うつろうもの
「それなりに慣れてきたみたいね」
紅蜀葵はある日、鋼征にそう話しかける。
「え、そうでしょうか?」
彼は突然のことに困惑した。
これまでに彼がやってきたことと言えば、甘藍と遊んだり他の妖怪たちと話したりくらいである。
特訓のようなことはいつ始まるのだろうと不思議に思っていたほどだ。
「ええ。人間が私たちに慣れるためには、一緒に過ごすのが一番なの」
「そういうものなのですね」
紅蜀葵の説明に彼はひとまず納得し、では今度からは何か始まるのだろうかと考える。
「次はそうね。外をさまよっている妖怪たちと知り合ってもらおうかしら」
「霊たち、ですか?」
彼女の言葉を鋼征はくり返す。
「ええ。この店に来るのは基本的に自我と理性を持ったものばかり。外でさまよう子たちは、また違ってくるから圧延さんにもらった石をつけてね。持ってきている?」
「あ、はい。念の為」
彼はジーンズの前ポケットから石をとり出して見せる。
「紅蜀葵さんがいないところでヤバい気配がしたら、つけようと思って持ち歩いていました。ないよりマシかな程度の感覚ですが」
「その意識は大切ね。これからもそのつもりでいるといいでしょう」
紅蜀葵はにこりとして褒めてくれた。
彼女の後を追うように鋼征は歩いて行く。
「外でさまようって浮遊霊、地縛霊をイメージするのですが」
彼が話しかけると、妖狐は苦笑に近い笑みになる。
「間違っているとは言いがたいわね。浮遊霊などもたしかに該当するから」
浮遊霊もまた妖怪に分類されるのだから、それ以外のものもいるのだろう。
「他にも色々といるのよ。基本的にはあのお店に来る気がない子たちがね」
紅蜀葵の表情はおだやかだったが、どことなく寂しそうだった。
「妖怪にとっていいお店なのですよね?」
鋼征が目を丸くすると、彼女はうなずきながら言う。
「それでも受け入れてくれる子たちばかりじゃないわ。人間だって自分のためだと言われても、どのような意見や方法を素直に受け入れる人たちばかりではないでしょう?」
「言われてみれば……そうかもしれません」
あまりよくないと思っていてもなかなか改められない習慣は、彼にも心当たりはある。
「妖怪たちも似たようなものなのよ」
と言われるとすごく説得力があった。
「私はそういう子たちのことを“うつろうもの”と呼んでいるの。彼らにしてみれば、私が勝手に作っただけだろうけど」
「……そういう存在と俺が会っても大丈夫なのでしょうか?」
説明されているうちに鋼征は不安が大きくなってくる。
これまでの妖怪たちは紅蜀葵にしたがい、あの店の存在を受けれいていた。
そのため、彼に対しても彼らなりに好意的だった。
しかし、今から遭遇するであろう存在は彼女に対して好意的ではないという。
「別に全ての子たちに嫌われているわけじゃないわよ」
紅蜀葵は笑って彼の心配を吹き飛ばそうとする。
「ただ、店に来る決心がつかないだけの子、人間と関わるのが怖い子もいるみたい。そういう子とあなたを引き合わせるのは彼らのためにもなるし、あなたのためにもなると思うの」
「お話は分かりました」
鋼征は納得したし、少しだけ安心もした。
「いきなりきつい子のところに連れてはいかないから安心してね」
「それはもう」
彼女の言葉に彼は意識して笑顔を作る。
彼女が彼を害したいのであれば、まわりくどいする必要はないだろう。
伝説に謳われる強大な力を発揮すればよい。
「最初はそうね。垢なめに会ってもらおうかしら」
「垢なめ、ですか?」
紅蜀葵の言葉を鋼征は反すうする。
「垢なめという妖怪をどれくらい知っているの?」
「名前はどこかで聞いたことがある程度ですね」
彼は申し訳なさそうに、正直なところを答えた。
「それでいいわよ。大切なのは頭でっかちな知識じゃないから」
彼女は気にするなと言いながらあるところで立ち止まる。
それは閉鎖が決まった銭湯だった。




