虹色すらんぷ! 亜白き摩訶不思議世界を超えてけけ!!
ねえ、あなたの7色は、そんな程度のものなの?
そんな声が聞こえたような気がする昼下り。わたしはオムレツを食べていた。
パクパクパクパク
不思議だ。なぜオムレツを食べるとパクパクと音がするのだろう。
昼3時の社員食堂に利用者の姿は他になく、わたしだけのパクパクという音だけが虚しく響いていた。そこへ背後から近づいてくる足音──
わたしが攻撃する直前に、その男が声をかけてくれた。
「パクくん。仕事だ。カンナムの高級住宅街に竜が出た。暴れているらしい。行って退治してきてくれ」
振り向くと男の姿も気配も消えていた。
わたしは仕方なくオムレツをゆっくりと完食すると、着ている白いスーツを正し、立ち上がった。
ねえ、あなたの7色は、そんな程度のものなの?
誰の声だあれは。どこかで聞き憶えがあるような女性の声だった。母のようだが母ではない。しかしわたしのことを馬鹿にするような文言でありながら、わたしの存在ごと優しく包んでくれるような──
とりあえず竜を退治しにいかねばならない。わたしは何も準備してはこなかった。どんな竜なのかがわからない。火の竜ならポカリスエットを、水の竜ならスッポンを用意してこなければならなかったが、どっちも持ってくるのは荷物がかさばる。とりあえず、見てから何とかしようと思っていた。
雷の竜だった。ついてる。
わたしは金持ちが建てた4階建てのデザイナーズ住宅が破壊されるのをしばらく鑑賞すると、飛んだ。
「土を喰らえ」
わたしが全身から汚らしい泥を発射すると、眼下の雷の竜がわたしを見上げてうざそうな顔をした。
しまった、雷には金だったっけか? 正直よくわからんのだ、属性だとか、何の属性が何に弱いだとか。
汚らしい泥はわたしの裸体から服を透過して発射される。着ている真新しい白いスーツをまだらに土色にしてしまったことにも舌打ちしながら、わたしは属性を金に切り替えた。こんな高級住宅街で金ピカのコスチュームにならないといけないとは、よもやよもやだ、遺憾であり、如何ともし難いが、仕方がない。
そこへ雷竜が、頭に生えた一本ツノから電撃をわたしに浴びせてきた。大丈夫だ、金は雷を通さない。
後からネットで読んだのだが、どこかの国で、金で作られたモニュメントに大きな落雷が直撃し、溶けたという事故があったらしい。金が雷に強いというのは、嘘なのか?
「ぎゃああああああ!!!」
竜の雷撃は強かった。
わたしは身体の一部を激しく溶かされながら、地上へとまっさかさまに落ちていったのだった。
◇ ◆ ♡ ♥ □ ■ ○
会社に戻り、オムレツの続きを食べていると、総務課のマドンナがやってきて、自動販売機で紙パックのトマトジュースを買うなり振り返り、わたしを見て言った。
「パクさん、どうしたの? 真新しい白いスーツが泥と焦げ跡まみれよ?」
なんて説明的なセリフだ、とは思ったが、彼女の含み笑いを浮かべている顔を見ると、なんだか何もかもお見通しにされているような悔しさが湧き上がってきたので、ツッコむことはせず、ただ自虐的に笑ってみせながら、ジョークで返すことにした。
「ちょっと雷小僧と泥合戦をしてきましてね」
「あら、それは元気がいいこと」
赤い唇を手で隠してクスクスとマドンナが笑う。
「着替えを持ってきていないのですが、総務課の力でなんとかなりませんか」
「さすがにスーツの着替えはありませんけど、レインコートでしたら何着か」
「蒸し蒸しになりそうだな……。でも仕方ない。それでいいです。貸してもらえますか?」
「ではここで待っていてくださいね。持ってきますので」
「すみません」
「ねえ」
「はい?」
「あなたの7色は、そんな程度のものなの?」
「えっ!?」
わたしは思わず立ち上がりそうになった。マドンナはくるりと背を向けると、早足で社員食堂を出ていった。
彼女を見送るわたしの背後、元々わたしが向いていた方向から、男の声がした。
「失敗したな?」
振り向いてはいけない。そんな威圧感に振り向けなかった。振り向いた瞬間にわたしの人生は、きっと終わる。
「それでもレインボーマンか。見損なったぞ」
男は一方的に喋り続けた。
「汚名挽回のチャンスをやろう」
汚名『返上』ではないのかと思ったが、黙っていた。
「ぽえみっく・わーるどに宝箱があるらしい。中身は不明だが、見たらわくわくするような宝箱なのだそうだ。それを取ってこい。それで竜の件はどうでもよかったことにしてやる」
「ぽえみっく・わーるど? それはなんだ? どこにあるんだ?」
わたしが振り向くと、男の姿はなかった。
◇ ◆ ♡ ♥ □ ■ ○
ネットで『ぽえみっく・わーるど』を検索してみたが、何も出てこなかった。
畜生、あいつ、誰だか知らないが、わたしの正体を知っている上にムチャな仕事を押しつけてきやがって。大体、硝子瓶会社に務めながらヒーローもやってるのだけでも大変なんだぞ。
調べてみると『ポエミック』という言葉じたいが存在しない。近いのは『ポエティック』と『ポレミック』だった。前者は『詩的な』、後者は『議論好きな』という意味だそうだ。聞き間違えたのだとしたら後者の可能性が高い。『ティ』と『ミ』を聞き間違えることはなさそうだが、『レ』と『エ』なら滑舌の悪いやつが言えば聞き間違えることもあるだろう。わたしは議論好きな世界を探すことにした。
わたしが属性を月に切り替えて、レインコート姿に赤いマントで空を飛んでいると、山の中腹におおきな穴が開いているのが見えてきた。あれだ。某巨大掲示板に買いてあった情報はほんとうだった。
「あそこから議論好きな世界に入れるはずだ」
異変に気づいたのはそう呟いた時だった。レインコートを着込んだわたしは汗をかいていた。汗がレインコートの中を満たすほどだった。そのぶん重くなったわたしは、重力に負けて、徐々に降下していった。
「なぜだ! 汗はわたしの体内から出たものであるというのに……!?」
そんなわたしの文句など聞き入れぬように、重力はわたしを引きずり下ろしていったが、なんとか穴の一番下を潜り抜けた。
◇ ◆ ♡ ♥ □ ■ ○
盛んに議論が行われていた。
石川啄木らしき男が机を叩いて声をあげた。
「‘V NAROD!’―― 人民の中へ!」
その向かい側ではサルトルがしかめっ面をしながらそれに答えていた。
「アンガージュマン!」
どうやら二人とも同じことをずっと繰り返しているようだ。気が狂っているようにも見えた。
「わたしは彼らに語るための口ではない」
そう呟きながら、わたしの横をニーチェが通り過ぎて行こうとしたので、急いでその肩を掴んだ。
「ここに見たらわくわくするような宝箱があると聞いてきたのですが、ご存知ありませんか?」
するとニーチェがとても機嫌悪そうにあっちのほうを指差した。
わたしは属性を水に切り替えると、流れるように、監獄の中のようなその空間を流れていった。
◇ ◆ ♡ ♥ □ ■ ○
偏狭な監獄のような空間を抜けるとそこは雪国だった。いや、よく見ると雪はない。ただ、真っ白なだけの世界がわたしの前に現れ、わたしを包んだ。
「誰かいますか?」
呼びかけたわたしの声がまるで不織布にでも吸い込まれるように消える。
「宝箱ありますかーっ!?」
誰も答えない。留守のようだ。
とりあえず世界があまりに真っ白なので、地面をはっきりさせることにした。属性を土に切り替え、レインコートを土は透過しないので、ズボンを少しずらすと、そこからブリブリと床に土を撒いた。
地面がはっきりと姿を現しはじめる。ジャガイモ畑が作れそうなほどの面積を埋めると、わたしは尻から土を出すのをやめた。
次は緑が欲しいな。属性を木に切り替えると、木を植えて回る。アカマツ、クロマツ、ヤナギなどを並べると、なかなかに風流な空間となった。
水がいる。生命の水が。属性を水に切り替える。レインコートを着ているのでやはりズボンを少し下ろし、前からジョロジョロと水を撒くと、やがて川が流れはじめた。
太陽がなければならない。属性を日に切り替えるとわたしのヅラがめくれ、ピカーッと光った。
夜には月が出てほしい。属性を月に切り替える。なぜだか知らないが憂鬱になった。
金がなければ人間の住むところとはいえない。属性を金に切り替えた。特に何も起こらなかった。
あとは……なんだっけ。月、火、水、木、金、土、日……。ああ、火か。わたしは属性を火に切り替え、そこら中に火を放った。
うわああああああ!!
なんてことをしてしまったんだ! わたしは焼身自殺でもしたいのか!?
わたしは急いでまた属性を水に切り替え、火を消そうと試みたが、わかっていた、己の能力で創った火は、己の能力で産み出した水では消せないと。
水はわたしの前のほうから勢いよく放射されたが、火と顔を合わすと、「なんだおまえかよー」と、お互いに喧嘩をしてはならない暗黙のルールを守るように、照れ笑いをして交わることをやめた。
「あちゃちゃちゃ!」
わたしは踊るしかなかった。
「おちゃちゃちゃちゃ!」
何かを間違えた!
わたしは一体何がしたかったのだ?
思い出せ! わたしは何を守るヒーローだった?
元々どんな設定もなかった気がする。それとも記憶喪失なのか?
ここへ来たのは何が目的だった? マインクラフトをするためか?
そうだ宝箱を取ってこいと言われたのだった。誰に? 知らない男にだ。
どんな宝箱だ? 中身は不明だが、見たらわくわくするような宝箱なのだそうだ。
なんだかわたしは行き当たりばったりすぎたようだ。もっとちゃんと人生計画を立てて生きればよかった!
そう思った時、含み笑いをするような女の声が、燃え盛る炎の中あたりから聞こえた。
「パクくん。助けてあげようか?」
マドンナの声だ!
助かった! 彼女はどうやら火を消すことができるようだ!
しかし、助けを求めようとした時、彼女のあの言葉が、わたしの脳裏を駆け回った。
ねえ、あなたの7色は、そんな程度のものなの?
そうだ。そんな程度の男だと思われてはたまらないじゃないか。
自力でなんとかするのだ! そうしなければマドンナの前で恥をさらすことになる! 己の無力を認めることになってしまう!
わたしの7色の能力はこんな程度のものではない!
硝子瓶会社に務める冴えない平社員は表向きの顔──ほんとうのわたしは、愛と正義となんだかわからない戦士の、レインボーマンなのだ!
危機よ、我に降り注げ!
艱難辛苦汝を玉にす!
カンナムスタイルを口ずさめ!
神は人に6日間を真面目に働き、1日を安息日にせよと申された。
そうだ日日曜日はお休みの日だ!
わたしは急いで属性を日に切り替え、言った。
「今日は働いてはならない! 月も、水も、木も、金も、土も……そして火も! おまえも休むのだ! 働いてはならぬ!」
「はーい」
いい返事をくれると、火は働くのをやめた。
火が、なくなった。
月も、水も、木も、金は元々出現していなかったが、地面からは土も消え去り、元の真っ白で何もない世界が戻ってきた。
「どうだい、マドンナ?」
わたしは煤だらけの顔で、ドヤ顔を作ってみせた。
「見直したかい?」
しかしマドンナも消え去っていた。
◇ ◆ ♡ ♥ □ ■ ○
結局、宝箱は見つからなかった。
まあ、あの男が誰だかも知らないのだ。叱られたところでちょっとプライドが傷つくだけだ。マドンナにいいところを見せられたという実績さえつけばそれでいい。
昨日の危機を乗り越えられたことを自信に変えて、わたしは今日は少しだけ贅沢をして、誇らしげにオムライスを食べる。
パクパクパクパクパク
「パクくん」
真ん前から男の声がした。
「仕事だ。転生して異世界で人気小説家になってきてくれ」
男のグレーの縦縞の入ったズボンを見ながら、わたしは言った。
「昨日のことは叱らないのか?」
「顔を上げるな。わたしの顔を見たら叱るぞ」
男はあくまでも顔を見せてくれなかった。
「宝箱のことはまあ、いい。あれはわたしの単なる好奇心だった。次の仕事は世界を救う仕事だ。君の7色の力で世界を救ってくれ。では、頼んだぞ?」
「任せてくれ」
わたしはオムライスをゆっくりと口に運んだ。
「あの何もない真っ白な世界を超えてきたわたしだ。なんとかしてみせよう」
もう、マドンナの声は、聞こえなかった。
雨澤 穀稼さま、お題をありがとうございましたm(_ _)m