。
けっこう大きいベッドに、いつもフェルが使っている枕があるのが、むしろ場違いでした。
「あ……」
見下ろしたその先、フェル愛用枕に、よく見ればギザギザの縫い目があります。
ふわふわとした意識がひっぱたかれました。
ようやく、現実に舞い戻ります。
あまり目立たないようにしてくれたとは思いますが、それでも痕跡がハッキリと目立っていました。
それは、これまで起きた出来事の証明でした。
「……」
ぎゅっと抱きしめ、納得します。
「そっかあ」
ここはギルドから紹介された宿で、きっとここは保健室とか、そういう場所なのでしょう。
「フェルは、負けたんですね」
ようやく、認識が追いつきました。
口や目鼻から白炎を出しながら、それでも決死の覚悟でフェルを斬った人のことが思い浮かびます。
ああ、これでは負けても仕方ないな――そう思えてしまう熱意。
いえ、それ以外の人達もそうでした、誰もがブレーキなんて存在しないみたいに暴走していました。
本当に、いろいろありました。
目を閉じて、短くも濃密な時間を思い出します。
◇ ◇ ◇
紹介されたその宿は、普段は色々な人が住んでいて、言ってみれば大きなアパートのような場所でした。
果たして本当に泊めてくれるのかと不安でしたが、その不安は別の方向にすっ飛んでいきました。
「枕投げ大会、ですか?」
「はい、そうなのですよ、フェルさんはちょうどいい時期に訪れました、これもきっと銃のお導きでしょう」
「じゅ、じゅう……?」
シスターの服を着て、両手で感謝を表現している人から、イベントが起きていると知りました。
人がずいぶん多いとは思いましたが、催し物のためだったようです。
きっとここに住んでいる人たちのための、内輪向けの楽しみなのでしょう。
以前に住んでいた人と、今住んでいる人との交流。
普段はあまり関わらない人たちが、これを機会に仲良くするためのイベント。
ここでフェルが参加するのはとても空気が読めていない行動です。
「昼食、おかわり自由……」
しかし、もらったパンフレットに書かれている、その一文がフェルから聞き分けの良さを奪い去りました。
ごくりと喉が鳴り、気づけばフェルは参加書類に書き込みます。
いえ、違うのです。決してフェルは食いしん坊というわけではありません。
ただ、人よりも食べる量が多いというか、際限なく食べれてしまうというか、胃袋の限界と果てを知りたいというか。
そ、そうではないのです。
そう、ここはとてもいい場所だと思います。
誰もが親切で、暖かく、規律正しい。
けれどそれは、フェルのように各地を転々として、主に冒険者ギルドで稼いでいるような人間にとっては、なんだか妙な場所に映りました。
誰も机に足を乗っけてエールを飲んでいません。
怒鳴り声がどこからもしません。
すえたような、酷い悪臭すらありません。
いいことではあります。
けれど、なんだか不自然にも見えます。
それこそ、ここは何かの宗教施設か何かじゃないでしょうか?
人間って、そんなに行儀の良い生き物じゃありません。
不潔だし裏切るし常にマウントを取りたがります。それが、当たり前です。
ここでは、その当たり前が全てありません。フェルにはそれが、おかしなことに見えます。
その欺瞞、フェルがすべて暴いてみせます!
きっと邪智暴虐の裏があるに違いありません。
人の本質を正しく見る目が、フェルにはあるのですから!
嘘です、ここは素晴らしい場所です、ステキです!
なんて妙ないちゃもんをつけていたんでしょうか!
お昼ごはんを食べ終えた今となってはそんな言葉、ただの僻みでしかありません!
最高の宿を紹介されました!
特に食べ放題なのが、最っ高ですッ!




