1.田舎で浮いてたけど都会でも浮いてる
とある島に存在する音楽と精霊の国。その都は歌と踊りと精霊にあふれる華やかな街で、一度は訪れてみたいと言われる世界有数の観光地であった。
人々は音楽を愛し、そんな人間たちが奏でる音を愛で精霊たちが祝福を与える。それは街のあちこちで奏でられる音に合わせて、星や光がきらめき色とりどりの花びらが舞う、まるで奇跡のように美しい光景なのだ。
そんな国の端の端にある片田舎の農家に、リリラという娘がいた。
リリラは物心ついた頃に、自分に「日本」という国で育った記憶があることに気がついた。自分が何という名でどんなことをしていた人間なのかは覚えていないが、断片的な記憶がいくつもあり、それがリリラの日本人としての感覚の源になっていた。
例えば、なぜか敷居を踏むのを殊の外嫌がったり、地面に落ちた物は三秒以内であれば食べても大丈夫なのだと信じていたり、夜に笛を吹く父を「蛇が出る!」と叱ったり。些末な部分ではあるがこの国の人間とは感覚が異なり、その差の積み重ねによりリリラは周りとの違いを大きく感じていた。
リリラはまだ幼かったある日、畑を耕していた母が唐突に鍬を投げ捨て、伸びやかにアカペラで歌い始める姿を見た。リリラは引いた。
鶏小屋の掃除をしていた父が、突然小屋から飛び出し鶏たちと踊り狂う姿を見て、リリラはさらに引いた。
音楽が大好きなこの国の民は、気分がのると唐突に歌い踊り始めるという陽気な国民性を持っている。
前世の日本人としての感覚を持つリリラは、日本人にありがちな内向的な性格だったため、その性質が最も馴染めないものであった。
「ほら、リリラも一緒に踊ろうよ!」
父が踊りながら手招きするが、リリラは必死に首を横に振る。そのうち母がやって来て、仕事そっちのけで父と手を取り合い歌い始める。その様子は、まるで即興のミュージカルのようである。
リリラは身体がむず痒くなるような恥ずかしさを感じた。舞台の上で演じられるなら、ミュージカルも楽しいだろう。だが、ここは家の裏手にある鶏小屋の前である。
意味もなく突然歌い踊る両親が、リリラは恥ずかしくてならなかった。
だが、これはリリラの両親だけではない。
村の雑貨屋に行けば商品棚の間から村人たちが踊り出て来るし、学校では教科書を読み上げていた教師が突然くるくるとターンを決め、開いた窓から手を広げ歌い始める。生徒たちもそれに合わせてタンバリンを叩き、笛をピーと吹き鳴らす。もちろん振付や歌詞はその場のノリでつけた即興である。
こんな田舎の村人でさえ、皆歌と踊りを愛しているのだ。
だが、シャイな日本人の記憶があるリリラは、それらが恥ずかしくて一緒にのることができない。
そんなリリラは、村に友達がいないわけではなかったが、音楽で幸せや悲しみを共有する友人たちの輪には深く入り込めず、「リリラは少し変わった子」と周囲から思われていた。
リリラが十七歳になった時、特待生として首都の国立高等学園に進むことになった。
高等学園は首都やその近郊だけでなく、地方の子どもにも平等に教育を与えたいと、各地方から数人ずつ特待生として招待していた。リリラの住む郡から入学するのは、リリラ一人であった。
リリラの家では父が昨年病気を患い、彼女は家の仕事を手伝うため進学を一年遅らせた。
音楽と精霊の国では、家庭の事情により進学を遅らせることができるよう、高等学校は二十歳まで入学可能になっている。この国の教育水準は他国より低いため、学校に通うことにそれほど重きを置いていない。なにしろ、普通科高校は一年制である上、その授業はたびたび歌や踊りでつぶれるのだ。下の弟妹たちの世話があったり一時的に家業を手伝うなどといった理由で、進学を遅らせる子どもはたくさんいた。
リリラが特待生に選ばれたのは、彼女の住む地域で進学していなかった子どもたちの中で、中等学校時代の成績が良かったためである。平等な教育を謳いつつも、地方と都会ではやはり学力の差がある。都会でもなんとか通用しそうな子どもが、リリラしかいなかったのである。
両親は、父の代わりに家の仕事を手伝っていたのだから首都で羽を伸ばしてくるべきだと言い、知らない土地に行くのを尻込みするリリラを明るく送り出した。
◇◆◇◆◇◆◇
国の端の端から初めて訪れる首都へやって来たリリラは、着いた時点でへとへとだった。
ここまで来るのに荷馬車や乗り合い馬車を乗り継いだのだが、見知らぬ者同士がその場で意気投合し歌ったり踊ったりと騒がしく、それにのれないリリラはひたすら作り笑いで狭い車内に縮こまっていたのだ。馬車を降りた時には、リリラの表情筋はいびつな笑顔の形で固まっていた。
降車場から出たリリラは、田舎とは違う都会の様子に驚いた。
田舎とは比べものにならないぐらいのたくさんの人や店、喧騒。舗装された道路は広く、ひっきりなしに馬車が行き交っている。
街角では誰かが歌い出すと人が集まり、皆が合わせて歌い大合唱になる。それは田舎でもよく見る光景だったが、精霊がたくさんいる首都では、音楽に合わせて祝福の光や花が降り注ぐのだ。リリラの住む国の端の端には精霊はおらず、こんな奇跡のような祝福を見たのは生まれて初めてだった。
あちらの店先では、思い思いに踊り始めた人々に合わせ精霊が祝福の音を奏で、光で象られた動物たちが皆の踊りに合わせて跳ね回っている。それを海外からの観光客たちが笑顔で眺めていた。
それはリリラにとっても美しく思える光景だった。だが、「お嬢さんも一緒に!」と手を差し出されると、顔を真っ赤にしさっと群衆に紛れた。
(人前で即興で歌ったり踊ったりなんて、恥ずかしすぎる!)
リリラは歌い踊る人々を避けるように、学園から紹介されていた下宿への道を急いだ。
◇◆◇◆◇◆◇
国立高等学園は音楽、舞踊、演劇を専門的に学べる学科と、一般教養を修める普通科がある。
リリラが通うのは一年制の普通科だ。
音楽科や舞踊科は学園では花形で、芸術を好むこの国の学生の中でも特に才能のある生徒が集まる。歌や踊りを特に避けて生きてきたリリラには、専門科の生徒たちは派手に輝くまぶしい集団だと思っていた。
リリラが地味に過ごせると安心していた普通科クラスだが、予想に反しその朝は騒がしい。
「おはよ~うみなさ~ん、今日もそろっているか~な~」
担任がアコーディオンを弾きながら軽やかに教室に入って来る。後ろに続く副担任は、神妙な顔で槌のような形のウッドブロックでリズムを刻んでいる。リズムに合わせて教壇に上がった二人は、音楽にのって名簿を読み上げながら出欠を取り始めた。
「エリカ~アーロンズ~」
「は~い!」
呼ばれた生徒は音楽に合わせて返事をし、制服のポケットから取り出したオカリナを吹き始める。
「サミュエル・アボット~」
「はいっ」
アボットと呼ばれた男子は小さな太鼓を叩き始めた。
音楽に合わせて次々と名前が呼ばれ、生徒たちはリズミカルに返事をし、各々得意な楽器で教師の演奏に音を重ねていく。普通科の生徒でも皆自前の楽器を持ち歩いていて、突発的に行われる演奏に対応できるのだ。
楽器を持たない生徒は、大きく手拍子をしたりその場でタップダンスを踊ったり、ハミングをしたりととにかく何かで演奏に加わっていく。そして、音を奏でる教師や生徒の周りには精霊の祝福が現れ、教室はまばゆい光がきらめいていた。
「リーリィーラァ~ウィレッッットォ~~」
リリラの名は名簿の後ろの方にある。その頃にはもちろん、音楽は最高潮に盛り上がっていた。精霊たちがクラッカーのような祝福をいくつも鳴らし、教室には色とりどりの紙吹雪が舞い上がる。
「……はい」
リリラは絞り出すような小さな声で返事した。
「リリラ~ウィレット~」
リリラの返事が聞こえなかった教師は、再度呼んだ。
「……はい、います」
リリラは答えたが、か細い声は音楽にかき消され、教師の耳には届かなかったようだ。
唐突に音楽が止んだ。精霊の光も柔らかく薄れていく。
「リリラ・ウィレット? いないのかな?」
しんと静まり返った教室の中で、教師は呼びかけた。
「いやだわ、またあの子……」
「盛り下がるよな……」
静かな教室には、生徒たちがひそひそとささやく声が広がる。
「いえ、ここにいます」
衆人が注目する中、リリラは真っ赤な顔で震える声を上げた。
「あ、いたんだね。では次~」
担任が歌を再開すると、副担任がウッドブロックをかっこんと叩き始めた。それを合図に、皆も演奏を再開する。
出欠を取り終えると本日の連絡事項が担任より伝達された。もちろん歌にのせて。
国立高等学園では、どの教室でもこのような合奏が毎朝行われるのである。普通科であっても。
リリラは学園の中でも浮いていた。
(というより、この国から浮いてると思う……)
席に着いたリリラは力なくうなだれた。
すでに入学して二ヶ月経っていたが、休み時間にサンバのリズムで踊る集団が現れるこの学校で、リリラは友人ができず一人のままだった。だが友人がいないことよりも、専門科も普通科も垣根なく入り交じってはゲリラ的に発生する歌や踊り――時にはミュージカル――に自分がのれないことの方がきつかった。
皆が歌い踊っている中で一人傍観者として突っ立っているのは、つらいものなのである。一人だけ冷めているので、陶酔しきった集団を見ていると恥ずかしさがこみあげてくるのだ。
ある日、短い休み時間にリリラはトイレの個室でひと息ついていた。しかし、洗面所で女子生徒の一人が機嫌よく声を張り上げたのをきっかけに数人の女子が歌い踊り始め、通路と空いている個室はすべてその舞台になってしまった。女子たちはどうやら才能あふれる音楽科と舞踊科の生徒だったらしく、普通科よりも輝きを増した光と花がそこらに舞い散り、しまいには精霊が光で象った天使が現れ太鼓を叩きラッパを吹き鳴らした。
リリラが個室から出られたのは、トイレから人がいなくなり、とうに授業が始まった頃だった。
リリラは黙って用具入れから掃除道具を取り出し、床に散らばっている花びらを掃除してから教室に戻った。
こういう騒ぎの後に残ったゴミは騒いだ者が片づけるのがこの国の暗黙の規則なのだが、女子生徒たちは始業ぎりぎりまで夢中で歌い踊っていて、鐘が鳴ると慌てて出て行ってしまった。このように時間を忘れて踊り狂ってしまうことも、この国ではよくあるのだ。
落ち着ける場所を求めて、昼休みに人気のなさそうな裏庭にさまよい出たリリラは、日差しを遮る大木の生えたあたりで七、八人ほどの生徒が踊っている姿を見かけた。手に持った小さな鐘を叩き、足踏みをしながら輪になって踊っている。
見たことのないその踊りを遠くから眺めていたリリラの頭に、突然意味のわからない言葉がよぎった。
(まるで踊念仏のような…………踊念仏?)
おそらく前世の言葉だろう。リリラには、たまにこうして意味のわからない言葉が思い浮かぶことがあるのだ。
念仏という言葉はすでに知っている。この国では神への信仰がないので詳しくはないが、仏という信仰する存在の名を唱えることだったはずだ。だが「踊念仏」という言葉は初めてだ。踊りながら念仏を唱えるのだろうか。「踊念仏」とはあの不思議な舞踊を指す言葉なのだろうか。リリラは踊る集団をじっと見つめたが、見ていても湧いてくる疑問はさっぱり解けなかった。
しばらくそうしていると、珍妙な踊りを踊っていた生徒たちから手招きで誘われたが、リリラは苦笑いして首を振り、踵を返した。
この国では、歌や踊りの誘いを断ることは非礼にはあたらない。体調や気分がすぐれない時もあるからだ。だが、たいていの人はリリラのように誘いを断ったりはしない。「踊っていれば楽しくなって持病の癪も治る」という国民性なのである。
誘いを断られた集団は、失礼な奴だと怒ったりはしなかったが、リリラのことを変わった人間だと思った。皆と踊ればそんな風に寂しそうな顔をしなくてもいいのに。もしかして、寂しそうに一人でいることを自ら望んでいるのだろうか、と。
学園に、リリラの気が休まる場所はなかった。