8.歌えないけどきみが好き(最終話)
学園での一年が終わり、リリラは本日卒業式を迎えた。
卒業証書授与を目前に控え、リリラの緊張は最高潮に達していた。
無事に音楽と舞踊の単位をもらい、卒業式を迎えられることが決まった際に、音楽教師カワーイに告げられたのだ。
卒業証書授与の際、名前を呼ばれて壇上に上がるまでに、一人ずつ踊らなければならないと。式で流れるバックミュージックに合わせて、踊りながら壇上に向かうのが、学園の伝統なのだそうだ。
ほとんどが技術の向上でなく努力点という、ぎりぎりの評価で音楽と舞踊の合格をもぎ取ったルイとリリラは、新たな試練に慌てふためいた。もう通わなくてよくなった音楽教室に二人して駆け込み、マウントウェーブ講師に泣きついて個別レッスンをつけてもらい、なんとか卒業式に間に合わせて踊りを形にしたのだ。
一世一代の晴れ舞台。こんなに大勢の前で一人で踊るのはこれが人生最後のはず…! とリリラは自分を鼓舞していた。
卒業証書の授与が始まった。音楽科の生徒から順に名前を呼ばれる。やはり専門科の生徒は身のこなしが華やかで、音楽科であっても美しい踊りを披露していた。名前を呼ばれたら返事をして席から立ち上がり、踊りながら壇上へ向かう。到着し卒業証書を受け取ったら一礼し、舞台から下りるのが主な流れだ。
続く舞踊科、演劇科の踊りはさすがプロの道へ進む者が多いと聞くだけあって、巧みだった。壇上へ向かうだけなのに、その距離で精霊の祝福がきらめき、花びらが舞い散る。息を飲むような華やかさであった。
最近はゴシップ記事で話題のホルクも、今年の卒業生だったらしく、名を呼ばれると生徒たちからざわめきの声が漏れた。さすが演劇科というべき技巧的な舞踊であったが、壇上へ上がった彼の頭頂部は、以前見た時よりもたいそう薄くなっていた。街の住民から精霊誘拐犯と白眼視されながらも毎晩セレナーデを歌い、ゴシップ記者にしつこく追いかけられ、なのに復縁には応じてもらえないというストレスの現れなのだろう。過酷な環境に晒されて薄くなった部分に時折、舞い踊る祝福が反射してきらめくのがもの悲しい。
そしてとうとう普通科の生徒の番が来た。リリラの組の生徒が順に呼ばれていく。リリラは頭の中でずっと流れを繰り返していた。
(練習した通りに、練習した通りにやるだけよ……)
深呼吸を繰り返し、冷静になろうと努める。そうしているうちに、リリラの番が来た。
「リリラ・ウィレット」
「はい」
リリラは立ち上がり、最初の一歩を踏み出した。練習通りの足運びで踊りを始める。緊張で初めは動きが硬かったが、すぐにいつも通りなめらかに動くようになった。何も考えずただ覚えた動きを繰り返していると、気がついた時には壇上に上がっていた。
(うまくできたのかな……)
舞台から席をちらりと見るが、生徒たちの様子に変わったところはない。憐れんだり蔑んだりする視線がないということは、どうやらうまく踊れたようだ。リリラは卒業証書を受け取ると、これも練習した通りに淑やかに一礼した。最後まで気を抜かないように舞台を下り、席まで戻るとやっと止めていた息を吐いた。
(終わった……)
いや、終わっていない。
リリラは一瞬気を抜きかけたが、まだ終わっていないのだ。この後ルイの踊りがある。ルイの練習の成果を見届けなければならない。リリラは背筋をしゃんと伸ばした。
授与はさらに進み、まもなくルイの名が呼ばれた。
「ルイ・ラドラム」
「はい」
今日ばかりは着崩さずきちんと着た制服姿で、ルイが踊り始めた。とす、とす、と以前より小さな足音だが、動きはやはりゴーレムである。必死に練習していたが、ゴーレムとしては上達したなという程度であった。
「もっと練習期間が長ければ……!」とルイは悔しがっていたが、もっと時間があってもゴーレムは脱せなかっただろうとリリラは思っている。けれどこのゴーレム感あふれるルイが、リリラにとってはこの上なく愛くるしく、いつもどこか憧れを感じる存在なのだ。
リリラは拳をぎゅっと握りしめ、ルイの踊りを見守った。ぎこちない動きでゆっくりと着実に踊るルイの姿に、胸がいっぱいになった。まるで、ずっと子どもの晴れ舞台を見守っている母親のような気持ちである。
ルイが壇上に上がると、リリラはほうっと息をついた。これで最大の山場は越えた。ルイが卒業証書を受け取り一礼して舞台を下りると、リリラはやっとひと仕事終えたと安堵した。
卒業式は、学園の校歌で締めくくられた。皆自分の得意な楽器を手に声をそろえて歌う。リリラも最後だからと頑張って声を張り上げ、鈴を鳴らした。重なる大勢の声の中に、小さくルイの低音の呪文が聞こえる。歌が終わると、卒業おめでとう、という声とともにわっと歓声が上がった。
会場を出たリリラは、友人たちに囲まれているルイを見つけた。最近、普通科の一部で謎に流行中のゴーレムダンスを皆で踊っているようだ。
リリラは教室に戻り、手にしていた卒業証書を鞄にしまった。そして、これで見納めになるからと思い出のある廊下をゆっくりと歩き、階段を下りると裏庭に出た。いつもは数人生徒がいるが、ここは会場から離れているためか誰もいない。
ぶらぶらと歩いていると、校舎から人が出て来るのが見えた。近づいてきたその人は、ルイであった。
「ルイ。卒業おめでとう」
「ああ、リリラもおめでとう。うまく踊れてたな」
「ルイも、練習した通りに踊れてたよ。ちゃんとできてて感動した」
二人はこの数日間の健闘を称え合った。
「リリラは今日発つのか?」
「うん。大きな荷物はもう送ってあるから、後は下宿に置いた手荷物を取りに寄って帰るだけ」
リリラは今日の午後、首都を発ち両親の待つ田舎の家に戻る。ルイは、首都の屋敷にそのまましばらくいるそうだ。彼は真剣な表情で言った。
「リリラ、落ち着いたら俺のところの領地で就職しないか?」
「ミルネオ領で?」
「ああ。まだ仕事を決めていないと聞いていたが、今もそうか?」
リリラは田舎に帰って少し落ち着いてから、仕事を探そうと思っていた。田舎で働くにしても、再び首都に出て仕事を探すにしても、一度は実家に戻って両親に会いたかった。手紙のやり取りはあったが、会うのは一年ぶりなのだ。今後のことは両親と会ってから、相談して決めようと思っていた。
「俺は、しばらくしたらミルネオ領に帰る。父の仕事を手伝って、後を継ぐ準備を始めるんだ」
卒業後、ルイと離れ離れになることはわかっていたが、最近は踊りの練習に集中するためにあまり考えないようにしていた。ここに来てルイの進路を知り、リリラはやはりルイと会えなくなるのは嫌だと思った。
「ルイ、わたし……」
「ミルネオ領は首都から近いから、仕事はたくさんある。街には人も店も多いし、気候も良くて暮らしやすい土地だ」
「ルイ、わたし両親に相談しないと決められない」
ルイの言葉を遮るようにリリラは言った。ルイの申し出はとてもうれしい。けれど、リリラはすぐに返事ができなかった。それは、両親に相談が必要だというだけでなく、自領での就職を勧めるルイの気持ちが見えなかったからだ。
戸惑った表情のリリラと、ルイの間に気まずい沈黙が漂った。
しばらくして、ルイがためらいがちに言葉を切り出した。
「リリラ、俺は踊れないんだ」
「……知ってるけど?」
「普通の踊りもまともに踊れないから、もちろんワルツもタンゴも踊れない。けれど、いつかリリラと踊りたいと思っている」
リリラは、ルイの繊細なニュアンスの言葉に、彼の顔を見上げた。そしてその乞い願うような表情にリリラも勇気を奮い起こし、確かめるように言った。
「あの歌を歌ってくれる? ペンギンの演奏会を見た帰りに聞いた歌」
ルイは少し迷ってから、口ずさんだ。
「ディビヴァヅディィダ~」
相変わらず下手だった。何を言っているのか全くわからない。だが、リリラも息を吸って心を決め、歌った。強く速く脈打つ鼓動に、声が震えてしまう。
「きみが好きだ~」
二人は無言で目を見合わせた。
「一年近く練習したのに、あまり上達していないな」
「本当ね」
二人は声をあげて笑った。ためらいや緊張がほどけ、互いに心が通じたという安堵が二人の間に漂った。
「わたし、帰ったら両親に相談してみるね。ミルネオ領に住むこと」
「ああ。もし反対されたら説得しに行くから呼んでくれ」
そう言って、ルイはリリラを引き寄せた。腕を回し、そっとリリラを抱きしめる。
「待ってるから早く来てくれ。踊りは練習しておく」
どうやらルイの自主練習はまだ続くようだ。ルイと踊りを合わせられるように、リリラも練習しておかなければ。ルイの腕の中で、リリラは新しい目標を決めたのであった。
田舎へ発つ馬車乗り場には、ルイが見送りに来てくれた。馬車に乗り込んで手を振り合っていると、すぐに出発の時刻が来た。走り出した馬車の中から小さくなっていくルイの姿を見ていたリリラは、ほろりと涙を落とした。また会う約束をしても、やはり別れは寂しい。
リリラはこみあげてくる寂しさを振り払い、国の端の端にある小さな家で彼女を待つ両親に思いを馳せた。一年ぶりの話をたくさんして、恥ずかしいけれどこの一年練習してきた歌と踊りを見せるのだ。そしてずっと一緒に練習していた仲間の話をしよう。いびつな踊りと、呪文のような歌を歌う彼の話を。
リリラはこれから帰る家を思い、濡れた瞳で微笑んだのだった。




