2.面倒とか億劫とか
「人間なら、こないだみたいに無闇にお山には近づかない方がいいね」
「それはわかるけど。光流だって」
「私は……まあ置いといて」
知り合ったばかりの頃、私は一応零に注意喚起をした。
霊能力に優れていても、無防備な子どもが妖の多く住まう場所に飛び込むなんて、無茶にも程がある。そうでなくとも人の子など簡単に死ぬ。何も言わずに不幸な事故にでも遭われたら寝覚めが悪い。
「お山は妖のテリトリーなんだよ」
「てり……?」
「うーん、何だろう。他人の家に勝手に入ったら、怒られるじゃん」
強く言えば、零は納得して頷いた。
「お山にはどうしてあんなにお化けがいっぱいいるのかな?」
「力があるからね。集まるんだよ」
「力?」
「そう。山頂……山のてっぺんにね、力のある石が祀られている。わかるかなあ……神社でいう御神体とか、そういう系の」
「ごしんたい?」
「神様の、力があるの」
子どもに噛み砕いて説明するのは難しいので適当に誤魔化した。面倒だったり億劫だったりした訳ではない、多分。
兎に角、完全に理解できるているかは謎だったけど、私は知己としての義理は果たした。
その後は零もお山には立ち入らなかった。まあ、ただでさえ妖に煩わされている人間が、敢えて渦中に飛び込む真似はしないだろう。
私は最近までこの会話を忘れていた。
もちろん、零がこの話を心に留めていたことなど、知る由もなかった。
◆ ◆ ◆
今年の4月、自宅から少し離れた公立の進学校に、私は入学した。
学校の勉強なんて何度もやっている。時代が異なれば、内容もまた変わってゆくのが面白い。今回の宿り木は大学進学も可能なようだから、まあ精々愉しませてもらおう。
内心ではそんな感じだけど、表向きはごく普通の女の子の顔を崩さず、私は高校生活に突入した。
暫くは気がつきもしなかった。
クラスメイトが「ちょっと格好いいよねー」と評した、他のクラスの長身の男子生徒が、3年ぶりに会う幼馴染の成長した姿だったなんて。
+ + +
入学後のオリエンテーション合宿で、再会は果たされた。
クラスが違えばあんまり接点はないはずだが、そこは課外活動、自由の利く行程もある。
地元のお山ほどではないけれど、それなりに緑深いハイキングコースを上っている途中、私はペース配分を間違えて、うっかり元いたグループと離れてしまった。
山慣れしてるから、ちょこちょこ先に行っては色んなクラスの顔見知りと会話を交わしてたら、いつのまにか単独行動になってしまったのである。
ひとりはなー……浮くから良くないな。
そう判断して、もう少し先に進めば別のグループとかとぶつかるだろう、とややスピードを上げて歩を進める。
案の定、すぐに幾つかの背中が見えた。
知ってる女の子が数人と――長身の、誰か。
何だか憶えのある気配だった。
相手も私に勘づいたのか、距離を縮めると即座に振り返る。
端正な横顔がこちらに向けられた。
「あ……」
「あー! 美園ちゃん」
「どしたのー」
「先に来すぎたー。ここ先頭じゃないよねー?」
「男子10人くらい先にいたよ。女子は先頭かもしんないけど。3組は見てないよー?」
「急ぎすぎたわー」
女子たちと意味のない軽口の応酬をしながら、私はさり気なくその男子生徒を視認する。
整った綺麗な顔をしているにも拘らず、何となく目つきが剣呑で無表情とか、要するにちょっと感じ悪い。
「どもー」
第一印象で差別するのも良くないので、明朗快活を自負する私は、目一杯愛想を振り撒いてみた。
「美園ちゃん、知ってる? 浦和くん」
「んー?」
いや初めましてだよ。
と、言おうとして何かが引っ掛かった。
浦和くん?
……うらわくん?
「いや――」
「初めましてだ」
聞き慣れない低い声が耳に響いた。
初めまして。
いや。
いやいやいや。
声変わりしたって背が伸びたって、わかるって。
髪型や輪郭でバランスが向上しただけで、顔のパーツが一緒だ。
何より身体を覆う霊気は、人間そうそう変化するものじゃないのだから。
……だがしかし。
「そうだよね。初めまして。3組の美園です」
「1組の……浦和です」
+ + +
その日の夜中に私は零から呼び出された。
式神で。
小器用な技を習得したものだと感心する。
けれど外はいただけない。他人に見咎められたらどうするのだろう。まだ4月で夜は冷え込むのに、か弱い女子に抜け出させるなんて、まったくどうかしている。
合宿所の裏手に零はいた。
夜風を気にもせず、平然と立っている。とんだ鈍感野郎だ。
「ちょっと勘弁してください。他人のふりしたいんじゃないの?」
「人払いの術はかけてある」
「そういう問題?」
まあ、だとしたら安心はできる。
私は掌に火の玉を生み出して、浮遊させた。
「何を」
「寒くない? 私は平気だけど」
周囲にバレないのであれば、私が妖として力を揮っても問題ない。これでも炎系の妖なので、肝試しの仕込み程度はいつでもできる。
「お前は……あの頃のままなのか」
「そうだね。私は昔も今もこうだよ」
零はちょっとだけ難しそうな表情をした。
小さい頃もよくそうやって眉を顰めていた。
迷うような悲しいような、何だか不思議な、人間特有の複雑な感情の発露だろうか。自分には理解し難いそれを、私は嫌いではなかった。さっきの無表情よりずっといい。
「やっぱり零だね」
「……ごめん、知らないふりして」
「わかってるって。小学校の幼馴染なんて、今の友達に言うの恥ずかしいってヤツだよね。もしかしてあの中に彼女とかいた?」
「は?」
零はとっても変な顔をした。
面喰ったというより、意味がわからないといった風な。初めて見る表情だった。
「何言ってる」
「ん? 高校生にもなれば色々あるよ。大丈夫、問題ない。気にしないで」
「おい……」
気を遣ってやってるのに、まったく失礼且つ恥ずかしい奴だ。
明らかに瞳がハート(古っ)の女の子たちがいたから、見ず知らずの演技に合わせて遠慮したんだ。文句を言われる筋合いはない。
何だかなあ。
面倒くさいし億劫なことって、好きじゃないんだけれど。
「零、久しぶりに飛ぼう」
私は零の腕を掴んだ。
「……な」
「昔はよく、連れてってやったじゃん」
ばさり、と背に炎で彩られた翼を広げる。
「ちょっと待て……光流!」
「嫌だね」
慌てる零の言葉なんか一蹴して、私はそのまま翼をはためかせた。肉の身体が宙に浮く。零も当然引き摺られる。
上昇する――。
駆け抜けた夜の空は、何処までも果てしなく、何処までも暗かった。
+ + +
翌日以降。
零は一切話し掛けてこなくなった。というより、私は微妙に避けられるようになった。
なんでだ。