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「カイネ・ランスレイブ」


 幸せ心地で眠っていた私を、誰かが呼んでいる気がする。

 誰だかは知らないけど、折角の睡眠時間なんだから誰にも邪魔はされたくない。とりあえずここは完全無視して、寝たふりを続けておこう。

 そう思った矢先―。


「ランスレイブっ!」


 今度は声だけじゃなくて、何かが飛来する気配を感じた。そして数瞬経って、私の近くであからさまに何かが粉砕した音が聞こえてくる。

 慌てて目を開けてみれば‥うわ、指示棒が机に突き刺さってるし‥。私は慌てて起き上がって、つい今まで突っ伏していた机の惨状を改めて眺める。これが頭に当たっていたら、大怪我どころの騒ぎではなかったかも知れない、というより死んでるかも。


「せっ‥先生! 何してるんですか! 手元が狂っていたら大怪我じゃないでへぶっ―」


 思わず立ち上がって訴える私の額に、白い棒状の物体がクリティカルヒットした。言うまでも無く教師の基本装備、チョークだ。それを見た周りの生徒達は声に出して笑っていたけど、壇上の教師‥ケネス・ラカロイ先生が咳払いをすると途端に静かになった。この教師を怒らせると面倒な事態になるのは校内の誰もが知っている。


「居眠り常習犯の癖に俺に反論するとは良い度胸だ。第一、今までお前にどれだけの物を投げてきたと思っている。もう外すわけは無いだろうが」


 そう言いながらラカロイ先生は私の席に近づき、涎の染みで薄汚れている教科書を無理やり開いて文字の羅列を差し示す。どうやら眠気覚まし代わりに読めということなのだろうか。


「ここから最後までお前一人で読め。さすがのお前でも、音読をしながらは居眠りは出来ないだろ?」


 やっぱり、そう言うことらしい。

 まだ若干眠かったが、この授業中に居眠りを再開することは出来なさそう。私は半ば諦めて教科書を手に取ることにした。まぁ居眠りならば別の授業にすれば良いのだから、今は我慢しよう。

 この授業時間は『英雄史』だ。今から数百年も前の話で、勇者アレックスの冒険譚をただ綴っていくという何ともつまらない授業‥アレックスって人は凄いと思うけど、別に私達がその人の冒険譚を覚える必要までは無いと思う。それに、こんな知識を使う所なんて殆どないだろうし。


「えっと‥今から六百年前。勇者アレックスはこの世界を恐怖で統治していた魔王を討伐し、世界に平安をもたらしました。魔王が部下として使用していた魔人、魔物は次第に勢力を弱め、私達人間達はこの気に乗じて一気に魔王軍の駆逐に取り掛かったのです。そしてその五年後。世界各地に多少なりとも魔物は残ったものの、そのリーダー格であった魔人の大半は姿を消し、世界はやっと人間達の手に戻ったのです。これもすべて、勇者アレックスの活躍によるものであることは疑いようが無いでしょう‥」


「はい良く出来ました。しかし、その魔物たちは戦う力を持たない人たちにとっては未だに脅威となっている‥そこで設立されたのが、お前達もよく知っている『アリアスギルド』だ」


 そう、アリアスギルド。

 世界各地に支部があって、その仕事内容は魔物の討伐と人民の救済、安維持にも勤めている何でも屋みたいな組織。この組織のお陰で、魔物による被害は激減しているし、もうこの世界にはなくてはならない存在にまでなっちゃってる。大げさかもしれないけど、私もそれは否定しない。


 私が暮らしているこの国『イント』も、そのギルドの支部がある国の一つ。

 そして、今私がいる場所はそのアリアスギルドの四年制養成学校で。学費は全て国が持ってくれて、全寮制三食付という超豪華待遇。その代わり、入学試験はとてつもなく難しい。私自身、未だに一発合格できたのが信じられないほどだしね。この学校を卒業したらアリアスギルドの何らかの部署にまわされて、就活も収入も安定した毎日を送ることが出来る。

 ちなみに私は『文芸技術専門課程 魔士科 生成産学部』に所属していて、簡単に言えば戦闘とは縁遠い物作りの学科。しかも『メイジ』‥つまり魔法が使える人が所属する『魔士科』だから、『一般科』より勉強は大変だけど将来の道はとっても広い。だから今はとても大変だけど、将来に不安を殆ど考えなくて済んでいる。それだけでもかなりの贅沢なのは判っていた。

 判ってるけど―。


「よーっし。それでは、今日の宿題は『アリアスギルドの設立と、その存在意義』についてレポートを書いてもらうことにする。判っているとは思うが、十枚以上書いてないと俺は認めないからな。以上、終わりっ」


 教室内からの大ブーイング。レポート用紙十枚なんてやってられるわけが無い‥。しかし先生はそんなブーイングを完全に無視して、笑いながら出て行ってしまった。

 まだ私は一期生なんだけど、向こう三年間これが続くとなると先が思いやられてしまう‥私、卒業できるのかな‥。

 とりあえず、今は現実逃避も兼ねて昼食に向かうとしよう。今日の昼食はバイキング給食だったはずだ。早く行かないと食料がなくなってしまう。

 教科書と筆記用具をバッグに詰め込んで、私は狭い出口に群がっている生徒達に突撃した。


 っとと、その前に自己紹介。

 私の名前はカイネ・ランスレイブ。さっきも言ったけど、アリアスギルド養成学校 文芸技術専門課程 魔士科 生成産学部所属の一期生。茶色のポニーテールが自慢な反面、ちょっと童顔なのがコンプレックスな二十一歳。

 魔法は殆ど使えないけど、魔力はちゃんと持っているから立派な『メイジ』。時々、『チュラル』に間違えられちゃうけどね‥あ、チュラルって言うのは魔法が使えない人々のこと。魔力の有無は生まれた時に決まるんだけど、魔力を持って生まれる人間は五人に一人‥つまり、私も貴重な人間の一人ってわけ。


 そう言うことで、自己紹介は終わりっ。

 早く昼食に行かないと。







 今日の『戦果』は十分に満足できるものだった。ふふふ、皆の羨望(と恨み妬み)の視線がちょっとだけ心地良い。


「あらあら、いつもの事ですけど、物凄い量ですね」


 おっとりゆっくり話しながら隣の席に座ったのは、クラスメートで一番仲の良い友達、サラ・クルギだった。いつ見ても綺麗なしっとりとした黒の長髪に温和で整った顔立ち。更に温厚という字を絵に描いたような人物であり、クラスメートだけでなくて学校中の人気者の一人でもある。

 この学校に入学したその日に、たまたま昼食が隣になった事がキッカケで、それ以来ずっと仲良くしてもらってる。自分を過小評価しているわけじゃないけど、私には勿体無いくらいだと思う。

 サラは私の前に並んでいる『戦果』‥バイキングで手に入れた数多の食料を眺めながら、必要最低限だけ取っていた自分の食料を広げ始めた。相変わらずの小食で、私の前に並べられている食料と比べたらあまりにも貧相に見えてしまう。私が取りすぎているのもあると思うけど。


「サラもいつもの事だけど、あんまりご飯食べないよね。私の戦利品でよければ少し食べても良いよ?」


 そう言って私は手近にあったラザニアをサラの前に移動させた。チーズと香辛料が効いたとても美味しそうな一品だったけど、後三皿もあるから一皿位は全然平気だった。最初は遠慮がちだった彼女だったけど、その旨を説明したら結局受け取って美味しそうに食べてくれた。

 うんうん、人間素直が一番だね。私もそろそろ自分の戦果に舌鼓を打つとしよう♪


「ところで、最近噂になっているアレ‥ご存知ですか?」


「アレ?‥っ! ケホッ!」


 しばらく黙々と食事をしていると、サラが唐突に質問してきた。

 私はバターたっぷりの食パンを頬張りながら、くぐもった声で答えたがちょっと喉に詰まってしまった。サラは私の背中を優しく撫でながら話を続ける。


「私達文芸技術専門過程の‥それも魔士科だけに臨時で戦闘実地訓練を授業内容に加えるとか‥。迷惑な話ですね」


 サラは少し辛そうに表情を曇らせながら言っていた。見ての通り彼女は争いごとは嫌いであり、だからこそ文芸技術専門過程に入学したのだろう。彼女だけではなく、この過程に入っている『メイジ』は皆そう言う考えだと思ってる。私もそうだしね。魔法が使えると言うだけで戦略上かなり有利になるにも拘らず、戦闘とは無縁なこの場所に入ったのだから、そういう人間が集まるのは必然とも言える。

 パンを嚥下し終えてチャーハンに取り掛かっていた私は、サラを元気付けるように少し明るい口調で言葉を返してみた。


「その話なら私も知ってるよ。『武芸技術専門課程』の友達に聞いた話なんだけど、私達は前線で戦う武芸技術の人たちの後ろで支援を行っていれば良いんだって。言っちゃえば、ただの見学だよ。大丈夫大丈夫」


「一概に見学だから良いというものではありませんが‥」


 予想通りの反応で、サラは苦笑していた。


「しかし、授業の一環となってしまうのならば仕方ありませんよね‥一生戦わずに済むなんて夢物語でしょうし、このような機会はありがたいのかも知れません‥」


 どこか達観した様子でサラは呟く。確かに、魔王が君臨していた頃はもっと酷かったらしいけど、今でも魔物関係の事件は毎日のように報告されている。アリアスギルドによって人的被害はかなり抑えられているものの、ここまで頻繁に起こっていてはいつ自分達の身にも降りかかるか予想も付かない。そして、自分達が被害にあった時に無事でいられるかもまったく判らない。

 でも自慢じゃないけど私は生き残る自信がある。逃げ足だけは誰にも負けないっていう自負があるからね。


「何を考えているのか大体予想が付きますが、いつも逃げられると限ったものではありませんよ」


 本当に思ったとおりのことを指摘されたので、ちょっとびっくりした。今に始まった事じゃないけど、私はそんなに思っている事が顔に出てしまうのだろうか。私は笑ってごまかしながら、フライドチキンに手を伸ばす。


「そ‥そんな事思ってないよぉ。それに私も立派なメイジなんだから、いざとなったら戦えるんだから」


「魔法が使えないメイジがどうやって戦うのですか。その笑顔で退けられるのは一部の人間くらいですよ」


 ずばっと、しかしおっとりと、核心を突いてきた。

 別に私は魔法を全く使えないわけじゃないけど‥数少ない使える魔法があんまり役に立たないから使ってないだけ。あ、それって魔法が使えないのと同じかな‥。私は四本のフライドチキンを骨だけにした後、コーンスープを口に運ぶ。


「でもどうして急に戦闘実習なんて入れたんだろうね。この専門課程は戦闘とは無縁だった事も評判だったのに‥もしかして、いきなり実戦なのかな?」


「いえ、実習があるという噂だけで他の講習が無いという噂は聞いていませんよ。さすがに、メイジとは言え私達をいきなり戦場に放り込んだりはしないでしょう」


「という事は、必然的に休みの時間を削る事になるよね‥はぁ、休み減るの嫌だし、痛いのも嫌だなぁ‥」


 私達メイジは魔法支援による授業が多くなるとは思うけど、それでも基本の戦闘として剣くらいの練習はさせられるだろう。と言う事は、他の人と打ち合ったりしなければならないし、下手すれば戦闘技術専門の人たちとやらなければならないかも‥その授業、休んじゃおうかな‥。


「あらあら、臨時授業でも単位が計算されているのであれば、休んでしまうと卒業できませんよ?」


 ‥今度、自分の顔を改めて鏡で見ておこう。


「ふふ、別にあなたが顔に出しているわけではありませんからね。これでも、人間観察術には優れているつもりです」


 いや、ここまで来たら人間観察云々以上に超能力だと思う。サラはしっとりと笑いながら言っていたけど、これは十分に自慢できる特技(?)だろう。うん、怖いくらいに。

 サラは私が黙ってしまったのを落ち込んだのだと勘違いしたのか、少し慌てて取り繕うように話題を変えた。


「そういえば、今日はカイネの『幼馴染』さんはご一緒ではないのですね」


「あ、うん。あっちは武芸技術の優等生だから色々と忙しいみたいだし、今日も用事があるんだって。すぐに切り上げる〜とは言ってくれたんだけど‥」


 そう言いながら、私はチラリと時計に目を向けた。お昼休みの終了まではまだ結構あるけど、もしかしたら会えるのは放課後になるかも‥サラには悪いけど、やっぱり彼女と会えないのは寂しいものがある。

 私の一番の親友で、血縁関係は無いけど唯一の家族。

 三皿のパスタを平らげてお刺身を箸で摘んでいた私に、サラはなにやら嬉しそうに話しかけてくる。


「しかし、幼馴染さんは本当にお強いですよね。この前行なわれた公開試合ではとうとう四期生まで倒してしまったそうじゃないですか。教師の間では、十数年に一度の逸材‥とまで呼ばれているそうですよ」


 その話は私も耳にしている。本人からも聞いたのだから間違いは無い。

 武芸技術専門では定期的に、或いは突発的に娯楽行事の一環として街の誰もが見物可能な闘技大会が開かれる。これは将来街の人々を守る事になるだろう武芸技術専門生達の実力を公開する事で少しでも人々に安堵感を与えると共に、生徒達自身の実力を試す場所でもあったりする。まぁ、私たち文芸技術専門でいう定期テストみたいなものって言えば判りやすいかな。


 参加は基本的に自由だけど、先生から指示を受けた人は必ず参加しないといけない。と言っても、なんと上位者には賞金や素敵な特典が貰えるらしいから毎回定員ギリギリの人数が集まっちゃってる。何回か前の特典『寮自室の広さを拡張する』って言うのは私も欲しかったけど‥私が参加しても一瞬でやられるから渋々諦めておいた。

 一瞬でやられるっていうのは誇張でもなんでもない。強い人‥主に卒業生である四期生に多いんだけど、その人たちは殆どが国の正規兵以上の実力を持っている。その段階に達している学生は、鍛錬を積むことよりも実力を制御する事の方を中心に学んでいるらしい。


 一応補足説明しておくと、国の正規兵は一般人からの公募で、軍内部でちょこっと定期訓練を受けている程度の人たちの事。時々養成学校の卒業生も入隊することはあるけど大抵すぐに指揮官クラスに抜擢される。養成学校‥つまりアリアスギルドと各国の正規軍は根本的には無関係‥いや、人々を守ろうとか魔物を倒そうとか、そう言う利害の一致はしているけどね。だけどやっぱり、少なくともこの国には両者に直接的な繋がりは無い。


 養成学校を出た人は、普通に進路を進めばアリアスギルドの『ギルドガーディアン』、通称『ギルド軍』に入る事になる。正規軍よりも待遇が良い代わりに、正規軍では任せられないような危険な仕事を取り扱う事が多い。だけど兵士達の実力も段違いだから、適材適所という感じなのかもしれない。

 ちなみに例外として、アリアスギルドにはもう一つ大きな戦力がある。これは年齢性別チュラルメイジ関係無く、本当の実力者のみを集めた超精鋭部隊。誰もが羨望の的にしているその名も――。


「あら‥? あの方は確か、『アリアスナイト』の‥」


 その通り、アリアスナイト‥って、え?。

 そう言ったサラは、食べ終わった食器を片付けて席に戻ってくる所だった。私が思考に没頭している間に、全て食べきってしまったようだ。

 私は雑談と食事に夢中で気がつかなかったけど、いつの間にか食堂の入り口に小さな人だかりが出来ている。あの場所にあんなに集まったら他の人に迷惑だろうに‥。人垣の向こうに誰かいるみたいだけど、私の場所からは死角になっちゃっている。


 なんて思っていたら、急に人だかりがぱっくりと二つに割れた。その統率のよさにちょっと感動したけど、割れた人垣の間から歩いてきた人を見たらそんな事すら吹っ飛んでしまった。


 その女の人は長い銀髪をなびかせ、強気で整った顔立ちにどこか威厳のある瞳を持っている。背中にある身の丈ほどの長剣は、すらりと伸びた手足には本来不似合いな武器だ。しかし彼女に関しては、その武器をも含めて存在を確立している気もする。恐らく、全身から漂う誇りと気高さがそれを成しているのだろう。カリスマ性があるというのはこの事かもしれない。ギルド員は尊敬と畏怖を込めて、彼女の事を『清き銀騎士』とまで呼ぶ人がいるほどだ。


 アリアスナイト30番隊隊長、兼武芸技術専門課程剣術顧問‥サエル・セイトアーウェイズ。最年少ナイトであると共にその容姿と実力から知らない人は学園内、いや街内でいないほどの有名人だ。アリアスナイトには専用の食堂があるので彼女達がわざわざここに来る事は殆ど無い。隊長クラスでない一般ナイトクラスが来ただけでも『話が聞きたい』とかでざわつくのに、こんな有名人が来たら大騒ぎになるのは仕方が無い。

 まぁ、凄い人たちだとは思うけど、私には完全に無縁な階級だから興味はあんまり無いけどね。

 とか思っていると――。


「おい‥お前」


「‥ふぇ?」


 そんな凄い人が、なんとあろうことか私に声をかけてきた。最初は別の人かと思って左右を見渡していたけど、食堂の皆は入り口に集中しているから視線の先には私かサラしかいない。そしてセイトアーウェイズさんは私に視線を向けていた。


 実力に目を付けられて勧誘されるってことは絶対にないから――うわっ、私アリアスナイトに目を付けられるほどの悪いことしたかな!? もしかして、ここのバイキングって取って良い量とか決まってた!? ど‥どうしよう、食べ物の裏は恐ろしいって言うけど、まさかナイト直々に処断されるほどだなんて‥入学手続きの時に教えてくれてればいいのにっ! ‥説明会の時寝てたけど‥。

 セイトアーウェイズさんは優雅な足取りで私に近づいてくる。とりあえずどうするべきか‥土下座でもして謝るか、サラには悪いけどさっさと逃げ出すか‥。両方無事では済まない可能性はあるけど、何もしないよりはマシだ。


 そして結局逃げる方を選択した私は、椅子から立ち上がろうとして‥立ち上がろうとしたところで、再び声が掛かる。


「カイネ・ランスレイブだな?」


 その声は静かだったけど、私は剣でも突きつけられたように動けなくなってしまった。人間やましい事があると、過剰に反応してしまうものらしい‥。

 私は観念して、謝ることにしておいた。セイトアーウェイズさんが私の近くで立ち止まると同時に、私はサッと立ち上がって万感の思いを込めて頭を下げた。勢いよく下げすぎてちょっと背骨が痛かったけど、そんな事は構っていられない。


「ごめんなさいっ! ほんっとうにごめんなさいっ! 次にバイキング昼食のときは四人分までにしますから、どうか命とそこのチョレートムースケーキ(一ホール)だけはご容赦ください! このケーキは何時も一番最初に無くなるから手に入れるのに苦労したんですっ! でも食べてみるとちょっと味が濃すぎるからお持ち帰りしようかなって――」


「カイネ‥途中でお話が変わっていますよ。それにあなたの命とチョコレートケーキは同列ですか‥」


 サラはセイトアーウェイズさんが近くに来ても変わらずの態度で呆れ苦笑いだったが、私にとってはとても大切な事だ。なぜならこのチョコケーキは私がここに入学したての頃から狙っていて、今日の今日やっとの事で手に入れたんだからね。まだ半分しか食べていないのに取り上げられるわけには行かない。ちなみに、それを食べる為にもこの命は重要なんだから、同列だとしてもおかしくない‥と思う。

 私は静かにセイトアーウェイズさんの足元を見つめている。そろそろ頭を上げたかったけど、なんとなく彼女の表情とかを見るのが怖かった。

 次に来るのは叱責か、それとも退学処分か‥それとも背負っている長剣か。

 それらの予想に反して、振ってきたのは困惑の声だった。


「‥? お前は何を言っている、バイキングは食料の奪い合いだ。確かにお前が取っている量は半端なものではないが、どれだけ食料を手中に収めようが責める道理は無い。それと、私は甘いものは苦手だからそこのデザートも奪おうとは思わないぞ」


 私が勇気を振り絞って顔を上げてみると、そこには怒りどころか苦笑いしたセイトアーウェイズさんの表情があった。どうやら、私に裁きの鉄槌を下しに来たわけではないらしい。そうだよね、普通に考えればこの位でナイトが直々に叱りに来るわけも無いか‥。


「だが、量を摂るにしても種類くらい考えたらどうだ?」


 セイトアーウェイズさんはそう言いながら、私の前に並んでいる皿のいくつかに視線を向ける。それはカレーパンとカレーライス、そしてカレーラーメンにカレーうどんだ。私流カレー四連星と名づけている四つで、バイキングの時にこれは欠かせない。

 だけど――。


「同じようなものを複数取る必要はあるまい。これでは類似した味が混じりすぎて、カレー独特の風味が精彩さを失ってしまうぞ」


 むむ、ナイトの有名人とは言え、これは聞き捨てなら無い。これらの食品は全て『カレー』と言う『付属品』が付いているが、根本的に大切なのは付属品ではなく、本体の方だ。つまり、カレーラーメンならば『ラーメン』が。カレーパンならば『パン』が主役だと思っている。だからこそ、敢えて大きく印象深い『カレー』の味を捨て、奥に眠る料理そのものの美味しさを求めて私は食べている。


 そう、『カレー』は前座に過ぎないっ!!


 下らないと言われるかも知れないけど、これは譲れない。私は反論しようと口を開いたけど‥。


「まぁ、食べ方など人それぞれだな。余計な事を言ってすまなかった」


 あっさりと謝られてしまった。これじゃあ、反論しようとする私のほうが馬鹿みたい‥。サラはそんな私の内心をまたもや読んだのか、おかしそうに口元に手を当てていた。‥私って翻弄されやすいタイプみたいだね‥今に始まった事じゃないけど‥。

 ところで、どうしてこの人は私に声をかけたんだろう? セイトアーウェイズさんの後ろの方で溜まっている人々が、普通に話しかけられた私に羨望の視線を送っているけど、私はこんな有名人とお知り合いになった記憶はない。見た感じサラとも知り合いでは無さそうに見える‥もしサラと知り合いなら、まず彼女に話しかけるだろうし。


「さて、話を戻そうか。と言うより話を始めてすらいなかったな」


 セイトアーウェイズさんは咳払いし、真剣な顔になって私に向き直る。

 そして次に発せられた質問で、この凄い人がわざわざ私に話し掛けて来た理由がやっと理解できた。


「『サク・フィロス』を探しているのだが、どこにいるのか知らないか? 大事な話があると言っておいたのだが、約束の場所に姿を見せないのでな‥ランスレイブはフィロスと仲が良いと聞いているが、間違いはないな」


「あ、はい。確かにサクは親友ですけど‥大事な話って、サクが何か悪い事を!?」


 私は相手が誰かも忘れ、思わず立ち上がって詰め寄ってしまった。セイトアーウェイズさんは少し驚いていたが微動だにしない。感心したけど、私は質問を続ける。サクは優等生と同時に問題生徒とも言われているけど、ナイトが出向かなければならないほどの間違いを犯すなんて絶対にない。20年近く一緒にいる私だから自信を持って言える。


「確かにサクは人付き合いも悪くて、ちょっと冷徹で、時々毒舌で、それが理由で喧嘩とか問題とか良く起こしますけど、彼女が何か間違いを犯すなんてありえませんっ!」


「‥それだけ聞くと、要素が満載に聞こえますけど‥」


 なんだかすっかりツッコミ役に回っているサラがぼそりと呟いていた。だけど彼女もサクのことは知っているから、私の言っている事も判ってるはず。多分、きっと、恐らく。


「そんな事は私も判っている」


 そうやって返してくれたのは、サラではなくセイトアーウェイズさん自身だった。


「罰を与える為にフィロスを探しているわけではない。逆に悪くない話だと思うのだが‥」


 それを聞いていた私の顔はよっぽど間抜けだったのか、セイトアーウェイズさんは言いながら口元を綻ばせていた。

 なんだか勝手に私が墓穴堀りまくっているだけなのは、絶対気のせいじゃない。


「幼馴染さんならば、毎日お昼休みにはカイネに会いに来ているはずですが‥今日は来ていないようですね、何か用事があるといっていましたけど」


「用事か‥。それはどうやら、私との約束のことでは無さそうだな」


 サク‥こんな凄い人との約束より大切な用事って、一体何なんだろう。


「手間を取らせた。私はもう一度約束の場所に行ってみる事にする‥ではな」


「あ、はい。お疲れ様です」


 ちょっとだけ機嫌が悪くなっていたセイトアーウェイズさんだったが、飽くまで平静に立ち振る舞い、立ち去っていった。入り口に溜まっていた皆はその背を見送ったり、少しだけ後を付けていたりしていている。いずれにしろ、彼女はそれくらいの凄い評判の人なのだ。彼女は武芸専門課程の講師でもあるので、その過程の人がセイトアーウェイズさんと話す機会は無いわけではない。しかし私達が文芸専門課程の人間であり、尚且つプライベートで言葉を交わしたのは物凄い事だって言える。

 事実、あんまり話した事も無いクラスメートの何人かが小走りに近づいてきて―。


「ね‥ねぇカイネ! あんたサエル様とどういう関係なのよっ!?」


「もしかしてあの方とお友達なの!? いいなぁ、私達にも紹介して欲しいわ」


「あ、よかったらあなたも『サエルファンクラブ』に入らない? 今なら2500番って言うキリの良い会員番号が貰えるんだけど。サエル様と知己のあなたが入ってくれれば、私達クラブの行動の幅も大きくなる――」


 とまぁ、女子特有のキャーキャー騒ぎが始まったんだけど、私はどうにもこのテンションについていけない。多分私がマイペースな人間だからだと思う‥。そして類は友を呼ぶとは違うけど、マイペースなのはサラも同様だ。つまり、サラもこのテンションには付いていけない。


「あぁ、そうでした。今から図書館に用事があるのですけど、カイネも付き合って貰えませんか?」


 サラはポンと手を合わせて会話を途切れさせ、にこやかな表情で私に語りかけてきた。だけど‥サラが他人の会話を中断させる場合、それは内心苛立っている証拠でもある。


「うん、いいよ。一緒に行こっか」

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