後日談 田舎だけど都会で流行りのゴーレムダンス(前編)
リリラが国の端の端にある田舎に帰ってきてから、四ヶ月が過ぎた。都会の喧騒はすでに遠く、リリラはすっかり田舎の穏やかな毎日にすっかりくつろいでいた。
今日もいつものように朝から鶏の世話や畑の手入れをし、昼食を食べて休んでいるところであった。
「精霊のいない風景は目に優しい……」
玄関ポーチに置いた古い揺り椅子に座り、よく冷えたアイスティーを飲みながらリリラはしみじみとつぶやいた。目の前に広がるのは、精霊の振りまく光も花びらもないただのひなびた農家の庭だった。あたりに漂う草の香りや鶏の鳴き声はリリラにとっては馴染み深く、そんな牧歌的な空気は「ああ、たしかに家に帰ってきたんだな」と感じさせるものであった。
そんな平凡な日常は、やって来た一台の馬車によって一変した。
四頭立ての馬車が家の敷地の入口前に止まり、一人の男性が下りて来る。身を起こしたリリラが目を凝らして見つめていると、近づいてきたのは三ヶ月前に首都で見送られたきり会っていなかったリリラの恋人だった。
「リリラ、久しぶりだな」
「ルイ!」
リリラは揺り椅子から立ち上がり、ルイに駆け寄った。学園の制服を来ていないのでなんだか記憶とは違った雰囲気に見えるが、ルイの笑顔は変わらないままだった。
「どうしてここに? 来てくれてうれしいけど、びっくりした!」
「こっちに来ると手紙に書いて送ったんだが、まだ届いてないのか」
こちらに帰って来てからは、ルイとは手紙でやりとりしていた。だが、ミルネオ領に手紙が届くには首都に送るよりもさらに日数がかかるため、往復回数はそれほど多くない。リリラは、こんな時こそ前世で普及していた電話があればいいのに、と歯噛みしていた。精霊の力で遠くの人と話せる道具を使っている他国がうらやましいと、リリラは初めて思った。
「リリラがミルネオ領に来る話を両親にしたと手紙にあったが、やはりご両親は心配だろう。だから挨拶しておこうと思って来たんだ」
「それでわざわざ……。来てくれてありがとう」
ルイの従僕が荷物を運んできたので、話を中断し家の中に案内する。従僕や馬車は一週間後に迎えにくるということで、ルイと荷物を置くと引き上げて行った。
「何日も滞在させてもらってすまないな」
「ううん、狭い家だけど客間があるから大丈夫。父に話して来るね」
リリラはルイを居間に通し、畑に出ている父を呼びに行った。勝手口の扉を開けて外を見回すと、今日も今日とてリリラの父は畑の真ん中で母と踊っていた。
リリラが二人に向かって大きく手を振って飛び跳ねると、リリラの両親は顔を見合わせてこちらに戻って来た。
「あのね、ルイが来たの! 一週間ほど泊めてもいい?」
「まあ、リリラが話してくれたあの子ね? 泊まってもらうなら、急いで客間に風を通してリネンを取り替えないと」
「泊めるのはかまわないが……その子は何をしに来たんだ」
笑顔で答える母とは対照的に、父は浮かない顔をしている。
「何しに来たって、リリラを連れに来たに決まってるでしょ」
「そんなことは許さん!」
父は大きな声で即答し、のしのしと家の中に入って行った。
リリラがミルネオ領で就職したいと両親に話したのは、帰って来てからすぐのことだった。ルイのことや学園で起こったことを話した後にミルネオ領へ行きたいと相談したのだが、父はあまりいい顔をせず、話はそのままになっていた。母は賛成してくれたが、父はその話をあまりしたくないようで、リリラは再び話を持ち出すきっかけをずっと見計らっていた。
野良着をさっと着替えた両親が居間に入ると、ルイは立ち上がり礼をした。リリラはルイの隣に立ち、両親に彼を紹介した。
「こちらがいつも話していた……わたしのこ、恋人のルイよ」
「急な訪問で申し訳ありません。ルイ・ラドラムと申します」
ルイは慇懃に挨拶した。リリラが初めて音楽教室で会った時の姿とは大違いだ。
「あらあら、しっかりした子ねえ。わたしはリリラの母のレラ、こちらが父親のロロルよ」
「ぐぐ……」
母はにこやかにそう言ったが、隣に立っている父は唇を噛みしめてルイを見据えている。母が父の肩をすぱんと叩くと、スイッチを押されたように父が言葉を発した。
「ルイくんとやら、この家でゆっくりしていくといい。か……歓迎、する」
最後はとても嫌々だったが、母に二の腕をぎゅうっとつねられて何とか言ってのけた。
「ありがとうございます」
礼を述べたルイに座るよう促し、両親も三人掛けのソファに腰を下ろした。
リリラはお茶を淹れるため一旦席を外したが、台所から盆を抱えて戻ると母がルイを質問攻めにしていた。
「それでリリラを初めて見た時の印象は?」
「いつから好きだって気づいたの?」
「お父さまの後を継ぐって聞いたけど、今はどのようなことを?」
「ミルネオ領はどんなところ? リリラがうまくやっていけそうな場所なの?」
「お母さん!」
リリラは慌てて母を止めた。
「いやだわ、ごめんなさいね。いろいろ聞いてみたかったものだからつい」
「いえ、娘さんを手放すのはご不安だと思いますので」
ルイがそう答えたところで、
「リリラは渡さん!」
突然父が大きな声で叫んだ。
「首都へやったのは、親元を離れる経験も必要だと思ったからだが、一生離れて暮らすつもりはなかった! リリラはまだ子どもだ。そんな娘をよそになどやらん! リリラは一生この家で暮らすんだ! そしてレラとリリラとぼくの三人で毎日歌って踊って暮らすんだ!」
最後の台詞は、リリラには到底応えられそうにない父の願望であった。毎日歌って踊るなど勘弁してほしい。音楽がかかった時のテンションの高すぎる両親と踊るのは、がんばっても年一回が限度だ。リリラは、早めに家を出た方がいいと強い危機感を抱いた。
「ご両親をリリラさんから離すことになってしまうのは、申し訳なく思っています。しかし、俺にはリリラさんが必要なんです。どうかご理解をいただきたい」
ルイはまっすぐに父を見つめて言った。
「ぬぬ……ならば、踊りで勝負をつけよう! それがこの音楽と精霊の国での正しい決闘方法だ!」
「お父さん!?」
父は娘を渡すまいと、決闘を持ち出した。
音楽の精霊の国の決闘は、舞踊で行う。この決闘は、一人ずつ順に踊り、相手を圧倒する踊りを見せた方が勝ちとなるルールだ。圧倒するどころか決闘する二人が一緒に踊り始めてしまうため、たいていは勝負がつかずに引き分けになるし誰かが死ぬこともない、とても平和的で安全な決闘である。
しかしリリラは慌てた。この勝負はルイが不利だ。ルイにできるのは、舞踊風のゴーレムの動きだけなのだから。
「ルイ、だめよ」
「俺も男です。ロロルさん、その勝負受けて立ちましょう!」
ルイはノリノリで答えた。リリラは忘れていたが、ルイはのせられやすい性質であった。特に歌や踊りとなると、むずむずしてつい身体が動いてしまうという、いかにもこの国の民らしい部分があるのだ。
二人は意気投合していそいそと庭に出た。母が横笛を持って後ろからついていく。決闘の際には音楽が必要だからだ。リリラは居間に置いてあったタンバリンを手に取り、ため息をついた。どうやらつきあうしかないらしい。
決闘は父の先攻で始まった。
年上の父が先攻とは大人げない、と思いながらリリラは機械的にタンバリンを叩いていた。母は小気味よい旋律を奏でながら、目を輝かせて勝負を見守っている。父は村の五人の男性を押しのけて母に求婚した時の、とっておきの舞踊を披露した。
続いてルイの踊りが始まる。リリラが四ヶ月前までいつも見ていた、おなじみのあの舞踊である。残念ながら、自主練していたという効果があまり感じられない安定のゴーレム感であった。
ルイの踊りを見た父は、目を見開いた。
「都会では、そのような踊りがあるのか!? ……なんて斬新で先鋭的な舞踊なんだ! 音にのっているようでのっていない。あえてはずしているのか!?」
「……首都で流行っていた舞踊です」
とんでもない誇張である。流行っていたのは学園の普通科のごく一部だ。ルイの周囲の生徒たちに流行っていただけのゴーレムダンスを、さも都会を席巻しているかのように言ったルイは、どこか得意気な表情をしている。
(……ゴーレムダンスを褒められてうれしそうにしている!)
リリラがゴーレムダンスの流行に気づいたのは、卒業を控えた頃だった。学園の廊下を、ゴーレムになりきって一列に歩いている男子生徒たちを見た時には、なぜあの踊りとも言い難い無骨な動きが流行っているのかとリリラは首を傾げた。
ルイに尋ねたところ、ルイの踊りを一年間も近くで見てきた友人たちが、全く音にのれずリズムを刻みもしないあの踊りに魅力を感じ始め真似し始めたらしい。それは、彼らの美しいものを見分ける感覚が麻痺したとも言えるかもしれない。ゴーレムダンスに感覚を殺された人間たちが自らもゴーレムダンスを始め、普通科の一部に熱狂的に広がっていったそうだ。恐ろしい感染率である。
「くっ、都会の最新の舞踊を見せられては、ぼくの古臭い踊りなんて野暮ったいだけだ!」
父はがっくりと膝をつき、悔しそうに拳を地面に叩きつけた。リリラからするとゴーレムダンスの方がよほど泥臭いのだが、父は初めて見た奇妙な動きを前衛的だと捉えたらしい。ここにもゴーレムダンスに感覚を殺された人間が一人いた。恐ろしい致死率である。
わざとリズムをはずしているのではなく、ただはずれているだけだとリリラは教えてあげたかったが、それを言うと父にもルイにも心に傷を負わせることになるので、とても口には出せなかった。
やがて立ち上がった父は、見よう見まねでゴーレムダンスを踊り始めた。それに合わせるようにルイも踊る。もちろん、リズム感のないルイには父に合わせることはできない。だが、二人はゴーレムダンスを踊ることで何かを分かち合ったらしく、目を合わせてにやりと笑みを浮かべた。
そしてその後、リリラと母の奏でる音に合わせて、ルイと父はいつまでもゴーレムのように踊り続けていた。全ての感情が抜け落ちた顔をしたリリラは、ただひたすらタンバリンを叩き続けたのだった。




