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3.懐かしさとか世知辛さとか

 春を歌い、夏を駆け、秋を楽しみ、冬を越える。


 幼い私たちは、時折広がる空からちっぽけな地上を見下ろしたものだ。

 零も最初こそ怖がっていたけれど、高所恐怖症にもならず、すぐに慣れた。

 本来であれば、妖の力を軽々しく披露するなど、不自然なく人間に混じって暮らしてきた私らしくない。思えば、多少浮かれていたのだろう。


 妖のくせに人間の仮面を被る私と。

 人間のくせに妖を目で捉える彼と。


 似ているようで異なる、相容れなくとも最も近しい存在同士、惹かれ合うのは仕方のないことだったのかもしれない。


 零は上空からお山を見ると怖がった。

 たとえ日中でも、私や零の目に映るお山は暗く歪んでいる。

「黒い……もや? 霧?」

「妖気だね。妖がたくさんいるから、淀んで渦みたいになってる」

「大丈夫なのかな?」

「普通の人間は気持ち悪くなっちゃって入れないからね。零くらい力が強ければ問題ないけど、行ってみたい? 帰れなくなるかもだけど」


 零の胴体を抱き止める腕を強めて、私は面白がって揶揄った。

「いい! 絶対いや!」

 ぶるぶると首を振り、零は蒼白になる。



 ……ああ、あの頃は可愛かったのに。





 ◆ ◆ ◆



 零と微妙な再会を果たしてから、4ヶ月が過ぎた。

 夏休みに入り、私は母方の叔父がやっている街の喫茶店で、手伝いと称してアルバイトをしていた。家からはちょっと遠いが、働くのも嫌いじゃないから丁度いい。ちなみにお勧めはコーヒーゼリーパフェだ。


 熱い陽射しが続く中、涼し気な店はそれなりに盛況だった。

 そこそこ落ち着いた雰囲気の店なので、多少声を上げて喋る客の話は自然と聞こえてしまう。


「……馬鹿なの? 1年もかけられないでしょ!」


 いきなり怒鳴り声が響いて、店内に動揺が走る。出入口付近の席に座る単身の女性客だった。

 あー……マナー違反、即ち携帯電話のご利用だ。


 女はこの暑いのにきっちりスーツを着込んだ、キャリアウーマン風の美人である。おそらく商談で不都合でもあったのだろう。周囲も気にせず、電話の向こうの相手に話し続けていた。

「半年で何とかしてって言ったじゃない。私がお願いしたのに。貴方に任せたのは間違いだったと思わせないで」

 通話相手は会社の後輩か部下か。きっとブラック企業なんだろうなと勝手に思う。何しろ先輩からして社会的規範が身に付いていない。

「あのー……お客様、他のお客様のご迷惑に」

「埒が明かないわね。何? 近くにいるの? なら今すぐに来てくれない? そうそう、大通り沿いの喫茶店」


 私が注意しようとしたら、通話が切られた。

 謝りもせず、うざいと言わんばかりにこちらを睨み付けてくる。美人だけど、なんて嫌な女だろう。

 外側だけご立派に取り繕ってる最低な人間は、いつの時代も一定数いるものだ。こんな些末事で私はキレたりしないけれど。


 しかしこの女性、態度も酷いが、何だか妙に気持ち悪い気配がする。昔はそういった人間も少なからず闊歩していたが、現代では珍しい。

 他者の怨嗟を受けるもの。

 例えるならば……呪いの類いか。普通の人間であれば縁もゆかりもないはずの、仄暗く淀んだ感情の澱を凝らせている。呪詛に関わり、自分以外の誰かを陥れ傷つけた経験のある――つまり、人殺しの匂いだ。


 こんな田舎の街に、そんな物騒な人間がいたとは残念極まりない。

 私が胡乱気に女を見下ろしてから踵を返した。この手の輩は放置一択でいい。


 と、思っていたのだけど。


 次の瞬間、店に入って来た人物を目にして、私の考えは修正を余儀なくされた。

「いらっしゃい……ませ」

「……え」


 夏休みにも拘らず制服を着た長身の彼は、炎天下を走ってやって来たのか汗だくだった。

「浦和くん! こっちこっち」

 胡散臭い女が馴れ馴れしく呼び掛ける。

鬼浦きうらさん……」

 零は苦い表情で女に応えた。



 + + +



 私たちは思いっきり他人のふりを継続中である。

 まあ校内と変わらないから、大した労はない。平然とテーブルに注文のアイスコーヒーを置くと、私は女にはバレないよう聞き耳を立てた。


 女――鬼浦は都会のキャリアウーマンでも何でもなく、零が引き取られた親戚筋、即ち拝み屋の家の者らしい。なるほど、呪詛の気配も人殺しの匂いも納得がいく。拝み屋祓い屋占い師という連中は、昔から大抵は裏でそういう商売を展開している。


 そうか……。


 今更ながらに思う。

 つまり、哀しいことにあの零だって例外ではないのだ。

 年齢か技量か或いは双方の不足により、まだ本格的には仕事をしている様子はないが、いずれ好んで闇に携わることになる。


 お山に怯えて叫ぶ可愛い幼馴染はもういない。

 子どもが大人になる過程で残酷さを孕むのは自明の理だ。

 よく知っているじゃないか。

 人間の年月は短く儚く、朧のように過ぎ去って、ときどき私の気持ちを汚泥の底へと深く沈ませる。幾度も幾度も置いて行かれる私は、いつになったらこの感情に慣れるのだろう。


 そんなこちらの落ち込みなど知る由もなく、年上バリキャリ美女とイケメン高校生という微妙な組み合わせの二人は、淡々と会話を続けていた。気づかなくとも当たり前だけど、何だか腹立たしい。


「いったい何に手間取っているの?」

「それは……。鬼浦さん、公共の場で話すのは、ちょっと」

「はあ? 誰も気にしやしないでしょ。何言ってるの。下手な言い訳くらい聞いてあげてもいいと思ったのに」

「ですが」

「何よ生意気に。詳しいと思ったからあんたみたいなガキに声を掛けてやったのよ。例の山は……」

「止めてください、鬼浦さん」


 なるほど?

 おそらく零は私を気にしている。

 拝み屋の仕事関連とかには正直まるで興味もないが、ふーん……。

 例の山ってのはもしかしなくてもあれか。だとすれば私に聞かれたくなくて零が言葉を濁すのもわかる。もっと言えば、妖憑きには都合の悪い内容である可能性がある。もしくは、とても堅気には聞かせられないような非道なものか。

 一般人には理解できないと、鬼浦は平気で口にする。多分、零は私の正体を拝み屋連中には隠している。少なくとも現時点では知られたくないんじゃないかな。


 うーん……ああ、そうか。そういうことか。

 零がずっと、私を避けていた理由は。




店長マスター、ちょっと買い出し行ってきます」

「……!」

 一瞬、零が顔を上げる。

 こらこら、変に反応しないでください。私の配慮が台無しだって。


 幸い、鬼浦には勘付かれず、私は店の外に出た。

 まったく世話の焼ける幼馴染だ。

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