奴隷から食料へ?
ロックウルフ。
岩場に群れで出没する狼の魔物で、討伐難易度は容易とされている。ただし、これは単体での評価であり、またそれはフル装備の冒険者パーティを基準としていることを忘れてはならない。ルーキーを脱する程度のパーティで同数のロックウルフと対峙する場合は後衛の犠牲を覚悟する必要がある程度には脅威であり、馬車など護衛任務で一番出会いたくない魔物の一種である。
そして、質よりも量で奴隷を運ぶこのモグリの奴隷馬車に、護衛の冒険者がついて居るはずもない。
オオオオオオオオオーン
ロックウルフの一頭が雄叫びを上げる。獲物の発見に、脅威となる冒険者が居ないことに、そして籠に積まれたとりわけ良い臭いをまき散らす小さな肉の味を求めるかのように。他の群れが気づくその前に、獲物を喰らわんと群れが一丸となって突撃する。
(あ、これ死んだ)
エルがそう思うのも無理はない。涎をまき散らしながら突撃してくる成人男性程の体長のある狼の群れ。幼女となり果てたエルの身体では、その頭を軽く一飲み出来そうなほどのサイズ差である。しかも自分をロックオンしているであろうことが肌で感じられ、そのあまりにリアルな恐怖に、エルの膀胱から押し出された聖水は。更にもう一絞りとその出口をノックしてきている。
「ちっくしょう、折角お宝手に入れて楽になるってんのにっ、ついてっ、ねえ!!」
呆然とロックウルフたちを見つめているエルの耳に御者台に座っていた男の声が届く。視線を向ければエルの入る檻に捕まるようにして荷台の後ろへと移動する男が一人。その手には鉈とでも表現できるような剣が握られ、ロックウルフを迎え撃つのかと淡い期待を胸にするが、男はそんな事は知るかとばかりに、とんでもない行動に出る。
「おらっ、上手いこと時間稼ぎしやがれっ」
鉈が一閃。
荷馬車の後方、きつくきつく巻き付けられた紐に刃を叩きつけると、まるで最初からそうであったかのように荷台の後ろ半分が分解していく。手すりが落ち、床の穴が広がっていき……そしてその上に座るマースルを含めた戦奴たちが首を鎖で繋がれたままで宙へと放りだされてしまう。
「まっ!?」
そのありえない光景にエルの息が詰まる。マースルは言った『檻の住人だった』と。この奴隷馬車は何事も無ければそれで良し、最悪の場合は『荷物』を切り捨てて価値ある奴隷だけを持って逃げ出すための特別製であった。よく見れば作りの不自然なところは分かっただろう、いや分かったとしても何もできなかったのは間違いないが、しかしそれでも檻にしがみ付きマースルの姿を追いかけるエルの視界に、マースルの最後の姿が飛び込んでくる。
(笑っ……て)
すぐさま砂埃の向こうへ消えたマースルは確かに笑っていた。絶望からでも諦めからでもない、確かに意思を感じられる笑みをエルへと見せて消えていった彼の姿に、しかしその意味を噛み締める余裕はエルには残されていなかった。
「あぎゃああああああああっ!?」
叫び声が一つ。
慌て後ろを振り返れば、御者台に居る男の首に噛みつくロックウルフが一匹。そのまま御者台から人の姿が消え、同時にぐらりとバランスを失った馬車が横に倒れていき……そしてエルは檻ごと宙へと投げ出されてしまった。
□■□
「ぴみゃぁっ!!」
意識を失ったのは数秒か。叩きつけられたショックで目を白黒させながらも身体を起こせば、状況は更に最悪な方向へ動いていた。少し離れたところには首を半ばまで食いちぎられた御者台の男の死体。すぐ近くには鉈を持った肘から先だけの腕と、その先に首が真後ろに向いた腕の無い死体。そんな動かぬ男の死体を放置し、5匹のロックウルフがエルの入る檻を囲んでいた。
「ふ、ふっ、ひひゃっ」
その瞳が一番の御馳走はお前なのだと語っている。嘗め回すようにエルの肢体を眺め、くるくると檻の周りを歩きだすロックウルフたち。時折前足で檻を叩き、ミシィと音を立てる檻の様子を確認してまたぐるぐると檻の周りを回る。それはまるでサメ映画で檻の中に閉じ込められたダイバーのような光景であり、そしてまたその嬲るようなロックウルフの行動から、エルは理解していまう。
(いつでも檻は壊せるのに楽しんでる……たぶん、分かれた仲間が戻ってくるまで)
そう気づいてしまえば理性は決壊する。泣き叫べばすぐにロックウルフが動くかもしれない。必死で口を押え涙を滂沱のごとく流しながら、我慢することのできない下半身は地面に水たまりを作っていく。そんなエルの様子にロックウルフが鼻を鳴らし笑みを浮かべたような気がして、そして同時にエルの視界に走ってくる一匹のロックウルフの姿が見える。
「うぴぅ」
もはや時間切れか。言葉として意味を成さぬ悲鳴を上げずり下がるエルの指に一本の野草が触れて揺れる。
-ギフトを使うのです、愛しいお方-
脳裏に響く女性の声。その言葉の意味をエルの脳が意識をする前にロックウルフたちが一斉に動く。一噛みで小枝のように折れる格子。ばらばらになった木屑が宙に舞い、それを無意識に追いかけて上を見たエルの首。その小さく細い喉へと、ロックウルフの牙が食い込んだ
-ギフトを……-
首に走る激痛と共に、女性の声が再度脳裏に響いていた