エルフ生はハードモード?
(どうしてどうしてどうしてっ!?)
「ぴいいいいいいいいいいぃ……」
混乱し暴走する思考に声帯がついてこない。笛のような悲鳴を上げ続け、酸欠と共に大きく深呼吸を繰り返しながら体の力を抜く。ふと座り込む床板を見れば、そこは格子状に穴の開いた床板。漏らしてもそこから落ちるから大丈夫なのかと現実逃避をしながら視界に映る自身の掌を眺め嘆息する。
ぷにぷにで小さなてのひら
元の枝瑠であった男の手であれば両手まとめて握り込めるであろう小さなそれ。少なくとも日本ではないどこか……いや、自らの姿を考えれば別の世界だと言われても納得いく境遇にあって、『暴力』というものから遥かに縁遠い姿は、これからの未来が凄惨なものになることは容易に想像できた。
「あまり騒ぐとよくねえぞ。奴らも商品を傷つけたりはしねえが、それも絶対じゃあないからな」
「……はぃ」
先の男性の言葉に口を閉じた枝瑠を見て、彼は感心したように首肯する。
「見た目通りの年齢じゃねえって事か。嬢ちゃん、名前は?」
「枝瑠です」
「える……エルか。俺はマースル、少し前までその檻の住人だったもんだ」
マースルと名乗った男性は似合わぬ笑みと共にエルへと話しかけてくる。他の、死んだような目をした男たちとは違う様子に、しかしエルは気づかずに彼の言葉に耳を傾けていく。ここが魔領と呼ばれる魔物の領域であること、男たちは戦奴として売られるために運ばれている奴隷であること。そして元冒険者であり目玉商品として運ばれていたマースルが、今は他の奴隷たちと同じ扱いに堕ちたことを。
「まあ、道端に全裸で倒れてる森妖精の子供を見かけちゃあなあ。ちょっとだけ高く売れる戦奴なんかどうでも良いんだろうさ」
「倒れて……いたんですか」
「あぁ、草原のど真ん中にな。愛玩用に貴族にでも売れば当分遊んで暮らせる金にはなるから、奴ら目の色変えてたぜ」
「……愛玩用」
「記憶喪失か何かか?森妖精ってのは寿命長いからな、多分嬢ちゃんも20は行ってねえ。となると、ヤれる年齢になるまであと50年はかかるからな、それまではペット扱いで大事にされるさ」
愛玩用と呼ばれることにエルの眉間に皺が寄る。今の見た目はどうであれ元は男子学生だ。幼女が陵辱される漫画や小説を見たこともあるし、日本以外の国で想像できない年齢の子が売春していることすら現実にある。と、考えた所でマースルの言葉に不可思議な数字があることに気づく。
「50年?」
「全部忘れちまってるのか。耳触ってみろよ、お前さん森妖精だろ?」
言われるがままに耳に手を当てれば、小さな握りこぶし二つ分はあろうかという大きな耳が左右に真っ直ぐ伸びている。その事実と先の森妖精という単語、そこからようやくエルにも自身の種族がエルフであることを思い知らされた。そして同時に先の懸念が更にとんでもないことになるのを思い知らされてしまう。
「50年……も、ずっと」
「いやまあ、どんだけ悪い想像してるか知らんが、そこまで酷くねえぞ。戦奴の俺らだって給料は出るし自身の値段分を買い戻せば自由になれる。嬢ちゃんみたいなのは高いから丁寧に扱われるし、愛玩奴隷の虐待なんてすぐに国の介入が入る。森妖精のハーフなら長寿が約束されるからな、どっかの大貴族の正妻になる可能性はかなりあるぞ」
「買い戻し?」
「いや、嬢ちゃんは無理だろ。森妖精の子供奴隷なんて幾らになるんだよ?故郷の森が分からないんなら貴族に囲われてた方が安全だぜ」
わずかに芽生えた明るい?未来を問答無用でマースルが否定する。ペットとして可愛がってもらえるなら100歩譲って良しとしよう。だが、50年経った後男に抱かれて子供を産むなど絶対に御免だとエルは考える。とはいえ、小学生男子にも余裕で負けるであろう幼い身体、誰かの庇護に入らねば生きていけないのは間違いないと、掌を見て大きくため息をついたところで、それに気づく。
(なんか、随分きれいだな?)
傷一つない小さな紅葉のような掌。檻に囲まれた荷台は上等なものではなく、所々ささくれ立ち裸のお尻にちくちく刺さっているのが今でも感じ取れる。そんな場所に寝転がり手をついて居たのに目立った傷一つも無い。それが何かと暫く考え込み、分からなければ聞けばよいと思い立ったところで、それは起こってしまった。
「マースルさん。少し聞きた……」
「ロックウルフの群れが出やがった!!」
響く声に反射的に視線を向けた先、そこにはエルの想像するドーベルマンを二回りは大きくゴツくした10匹ほどの狼の群れが、土煙を上げて駆けてきていた。そう、まるで極上の餌でも見つけたかのように、その口から涎を垂らしながら。