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雪蛍の光

作者: 綾瀬あきら

 今年一番の冷え込みと言っていた朝のニュース通り、夜遅くなって一段と冷え込んで来た。先輩のおごりで飲んだ後だからか、最初はそれ程の冷えを感じなかった晴人はるとだったが、駅前でのんびりするには流石に寒すぎた。

 終電にはまだ早い時間帯だが、終バスはとっくに終わったと見えて足元のロータリーにはタクシーと自家用車が列をなしているのが見える。ここは都心からもほど近い中規模の駅だから、まだ仕事帰りらしい姿が幾人も改札口から続く四方に伸びた陸橋を通って道路の向こう側や、ロータリーの車のどれかに吸い込まれていく。陸橋から何とはなしに眺めていると、コンビニやその先のスーパーに立ち寄っている姿も見られた。

 まだ、帰る気分にはならないし、もう一軒飲みに行くには十分って感じだった。今日は気分が良かった。先日の仕出し弁当に初めて1品料理を任されて、それが好評価だったらしく、店長が褒めてくれたのだった。次も1品任せてくれるかもしれない。その話を聞いて、今の店を紹介してくれた先輩がお祝いにと飲みに誘ってくれたのだった。作ってみたい料理をベラベラ並べ立てて、祝杯だーと芋焼酎で乾杯したのを思い出して、晴人は一人でクスクス笑った。しかし、流石に寒気を感じて晴人は駅舎の壁に設えてある自販機の一つで缶コーヒーのブラックのボタンを押した。

 ガタン

 案外と大きな音を立てて転がり出た缶を手に取ると、思ったよりも熱くて慌てて上着のポケットに缶を放り込んだ。そこから熱がじかに腹に伝わってくる。少し冷めるまでと、手近なベンチというには心もとないパイプの一つに腰掛けた時、少し離れたところで何やら募金でも集めているのか、小さな箱を持った青年が立っているのが目に入った。切れ切れに「恵まれない」とか「ご協力」とかと言った声が聞こえてくる。

 見た感じ、爽やかな好青年という風情で、悪いことなんか何にも考えていない感じだった。そのせいか、時々通りすがりの人が立ち止まっている。やっと冷め始めたコーヒーを飲みながら、晴人はその様子をしばらく眺めていた。

 少し年配の疲れた様子のサラリーマン、OL、塾帰りらしい女子高生、家族を迎えに来た犬を連れた男性、他にも幾人か。少し彼と話をしてそれぞれ手のものを箱に入れ、少し明るい表情になって立ち去っていく。その箱は上蓋側が細いスリット状の穴ではなく、まるでビンゴの箱の様に丸い穴が開いているようだった。

「小銭でそんなにいい気分になるんかね」

 コーヒーを啜りながら、晴人は呟いていた。やがて終電が到着し、その乗客が去ってしまうと駅のロータリーは急に人気が無くなった。そして駅員がシャッターを降ろす頃、青年は一つ伸びをすると大事そうに箱を抱えて晴人とは反対側のロータリーの階段をのんびりと降りて行った。

「ああ言う奴が真っ当に募金なんか集めるか?後をつけて、着服したところを押さえてやろうか」

 晴人は空き缶を足元に置くと、少し距離を置いて青年の後をつけ始めた。


 青年はまっすぐ自宅に帰るものだとばかり思っていた晴人は完全に当てが外れていた。しばらく歩いた青年はやがて、一軒の家の前で立ち止まると少しの間様子を伺う様に家の灯りを眺めていた。その家は灯りは漏れているものの随分と静かな様子で、外まで人の気配が感じられることは無かった。

「まさか、空き巣じゃないだろうな?」

 なかなか立ち去らない青年の様子に通報しようかと携帯を取り出したところで、青年は少し箱を持ち上げる仕草をした。すると、箱の中からふらふらと小さな光の塊の様なものが浮き上がり、やがてすーーっと窓から中へ吸い込まれて行った。すると窓の灯りが少しだけ強まった。蛍よりも大きい光の塊だった。

「え?えぇ??あれ、何だ?」

 驚く晴人を知ってか知らずか、うんと一つ頷いた青年は先へと歩き出した。

「あいつ……何なんだ?幽霊か?」

 今、目の前で起こった不可解な状況に晴人は少し恐ろしくはあったが、興味の方が勝ってしまった。

「もう少し、様子を見るか」

 今までよりも十分注意を払いながら、晴人は青年の後をつけて行った。


 青年は時々どこかの家の前で立ち止まり、蛍の様な光を放ち続けていた。そして、何件目かで立ち止まった家で初めて晴人は青年の声を聞いた。

「あぁ。しまった」

 それは、同じ様に光を放った家の前だったが、他の家の様に家の灯りが強くならなかったからの様だった。遠目に見守る晴人の目にその家は見覚えがあった。

「そうかぁ。もう1つ、かな?」

 青年は独り言を言うと、もう一つ光を放つ。じきに家の灯りが強まり、家の中からはやや楽しげな気配が伝わってきた。晴人は急に今までの出来事が何なのかを知りたくなって来ていた。満足そうにうなづく青年に晴人は近づくと声をかけていた。

「なぁ、あんたさっきから何やってるんだ?」

 一瞬きょとんとした青年はあははと邪気の無い笑顔を晴人に向けた。

「不審者、じゃないよ。とは言え、そうは見えない、かな」

 飄々とした物言いに晴人は毒気を抜かれていた。

「ちょっと待て。この家、先日ご不幸があった家じゃ無いか。何であんたが?」

 あぁ。と青年は柔らかく微笑んだ。

 そこは、お通夜の仕出しを届けた家だった。知り合いという訳では無いが、例の褒めてくれたお客というのが、この家のことだろうと、晴人は勝手に親近感をいだいていたのだった。しかし、晴人がそれ以上何も言わないので青年は「じゃ、ね」と軽く会釈をすると、またのんびり歩みを進めていた。

「ちょっと、まてよ!』

 慌てて晴人が後を追うと、ちょうど青年はまた別のアパートの前に立ち止まったところだった。見上げる先には4階辺りのベランダの灯りが漏れているのが見えた。

「あれ。困ったな」

 見れば青年は箱の中を覗いて本当に困った顔をしている。

「どうしたんだ?」

「あぁ、君か。集めた善意が売り切れになっちゃったんだ」

「善意?」

「うん。善意。恵まれない魂に愛の手をって集めてたんだけどね。一つ足りなかったんだ」

「え?」

 晴人には訳が分からない。一瞬、やばい奴に関わったのかとも思ったけれども、荒事になっても晴人の方が力は強そうだった。

「どうしようかな」

 晴人そっちのけで青年は考え込んでいる。思わず晴人は青年に聞き返していた。

「足りないとどうなるんだ?」

「うん?この上の部屋にね、小さい男の子が住んでいるんだけど、その子にみんなからの善意をプレゼントしたかったってとこ、かな」

「な……なんでだ?」

「その子……先日お父さんを亡くしていて、元気付けてあげたかったんだよね。今回は諦め、かなぁ」

 青年が心底落胆しているらしい姿に、晴人は少し心が揺れた。

「ぜ……善意ってどうやって集めるんだ?」

「何か良いことがあった人が、少し分けてくれれば、それで……」

「じゃ……じゃあ、俺でも良いか?今日少し良いことがあったんだ」

 少しびっくりした青年だったが、晴人の話に嬉しそうに頷いた。青年が晴人の手のひらを握らすとやがて、その手の平の中が微かに光始めた。そしてそっと手を開くとそこには蛍よりやや大きい金色の光が集まっていた。光はふわふわと手の平からゆっくり浮き上がる。

「ありがとう!」

 青年は物凄く嬉しそうな顔をすると、すいーと手を上にあげた。その動きに合わせるかのように光はゆらゆらと昇っていき、4階の辺りで消えた。その時、部屋の中から男の子の声が聞こえて来た。

「おかぁさーん。なんか今、光ったよー」

 奥の方からは窓を閉める様にと促す母親らしい声がかすかに聞こえ、やがて窓が閉められる音が響いた。


 なんだかとても清々しい思いで満たされた晴人だったが、ふと何か心に引っかかりを感じて青年を振り返った。空からはいつの間にか雪がちらついていた。

「あんた一体何者なんだ?」

「ふふふ。本当に、ありがとう」

 青年が微笑した時、急に強い風が吹いて細かい粉雪を激しく舞わせた。青年の姿はその雪に紛れる様に消えていった。

「あ……れ?」

 晴人が辺りを見回しても、青年の姿は既にどこにも無かった。そして、晴人にはこのアパートに見覚えがあった。父が亡くなって母が働きに出る様になって、毎日寂しかった思い出も。それがいつの日か寂しさよりも母を助けたい気持ちの方が強くなっていったのは何がきっかけだったのか。

 そうだ。あの日、雪が降り出すのを待っていて、空を見上げていたら地上から温かい光が立ち昇って来たんだった。それは手で触れるとじんわりと手の平で溶ける様に消えていた。ふと気がつけば、4階の部屋の灯りは消えていた。

 さっきのあれが、幼い自分の姿だったのかそれとも全く別人だったのか晴人には分からなかった。そして、名前を聞きそびれた青年が遠い記憶の父の姿に似ている気がした事も。そして深夜の寒さに芯まで冷えていても温かい気持ちを抱いて、晴人は家路に着いた。

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