初めての課題
人の手が入らなくなったせいか、それとも老朽化していたのか、寂しく色あせたようなコンクリートが切ない。
「ここですか?」
「ええ。垢なめの仕事と言うか、生き様は想像できるかしら?」
紅蜀葵は優しい口調に真摯な響きを含ませて、鋼征に問いかける。
「垢なめっていうくらいですから、垢を舐めることでしょうか?」
「ええ。ここにいる子は銭湯の垢をなめて過ごしていたのよ」
「あっ……」
彼女の言葉を聞いて彼は何となく察した。
銭湯が閉鎖されてしまうとなると、銭湯の垢をなめていた垢なめはどうすればいいのだろう。
「ほら、あそこよ」
彼女の白い指が示したのは、銭湯の屋根である。
十五歳くらいの赤い肌に白い髪の少年が、しょんぼりとして座っていた。
「えっと、他の銭湯に移るということはできないのですか?」
「スパワールドやスーパー銭湯は手入れが行き届いて、彼が生きていけるだけの垢はないのよ」
鋼征の問いには即答が返ってくる。
「……そうなんですね」
彼が思いつくようなことはすでに紅蜀葵も考えたということだろう。
ではどうすればいいのか。
とっさにいいアイデアが出てこずに悩んでいると、紅蜀葵が言う。
「何か考えてあげてくれる? これが次の課題ね」
「えっ?」
鋼征は困惑して眉間にしわを寄せる。
いくら何でも無茶ぶりではないかと思う。
「今すぐじゃなくてもいいから」
と妖狐は言う。
口調こそやわらかいものの、拒否できない何かがこもっていた。
「はい。思いつけるか、自信はありませんが」
「それでかまわないわよ」
おそるおそる言った鋼征に紅蜀葵は微笑を向ける。
絶対に名案を出せということではないようで、彼は少しだけ安心した。
「他にもいくつか紹介しておきましょう」
紅蜀葵は微笑んで彼を誘導するように歩き出す。
「あれは小豆あらいね」
彼女が指をさしたほうには小柄な老人の姿がある。
「あれは影法師。それからしょうけら」
順番に紹介されて、鋼征は必死に名前を頭に叩き込む。
知っている名前も中にはあるが、多くは彼が知らない存在だった。
やがて立ち止まった紅蜀葵は言う。
「次は霊のほうにいってみましょうか?」
「霊もいるのですか?」
彼が目を丸くすると、彼女はクスクス笑った。
「むしろ幽霊のほうが多いのよ。生きている者の数の割には少ないと言えるかもしれないけど」
そう言って教えてもらったのは動物たちの例である。
鋼征は自分が幽霊は人間しかいないと思い込んでいたことに気づき、少し恥ずかしくなった。
彼のそう言った内心を紅蜀葵は気づいたのか、気づいていないのか言う。
「思っていたよりもずっと幽霊の数は多かったのではない?」
「そうですね。むしろ今まで気づかなかったのが不思議なほどです」
彼は素直に認めて紅蜀葵に聞いた。
「石を外していれば気づけそうに思うのですが、何か理由でもあるのでしょうか?」
「どうやら鋼征さんは幽霊との相性はよくないみたいね。妖怪とはいいみたいだけど」
妖狐は真剣な表情で答えたため、彼は目を丸くする。
「相性ってあるのですか?」
「ええ。甘藍ちゃんがあなたに懐いたのも相性だし、最初薫風が見えなかったのも相性で説明がつくのよ」
「そ、そうだったのか……」
鋼征は納得してしまった。
甘藍は猫又だが薫風は幽霊だというのも、彼女の説明が腑に落ちた理由のひとつである。
そして彼はあることをふと思いつく。
「動物の妖怪とだけ相性がいいという可能性は?」
「もちろんありえるでしょうね」
紅蜀葵は答える。
「そ、そうなのですね」
鋼征の体に緊張感が復活した。
「大丈夫よ。私がいるから」
妖狐の励ましに彼は少しリラックスするが、完全に緊張を解いたりはしない。
彼女は彼の味方ではあるものの、ただ優しいばかりだけの存在ではないという予感がある。
店に戻れば甘藍が寄って来て、彼は少しホッとした。
見慣れた顔というのは安心できる。




