猫又の少女(中編)
「せっかくだし、甘藍から妖怪について教わったらどうだ?」
突然圧延がそのようなことを言い出し、鋼征は困惑して助けを求めるように紅蜀葵をうかがう。
彼女は意外なことに肯定的な反応をする。
「悪くないわね。と言っても甘藍ちゃんもまだ未熟だから、この子とふれあいながら少しずつ学んでいけばいいと思うの。どう? 甘藍ちゃん?」
彼女に問われた甘藍は黒い耳をピクピク動かしすと、鋼征のほうを見つめながら少し考えたのちこくりとうなずく。
「よかったわね、鋼征さん」
紅蜀葵はにこりと微笑んでくれたため、彼は反射的に首を縦に振った。
「いやー本当に承知してくれるとは。甘藍、人見知り激しいのになあ」
と驚いた様子で言ったのは圧延だったから、鋼征は思わず抗議する。
「提案したのはおじさんでしょう? 断られるつもりだったんですか?」
「ああ」
おじに即答されてしまい、彼は絶句した。
鈴の鳴るような笑い声を立てたのは紅蜀葵である。
「ねえ? 圧延さんでしょう?」
話しかけられた鋼征は、心の底から同意を込めて力強く「はい」と答えた。
「こうせい? かわいそう」
甘藍までもが小さな声で、彼に同情して圧延を非難する。
自身の旗色の悪さに気づいた圧延は、気まずそうに咳ばらいをくり返す。
紅蜀葵はそれを無視して、鋼征に話しかける。
「最初は甘藍ちゃんとお話ししてみるといいわよ」
「え、はい」
彼は返事したものの、猫又になりたてだという少女と何を話せばいいのか分からない。
(猫又になった経緯とか、気持ちとか聞いていいのかなぁ?)
なりたくてなったのであればいいのだろうが、そうでなかった場合は一瞬で嫌われてしまうのではないか。
そういう考えが鋼征の頭を占めている。
甘藍はと言うと、そのような彼をちらちらと上目遣いで見てはそらすをくり返すだけで、可憐なくちびるを動かそうとはしない。
人見知りで引っ込み思案な性格なのは間違いなさそうだ。
紅蜀葵も圧延も、彼らに対して助け船を出そうとしてくれないため、鋼征は自分が何とかする必要を感じる。
「えっと……この店にはよく来るの?」
何とかひねり出した質問を彼が口にすると、甘藍はこくりとうなずく。
「んーと、二日おきくらい?」
そしてかわいらしく小首をかしげながら答える。
「二日おきに来るのか。この店に君は来ていったい何をするんだい?」
言葉が返ってきて安堵した鋼征が次の質問をすれば、猫又の少女はきょとんとした。
「……本当に何も知らないの?」
彼女の緑の瞳には困惑の色が濃く出ている。
「うん。今日、何も知らされずに連れて来られたところなんだよ。今まで俺をこの店で見たことがなかっただろう?」
鋼征の言うことに甘藍は「そう言えばそうだった」と納得したらしく、またこくりとうなずいた。
「……つらいこと、悲しいこと、モヤモヤした気持ち、ためてはいけないと紅蜀葵に教えてもらった」
彼女はゆっくりと説明してくれる。
「人間たちの言葉を借りれば、ストレス発散が一番近いかしらね」
そこで補足するように紅蜀葵が話に加わった。
「ストレス発散……?」
突然身近な言葉が出てきてため、鋼征はかえって混乱する。
圧延が笑いながら口を開く。
「意外すぎてびっくりしただろう? 俺ら人間にとってストレスは大敵だとされているが、実は妖怪たちにとっても同じなんだよ」
「私たちがストレスをためすぎてしまうと、あなたたちが言うところの【悪霊】や【祟り神】になってしまうの」
紅蜀葵がさらにつけ足す。
「悪霊……祟り神……」
どちらも鋼征は恐ろしい存在だと聞いた覚えがある程度のものだ。
「妖怪と同じ存在だったのですか」
「ええ、そうよ」
紅蜀葵は笑顔で肯定する。
(妖怪と悪霊が同じって言われたのが驚きなのに、そうなる原因がストレスだって……?)
何を言われているのか、鋼征は頭で理解できたつもりである。
だが、それと感情が納得するかは別問題だった。
(つまりここは妖怪がストレスを発散するリラクゼーションを目的とした店なのか?)
彼は妖怪たちも意外と人間くさいのだなと親近感を抱くよりも、突拍子もなさにあっけにとられてしまっている。
「いきなり言われても、すぐには納得できないわよね」
そのような彼の内面を見透かしたかのように紅蜀葵は微笑む。
「え、いや、あの」
ズバリと言い当てられてしまった鋼征は態度を取り繕えずにオロオロする。
「気にしなくていいわよ。いきなり理解されるほうが気持ち悪いから」
紅蜀葵はすてきな笑顔で毒がこもった言葉を放つ。
「は、はっきり言いますね」
たじろぐ鋼征に対して、彼女は笑いながら甘藍に同意を求める。
「ねえ、甘藍ちゃん?」
「うん」
猫又の少女は小さな声で妖狐の女性に賛同した。
「そういうものなのですか」
「ええ、そういうものよ」
紅蜀葵にきっぱりと言われた鋼征は、これから彼女たちに不用意なことを言わないように気をつけようと肝に銘じる。
そこで会話は途切れてしまった。
妖狐の美女は再び彼と甘藍を見守るかのような態度をとり、圧延も彼女に追従する。
甘藍は自分から積極的に話すようなタイプではない。
少し迷ったすえ、鋼征はもう一度猫又の少女に声をかける。
「甘藍ちゃんって呼んでもいい?」
「……うん」
甘藍が返事をくれたところで彼は本題に入った。
「いつもはここでどうしているの?」
「んーと、紅蜀葵とおしゃべりしたり、てんちょーとあそんだり」
返ってきたのはじつに人間の女子のような回答である。
話の流れとして次の問いは自然と鋼征の口をついて出た。
「じゃあ今日は俺とも遊んでみる?」
「……いいよ」
少しの間をおいて甘藍はこくりとうなずく。