6.ペンギンにも劣るけど踊りたい
ある日の補講終わりに、マウントウェーブ講師が言った。
「二人とも、次のレッスンはうちではなく、こちらで受けてちょうだい」
差し出されたのは、とある楽団の活動する建物への地図。
「あなたたち、ここでのレッスンではまだ足りないわ。そちらの演奏を一度観てみなさい」
補講の補講と言うことだろうか。それはたらい回しと言うのではないのか。
ここでは手に負えないと言われショックを受けたリリラは、捨てられた子犬のような目で講師を見つめた。
「そんな顔しないの。これは課外授業の一環よ」
講師にばっさりと突き放されると、リリラは悲しい顔で地図を受け取った。
「『黒の燕尾服』……、最近街で流行っていると聞くあの楽団か」
リリラの横から地図を覗き込んだルイが言った。
「『黒の燕尾服』はこのあたりでは今一番勢いのある楽団よ。伝手でチケットが手に入ったので、あなたたちに観てもらうことにしたの」
それは貴重なチケットではないか。どうやらあまりに落ちこぼれすぎて見捨てられたわけではなかったらしい。
リリラは希望に瞳を輝かせた。ルイの瞳も同じくきらきらしているが、こちらは流行りの楽団の演奏を観られる喜びからのようだった。二人は声をそろえて講師に礼を言った。
◇◆◇◆◇◆◇
授業が半日で終わったその日の午後、リリラとルイは制服のままで街の音楽堂に向かった。
二百人ほどが入れる小さなホールは、二人が入った時にはほとんど満席だった。
「一度にこれだけしか入れないなら、チケットが稀少になるはずだな」
席についたルイがプログラムを読みながらつぶやいた。
しばらくすると、開演の鐘が鳴り客席が暗くなる。
そして、袖から黒いペンギンの群れが現れた。彼らは郊外にある動物園に暮らしていたペンギンで、音楽を愛する彼らは精霊から音楽を奏でる祝福を授かったそうだ。「黒の燕尾服」はそんなペンギンたちで構成された楽団であると、プログラムに書かれていた。
舞台の上のペンギンの姿に客席からわっと声が上がり、拍手が始まる。黒いペンギンたちは首の下に蝶ネクタイをつけており、その羽毛の色と相まってまるで燕尾服を着ているようだった。
それぞれの楽器を手にしたペンギンたちは、とててと走り席に着いていく。
最後に頭のてっぺんから毛がぴょんと跳ねたコンサートマスター役ペンギンが入って来ると、拍手がひときわ大きくなった。
「かわいい……」
リリラは胸がきゅうっとなり、力いっぱい手を叩きながら思わずつぶやいた。
ルイも頬をゆるませて拍手をしている。
音合わせが終わると、頭からふさふさの毛が生えている指揮者役のペンギンが現れた。ペンギンたちは全員立ち上がり、羽を広げてぺこりとお辞儀する。
それに対する観客の盛大な拍手が止むと、ふさふさペンギンが指揮台に向かい、指揮棒を手に取る。ひと呼吸置いてすっと上げると、演奏が始まった。
ペンギンたちは器用に楽器を操り、丁寧に音を奏でる。懸命に楽器を演奏する姿は、思わず持ち帰りたくなるほど愛らしいが、見た目のかわいさだけで人気が出たのではなく実力あってのことだと音から伝わる。街の素人たちの即興演奏と異なりテーマを表現することに重きを置いた演奏は、効果を計算され尽くした重厚な響きだった。精霊たちの祝福も情動にまかせて大盤振る舞いするのでなく、曲調に合わせて繊細に魅せるかと思えば、ダイナミックな場面では爆発するように祝福の光が放たれる。
ペンギンたちは観客をのせるのも上手だった。自前の楽器の持ち込みなどは禁止されており、観客は手拍子ぐらいしかできないのだが、それでも観客席まで祝福の光が舞うほどにペンギンたちは観客たちを盛り上げ、ホール全体を祝福で満たした。
リリラは食い入るように舞台を見つめ、奏でられる音の響きを身体で感じていた。
ペンギンたちの呼吸や思いが音を通して自分の身体に響くような、そんな不思議な気持ちを感じていると、気づけば演奏はアンコールまですべて終わっていた。
明るくなった客席に隣のルイを見やると、彼は目を見開き静かに涙を流していた。それほどまでに感動したのだろうか。
「ルイ……」
ルイははっとリリラに気づくと、顔をしかめあわてて拳で涙を拭った。
「すまない。ペンギンですらあれほど素晴らしい演奏をするのに、俺はペンギンより劣るんだと情けなくなった」
リリラはこれまで見て来たルイの努力を思い、胸が痛んだ。
「それに、手指のないペンギンが楽器を弾けるようになるぐらいの奇跡的な祝福を、精霊は与えられるんだ。その精霊ですらどうしようもないほどの音痴なら、俺がどれだけ努力したって無駄なのかもしれない」
リリラはルイにかける言葉が出てこなかった。
ルイは先日、リリラが群衆の中でうまく歌えた時に一緒に喜んでくれた。だけど、ルイ自身はうまく歌うことができなかった。いつか、リリラがルイに「うまく歌えたね」と声をかけてあげられる日は来るのだろうか。我ながら冷たいと思ったが、リリラにはその想像はまだできなかった。ルイと補講を受けるようになって半年経つが、ルイの懸命の努力の割には、その歌と踊りには大きな変化が見られない。それでも、ルイは小さな一歩ずつではあるが着実に前に進んでいるはずだと信じてきたのだ。
ルイの抱えている試練は、彼の努力では到底足りないのだろうか。ルイがこれほどつらい思いをするのなら、この演奏会に来るべきではなかったのかもしれないと、リリラは思った。
二人は無言で立ち上がり、音楽堂を後にした。
夕暮れの街並みを言葉もなく歩く。
リリラは黙ったままのルイになんと声をかけていいかわからず、ルイの歩みに合わせていた。
そんな二人の前に、即興でロマンティックな歌と踊りを披露する人だかりが現れた。
どうやら、中心にいる一人の男性が、恋人に歌と踊りでプロポーズをしているらしい。
男性はよく通る声で歌いながら、一人魅せるように踊る。それはまるで鳥の求婚の儀式のようだった。
野次馬として集まった群衆は、野次の代わりに楽器を演奏することにしたようで、「この男はおすすめだよ!」とでも言うように女性にアピールしながら楽器を弾いている。
ひざまずいた男性に返事を求められた恋人の女性は、しばらくうつむいてじっとしていた。返事を待つ間音楽が止み、打楽器だけが静かにリズムを刻んでいる。
やがて女性が何事かを男性に告げ、頭を下げると去っていった。
盛大なプロポーズを断られた男性はそのままがっくりと膝をついてしまい、群衆は悲し気なメロディを演奏し始めた。
リリラからしたらそんな曲で傷口に塩を塗るんじゃないと思うが、男性にとっては慰めになっているらしい。うずくまって震える男性に、群衆から数人出てきて男の肩を叩き、声をかけている。この国の人たちは、こうやって悲しみも音楽で共有するのだ。
その光景を見ていたルイがぽつりと言葉をこぼした。
「あの男の歌は悪くなかった。踊りだって上手い。なのに断られるのか」
「結婚するのは歌や踊りの上手さだけじゃないわ。きっと他にも断られる理由があったんだよ」
リリラはそう言ったが、ルイは納得がいかない表情をしている。
しばらくして、ルイは話し始めた。
「……俺の父親は歌が下手だ。音程がうまく取れないんだ。そのせいで、たくさんの女性に求婚を断られたと言っていた」
「たくさん……」
「二百人ほどだと聞いた。初めは身近にいる女性に求婚したがすべて断られ、遠くの女性たちともたくさん見合いをしたそうだ。だが、見合いの場では歌を求められ、聞かせた途端にその場で断られたらしい」
この国ではお見合いの場で歌を披露するらしい。
リリラは他人事ではないと身震いした。
見合い相手だけでなく、先方の両親や仲人にも見られながら一人で歌うなんて、リリラには無理だ。
ましてやこちらにはあの両親がいる。きっとリリラの歌に合わせて勝手にコーラスや伴奏をつけたりするに違いない。そしてしまいには、仲人や先方の両親もノリノリで踊り始めるのだ。リリラがのれなかったら場は盛り下がるだろう。そうなると縁談は即お断りだ。
「母親は特に踊りが苦手だ。リズムにうまくのれない。母も結婚相手を探すのに苦労したらしい。そんな母だから、父が音痴でもなんとか受け入れられたんだ。そして、その二人から生まれた俺は、音程もリズムもうまく取れない。そんな俺に相手が見つかるとは思えない。きっと俺はともに踊る相手を誰も見つけられず、一生を一人で過ごすことになる」
ルイは、皆に慰められた男性が立ち上がって悲しい声で歌い始めるのを見つめながら、そう言った。最後の言葉は、受け入れたくない予言を自分に言い聞かせるようだった。
音痴のサラブレッド。どうやらルイの音痴は両親からの遺伝らしい。
たしかに、この国では皆がしょっちゅう気分に合わせて歌ったり踊ったりしているのだ。一番身近な親が音痴だと、正しい音やリズムを取りにくくなるかもしれない。
そういう意味では歌や踊りが不得意な人間が結婚相手として避けられるのは、仕方のないことなのかもしれなかった。
「ディビヴァヅディィダ~」
ルイはリリラを見つめ、唐突に呪いのような言葉を発した。
リリラはルイを見つめたまま固まる。
二人はしばらく無言で立ちつくしていたが、ややあってルイが悲し気にため息をついた。
「やはり伝わらないだろう。さっきの男が歌っていた歌だ」
「ああ、『きみが好きだ』っていう歌詞の」
呪いの呪文ではなかったようだ。
しかしなぜその部分を選んだのか。リリラは顔を赤らめて視線を逸らした。
「俺が歌っても伝わらない。だがこの国では歌や踊りでの求婚が一般的だ」
そうであれば、今のルイやリリラが結婚するのは難しいだろう。
結婚したいと考えたことはまだないが、いつかは誰かと出会い結婚するのだろうとぼんやり想像ぐらいはしていた。その道がすでに閉ざされているのかもしれないと思うと、リリラは目の前が暗くなるような思いになった。ずっと両親と暮らしてきたリリラには、家族のいない一人の人生はとても無意味で長く感じられた。
「普通に生きたいと思うけど、それがこの国では難しい。だからずっと、俺は他の国に行ってみたいと思っていた」
「他の国……」
リリラは今までこの世界は日本よりも生きづらいと感じていたが、それはこの国だけなのかもしれない。
「ああ。ここ以外の国は、音楽がそれほど重要じゃない。いつでもどこでも歌うわけじゃないし、決まった場所以外で演奏すればうるさいと言われる。踊りがうまくなくても働けるし、音にのれなくても友達ができる」
それはリリラの知る普通の国だ。この世界にそんな国があることになぜ思い至らなかったのだろうと、今さらながらリリラは驚いた。
他の国ではここほど音楽を求めていない。精霊もこれほど享楽的でなく、人々の生活や土地に寄り添うのだと、ルイは教えてくれた。
「精霊は働き者ばかりだ。というか、この国の精霊はほとんど働いていない」
「他国の精霊は何をしているの?」
「土を祝福して作物の収穫量を増やしたり、水路を作るのを手伝ったり、なんでもする。この国の移動手段は馬車だが、よその国じゃ馬車なんてもう時代遅れだ。風や雷の力で動く車や、空を飛ぶ乗り物だってある。遠くの人と話せる道具や、手紙を瞬時にやり取りする道具もある。この国の人間が自分たちでやっているようなことやできないことも、精霊が祝福の力で助けてくれるんだ」
リリラはさらに驚いた。ここよりも前世に近い生活をしている人々がすでにいるとは。リリラは、今までの自分の視野の狭さを思い知った。
「俺の地元の領地でも、昔は精霊がいて土に祝福を与えくれていたそうだ。農作物は人間がそれほど努力しなくてもふんだんに獲れた。だが、精霊たちは首都に集まるようになったらしい」
「わたしの住んでいたところでも、精霊はいなかったよ。首都から遠く離れた土地だからと思っていたけれど……」
「大昔は、島のどこにでも精霊がいたそうだ。だが、この国の精霊は特に音楽が好きだから、演奏する人間の多い首都に集まっていったらしい」
「それって問題ないのかな?」
「さあな。あったところで俺たちにはどうしようもない。精霊の気持ちに沿わずに動かすことはできないからな」
そう説明を終えたルイに、リリラは感心した。学園では教わらないようなことまで、ルイはとてもよく知っている。ルイは、この国を出て海を越えた先にある国に行ったことがあるのだろうか。そう尋ねようとしたリリラに、ルイは話題を戻した。
「俺はこの国以外で暮らすつもりはない。父親の仕事を継ぐつもりだし、やはりこの国の人間だから歌や踊りが好きなんだ。そこに加わると浮いてしまうけれど、いつだってみんなと一緒に歌ったり踊ったりしたい。だけど実際は、卒業すら難しいぐらいの音痴で、ペンギンや幼児よりも劣ってる」
「それは……それは違うと思う」
リリラは慎重に言葉を選ぼうとゆっくり言った。
「音楽に優劣はない……と思うの」
「あるよ。だから金を払って演奏を見に行く人間がいるんだし、俺たちだってこうして補講を受けてるんだろ」
「そうだけど、わたしはルイの歌や踊りを劣っているとは思ってないよ」
初めは驚いたし呪文のような歌は今も理解できない。彼の踊りを「上手だ」と褒めることもできないが、一生懸命練習するルイを見ていると、リズムや音程や技巧など関係ないと思うようになった。
「わたしは、ルイが歌ったり踊ったりしている姿はとてもいいと思う。見ていて胸がぎゅっとなるというか、ルイが頑張っているのも含めて、その歌や踊りが好きなの……!」
リリラは自分の気持ちをどう表現すればいいか迷いながら、言葉を紡いだ。
「あ、ありがとう……」
ルイの顔を見上げると、頬が真っ赤になっている。
リリラははっとした。
(これじゃ、告白したみたいになってる! いや、完全に告白だわ!)
まだ言うつもりでなかったことまで口走ってしまったと、リリラはあわてた。
「とにかく、ペンギンの演奏はすばらしかったけど、わたしにとってはルイの演奏もそれ以上に好きで……あっまた! 違うのよこれはそういう意味じゃなくて」
焦れば焦るほど口から余計な言葉がこぼれてしまう。
「わかったから。褒めてくれてありがとうな」
しどろもどろになるリリラに、ルイは言った。
「俺の歌や踊りを褒めてくれたのは、両親以外ではリリラが初めてだ」
ルイは頬を染めたままうれしそうに笑った。
言わなくていいことを口にしてしまったのかもしれないが、ルイが元気を取り戻した様子に、リリラは安堵した。
歌えなくても踊れなくても、そういうルイでいいのだからそんなことで苦しまないで、とリリラは思った。