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「5ー2 決戦」

【前回のあらすじ】


 自分を異世界の勇者だったと思い込んでいる老人「雷門(らいもん) 翔人(しょうと)」(70歳)。


 ポールダンサーの久我くが 夢音ろまね、ステーキハウスのシェフであるブッチャーと共に、犯罪組織《ORC(オーク)》に立ち向かうこととなったが、《ORC(オーク)》のボスである増田(ますだ) 道奥(みちおく)によって夢音が拉致されてしまう。


 彼女を助けるべく、救出に向かった翔人とブッチャーだったが……

 ショーの最中に突如乱入した翔人とブッチャーの姿に混乱する要人達、慌てふためきながらこの場から逃げようと誰彼構わず押し合い逃げまとう様は、表社会で重要ポストに付いている人間とは思えない滑稽さがあった。



「こっちに来いロマネ! 」



「うん! 」



 最悪な盤面から一気に形勢逆転となった夢音(ろまね)は、翔人の元へと駆け寄り、円卓に上がる。

「逃がすぁぁッ! 」



 それを阻止せんとばかりに奥那須が巨漢とは思えない機敏さで夢音(ろまね)と同じく円卓に駆け上がった。



「させませんよ! 」



 その瞬間、ホールはオレンジ色の光に包まれ、熱気が周囲の空気を歪ませた。



「ううッ!? 」



 百戦錬磨の奥那須もたまらず後ずさった。ブッチャーによる龍の杖のガスバーナー攻撃はこの場を乗り切るのに最大の効果を発揮した。



「スゴいなブッチャー! オレの炎の術式に匹敵する火炎量だ! 」



「こんな時の為に杖の出力を上げておいたんですネ! これで十分時間稼ぎが出来ます! 」



 ブッチャーの龍の杖は、さながら火炎放射器のような出力を持っていた。近寄ってくる《ORK》のガードマン達の接近をことごく拒むことができた。



「よし、しっかり掴まってろロマネ! 」



 翔人は夢音(ろまね)の身体をしっかりと抱きしめ、夢音(ろまね)もその身体にしがみつくように彼の身体をホールドした。



「翔爺! ここからどうやって逃げるの? 」



「待ってろ、そろそろ“上がって”行くハズだ! 」



「上がる? 」



「私たちはラーメン丼の中にある麺ですネ! これから箸で引っ張られますんで、覚悟しておいてくださいネ! 」



「え? え? どういうワケ? ちょっと意味が……」



「行くぞ! そろそろだ! 」



 ブッチャーの言葉がわからないまま、ロープに繋がれた翔人達は徐々に上方向に引っ張られていく。



「わわ! 昇ってる! 大丈夫なのコレ! 」



「大丈夫だ! 俺を信じろ! 」



 翔人の計算通り、三人はロープに引っ張られて粉砕したガラス天井へと上昇して行く。



「ヤツらを逃がすな! なんとかしろ! 」



 まさかの自体に慌てて声を荒げる増田だったが、パニック状態にあるホール内で冷静な判断が出来た者はおらず、《ORK》の一人が開閉天井を閉めることを思いついた時にはもう遅かった。



「《オークマスター》! ロマネは返してもらったぞ! 」



 翔人の高らかな勝利宣言と共に、三人の姿はポッカリ空いた穴から姿を消してしまった。



「あの……あの年金泥棒がァァァァッ! お前ら! すぐにアイツらを追え! 」



「ボス! ダメです! 」



「ああ? どういうコトだ! 」



 感情を露わにした増田に恐れを抱いて震えながら、部下の一人が説明をする。



「ボス! よく周りを見てください! さっきの火炎放射でテーブルクロスやらカーペットに炎が燃え移っちまいました! それにゲスト達がパニックで非常口に押し寄せてます! まずはそれらの処理を優先しないと……! 」



 ブッチャーの龍の杖は思いの外威力が強く、ホールに炎の置きみやげを残していたようだ。



「どいつもこいつも……あんな底辺共に翻弄されやがって……」



「ボス。俺が行きます。火事は他連中にまかせましょう」



 ホールの炎にも一切狼狽えることなく、奥那須が威風堂々と増田に提案した。



「頼れるのはやはりお前だけだな、奥那須……ヤツラを追え! 成功した暁には特級プレミア品質の“ブツ”をくれてやる! 」



「ラジャー! ボス! 」



 奥那須は増田の命の元、周囲の炎を蹴散らすようにホールから飛び出す。その姿はさながらファンタジー映画に登場する《オーク》そのものの迫力を醸し出していた。







「すごーい! アタシ達空を飛んじゃってるみたい! 」



 ロープに引っ張られ、クルーザーから遠ざかろうとしている翔人達。このまま上手くいけばクルーザーが止まるよりも先に鯨橋の上に逃げおおせるところだった。



「ヤ……ヤバイですよダンナ! 」



 物事はどんな時にもアクシデントが付き物。



「どうしたブッチャー! 」



「ロープが……ミシミシいってます! 切れそうですネ! 」



「何!? 」



 彼らのロープはガラス天井を突き破った際に、砕かれてナイフのようなガラス片がいくつか表面を掠って傷を付けていたようだ。その為、三人をを支えきる為の強度が失われていた。



「ヤバイ! 今すぐ橋の上までよじ登れ! 」



「ムチャだよ翔爺! 」



 夢音(ろまね)の言うとおり、そんな芸当はアメコミ映画の蜘蛛のヒーローでない限り不可能なことだった。



「落ちますよぉぉぉぉ! 」



 最後のあがきもむなしく、ロープは無惨に千切れて三人は落下。クルーザーの甲板上に不時着する。



「大丈夫かロマネ? 」



「なんとか……翔爺とブッチャーさんがクッションになってくれたおかげで……」



「また敵陣に戻ってしまうとはネ……」



 再びクルーザーに戻ってしまった三人だったが、その状況はさきほどとは様相が違い、船のところどころから黒煙が立ち上がり、窓越しには不吉に輝くオレンジ色の光がチカチカと点滅している。



「いかんネ……龍の杖を少し強くし過ぎちゃったかも……」



「このクルーザーにはロマネ以外の女は乗っているのか? 」



「ううん……今日この船にいるキャストはアタシだけ。あとは《ORK》の奴らとムッツリスケベの変態さん達だけだよ」



 夢音(ろまね)と同じような境遇の女性がこの船内にいないことで少し安堵した翔人だったが、そうも言っていられないようだった。



「ねえ……アレって! 」



 夢音(ろまね)が指差した先には、炎の光で縁取られた黒く巨大な影……それが奥那須のシルエットだとわかるまでには時間は掛からなかった。



「お前ら……派手にやってくれたみたいだな」



 奥那須はゆっくり、ゆっくりと翔人達との距離を詰めていく。そのプレッシャーは工事現場の重機の如し。



「ロマネ、ブッチャー、下がっているんだ。オレがヤツの相手をする」



「翔爺! ヤバイよ! ここは逃げた方がいいよ! 」



「ダンナ! アイツが奥那須です! 正面から立ち向かうのはヤバイですネ! 」



「なるほど……ヤツがお前の片目を奪ったヤツか。あの偏差値の低そうな風貌は《オークキング》を思い出させるな……まぁ、オレも言えた口じゃないがな」



 翔人は不敵に笑いながらスタンガンを取り出す。今まで《ORK》の刺客相手に切り抜けてきたように、今回も雷刃技と称した技で突破口を切り開くつもりだ。



「やる気か? 限界ヨボヨボジジイに何が出来る。そろそろ年金生活を終わらせような」



「フン、オレがお前の言葉通りかどうか、すぐにわかるハズだ。覚悟しとけ! 」



 翔人は足先を強く踏み込んで奥那須との距離を縮める。



 「我が身に宿りし雷電の帯よ! 紋章を辿り、我が刀撃に一撃必殺の力を与えたまえ! 」



 詠唱しつつスタンガンを構え、敵の正面へと突っ込む翔人! 対する奥那須も両手を広げて柔道で組み合うような構えを取る。彼は翔人の攻撃を真っ向から受け止める気だ。



「撃ち砕け! 電刃技・雷電光撃閃ボルテックススマッシュ!! 」



 技の名前を叫びながら、翔人は奥那須の腹に穴を空けるかと思うほどに力強くスタンガンを突きだした! 



 今までの相手ならこの電撃で難なく打ちのめしてきていた。今回も同じように倒せるだろう。翔人はおろかブッチャーや夢音(ろまね)もそんな気持ちで見守っていた。



 しかし! 



「なるほどな、こいつを使って連中共を退けてきてたってことかい」



 奥那須はなんとスタンガンを片手で握りしめて翔人の攻撃を止めていた。



「ぐッ……! まさか貴様! オレと同じ雷耐性の持ち主か?! 」



 彼の両手には分厚いゴム製のグローブがはめられてる、それが絶縁体となり、感電することなくスタンガンを受け止めていた。



「なんてこたぁねぇ……単にスタンガンを持ったジジイじゃねぇか。面白味ねえ……」



 奥那須は翔人からスタンガンを力ずくで奪い取り、それを海に投げ捨ててしまった。



「しまった……! 」



「万事休すって言うんだっけか? この状況は」



 丸腰になってしまった翔人の腹に向けて、奥那須は左足を踏み込む、そのフォームを見たブッチャーは、彼が翔人に向けてミドルキックを見舞うつもりなのだとすぐに察知した。



「ダンナァァァァ! 」



 ブッチャーは咄嗟に龍の杖を奥那須に向けて投げつけた! 杖は真っ直ぐ奥那須の顔面に向かったが、彼はそれを軽々と首の動きだけで回避。



「うぐうッ!? 」



 あえなくミドルキックの洗礼を受けてしまった翔人は、肺の中の空気を全て吐き出されてしまったかのようなうめき声を上げながら吹っ飛び、夢音(ろまね)の足下に叩きつけられた。



「翔爺ーーッ! 」



 翔人は彼女の足下でピクリとも動かない。咄嗟に彼の呼吸を確かめてみるもそれも一切ない。



「そんな……! 翔爺! 」



 夢音(ろまね)は彼の手首を掴んで脈も確かめた。しかしそれも無い。



 導き出されるワードは一つだけ……



「まさか……死んじゃったの……! 」



夢音(ろまね)ちゃん! 慌てるな! 」



 ブッチャーは意気消沈した夢音(ろまね)を鼓舞しつつ、奥那須に強烈な蹴りを放つ! 



「おっと」



 難なくガードする奥那須。彼は老人に一人致命傷を与えたにも関わらず、一切の心の動揺を見せず、まるでテーブル上の食事にたかるハエを追い払った程度にしか感じていない。



「全く情けねえぜ。あんなボケ老人一人に《ORK》がここまで翻弄されちまうとはな」



「その老人をあんな目にさせて何か思うことはないのかネ? 」



「何か? 家族は葬式の準備が大変かもな……ってことを考えていればいいのか? 」



「やはり外道だネあんた! その様子じゃ私の片目を奪ったことも覚えていないそうだネ! 」



 ブッチャーは得意のキックボクシングのスキルで奥那須に牽制をする。



夢音(ろまね)ちゃん! 私が時間を稼ぐ! その間にキミだけ逃げるんだ! 」



「ブッチャーさん! そんな! 」



「早く! 」



 夢音(ろまね)はブッチャーの言うとおり、海に飛び込んでこのクルーザーから脱出しようとする。しかし漆黒の海面に反射するオレンジ色の光を視界に入れた瞬間に思いとどまった。



 ここで逃げちゃっていいの? 



 思い起こされるのは奨励会入会試験での、6歳の子供に大敗した苦い記憶。あの時の一局も相手の攻めに対して守りに守って結局逃げきれずに追い込まれてそれで終わり……



 その後は自分の意志でプロを諦めたとはいえ、人生は転がるところまで転がり続けた。



 ここでブッチャーさんの言葉に甘えてしまってはダメ! 今ここでアタシがいなくなったら、翔爺は誰が助けるの? 



 夢音(ろまね)は翻した。



 彼女はピンヒールを脱ぎ捨てて走り出すと、クルーザーの甲板から目に付いたドアを開けてなりふり構わず飛び込んだ。



 これだけでかいクルーザーなら……絶対に“アレ”があるハズ……! 



 夢音(ろまね)が探している物は、船内の廊下ですぐに見つけることができた。



「やっぱりあった! AED! 」



 “AED”『automated external defibrillator 』の略であり、自動体外式除細動器とも呼ばれている。



 アクシデント等による突発的な心停止の応急処置に使われ、今日(こんにち)公共施設やイベント施設には必ずといっていいほど常備されている。



「待ってて翔爺! これで生き返してあげるからね! 」



 意気揚々と鞄型のAEDを抱えて翔人の元へと戻る夢音(ろまね)。ほんの数分だけその場を離れたつもりだったが、状況は一変し、クルーザーの甲板はあちこちで炎の壁に包まれていた。



「うわぁッ! 」



「ちょこまかと動きやがってぇ……この……このチョビ髭野郎が……! 」



「ふふ、これでもキックボクシングの試合ではディフェンスに自信があってネ……両目があればもっと動けたハズだネ」



 奥那須とブッチャーは火の粉が蛍のように飛び交う戦場で、未だに攻防を繰り広げていた……否、攻防と呼ぶよりも、ブッチャーが奥那須の攻撃をどうにか回避しながら立ち回っているという、一方的な状況だった。



 そんなブッチャーの姿を見た夢音(ろまね)は気持ちをさらに焦らせた。



 あのままじゃブッチャーさんもどれだけ時間を稼げるかわからない……急がないと! 



 夢音(ろまね)は衣服が乱れていることを気に掛けるコトなく、甲板に転がっていた何かの欠片が素足に突き刺さった痛みすら脳から追いやり、仰向けに倒れた翔人の元へと急いだ。



「ハァ……ハァ……お待たせ翔爺……! 」



 夢音(ろまね)は早速翔人の衣服をはだけさせて胸部を露出させる。そこには今まで数々の《ORK》を蹴散らした雄々しき姿とは凄まじいギャップの痩せた身体。



 皮膚はパンケーキように瑞々しさを失い、肋骨がギロのように浮き出ている。



 こんなにまで弱々しい老人に自分は今まで無責任に頼ってきていたのか……と湧き上がる自戒の念をグッと押さえ込み、夢音(ろまね)はAEDのケースを開いて蘇生を試みる。



「え……と、《GUILD(ギルド)》で習った時は確かこんな感じで……」



 AEDの機械音声のアナウンスに従いながら、二本のコードから伸びる電極を翔人の胸部に貼りつける。後はボタンを一つ押すだけで電気ショックが彼の心臓に伝わり、停止した心臓に再び鼓動を打たせることが出来る……



「こんなところにいたのか……夢音(ろまね)ちゃん」



「え? 」



 背後から何者かの声を聞いた瞬間、夢音(ろまね)の右腕に異物感が生じ、少し遅れて激痛が走った。



「ああああーーーーッ! 」



 何が起こったのかが理解できない彼女だったが、痛みの発信源“右腕”に視線を移した瞬間、公園の石をひっくり返してその裏に姿を隠していた、無数のムカデを見た時に似た“怖気(おぞけ)”が彼女の全身を這いずり回った。



 く……釘? 釘が刺さってる? アタシの腕に!? 



「残念だよ夢音(ろまね)ちゃん。本当なら僕はね、キミみたいな綺麗な肌にコイツを打ち込むのは趣味じゃないんだ」



 夢音(ろまね)に釘を打ち込んだ張本人、《ORK》のボス、増田 道奥が感情の読みとれない上っ面の笑顔で彼女と翔人を見下ろしていた。その右手には彼自慢のネイルガン(火薬式)が力強く握られている。



「だがしかし、大工さんが綺麗に整えた生乾きのコンクリートの地面を見て、誰もが必ず一度は『足跡を付けてみたい! 』と思うことを鑑みると、人間ってのは根本的に整った物に何かしらの(あかし)を付けることに快感を得るように出来ているらしい……今の僕の気分はそれだ」



 増田は飄々と高説しながら、今度は夢音(ろまね)のみぞおちに琥珀のような革靴の先をめり込ませる。



「うっ……」



 今まで味わったことのない衝撃に、夢音(ろまね)は悲鳴すら上げられずにうずくまってしまう。そのタイミングを逃さず、増田は彼女の手首を踏みつけた。



「やめて……」



「やめて? 何をやめてって? 勘弁してほしいのはこっちだよ。宗教狂いのトチ狂ったママの尻すら拭けず、毎日エロい視線を振りまいて鉄棒に股をすり付けてる小娘が、この僕に向かって何を“やめて”だって? 」



「翔爺……」



「なに? 障子? 」



「翔爺を助けるの……邪魔しないで……! 」



「そうか、それはそれは……でもそれは聞き入れられない要望だな」



 バシュッ! 



 夏休みに遊んだ手持ち花火を思い出させる火薬の匂いと共に放たれた空気音。夢音(ろまね)の右手の甲はネイルガンによって甲板に釘打ちされてしまっていた。



「ああああぁぁぁぁ! 」



 痛みよりも、あまりにも残酷な目に遭っている自分自身の境遇にショックを受けた夢音(ろまね)。涙を流しながら悲鳴を上げるも、その声はクルーザーの消火活動による喧噪によって単なる空気の振動として終わった。



「さて、夢音(ろまね)ちゃん。キミには今二つの道が残っている。一つは僕に頭が擦れハゲるほどに謝罪をして、特上クラスの変態さん達相手に損害賠償を死ぬまで稼ぎ続けるか、それともここで昆虫標本のように張り付けにされたままクルーザーの炎によって丸焦げのウェルダンになるかのどちらかだ。さあ選べ」



 増田は地獄の2択を夢音(ろまね)に押しつけながら、ネイルガンを彼女の左手に向けた。



「……2択……か……はは……」



 しかし、夢音(ろまね)は一切ひるむことなく、増田に向けて皮肉の感情を込めた一言を呟いた。



「そうだ。何がおかしいんだ? 」



「増田さん……インテリっぽい見た目の割に、この状況でたったの2手しか思いつかないんだね……」



「何を言っている? 」



「アタシはまだ諦めてないから……翔爺を元に戻して……一緒に《ORK》をブッつぶすコトを! 」



「面倒だな、お前はもういい。張り付けにする」 増田は容赦なく夢音(ろまね)の左手の甲にも釘を打ち込むべくネイルガンのトリガーを引いた。


 バシュッ! 



 再び火薬の匂いが漂った。これで邪悪な釘が夢音(ろまね)の両手が張り付けにされた。もう彼女は身動きがとれない。盤面は詰み状態。増田はこのまま夢音(ろまね)の全身に釘を打ち込もうと考えていた。



「それは……悪手だよ! 」



「なッ!? 」



 増田の目の前が一瞬真っ赤なビジョンで覆われた。鼻の頭に何か強い衝撃が走ったからだ。



「う……な……? 何を? 」



 遅れて増田は何か生温かい液体が鼻の奥から流れ出す感触を味わった。



「鼻……? 鼻血? 」



 それが鼻血と分かった時にはもう遅い。増田は足をすくわれて仰向けにひっくり返り、右の手の平に久しく味わう鮮烈な痛みを覚える。



「うわああああッ!? なんだ? 何がぁぁぁぁ!? 」



 気が付いた時には、増田の右手は自分が夢音(ろまね)にした時と同じく、釘によって甲板に打ち付けられてしまっていた。



「ハァ……ハァ……相手に気がつかれないように、盤面を自分の流れに引き込むことが将棋の鉄則だよ……! 」



 形勢逆転。這い(つくば)う増田を見下ろす夢音(ろまね)の右手にはドス黒い血で染まった小さな穴がポッカリと空いている。そして左手は拳が握られた状態で釘が刺さっており、ハンバーガーに串を刺して固定しているような様相になっていた。



 さらに右腕に刺したハズの釘はいつの間にか無くなり、血液だけがしたたって甲板に点描画を描いていた。



「お前ごときに……そこまで覚悟があるとは……」



 増田は全てを察した。夢音(ろまね)がどうやって状況を一変させたのか。



 まず彼女は、左手を打ち込まれる瞬間に、思いっきり堅く拳を握りしめ、手の甲を貫通する釘が甲板にまで届くことを防いだ。



 次に既に釘で打ち込まれた右手を無理矢理引き上げて、多大な痛みと引き替えに拘束を解き放った。



 そして間髪入れずにその右手で増田の鼻っ柱を全力で殴り、ひるんだ隙に足払いで転倒させる。そして止めに自分の右腕に突き刺さっていた釘を引き抜いて彼の右手にお返ししたという流れだった。



「ポールダンサーの筋力を……舐めないでよ! 」



 夢音(ろまね)は増田が身動きできなくなったことを確認すると、急いで翔人に繋がれたAEDの始動スイッチをONにする。



『電気ショックが流れます。体から離れてください』



 AEDから発せられる機械音がアナウンスすると間もなく心拍を蘇生させる為の高電圧が流れて翔人の身体が波打つように大きく揺れた。



「翔爺! 起きて! 」



 翔人の鼓動は戻らない。そしてもう一度高電圧が流れて、再び身体が揺れる。



「翔爺! 翔爺! 約束したでしょ! 一緒に戦うって! 」



 翔人の心臓は動かない。



「翔爺! 翔爺! 」



 夢音(ろまね)の心の叫び、魂の叫びが曇天の闇夜に響きわたるも、それに呼応する返事は未だにない。



「何やっても無駄だ。そのジジイはもう死んでいる」



 その低温の声を背後で聞き取った夢音(ろまね)は、絶望の離岸流に意識を奪われそうになってしまった。



「うそ……そんな……」



 彼女が振り返ると、そこには火災の炎によってゆらゆらとオレンジの光に縁取られた巨大な影が壁のようにそびえている。



「あのチョビ髭はその辺りでくたばってるよ。バカな野郎だ。ボスに言われた通り黙って肉を焼いてればいいものを……あのまま放置しとけば自分がステーキになっちまうな……ま、本望だろう」



 壁の正体は奥那須の巨体。ブッチャーは彼との肉弾戦で翔人と同じようにKOされてしまったようだ。もう《ORK》以外の人間で動ける者は夢音(ろまね)しかいない。



「このクソアマが……中学の時に画鋲を踏んだ時以来から、身体に穴を開けることなんて一度もなかったのによォ……」



 増田も右手の釘を引き抜いて自由の身を取り戻す。夢音(ろまね)と意識を失ったままの翔人は《ORK》の二大巨頭に挟まれてしまっている。絶体絶命……詰み状態だ。



「ダメかな……もう……」



 角と飛車を失ったに等しい夢音(ろまね)。あとはもはやひたすら逃げ続けながら王将を討ち取られるのを待つだけだ。



 翔爺……ブッチャーさん……ごめん。アタシもうこれ以上頑張れないかも……



 みんなで《ORK》と戦おうって時に、ドジって捕まっちゃって、それでせっかく助けに来てくれたってのに何もできずこの有様……



 結局アタシもママと一緒。寄り添うモノが無けりゃなにもできないポンコツ……



 でも、そんなアタシでもせめて……翔爺だけでも無事にいてほしい。



 だって、翔爺だけなんだから……



 アタシを“棋士”として見てくれた人なんて……





「起きて翔爺! 」



 夢音(ろまね)は濁りかけた信念に再び光りを取り戻させ、翔人に繋がれたAEDを再起動させた! 



『電気ショックが流れます。体から離れてください』



 再び無機質なアナウンス音。奥那須はこれ以上夢音(ろまね)の好きなようにはさせないとばかりうに、その巨握の手で彼女の滑らかな髪を引っ張り上げた。



「うううッ!? 」



「落ち着きのないメス犬だな」



 ブチブチと何本かの髪が抜ける音を頭蓋骨で受け取りながら、夢音(ろまね)は次なる凶行のプレリュードに全身に寒気を走らせる。



「奥那須、しっかりと捕まえておけ。ちょうどいいダーツの的を見つけた」



 増田はネイルガンの引き金に指を掛けながら、その表中を夢音(ろまね)……ではなく、翔人の方へと向け始めた。



「ダメッ! 」



 夢音(ろまね)は咄嗟に動いて放たれた釘を自分の腕で受け止める。痛みと共に鮮血が飛び散った。そして奥那須の拘束を無理矢理ふりほどいた為に髪の毛が数本抜け落ち、鳥の羽のように舞って翔人の顔に被せられた。



「ああッ! 痛っ……」



「おっと、新しい的が現れたな。こっちの方は当てた時に悲鳴が鳴るギミック付きだ」



 増田はゆっくりとネイルガンを構え、標準を夢音(ろまね)の眉間にターゲットする。



「色々楽しませてくれたが、そろそろ飽きたよ。Good-bye夢音(ろまね)



「翔爺……! 起きて! 起きて! 起きてよ……翔人ォォォォ!! 」







 ■ ■ ■ ■ ■







 ショート……? 







 俺の名前を……誰か……







 誰か呼んでるのか……? 







 それに……俺の顔に掛かっているのは……髪の毛か? それも……いい香りがする……女の子の髪……







 俺は一体……何をやっているんだ? 







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