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7-2.精霊が連れ去られたけどきみを知って(後編)

 いつもなら補講が終わるぐらいの時間を過ぎた頃、ルイが教室に戻って来た。


「終わった。とりあえず学園前からは退くそうだ」


 ルイは疲れた声で言った。


「補講は中止だろうから、もう帰ろう」

「うん」


 二人が再び校舎の玄関口へ着くと、正門前の通りは閑散としていた。


「少し待っててくれ。うちから馬車が迎えにくるんだ」

「わたしも乗っていいの?」

「下宿のあたりもまだ暴徒がいるだろう。うちに寄って飯を食っていかないか」


 たしかに、下宿までの道を馬車が通れるかもわからない。リリラはその申し出をありがたく受けることにした。


「ありがとう。お言葉に甘えてごちそうになります」

「通れる道を探して来るから、少しかかるかもしれないな……ああ、来たか」


 二頭立ての馬車が正門前に着くと、ルイはリリラを馬車に乗せ、自分も後から乗り込んだ。しばらく走ると、馬車は屋敷に到着したようだ。


「それほど遠くないのね」

「ああ。歩いてもそれほどかからないんだ。いつもは徒歩なんだが、今日は迎えを出すと家人が言って聞かなくてな」


 降り立ったリリラが見たのは、リリラの住む下宿と同じぐらいの大きさのタウンハウスだった。前世の言葉では、ヴィクトリアン様式などと言ったような建物である。


「首都にあるうちの屋敷だ」


 建物を見上げているリリラにルイはそう言い、さっさと玄関に向かう。従僕が扉を開け、使用人たちが挨拶をする。リリラはぺこぺことお辞儀をしながら、ルイの後について行く。

 通されたのは、屋敷の規模の割にこじんまりとした食堂だった。

 ルイが示してくれた席につくと、まもなく食事が運ばれてくる。料理は一品ずつではなく、全ての皿を一度に並べられた。そのメニューは意外にも庶民的だった。


「一人の時は気取った飯を食わないんだ。期待させてたら悪かったな」

「いえ、わたしも慣れた食事の方が気が楽でいいわ」


 サラダを口に運びながら、ルイがデモ隊と話した内容を教えてくれた。


「抗議していた集団は、首都が精霊を抱え込んでいることに憤っていた。精霊が音楽を求めるなら、一流の音楽家たちを地方に配分するべきだとな」

「その通りにしたとして、精霊は首都から分散するの?」

「しないだろう。精霊は基本的に人間に憑くものじゃない。首都はそこらに音楽があふれているから、集まって来るんだ。このあたりは地方より圧倒的に人が多いからな。昼夜関係なくいつもどこかで音楽が流れている首都は、精霊には望みの場所なんだろ」

「ならどうやって説得したの?」

「今言った通りをそのまま伝えた。芸術家を地方に置いても無駄だとな。後は、無理に精霊を連れて行こうとしても障りがあるだけだと言った。精霊の怒りに触れたら逆効果だ。程度によっては作物を全て枯らされ、川が氾濫して街が流されたり竜巻で土地にある全てを破壊されてもおかしくない」


 リリラは初めて聞く精霊の激しい一面に、目を丸くした。


「精霊の障りは、本当にあるんだね。昔話でしか読んだことがなかったよ」

「ああ、近年は起こっていない。俺も領地の記録で読んだり、外国の話を聞いただけなんだ」


 以前、ルイは精霊に不満をぶつけていた。障りがあると知っていて、よくあんなことができたものだとリリラは驚いた。


「あれぐらい問題ないだろ。それに、からかってきたのはあっちが先だ」


 ルイは仏頂面で言った。しかし、精霊が怒らなかったのは、ルイの人好きする性格のおかげでもあるのだろうとリリラは思った。


「それで、抗議していた人たちはこれからどうするの? 切羽詰まって集まって来たんでしょ? 何も得るものがなく退いてくれたの?」


 リリラは、ルイがどうやって憤る大人たちを退けたのだろうと疑問に思った。


「いや……。とりあえず、人を集めて音楽を絶やさないようにすることぐらいしか勧められなかった。あいつらは精霊の習性に詳しくないからそれだけでも一応満足したようだが、これは根本的な解決にはならない。何かできることはないか、父から国に提案を上げてもらうつもりだ」


 リリラは初めて見るルイの姿に驚いた。大人びて見えることはあったが、とてもしっかりした考えを持っていて、大人を説得できるほどの力を持っているのだ。


「ルイは、どうしてそんなにしっかりしているの? まだ学生なのにそこまで考えられるのはすごいことだわ」

「俺は、三年ほど家出して海外に行っていた。音楽のないところにな」


 ルイは中等学校の卒業後、高等学校に進学するのが嫌で家を出たらしい。驚くべき行動力で海外に出た当時十五歳のルイは、行く先々でいろいろな仕事をして金を稼ぎながら放浪していた。


「俺はこの通りの音痴だからな。この国で生きていくのに嫌気がさした。俺が歌うたび憐れんだ目で見られたり、馬鹿にされたりするのにうんざりしていたんだ」


 リリラは黙ってうなずいた。リリラも学園ではそんな目で見られているのだ。その気持ちはリリラも知っている。


「だけど、いろんな国を見てやっぱり俺はこの国がいいと思った。他の国には音楽が足りない。どれだけ音痴でも、歌いたいし踊りたいというこの国の人間と同じ心を、俺は持っていたんだ」


 そしてルイは旅を終え、この国に戻って来たらしい。ルイが大人びて見えるのは、年上だからというだけでなく多くの経験をしてそこから学びを得たからなのだろうと、リリラは思った。前世の記憶があっても、それが経験として身についていないリリラは、やはりただの十七歳の少女だった。

 ルイが懸命に補講を受けていた理由が、リリラはやっと腑に落ちた気がした。ルイはただ歌えるようになるためだけではなく、この国で引け目を感じず生きていくために努力していたのだ。


 二人が話しながら食事を終えた頃、下宿のあたりを見に行ってくれた使用人が、抗議集団が撤退していたことを教えてくれた。すでに日が暮れていたので、リリラは馬車で下宿まで送ってもらった。



 自室に落ち着いたリリラは、前世の国とは違うこの国の在り方についてとりとめもなく考えていた。

 より便利な生活を求めて技術発展に努めていた前世の国を知るリリラからすると、この国は違和感だらけである。他国が精霊を上手く利用しているのに、そうせずただ楽しく歌い踊っているだけ。もっとよい生活をしたいという欲はないのだろうか。

 リリラは自分が最もよく知る大人――リリラの両親を思い浮かべたが、そんな欲求はなさそうだと思った。

 両親も田舎の住民も、毎日自分の必要な糧を得る分だけ働き、あとは楽しく歌って踊れればそれでいいという考えだった。より快適になるならそれに越したことはないが、だからと言って、その分歌と踊りがなくなることはきっと許さないだろう。あの田舎に精霊はいなかったが、いたとしても使役して仕事や生活を楽にしようとは考えなかっただろう。きっと精霊たちと仲良く歌ったり踊ったりの毎日になっていたはずだ。


 思うに、よその国とここでは優先するものが違うのだろう。より楽に、より効率的に、よりよい生活をしたいと望み発展する外の国と、そんなことより踊っていたいという、ある意味世界から取り残された我が国。戦争でも起きて他国に侵略されれば悲惨な結果になることは想像に難くない。

 だが、海に囲まれたこの国は、幸いなことに今まで他国が襲ってきたことはない。他国にとっては、観光地としてしか魅力のない国なのかもしれない。なにしろ、そこに住む精霊は享楽的で人間は怠惰。侵略したところで彼らを御するのはきっと難しい。


 ルイが教えてくれた外国の情勢と前世の知識から、リリラはうんうんうなりながらそう考えた。今まで国のことなんてこんなに真剣に考えたことがなかったので、難しいことを考えて頭から湯気が出そうだった。

 今の形は問題があるのかもしれないし、国としては正しい在り方ではないのかもしれない。けれど、人々が望むのがこういう国なのであれば、それでよいのではないだろうか。それとも、いつかは淘汰され他の国と同じようになってしまうのだろうか。今日抗議していたような人々が台頭し、精霊を使った効率のよい生活を目標にしてしまえば、そうなる可能性もあるのかもしれない。

 リリラは、もしこの音楽と精霊の国が他国のようになったらつまらないなと思った。思うことはいろいろあるが、それでもこの国やそこに住む人を嫌いになれないのである。


 リリラは今までこの国は生きづらいと感じていたが、最近は少しましに思える時もある。あの婚約破棄騒動でうまく歌えたのをきっかけに、朝の出欠確認の際にも声を出せるようになってきた。街角の即興演奏にはまだ加わる勇気がないが、学内の大人数での歌になら紛れ込めるかもしれない、と思い始めている。

 リリラがこの国の国民らしくなるにはまだ長い時間がかかるだろうが、ルイという仲間がいれば、がんばり続けられる気がした。



 海の向こうの遠くにある国が、精霊の障りに触れ滅びたという話を聞いたのは、リリラが学園の卒業式を目前に控えた頃だった。滅びた国にある崩れた神殿から見つかったのは、激しく震える栗色のチワワが一匹だけだったというが、真実は定かではない。

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