「4ー3 桂馬」
【前回のあらすじ】
自分を異世界の勇者だったと思い込んでいる老人「雷門 翔人」(70歳)。
ポールダンサーの久我 夢音、ステーキハウスのシェフであるブッチャーと共に、犯罪組織《ORC》に立ち向かうこととなったが、《ORC》のボスである増田 道奥によって夢音が拉致されてしまう。
夢音は《ORC》の経営している非合法の裏風俗店《ELF》に強引に連れ込まれてしまい軟禁されしまうのであった。
【登場人物紹介】
・久我 夢音」[19歳]《実世界》
■装備■
頭:なし
体:ダンサー衣装+同僚から借りたコート
手:なし
足:お気に入りのブーツ
アクセサリ:なし
ポールダンスが売りのガールズバー「GUILD」のダンサー。
ポールダンスの実力はそれなりにあるものの、肝心な場面でミスをしてしまうことが多く、不本意ながらコメディ要因として人気ダンサーに。
現在将棋を題材にしたソーシャルメディアゲームの「ドラゴンキングファンタジー」にのめり込んでおり、唯一の心の癒しとしている。
犯罪組織「ORK」の人間に裸踊りを強要されるが、翔人によって救われる。
好きな食べ物は酢豚。好きな将棋の駒は桂馬。
・増田 道奥[31歳]《実世界》
■装備■
頭:なし
体:スーツ (ヴェロサーチ)
手:ネイルガン (火薬式)
足:革靴 (ディオーノレ)
アクセサリ:クスリ入りタブレット
大手芸能事務所「ベオウルフ」の社長を父に持ち、子供の頃からやりたい放題の毎日を送っている。
父のコネを最大限に利用し、所属タレントに枕営業を斡旋したり、暴力組織との繋がりを持ち、裏の世界で力をつけて犯罪集団「ORK」を設立する。
常に火薬式のネイルガンを持ち歩いており、不手際を起こした部下にはそれを使って体内に釘を打ち込んで容赦なく制裁するサディスト。
・奥那須金次[26歳]《実世界》
頭:なし
体:タンクトップ
手:なし
足:ミリタリーブーツ
アクセサリ:クスリ入りタブレット
小学生の頃から、レスリング・柔道・キックボクシングの数ある大会で優勝をかっさらい、総合格闘家としてデビューして華々しい未来を約束されていたが、元々持ち合わせていた“キレやすい”性格が災いして、ある日試合中に野次を飛ばした客を半殺しの目に遭わせてしまうという失態を犯してしまった。
しばらくの間刑に服して釈放されたが、危険すぎる彼に手を差し伸べる人間は皆無。そんな彼の境遇を知った増田は、自分の用心棒としてスカウトすることに。
彼のキレやすい性格は「ORK」で取り扱っているクスリで制御することが出来、増田はプロの格闘家でさえ歯が立たない強さのボディガードを手に入れることで二人はWin-Winの関係となる。
「とりあえずここでおとなしくしてるんだ」
「うん……」
増田達によって拉致されてしまった夢音は、《ELF》に到着するや否や、個室に放り込まれて軟禁されてしまう。
「……もうサイテーだよ……」
部屋の中には綺麗で清潔なシーツで整えられたベッドに、広いバスルームが備えられ、洒脱なインテリアで彩られている。高級ホテルの一室を思わせるほどに豪華な作りではあったが、夢音の気分はスラム街の段ボール箱の中に座っているかのようだった。
「アタシ……これから色んなオヤジ達を喜ばせる為に毎朝最悪な気分で起きなきゃいけないんだね……」
落ち込んだ気分を少しでも紛らわせようと、夢音はひとまずシャワーを浴びた。バスルームに備え付けられた鏡に映る自分の顔は、スーパーのトイレの鏡で見た時とは違い、全くもって“いい顔”と呼べるモノではなかった。
「変だよね……不潔でおしっこ臭い公衆トイレの鏡よりも、綺麗で香水みたいな匂いがする今の部屋の鏡で見た顔の方が可愛くないんだもんね……」
夢音は壁に備え付けたシャワーを全身に浴びながら上を向いて目を開かせた。
勢いのあるシャワーの水圧が眼球を刺激して痛みを感じるも、こうしていると自分自身が天に向かって上昇しているような錯覚を覚え、その感覚が妙に好きだった。
こうやって天高くジャンプして、好きなところに自由自在に飛んでいけたらいいな……
夢音はこれまでの自分の人生を振り返っていた。
物心ついた時には、アタシはママと一緒に将棋盤を睨みつける日々を過ごしていた。
『アンタは絶対にプロになりなさい。ママも目指してたけどね、将棋を覚えたのが遅すぎたの……ママのママ、つまりアンタのおばあちゃんのせいなの。将棋なんてしょせんゲームじゃない。そんなモノでご飯食べてくなんてバカらしいわ……だとか言って反対されてたからね……でもねアンタは違うからね……ママが絶対にプロ棋士に育ててあげるから』
そんな話をことあるごとに聞かされて、アタシは否応なく将棋の道へ歩むことを強要されていた。
でも、アタシはママの期待に応えるコトはできなかった。
プロ棋士の登竜門である奨励会への入門試験を受けるも、毎回二次試験止まり。そして12歳の頃に試験で6歳の女の子と対局して一方的に負けてしまったコトで気が付いたの。
ああ、アタシってやっぱ才能ないんだな……
だからその時ママに言ったんだ。アタシ、もうプロを目指したくないって。
そしたらママ、今まで見たコトもない顔でアタシに詰め寄った。その時ママがアタシの腕を爪痕が残るくらいに力強く握りしめた感触は未だに覚えてる。
『アンタ本気で言ってるワケ!? ママの頑張りを無駄にする気なの? アンタがここまで来る為にどれだけ金と苦労を費やしたと思ってるの? 高い将棋盤だって買ってやって、将棋教室まで何度送迎したと思ってるの? 化粧水買うお金すら我慢してたのよ? 友達の結婚式を欠席してまであんたの試験に付き合ってあげてたのよ? アンタがここでやめちゃったらどうなるの? 返して! アタシの時間を返してよ夢音! 』
この日からママはおかしくなってしまった。アタシがプロを諦めたことは、きっと悪霊がとりついているせいだとか言い始め、漫画に出てくるような怪しい新興宗教にハマリだし、毎月のように御利益のある水だと壷だとかを買わされて家計があっという間に破綻した。
パパはそんなママから逃げるように失踪。アタシを置いてきぼりにしたままね。
貯金はあっという間に底をつき、アタシは高校を中退し、夜の世界に飛び込まざるを得なかった。
運良く、夜の世界での仕事でそれなり稼げるようになったが、その収入のほとんどはママを養う為だけに消えてしまう。
ママは今、一人暮らしで仕事も何もしていない。相変わらず宗教活動にどっぷり浸かっている。
そんな親でもママはママだ。何度もほっといて野垂れ死にさせてやろうかと思ったけど、ギリギリのところでそれが出来ずにいる自分が嫌になる時がある。そういう決断が出来ない性分だから、将棋でも肝心な場面で勝利を逃していたんだろうな。
そんなママとの思い出は嫌なコトばかりだけど、将棋というゲームそのものは嫌いではなかった。
一つ一つの駒に役割があり、時には最弱の歩兵だって敵陣で成れば大きな力を得ることができる。将棋にはロマンがあった。
そして数ある駒の中でもアタシは“桂馬”が大好きだった。他の駒は縦横斜めに突進するだけで、他の駒に道を塞がれてしまったらそこでストップしてしまう。けど桂馬だけは違う、この駒だけはジャンプをするように他の駒の頭上を飛び越えて移動できる特殊能力を持っている。なんだかカッコいいよね。
だから今、こうして最悪な気分でシャワー浴びてる自分を、桂馬みたいにバサっとジャンプして助けてくれるヒーローなんかが現れてくれればいいのにな……なんてバカな想像をしちゃってる。
私を助けてくれるヒーローか……
翔爺……それとブッチャーさん、大丈夫かな? 無事だといいけどな……
そんなコトを考えながらシャワーを浴びて続けていると、部屋のドアをノックする音が聞こえてきたので、急いで身体を拭いて備え付けのバスローブを羽織って表に出た。
「シャワー中だったか、すまなかったな」
部屋に戻ると、こっちが返事をしないまま、既に室内入り込んでいた増田 道奥と、ボディガードの奥那須 金次が立っていた。
「悪いだなんて心にも思っていないくせに」
「そんなことはないぞ、キミは大事な商品だ。身体を綺麗に保たせることは当然だ。その時間を奪うほど野暮ではない」
体のいいこと言っちゃって……もしもアタシがすぐにシャワーを切り上げなかったら、遠慮なくバスルームまで入り込んできたくせに。
「それで、女の部屋に勝手に上がり込んでまで伝えに来たことってなんなの? 」
増田は顔色一つ変えず、部屋のソファにどっさりと腰を下ろし、バスローブ一丁のアタシの身体を胸から足先まで値踏みするように視線を動かした。
「さっそくだが、キミには明日仕事をしてもらうことになった。その報告だ」
その言葉一つで、シャワーで暖まった身体がフライパンのように冷たくなかった気がした。
「仕事……アタシに気持ち悪いおっさん共と変態的な遊びをさせちゃうってことなのね……」
「まぁ基本的にはその通りだが、キミの場合はちょっと違う。特別なショーを行ってもらうことになった」
「なんなの? そのショーって? 」
「ポールダンスだよ。それしかないだろう? 」
嫌な予感とイメージが頭の中をよぎった。まさか……何度も心の中で連呼した。
「明日の夜、《ELF》のお得意さま達がホールに集まる。キミはその中心でお得意のポールダンスを披露してもらうことになる。もちろん衣装はこちらで用意した“特別仕様”の物を着てもらう」
「裸より恥ずかしい格好で演技しろってことなんだね……」
「察しが良い。《ELF》の客人は生半可なショーでは飽き飽きしているからな。でもそれだけじゃない。ポールダンスはいわばプレショー……前座だ。その後に本番が残っている」
「本番……? 」
みんなの前で恥ずかしい思いをするだけなら、身体が傷つくことがないから何とか耐えられる。そんな甘く儚い考えは一瞬で砕かれてしまった。
「キミが踊っている間に、お客様にはオークションを楽しんでもらうことになる。その景品はもちろんキミ自身だ。その金額次第ではステージの上でそのまま変態遊戯に移行する流れだ」
「そんな……そんな、大勢に見られながらそんなコト……できっこないよ! 」
「なぁに、2~3回こなせばすぐに慣れる。それにそのオークションの金額次第では、キミにも取り分はたんまりとあるんだ。有名ブランドの下着を使い捨て出来るくらいにな。悪くない話だろう? 」
「お金がいくらあったって、死ぬほどの苦しみを味わうんじゃ意味がないよ! アタシの友達だってここで働いてたせいで……」
「奥那須、いいぞ」
「ラジャー、ボス」
増田が指示を送ると奥那須がアタシに近寄って来た。そして次の瞬間、アタシは喋ることを一切封じられてしまっていた。
「あがっ……あ……」
アタシの口の中に突然ゴツゴツとした感触が乱入してきた。
喉奥を刺激されて吐き気を催すもこらえ、数秒の後に事態を把握すると、奥那須の野球グローブのような厳つい手の指が二本、アタシの口の中に突っ込まれていることに気が付いた。
「気をつけろよ久我 夢音。奥那須がその気になればお前の上顎と下顎が遠距離恋愛する羽目になる」
「あぐ……あ……あ……」
「それに勘違いするなよ久我 夢音。お前に決定権なんて無いんだ。僕が“そうしろ”と言えばお前は“そうする”んだよ。わかったか? 」
「ふぁ……ふぁい……」
悔しさで涙を溢れさせながら、アタシがそう返事をすると、奥那須の指がゆっくりと上顎から離れて解放された。
「ゴホっ! ゲホッ! 」
「そしてもう一つ……僕がキミを《ELF》に呼び込んだ理由は、単にキミのポールダンスが面白かっただけじゃない」
「え? 」
増田はしゃがみこんで、四つん這いで嘔吐感に苦しんでいるアタシと目を合わせてニコリと気持ち悪い笑みを浮かべた。
「久我 小百合……この名前をキミはよく知っているね? 」
アタシはこの時、頭に鉄球を投げつけられたかのような衝撃を味わった。なぜ? なんでその名前がアナタの口から出てくるワケ?
「知らないワケがないよな。お前の母親の名前だんだもんなァ……」
「どうして? どうして知ってるの? 」
「知ってるも何も、小百合さんは《ORK》のお得意様だからねぇ……」
「《ORK》の……? どういうことなの? 」
「キミのママ。とある宗教にドップリらしいじゃないか。実を言うとその宗教団体の教祖と僕は親しくてねぇ……」
「うそ……まさか……」
「キミの想像は大方当たってるよ。その宗教団体……《ORK》と繋がってるんだ」
「………………」
「声も出ないか。それとついでに言っておくけど、小百合さんね……ウチの商品をたっぷり買ってくれるのはいいけどさ、その支払いがなかなか滞っちゃってね……随分とツケを貯め込んじゃってるのよ。だから、キミに《ELF》で働いてもらってママの借金を返してもらおうってコトさ。キミはここでバリバリ働けて、ママは好きなだけお布施を治め、そして僕はたらふく儲かる。WINWINWINの関係ってコトじゃないか。ハハ! 」
「………………」
「もしかして声の出し方を忘れちゃったかい? まぁいい……キミの《ELF》での初出勤は明日の夜9時からだ。それまで鋭気を養っておきたまえ。それじゃあ、失礼するよ」
増田と奥那須は笑いながら部屋を出て、その後ガチャリとドアのロックが掛かる音……そして二人が廊下を歩いて遠ざかっていく足音が徐々に消えていき、部屋が静寂に戻った瞬間、アタシの中で押さえつけていた心の水風船が一気に破れてあふれ出した。
「悔しい! 悔しいよおおおお! 」
泣いた。よだれも鼻水も垂らして床を汚しながら泣き続けた。
自分もママも、知らず知らずに《ORK》に金を落としていたと考えると、情けなくて惨めで恥ずかしくて。怒りだとか悲しみだとかで表現できないような感情がどんどん沸き上がってくる。
自分も結局、あんなに嫌っていたママと同じで救いようにないバカなんだと思うと、一生逃れられない鎖に縛り付けられているような気分になって、今まで自分が楽しいと感じていた恋愛や、友達、ゲームや映画や漫画といった心の栄養が一気に色あせて遠い存在のモノになっていった。
自殺した友人の為に少しずつ《ORK》のことを調べていたのも、全く意味の無いことで。既に自分自身、それに母親が《ORK》と関わっていただなんて滑稽にもほどがあった。
全てがバカらしかった。
「なんだろうな……アタシの人生って……」
一通り泣き明かして感情が空っぽになったアタシは、今になって自分のスマホが《ORK》の連中に没収されてしまったことを思い出した。
無意識に《ドラキン》をプレイすることを欲していたのかもしれない。この期に及んでゲームで現実逃避しようとした自分自身を自嘲しつつ、アタシは仰向けになって天井を眺めると、フッと頭の中に翔爺の顔が浮かび上がってきた。
「翔爺……すごいよね。《ELF》で働いていたパメラさんを助け出したんだもんね……しかもその後、周りに反対されながらも結婚したんだもん……カッコ良すぎるよ。パメラさんて……どんな人なんだろうな。翔爺がそこまで本気になるんだから、きっと素敵な人なんだろうね……」
翔爺は……こんなアタシでも助けてくれるかな?
こんなに情けなくて弱っちいアタシを、助けにきてくれるかな?
「はは……ダメだよね……初めっから他人をアテにしてるようなアタシなんて、助けちゃくれないよね……」
そういえば、言ってたっけな翔爺……
《棋士》であることが好きなら、それを続ければいいじゃないか。って……
アタシはママの面倒をみなくちゃならないから、本格的に将棋を指すことを諦めてたけど翔爺は自分の“好き”に嘘を吐かなかった。大好きなパメラさんのことを絶対に諦めなかった。
アタシは、プロになるなくとも将棋の道を歩む方法はあったハズなのに、それに目を背けてしまった。今はそんな自分を少し恥ずかしく思っている。
「アタシ……また将棋を指したい……ゲームで、オンラインじゃなくて。盤を挟んでのあの緊張感をまた味わいたい」
そうだよ、桂馬のようにアタシを助けてくれるナイトを待ってちゃダメだよ……
アタシ自身が桂馬になってこんな場所を飛び出さなきゃ!
アタシは部屋に備えられてあったメイクセットの中からルージュを取り出し、洗面所の鏡の前に立った。
「どんなことがあっても耐えてみせるよ……絶対に《ORK》から逃げ出してやるんだから……! 」
ルージュをペン代わりに、鏡に“桂馬”の二文字を書き込んだ。これはここから絶対に逃げ出してやる! という決意表明だ。何となくカッコ良さそうなのでやってみたという下心も少しあったけど……
「アタシ、絶対に人生を投了しないよ」