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5.禁断の踊りだけど野次馬する

 音楽と精霊の国では、どのような種類の舞踊も踊られる。古代の民族舞踊から現代的で前衛的なコンテンポラリーダンスまで、皆踊りならなんでも踊ろうとする。踊れなくても見よう見まねで踊る。きちんと踊れなくてもいいのだ。その場のノリにのれれば。

 しかし、そんな中で踊ることが制限されている舞踊もある。それは、二人で密着して踊る舞踊だ。ワルツやタンゴ、チークダンスなど男女が密着する踊りは、婚約者か夫婦に限られる。法で定められているわけではないが、この国の暗黙の規律である。

 なぜ婚約者や夫婦以外に禁止されているのか。いろいろな理由があるが、一番大きな理由はそれが揉めごとの原因になるからだ。



 その日の昼休み、リリラはルイの教室にいた。前の時間に借りた教科書を返しに来ていたのだ。リリラが教科書の礼を言っていた時、廊下から唐突に叫び声が聞こえた。


「この、泥棒猫!!」


 穏やかではない言葉に、教室にいた生徒たちは驚いて顔を見合わせる。


「泥棒だって」

「いや、猫だって言ってた」

「猫泥棒だ」


 適当なことを言いながら嬉々として教室から飛び出していく生徒たちの後に続いて、リリラとルイも廊下に出た。階段の方から聞こえてくる争い声に、そちらへ足を向ける。


 リリラとルイが階段に集まる野次馬の集団に加わった時、大きな重低音が響いた。それをきっかけに、ビートを刻んで伴奏が始まる。その音楽に合わせて、上階の踊り場から一人の女子生徒が現れた。ゆるく巻いた金髪にブロンズ色の健康的な肌、耳には大ぶりのピアスが揺れていて、しっかり化粧を施している。制服のブラウスを胸元まで開いていて今にも下着が見えそうになっており、スカートは太腿丈。開いた胸元や手首にもじゃらじゃらとアクセサリーをつけている。

 

(あれは日本にあった見せブラというものでは!? ギャル風おねえさん……!! ……中は豹柄!?)


 リリラは前世の記憶にあるような服装の女子を初めて目の当たりにし、内心大興奮であった。むちっとした太腿にその丈は目のやり場に困ると、頬を赤らめつつも上から下までしっかりと凝視する。

 そして、自分の着ている襟元までぴっちりボタンを留めたブラウスときっちり締めたネクタイ、膝下丈のプリーツスカートを見下ろした。規定通りの自分の服装を野暮ったいと思ったことはなかったが、今はつまらなく感じる。やはり都会の娘は垢抜けていると、小さくため息を漏らした。

 ルイの反応はどうなのだろうと気になってちらりと見やると、特に驚いた様子もなく見惚れたりもせず、大きなあくびをしている。リリラは少し安心した。


 リリラが見たことのないその女子生徒は、どこからか響く重低音の伴奏に合わせ、長い脚をクロスさせながら階段をゆっくりと下りてくる。階段の中ほどまで下りたところで口を開き、歌い始めた。


「この~どろぼう~ね~こ~! ごまかしたって、無駄なのよ~!」


 先ほどの叫び声はこの生徒のものだったらしい。

 普通科ではなさそうな彼女の歌唱は、よく通る声で思わず目を瞠る上手さだ。至極当然に精霊が現れ、彼女の周りに金箔のような光をきらめかせており、彼女の姿をスポットライトを当てるように祝福の光で照らしている。そしてなぜか前方から風が吹いており、巻き髪とスカートをなびかせながら彼女は決め顔で歌っていた。


(洋楽のPV風……)


 リリラの脳裏に意味不明な言葉がよぎった。また、初めて浮かんだ記憶だ。リリラが首を傾げてその言葉の意味を考えていると、下の階からもう一人女子生徒が上ってきた。


「わたしはーなにもーしていーまーせーん」


 栗色のボブカットにナチュラルメイクをほどこし、大きな瞳をうるうるさせた彼女は、制服の裾にフリルやリボンをこれでもかとつけている。甘い声だが、声量はなく若干棒読みな歌い方である。彼女の周りにはパステルカラーの花びらが舞い踊り、こちらも精霊が桃色のスポットライトで照らしていた。


「嘘よ~! わたした~ちは~見~た~わ~」


 またも上階からざざっと数人の女子生徒が現れた。皆、先ほど泥棒猫と歌った巻き髪の女子生徒に似た装いをしている。友人らしき女子たちは音楽に合わせて巻き髪女子の両脇に立ち、お尻をこちらに向けて腰を振り始めた。どうやら友人たちは巻き髪女子のバックダンサーらしい。


(洋楽のPV風……)


 リリラの脳裏に再度先ほどの言葉がよぎった。だが友人たちの歌が続いたため、深く考える間もなくリリラの意識はそちらへ奪われた。


「裏庭で~フォクシーの~婚約者と~抱き合って~踊っていた~」

「理科準備室で~ホイットニーの~婚約者と~密着して~踊っていた~」

「体育倉庫で~キャスリンの~婚約者と~ワルツを~踊っていた~」

「図書室で~チェルシーの~婚約者と~チークダンスを踊っていた~」

「廃校舎の教室で~ドロシーの~婚約者と~Mmm~スローダンスを踊っていた~Woo,Yeah」


 誰が誰だかわからないが、巻き髪女子とバックダンサーズの婚約者たちが栗色髪の女子と踊っていたらしい。それにしてもあちこちで密着しすぎではないだろうか。それは、約束した相手とでなければ一人とでも常識がないとそしられる行為だと、田舎育ちのリリラでも知っている。その上、五人もの男性が相手とは、栗毛女子はどうなるのだろうか。リリラは固唾を飲んでなりゆきを見守った。


「みんな~婚約者を~取られた~。あなたに~」


 巻き髪女子が怒りのこもった低い声を響かせた。


「なんだって~ひどすぎる~」

「なんて~ふしだらな~女だ~」

「にゃんこどろぼう~」

「にゃーん」


 野次馬たちが、流れている旋律に合わせてざわざわと野次り始める。別に歌う必要はないのでは、などと考えてはいけない。これがこの国の野次馬の流儀なのだ。


「わたしのせいーじゃないー。わたーしはー誘われたーだーけー」

<ナンテ~罪作リナワタシ~ルルッル~>


 栗毛女子は両手を組み合わせ、歌いながらぽろりと大粒の涙をこぼしてみせた。頬を転がった涙は、精霊の祝福によりきらきらと輝いて落ちていく。巻き髪女子たち五人に対し栗毛女子は一人で応戦しながらも、彼女の周りにいる精霊たちが指パッチンをしながらルルルとバックコーラスをしている。


「誘われたら~誰とでも~踊ると言うの~! なんて~はしたない~女~」

「それがー悪いことなんてーわたし知らなかったー」

<ナカッタ~シュビッドゥヴァ~>

「知らない~わけが~ない~こどもでも~知っている~ことよ~」

「そんなにー怒った顔ーこわいわー。どうかわたしをー責めないでー」

<ナイデ~シャバダバルンルン>


 巻き髪女子と栗毛女子の応酬が続く。ターンが切り替わるたびに曲調が変わるので、効果やバックコーラスをつける精霊たちも、絶えず動き回り忙しそうである。

 そこへ、隣校舎との渡り廊下から新たな一団が現れた。先頭にいた一人の男子生徒が、巻き髪女子に向かってよく響く声で歌う。


「なにを~している~んだ~フォクシー~!」

「ホルク! Ah,わたし~の~婚~約~者~」


 やって来た五人の男子生徒たちは、栗毛女子を守るようにさっと囲み、フォクシーと呼んだ巻き髪女子たちを睨みつけて指さし歌う。


「やは~り~ティワワを~いじめていたのは~お前~たちか~」

「ティワワから~聞いたぞ~靴に画びょうを入れたって~」

「床に落とした~パンを~食わせた~って~」

「教科書を~破って~山羊に食わせた~って~」

「カチカチの~パンWow……机の中に入れたって~Fu~Woo~」


 どうやら五人は巻き髪女子たちの婚約者のようだが、ティワワと呼ばれている栗毛女子の味方についているらしい。一人癖強く歌いあげている者がいるが、似たような歌い方の女子がいたのでカップルだろうか。


「魔性の女~」

「魅惑のダンス~禁断の踊り~」


 野次馬たちが合いの手のように野次を挟む。階段前はもはや即席のミュージカル舞台である。だが、次々と増える登場人物により、このあたりの人口密度が急激に高まっているのと、皆が怒っているのとで熱気がすごい。

 観客気分でぼんやりと見ていたリリラははっとした。


(あと二人でわたしの番……!)


 野次馬は好き好きに声を上げているようで、きちんと端から順に野次を飛ばしている。あと二人野次るとリリラが歌う番が来るのだ。リリラの鼓動がにわかに速くなり始めた。


「密着音頭~」

「だけどいじめはだめ~」


(次……)


「わ~た~しは~そんなこと~して~いな~い~。信~じて~ホルク~」

「フォクシーは~嘘つかない~Uh,Ah~」


 そこへ巻き髪女子とバックダンサーズが切々と訴える。


(まだここじゃない……)


 リリラは野次を入れるタイミングを見計らってドキドキしていた。こんな大人数の中、自分が脇役の事件で流れを止められない。リリラは固唾を飲んで流れの先を読みながら、何を言えばいいのか必死に考えていた。


「問、答、無、用~! フォクシー~お前との~婚約を~破棄する!」


 どどん、と伴奏の重低音がひときわ重く響いた。その決定的な言葉に、巻き髪女子は真っ青になる。


「ホルク……」

「俺たちも~婚約を~破棄する~Woo」


 顔をこわばらせた巻き髪女子に構うことなく、残り四人の男子生徒もコーラスで婚約破棄を突き付けた。


「貴様らは~泣いて反省するんだな~」


 五人はそう捨て台詞を残し、ティワワを囲んだまま退場した。

 残されたのは、その場に膝をついた巻き髪女子withバックダンサーズ。五人を照らしていたスポットライトが消えるように、祝福の光が薄くなった。

 だが、まだここで終わりではない。


(……今だわ!)


 リリラは周りの様子を窺い、誰も口を開いていないことを瞬時に見て取ると、リズムに合わせて一歩前に出て歌い始めた。


「なんて~ひどい~男たち~」


(やった! ちゃんと野次れたわ!)


 声は震えたが、きちんと聞こえるように歌えたはずだ。精霊の祝福こそ現れなかったが、場の雰囲気にも合った、なかなかいい野次だったのではないだろうか。リリラは笑顔で跳び上がりたくなったが、そんな場面ではないので喜びを押し隠し神妙な表情を保っていた。

 しかし、リリラは自分のことに必死で、もうひとつ大切なことを忘れていた。

 自分の次が、ルイの番だということに。


「ヴェゴダドディ~ディヴァバドォヴォァ~」

「は?」


 ルイの口から呪文が発せられた瞬間、精霊と祝福がかき消え、音楽やその場にいた人間全てが止まった。

 しん、という音が聞こえそうな静寂の中、皆が視線を向けた先には真剣な表情をしたルイがいた。


「……今、なんて?」


 たった今婚約者に別れを告げられ、涙目で呆然としていた巻き髪女子が尋ねた。


「『猫なのにチワワとは』と歌った」


 ルイは表情を変えずに言った。

 巻き髪女子はルイの答えを脳内で処理するのに時間がかかっているのか、しばらくぽかんとしていた。


「……ふ」


 やがて彼女はうっすらと笑みを浮かべながら、よろよろと立ち上がった。


「なんて~ひどい歌~振られるよりも~致命的~」


 弱々しい彼女の声をきっかけに音楽が再開し、精霊たちが再び舞い始めた。


「空気を破壊する~声~」

「雰囲気~ぶち壊し~」

「精霊への~冒涜~」

「この歌よりひどい~ものはない~Fu……m~」


 バックダンサーズたちも歌いながら一人ずつ立ち上がる。どうやら五人は、ルイの歌をけなすことで心をひとつにし立ち直り始めたようだ。新たな的にされたルイを見やると、複雑な表情をしている。


「あんな男~こちらから~お断りよ! 今に後悔~するわ~見てなさい~」


 五人は伸びやかな声で高らかに歌う。伴奏は締めに入り、彼女たちは力強い動きで踊り始めた。

 野次馬たちは自前の楽器をさっと取り出し、彼女たちの踊りに華を添える。


 リリラも制服のポケットから、鈴を取り出した。これを練習以外で使うのは初めてだ。たくさんついていた鈴は半分ほど取り外したので、音はそれほど鳴らない。

 リリラがしゃんしゃんと鈴を鳴らしながら隣を見ると、ルイはカスタネットをぱかぱかと叩いていた。

 そのリズムはやはりずれているのだが、大きな手で小さなカスタネットを一生懸命叩いている姿がなんだかかわいくて、リリラはくすりと笑ってしまった。

 リリラのひそやかな笑い声を聞いて、ルイがこちらに視線をやった。


「ちゃんと歌えたな」

「……うん」

「補講の成果が出てたな」

「うん」


 ルイの言葉に、リリラは初めて皆の輪の中に入れた気がして、胸がいっぱいになった。

 やがて階段前での即興ミュージカルが終わると、リリラの顔に満面の笑みが広がった。

 ルイは少し悲しそうな表情で、そんなリリラを見ていたのだった。

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