「1ー1 翔人さん」
その体長は、ざっと目測するだけでも4mはあっただろうか?
側溝のフタにこびり付いたヘドロを思わせる濃い緑の体表。
不健康を絵に描いたようにブクブク肥やした腹。
買ったその日から洗わずに着続けたタンクトップを思わせる体臭。
知性を一切感じさせないニヤケ面。
寛容さの欠けらも思わせない暴力的な牙と角。
そんな思いつく限りの負の要素をかき集めて濃縮した存在は何か?
《オーク》。
君もゲームか何かで聞いたことがあるかもしれない。
身体の頑丈さと腕力だけが取り柄で、ドラゴンやケルベロスのようなカッコ良さの象徴とはほど遠い、脳筋で愚鈍な文字通りの《モンスター》だ。
その中でも特別大きく、凶悪な性質を持った固体が稀にいて、オレ達はそいつを《オークキング》と称し、そいつに出会った時にはそんじょそこらの《モンスター》と対峙するのとはケタ違いの緊張感を張らせたものだ。
「気圧されんなよ! デカくても所詮《オーク》だ! 足下からじっくり攻めてくぞ! 」
仲間の“女騎士”が先陣を切ると、得意のポールアックスを大きく振りかぶり、そのまま雑草を刈り取るように横スウィングした。
その時同時に彼女の大きくたゆんたゆんな双子山も大きく揺れていたことも見逃さなかったが、それはどうでもいい。
『グヴォォォォッ! 』
女騎士のポールアックスの一撃は正確に《オーク》の左脚の脛を捕らえ、空が落っこちるかと思うほどの悲鳴を上げさせた。
「おしっ! 」
「油断するなですよ! おっぱい剣士。致命傷とはほど遠いです。ぼくの詠唱が終わるまでどうにか時間を稼いでくださいよ」
続いてロリッ子“魔術師”はいつも通り女騎士に軽く毒つきながら、長い杖をブンブンと振り回しながら詠唱を開始する。その動きはカンフー映画の棒術アクションさながらにダイナミックだ。
「誰がおっ……剣士だ! てめえこそさっさと術をぶっ放しやがれ! 」
「はいはい、だったら口を少し閉じてもらえませんかね? デカいのは乳だけにしてください」
巨乳女騎士とロリ魔術師は毒つきながらお互いの意志を疎通しているのだ、ホントに仲がいい。
「光と闇の双石よ、我が身に秘めし魔の力を解放せよ。光から発現せしは猛き炎獄! 闇より出でしは荒ぶる大地! 融合せよ、顕現せよ、双石杖合成術・初列参行! 《焦熱塔昇》!! 」
魔術師は厳かに呪文を唱えながら杖を土の地面に叩きつける!
『ズゴゴゴゴゴォォォォ! 』
地面がひび割れ、そこからグツグツに熱せられた石柱を突き出させて《オーク》のどてっ腹に強烈にめり込ませた!
『ウグォォォォッ!! 』
熱と衝撃によるダブルダメージに、さすがの《オーク》も真上に吹っ飛び悶絶! あまりの痛みに魂が数センチ抜けたようだ。
「ふふんっ! 」
《オーク》の巨体を小動物同然にひっくり返したロリ魔術師は大きく胸を張り(張るだけの胸はないけど)得意げなしたり顔を作った。道を歩けばおせっかいなおばちゃんに、無差別飴玉攻撃をされてしまいそうに幼いビジュアルだが、魔術の腕はオトナ向けの本格仕様。
これだけの攻撃を与えれば、いくら頑丈な《キング級》とはいえ、ひとたまりもないだろう。
「オレ達にかかればこんなもんよ」
「やったのはほとんどぼくの力ですけどね」
「オレの援護があってこそだろ!? 」
女騎士とロリ魔術師はじゃれつきながら一緒になって、地面に横たわった《オーク》の巨体の側へと近寄った。しっかりと息の根を止めたかどうかを確かめる為だ。
「あぶないッ! 」
女騎士が《オーク》顔を覗きこんだ瞬間だ、一人の女性の声が空気を振るわせた。
女騎士は「え? 」と、間の抜けた返答をしながら一瞬で視界から消え去ってしまう。一体どこへ?
『ガァァァァッ!! 』
ずる賢い《オーク》は死んだフリをしていたらしい。ダメージを負いながらも、ジっと女騎士達の動きを観察して反撃の隙を伺っていたのだ。この悪知恵こそが《オーク》の手強さだ。
「うわああああッ! やばいッ! 油断した! 」
うっかりミスをやらかした女騎士の悲痛な叫びが空から聞こえる……その声を辿ると、そこには《オーク》に脚を掴まれて宙づりになった彼女の姿。
『ヘッグヘッグ……』
《オーク》は不気味な笑い声を漏らしつつ、猟師が獲物を見せつけるように女騎士を頭上に掲げた。
肌色率の高い女騎士の装備も相まって、その様子は美少女フィギュアを観察する“大きなお友達”を連想させる。
(う~ん……しかしいい眺めだ)
「すみません! 声を掛けるタイミングが悪かったです! 」
女騎士に「あぶないッ! 」と声を掛けた張本人はおずおずと《オーク》に近寄る。
彼女は神聖な雰囲気を漂わせる真っ白なローブをなびかせている。信仰する主に命を捧げた“神官”であることは、誰もが一目見れば分かるだろう。
「少し待っててください! スグに助けますからね! 」
「悪いですね……それじゃあ、あの脳筋ちゃんを助けるのを任せちゃっていいですか……ぼくはちょっと魔力を節約したいんで」
「任せてください。皆を守るのが“神官”の役目……水精霊の名の元に、私が彼女の窮地を救って見せます」
ロリ魔術師から女騎士のフォローを任された神官の女の子は凜としたウグイス色の瞳を《オーク》に向ける。
たなびく髪は金髪と白髪の中間のような、不思議な輝きを放つ銀色で、それを突き破るように尖った耳が異彩を放っている。
そう……神官はエルフ族の女の子だ。
神秘的で厳かで、青磁器のような静かな美しさ……エルフと言えばそんなイメージを抱いていた。
「だいじょうぶです今スグ助けます! 心配しないでくださいよ! 今日の私は絶好調ですから! なぜなら昨日の晩、ふとハラペコで目覚めた私はこっそり夜食にと残しておいた《激唐サラマンダーカレードーナツ》をかじったその時、歯形の付き具合で今日の運勢を占いました、それによれば“仕事運は絶好調。一つのミスなくやり遂げるでしょう。ただし、同僚にちょっと不吉なことが起こるかも”と概ねサイコーの結果が導きだされました! ちなみに《激唐サラマンダーカレードーナツ》を買ったときに売店の子、鼻毛が少し飛び出してたんですよね、言うべきか言わないべきか迷いましたが、結局そのまま忠告することができず……」
厳かさなど微塵も感じさせない早口、長文、脱線の3コンボ。抱いていたエルフのイメージを爆裂させるやかましさ、まるで壊れた目覚まし時計。
「ふぎっ! そんなコトいいから早く助けろ! てか“同僚に不吉なこと”って今まさに回避しなきゃダメなことだろ! しっかりしろ! 」
一方的なお喋りは、女騎士の決死のツッコミによって無事に強制停止させられた。今止めなかったら彼女の占いが的中してしまっただろう。
「やべっ! 」
神官エルフはその雰囲気にそぐわない一言と共に、焦りの表情を一瞬だけ作る。そしてさっきまでとは打って変わり、静かに、ささやくように術の詠唱を開始した。
「オホン! ……天にまします地母神よ、願わくはその神力を我が背に来たらせたまえ。我らが諸悪と対する為、力を振りかざすことをお許しください。我が身は生涯、慈愛の光と共にあります」
神官の唱える言葉の一つ一つに呼応するように、ミスリル製の水筒の表面にじんわりと光が帯びていく。
「うおおおおッ!! 振り回すな! 何する!? ひぎっ! やめろッ! 」
そうこうしているうちに《オーク》におもちゃ扱いされてブンブンと振り回されている女騎士。危ない! このまま地面に叩きつけられてしまったらひとたまりもない!
その上ただでさえ最低限の箇所しか隠せていないような肌色過多な装備が遠心力でズレて大変なコトになってしまう!
「させません! 守護りたまえ! 『神技・聖泡保壁』! 」
エルフ神官が詠唱を終えると、ミスリルタンブラーからおびただしい数のシャボン玉が吹き出され、光を虹色に乱反射させる。
『ウグアァァァァッ! 』
その異様な状況に焦ったのか? 《オーク》は右手に握っていた女騎士をもてあそぶことをやめ、思いっ切り力を込めて彼女を固い地面に振り下ろす! 絶体絶命!
『ぽよよ~ん! 』
ぽよよ~ん……。そう形容するしかない間の抜けたオノマトペが辺りに響いた。それは生死の分かれる重大な空気をふやかす、緊張感の無い音だった。
「……ふへ……サンキュー、助かったぜ」
「どういたしまして、無事で何よりです」
エルフ神官の術は間に合っていた。
彼女の作り出した大量の泡は、女騎士を衝撃から守るクッションとなり、地面に投げつけられた身体を優しく包み込んで守護したのだ。
(相変わらずフワフワだな)
それはまるでメレンゲのプールに飛び込んだようなモノ。痛みとは無縁のファンシーな世界観の泡に包まれた女騎士は、窮地から脱出できたものの、どことなく恥ずかしそうな照れ顔を作っていた。うん、可愛いぞ。
『ウグォォォォ! 』
攻撃が不発となったことで気持ちがおだやかではない《オーク》は、その煙突のような太い腕を大きく振り上げ、今度はその拳を女騎士のナイスバディにめり込ませようとする。一難去ってまた一難だ。
「それもさせません! 私の術は無敵です! ……多分! 」
エルフ神官の少し不安になる口上と共に、再び大量の泡が生物のように自在に動き回る!
『ウッ……グオオッ……! 』
《オーク》は自分の身に起こったことを瞬時に理解できなかったようだ。全身を泡で覆い尽くされて視界までも塞がれてしまい、どうしていいのかわからずに地面に倒れてしまった。
彼女の作り出した泡には不思議な力が備わっていて簡単には割れず、《オーク》の巨体さえも押さえ込んでしまうほどの力が備わっていた。
「さあ! 今です! 逃しちゃダメですチャンスです! やっちゃってください! 」
そしてエルフ神官は、今しかない! ばかりに声を荒げた。身動きのとれない《オーク》にトドメの一撃を見舞うべく、“もう一人の仲間”に声を掛けたのだ。
「オラァッ! 早くしやがれ! お前の出番だ! 」
半裸も同然な装備な上、全身泡まみれになって目のやり場に困る状態の女騎士も、キツイ口調で“もう一人の仲間”に仕上げを急かす。
「ハァ……さっさと終わらせてください、そろそろ眠くなってきました……ぼくは働き者なので」
魔力を消費して疲れたのか、既に戦線から離れてリラックスをキメこんでいるロリ魔術師も、タメ息混じりに“もう一人の仲間”にこの場の締めくくりを所望した。
“もう一人の仲間”
巨悪を打ち砕くべく、かの地に降り立った一人の青年。
彼はこの物語の主人公であり、後に異世界の危機を救った“勇者”。
「おおっし! 俺に任せろ! 」
勇者は腰に携えた刀を鞘から引き抜き、その刀身を露わにする。
「すごい……いつも通りビンビンですね! 」
エルフ神官が思わず意味深な意味ととらえかねない一言を漏らすのも無理はない……
勇者が鞘から封印を解いたその刃は、青空さえも白く見えるほど“さらに青く”光輝き、そのゆるやかな流線型の刀の表面には、生き物と見間違えるほどに動き回る“電流”に覆われていたからだ。
「おおおおおおぉぉぉぉーーーーッ!! 」
刀を構えた勇者は泡まみれで身動きがとれなくなっている《オーク》に向かい、突風のごとく疾走する!
『ウ……ウグアアアアッ!? 』
その時《オーク》は思わず目を見開いてたじろいた。勇者の気迫が凄まじかったからではない、彼の頭部に“とある特徴”があることを発見したからだ。
『ウガァッ! ウグゥッ!? ハグウアアアア!? 』
まるで犬に噛みつかれた子供と見間違えるほどに両手両足をバタつかせる《オーク》、しかしエルフ神官が作り上げた泡の拘束によってそれは阻まれる。
勇者の何がそこまで《オーク》を怯えさせるのか?
「覚悟しとけ《オーク》! その不摂生な三段腹に一撃お見舞いしてやる! 」
不敵なセリフと共に飛び上がる勇者。青空にさんさんと輝く太陽が逆光となって全身にシャドウを帯びるが、その頭部に二つ、キラリと十字にきらめく光が《オーク》の瞳を刺してまばたかせる。
そう、それは《ツノ》だ。勇者の額には、二本の短いツノが生えていたのだ。それは《オーク》にとって“天敵”を意味する。
「我が身に宿りし雷電の帯よ! 紋章を辿り、我が刀撃に一撃必殺の力を与えたまえ! 」
勇者による技のセットアップが始まる。詠唱と共に、両手でしっかりと握られた刀がより一層光り輝き、さらに激しく帯電する!
「撃ち砕け! 雷刃技・雷電光撃閃!! 」
『ウゴアアアアァァァァッ!! 』
電撃を帯びた刀が振り下ろされ、《オーク》の岩のような頭部にめり込むと、火花が花火のようにほとばしり、その巨体は激しくケイレンを起こした。
《ライトイニング》を脅かしている多くの《オーク》達は、この電撃の技によってその数を減らされ続けている。
《雷刃鬼》
《オーク》達は勇者をそう呼び、恐れおののいた。
『ボシュゥゥゥゥ……』
《雷刃鬼》の一撃によって感電した《オーク》の身体からは煙が立ち上がり、やがてそのその巨体はピクリとも動かなくなった。
「やったな! 」
「やりましたね! さすがです! 」
「まったく、やっと終わりましたね。まぁ、キミにしては手際がよかった方なんじゃないですか? 」
駆け寄る仲間達の賞賛を受け、照れくさい笑みを浮かべながら、勇者は刀を鞘に納めた。
凶大なパワーの刀。鬼を思わせるツノ。《オーク》だけでなく、守るべき民衆にさえ畏怖された勇者……
しかし彼は孤独ではなかった。
おしゃべりエルフの神官、露出過多な女騎士、低血圧なロリ魔術師、そんな変わり者の仲間達が、常に彼に寄り添っていたからだ。
「サンキューな! みんなのおかげで勝てたよ」
《オーク》を殲滅し、国を救った勇者……
その男はある日、雷鳴と共に、この剣と魔術と《モンスター》の世界へと舞い降りた異世界の青年……
その勇者……
その男こそこの物語の語り部……
この俺、“雷門 翔人”。
またの名を……
■ ■ ■ ■ ■
「はいはい、翔人さん。そろそろお喋りはやめにして。もう寝る時間ですよ」
介護士の村田は、子どもをあやすような口調で一人の老人の長話を中断させた。
「なんで止めるんだ! ここからようやく《オーク》どもを操る《オークマスター》をブチのめすところだ! 邪魔するな! 」
車椅子に座った老人は、村田を威嚇するようにプルプルと震えた手を振り上げて話を中断させまいと抗議をする。
「うわっ! ちょっと翔人さん!? 」
村田は老人の振り上げた拳にうろたえるも、その行為に畏怖や危機といった感情を覚えたからではなく「めんどうくさい」と、不愉快な感情からくるモノだった。老人の腕はそれほどに弱々しく、無力だった。
「せ……先輩……どうしましょう? 」村田は目を泳がせながらそばにいた先輩介護士に助けを求める。
「ハァ……また翔人さんね……」
先輩介護士は後輩のSOSに一つ小さなため息をこぼした後、車椅子の老人の前に屈んで視線を合わせた。
「翔人さん。もっと色々お話を聞きたいんだけど、みんなそろそろ寝なきゃいけない時間なの。続きは明日に聞きたいな。ダメかな? 」
先輩介護士は優しく慈愛に満ちた表情と口調で老人をなだめ、おとなしくさせた。
「でも……こうしちゃいられないんだ。急がないと……《オークマスター》が復活したんだから」
「《オークマスター》ね……また出てきたのねぇ……明日みんなと話し合ってどうするか考えましょう。今日はもう夜だし、休まなくちゃダメですよ。勇者なんでしょ? 翔人さん」
「“向こう”ではそう呼ばれていた」
「ならたっぷり休んで、戦えるように力を蓄えなきゃだめですよ」
「……そうだな……」
先輩介護士とのやり取りでどうにか落ち着きを取り戻した老人は、村田の介助でようやくベッドで横になった。
「ふう……先輩、ありがとうございました」
事務室の椅子にドカッと座り込んだ村田は、腰に手を当てて大きく仰け反り、助け船を出してくれた先輩介護士に礼を言った。
「村田さん。翔人さんはね、とにかく妄想が激しいの。しっかりと話に付き合ってあげればけっこう素直に言うことを聞いてくれるから」
「はぁ……こういう時、妄想話にはあまり付き合わない方が良い。って先生には教わっていたモノで……」
「ケースバイケースよ。翔人さんの場合はとことん妄想に付き合ってあげた方が上手くいくの。その辺のことはカルテにちゃんと書いてあるんだから。もう一度目を通しておきなさい」
村田は先輩介護士に言われた通り、件の老人のカルテを液晶タブレットにて確認する。
○名前『雷門 翔人』
○年齢『70歳』
○男性
○身長『170cm』体重『50kg』
○補足『大脳内部の変性を及ぼす疾患にて認知症を患っている』
『手足の震えによって歩行、日常生活は困難』
『妄想が激しく、自身を“異世界の勇者”だと思いこんでいる』
「異世界の、勇者……」
この介護施設にて日々を過ごしている老人、雷門翔人のカルテに目を通した村田は、この社会の闇を垣間見たことで心のやり場を少し見失った。
「昔流行ってたらしいね、そういうの」
「らしいですね……ある日突然平凡な人間が、ファンタジーやSFの世界に飛び込んで、都合よく手に入れたすごいパワーでヒーローになり、異性にモテモテになって人生を謳歌する話」
「そういう類の本、いっぱい持ってたらしいのよ、この人」
「はぁ……やっぱり」
「昔から空想の中で生きてるのよ、翔人さんは……もちろん今も現在進行形で」