営業マンはなんとか街に入ろうと懸命に頑張るがなんだかんだでまだ街に入れない
ラパーヌと戦った際に俺の振る舞いを見ていた冒険者達からの援護射撃により、なんとか俺が街に入る事のできる可能性を潰さずに済んだ。
もっとも、最初に衛兵さんと会話した際に『王家の命令以外で特例を作る事は徹底して無いようにしている』とはっきり宣言していたので、彼が領主様にお伺いを立ててどうするか聞いてみるとは言うものの、実際に俺の要望が通る可能性は本当に低いだろうなぁ。
が、こっちはかれこれ3日飲まず食わずで中身を出してるだけの状態だ。
普通の人間がこの状態で戦闘なんてしたら今頃間違いなく天に召されてるだろうが、今の所俺の体は『原因不明ではあるけど』も無事なのである。
しかしこの飲まず食わずの補給無しで、この体がどこまで持つのかは全く見当がつかない。
すでに一般人の限界耐久線を越えている以上、逆に言えばもういつぶっ倒れてもおかしく無いのだから。
とりあえずこうして、味方が何人か俺のために集まってくれているのだから、悪いがちょっとくらい飲み水とか集らせて頂こう。
街に入れない可能性が濃厚なのを考えると、門前払いされた挙句道中で餓死しちまったという展開になりかねない。
それは避けたい。
「なあドムさん。今飲み水って持ち合わせがあるか?」
「あん?水ならこの袋ん中に入ってるよ。栓開けて飲みな。街に入れたし、その袋の中身は全部やるよ。うちの娘を助太刀してくれたちょっとした礼だ」
「ありがとう。それじゃお言葉に甘えて、いただくよ」
ドムさんからもらった水入りの袋。
見た目は布を縫っただけの袋なため、中身の水がジョロジョロ溢れてしまいそうだ。
だがそこはこの世界の不思議パワーというのか単に俺の知らない素材なのかなんなのか。
布製のはずの袋からはチャプチャプと音は聞こえるものの、中身が袋の生地に染み込んで漏れる気配は無い。
とにかくせっかく頂けた貴重な水である。
街へは入れない可能性の方が圧倒的に高いわけだから、補給できる内に補給はしておいた方がいいだろう。
最悪、食えなくとも水があれば人間はある程度命をつなぐ事は出来る。
あ、塩も無いとちょっと厳しいかもしれないが…。
早速栓をキュポンと抜いて、袋の中の水をいただく。
あぁ、3日ぶりの水だ。今まで強く感じていなかったが、体は確かに水を欲していたと言う事が分かった。
すごく美味しい。
そして体に染み渡っていくようなこの感覚。あぁ…。
結局俺はご厚意に甘えて、袋の水を全部飲み干してしまった。
するとドムさんはそんな俺を見て苦笑を浮かべる。
「とりあえず、いろいろ大変だったんだな。久しぶりの水を飲めて嬉しいってツラしてたぜ」
「あ、ああ。とりあえず水を分けてくれてありがとう。結局全部飲み干してしまったよ」
「おう気にすんな。娘の恩人のためならこんくらいはな」
「…本当に、ありがとう」
出会って短い間とはいえ、俺のためによくしてくれる人たちに改めて感謝の念を抱く。
本音を言うならこの先に備えて食料も補給しておいた方が良さそうだが、さすがにそこまで図々しく言えるほど俺は肝が座っていない。
とりあえず、衛兵リックさんの指示で領主様の元へ向かった衛兵さんが戻って来るのを待っているわけだが、10分ほど経った辺りで走って行った衛兵さんともう一人、どこか高そうな服を着た人がこちらに駆けてくるのが分かった。
ん?高そうな服を着てる?
「ドムさん。衛兵さんが戻ってきたみたいなんだが、その横で一緒に走ってきてるあの人は誰だ?」
「あん?ああ、そこにさっきのお使い頼まれた奴が走ってきてんのか…って、隣走ってるの領主様じゃねえか!おいみんな!領主様がこっちに来られるぞ!お辞儀してお出迎えだ!!」
「マジかよ!おいみんな早くお辞儀だお辞儀!」
「タカヒトも早くお辞儀をするんだ!首刎ねられても文句言えねえぞ!」
「ええっ!?」
冗談じゃない。
たったひとつ『頭が高い』という理由だけで首を刎ねられたらそれこそ死にきれない。
さすが伯爵とか王様とかってのが現役で幅を利かせてる世界だ。
これは権力者相手の振る舞い方を間違えると、本当にえらいことになりそうだな。
例えば無礼を働いて全国指名手配とか?
うわぁそれはアカン。気を付けねば。
と、お辞儀をしなくちゃダメなんだな。
周囲を見ると、みんな90度の角度をつけて深い礼をしてらっしゃる。
ってことはこれからこちらに来られる領主様は、この地域を治めていらっしゃるタイン伯爵様ご本人ってことか。
確か伯爵ってのは侯爵とか辺境伯の次にエラい爵位だったはずだ。
って、この世界に向こうのヨーロッパ貴族の認識が当てはまるかは分からないが。
とりあえず俺の知ってる知識通りの序列で爵位を付けているのなら、伯爵は◯爵と付く身分の中では大体4番目にエラい筈。
ちなみに1番は『公爵』で2番は『侯爵』で3番は『辺境伯』(国によっては辺境伯という身分がなく、侯爵で一括りにしてる国もある)だ。
日本語だと公爵と侯爵でなにが違うのかとなるが、要は身分による差で区別してるのか…な?
なにぶん明治時代にこの言葉を当時の帝国政府が用いた時にも爵位の意味がこんがらがって、かの伊藤博文が天皇陛下の一族だと海外に誤解されたとか言われているのだ。
厳密には、アジア文化圏とヨーロッパ文化圏ではそもそも爵位の成り立ち方からして事情が違うので、両者の風習や感覚が混ざって意味がこんがらがるのもある意味当然ではある。
あと、王子様とか王女様とかの所謂王族の方々にも一応爵位が付くらしいのだが、その辺は複雑で頭が痛くなってくるので割愛しよう。閑話休題。
領主様改め伯爵様が俺たちの元へと歩いてくる。
衛兵のペースに合わせて走ってきたせいで少し息が上がっているものの、呼吸を落ち着けると伯爵様はおもむろに口を開く。
「みなさん、どうかお顔を上げてください。私はみなさんに守られているだけのか弱い人の子です。むしろ私の方が、日々街を守ってくれることに感謝して頭を下げたいくらいなのですから。ですから、構わずお顔を上げてください」
伯爵様はそう言って顔を上げることを求めるが、果たして俺はどう動けば良いのかな。
じゃあお言葉に甘えてと頭を上げた瞬間無礼者!!と、即座に切り捨て御免は笑えない。
チラリと横のドムさんを見やる。頭を下げた彼は視線だけこちらに向けている。
(どうするタカヒト。顔、上げるか?)
(知らないよ!むしろ俺が聞きたい!顔上げても平気なのか?切り捨て御免されないか?)
(切り捨て御免って…切り捨てておいて謝るってどういうことだよ)
(そういう意味じゃねえ。無礼者は問答無用で斬り殺すって意味だ)
(わっかんねえな…。でもタイミング間違えたら、お前の言う切り捨て御免は本当にやられるぞ)
(じゃあどうすんのよコレ!顔上げないと無礼者扱いからの切り捨て御免されるんじゃねえか)
(顔上げても下げたままでも切り捨て御免とか、おいタカヒト俺たち詰んでんじゃねえのか?)
(ぐっ…。ドムさん、こうなったらせーので一緒に顔上げないか?)
(わ、わかった。臆病風に吹かれて顔上げないっての、無しだからな)
(わかってるよ!二人揃えば怖いもんなんてないさ。よし良いか)
(おうよ!)
(行くぞ!せーっの)
アイコンタクトでやり取りをして、カウントを取って頭を上げる俺”一人”。
あ? 隣で上がるはずのお顔が下がったままなんだが。ドムさん?
脇目も振らず慌ててドムさんを見やる。再び俺とドムさんの視線が交わる。
(ちょっ、おまっ!裏切りやがったな!?なにしてくれてんの!?!?!?)
(俺はまだ死ぬわけにはいかねえんだよぉぉ!!)
(それは俺も一緒じゃボケェェ!!)
「あの、貴方が報告にあった『漆黒の鎌使い』さんですか?」
「はいぃ!?」
思わず声のした方を振り向くと高そうな服を着た、見た目の年齢的には大人になったばかりの若い女性がいた。
というか、頭下げてる間に聞こえた声も男にしちゃどこか高え声だと思っていたが、まさか若い女性が本当に伯爵を勤めていらっしゃるのか?
いや、その身内という可能性もあるか。とりあえず本人に確認してみよう。
「え、ええ。一応鎌使いであることに間違いは無いのですが…。無礼を承知でお尋ねいたしますが、貴方は一体…?」
「初めまして、私はこの『タイン伯爵領』を収める『ミシュリア・”タイン”・アルフィード』と申します。以後、お見知りおきください」
うお、本当に伯爵様なのか。
見た目的には二十歳になる手前からちょっと過ぎ位に見えるんだが、それだけの実力があって伯爵の地位を持っているってことかな?
いや、親の身分をそのまま継いだだけか?
うん、普通はそうか。
「失礼いたしました。私は加賀 貴仁と申します。タカヒトとでもお呼び下さい。ところで、伯爵殿にお伺いを立てるよう衛兵の方に自分が頼み込んでおいてなんなのですが、正直ただの平民の私が起こした問題であるこの件は、タイン伯爵様がわざわざ御身自ら出向くほどの事ではないと思います。何故伯爵様ご自身がこちらへいらっしゃられたのでしょうか?」
「それはもちろん、我がリーシュの街及びタイン伯爵領の貴重な戦力である冒険者の皆を守ってくれた方に、心よりのお礼を申し上げるためですわ」
「は、はぁ…」
迷いなく即答される伯爵様。
ニッコリという笑みも浮かべている。えぇ、ちょっと待ってくれ。
あのすぐにスライスできちまう野獣の群れがそんなに強いのか。
いや、さっきもアクトたちやここに集まってる冒険者たちが口々に危ないところだったと言ってるけど、本当に俺にはイマイチ実感が湧かなすぎて事の大きさがどうにも想像しにくい。
伯爵様もいかにも『貴方は凄いんですよ』みたいな空気を出してお話ししてくださってるけども、結局当の本人である俺自身が全体像をイメージしきれていないのだからまぁそれはそれは。
しかしそうなると彼女は、残っている執務を放り出してまでわざわざ俺にお礼を言いに来たって訳だ。
「それでですね、タカヒトさん。私はこの街の冒険者たちの命を救ってくださった貴方に、領主としてお礼をしたいと考えています。つきましては、タカヒトさんはこの街への入場を求めているということですので、本来であれば問答無用で追い返しているところですが、今回は特例で街への入場を許可いたします」
俺の事は呼び捨てで良いと言外に込めたんだが、それでも彼女は俺の名前にさんをつけて呼んでくれる。
てかマジか! ということは合法的に街に入れるってことだな!
これで、街の近くで野獣に怯えながら野宿する必要性が無くなってなによりだ。
いや、どちらかというと街から夜な夜なやってきた俺の物を盗もうとするスリの方が怖いかもしれないが。
だが、伯爵様のお話にはまだ続きがあるようである。
「ただし、背負われているその鎌をこの門の内に持ち込む際には必ず刃を覆うカバーをして頂き、住民への物理的な危害が加わらないよう細心の配慮をお願いします。それと、身分証明が出来るものも紛失されたと言う事ですので、新たな身分証明書類発行のために、冒険者ギルドへの加入手続きをされる事を強くお勧め致します」
なるほど、早急にギルドへメンバー登録を済ませて身分証明書を作れと。
基本的に特例を作らない方針を貫いている伯爵様が、先ほどの戦闘に居合わせた冒険者の声があったとはいえそれを捻じ曲げたのだ。
この時点で俺は彼女に相当の迷惑を掛けていることになるし、出来る事ならさっさとその問題点を解決したいのは納得出来る。
「なお、タカヒトさんの特例での街への入場を認めるのは今回の1回限りです。次に身分証明及び通行税の持ち合わせがない場合は、例えこの街にとっての恩人であっても門前払いを致しますゆえそのおつもりで。以上ですが、何かご質問はございますか?」
やはり、特例が通じるのは今回一回限り。
次に身分証明と通行税のどちらかでも欠けた場合は、容赦なく門前払いをすると。
これはこれから必死こいて街の中で生活を作る努力をしないとな。
「えーっと、はい。仰る事は大体把握できました」
「それは何よりですわ。では、早速街の方に入りましょう。鎌の刃にカバーをお付けになってください」
「あっ…」
「?何か問題がございましたか?」
そう。やばい。
カバーで覆ってと言われても、そのカバーが無いのではどうしようもない。
無い袖は振れないのだ。どうしよう…。
「な、なあタカヒト。よかったら俺の店でお前の鎌のカバー作ってやろうか?金は出世払いでツケておくからよ」
「ドムさん、これ触れただけでも物切れる位鋭いんだが、それを覆うとなるとそれなりの素材が要るんじゃないのか?」
「…とりあえずここで待っててくれないか。店にあるカバー用の素材何種類か見繕って持ってくるから」
「申し訳ない。俺自身もこんな危険物そのままにして街に入るのは怖いんだ。頼むよドムさん」
「分かったよ。ちょっと待っとれ」
そういってドムさんは馬車を街の中に進ませる。
後に残るのは俺と伯爵様、その周りで動向を見守る冒険者の方々。
伯爵様だけは俺の事情を分かっていないためかキョトンとしている。
しかし、お忙しいところわざわざ来ていただいたのだろうし、あんまし長いこと時間を拘束するのも申し訳ないな。
と考えていると、伯爵様が口を開く。
「タカヒトさん」
「は、はい。なんでしょうか?」
「もしかして、何かあって刃を覆うカバーを失くされたのですか?」
「ええ、実はこの街に来る途中にもラパーヌに襲われまして。急な襲撃で咄嗟に応戦したはいいのですが、戦っているうちに荷物を置いたところからだいぶ離れた挙句、方向感覚も見失ってしまい…」
「なるほど、それで旅に必要な荷物のほとんどをお持ちになられていないのですね」
「お恥ずかしい事ながら…」
無論、実際にはそんな荷物なんてハナから持ち合わせていない。
ラパーヌに襲われたのは本当だが、そんときはぶっつけ本番で鎌が使えるとは思わなかったから、恥を承知で全速力で逃げたのだ。
その後のここへ来るまでの3日の旅の中で、なんとか形だけでもとトレーニングをしたが、この体がやけに鎌に適応してるのももちろん、よくもまあ異世界に来て2度目の実戦であそこまで上手いこと動けたもんだ。
もっとも、その後の現地の人とのやりとりにおいては、結構危ない橋を現在進行形で渡っているんだけれども。
ところで目の前におわす伯爵様ことミシュリア様。
少しだけ淡い紫色がかった銀髪を長く伸ばしてらっしゃる。
目鼻その他のパーツは全てバランスよく配置されていて、まさに誰が見ても美少女であると言って良いだろう。
その上スラッとした長身もまた魅力的だ。
178センチある俺より少し目線が低い程度なので、おそらく170は超えているか或いはその一歩手前くらいだろう。
身に付けられている青を基調とした高そうな服。
きっと執務をする上での服装なのだろうが、高貴な身分のお嬢様らしく落ち着いた衣装でこれまた彼女によく似合っている。
下世話な観点も敢えて言うなら、お胸もボン!ってほどじゃないがそれなりの大きさだし、腰回りは健康的なレベルで適度に締まり。
そしてお尻もまた良い感じの大きさだろう。
ヒップだけ不確定な言い方をしたのは、フワフワした感じの体の線が出にくいスカートを着用されているからだ。
つまり、程よく出るトコは出て締まるトコは締まってる良いバランスの体型だ。
完全に余談だが、これだけの情報は俺だけにとどまらず、営業みたいな『瞬間的に人を観察して自分の出方を変えるような仕事』をする人間なら、ほんの一瞬0コンマ0何秒だけチラ見すればすぐに認識できるのだ。
営業の仕事上、取引先に時々魅惑的な美女を交渉役に持ってくる会社もいた。
彼女たちのボディーは男にとって眼福であるので是非とも見たい。
けど、性欲に駆られてずっと見てるとそこをセクハラ扱いからの脅しのネタにされて、こっちの足元を思いっきり突かれる。
だからこそ、ほんの一瞬の間に見た情報を脳内記憶に焼き付けるのだ。
なおこのスキルの名は『1/100秒チラ見スキル(俺命名)』と呼ぶ。
もっとも、女性をこうした目で一瞬でも見る時点で、男としては生物学上当然の行動であっても非難されて然るべしなんだが。閑話休題。
つまり何が言いたいかというと、ミシュリア様の容姿のレベルは日本人の感覚に例えて言うなれば、日本でも1000年に一度のうんたらとか言われる美少女、まさしくそれに匹敵するクラスな訳だ。
あの1000年に一度の云々という美少女は多分、誰が見たって誰もが可愛いと答えるだろう。
それだけのレベルの容姿を持つ女性といえば、なんとなく凄さは伝わるか?
「あら?タカヒトさん。私の顔に何か付いていますか?」
「!?」
オイオイオイ!? 俺の1/100秒チラ見スキルが見破られたのか!?
だが、彼女の顔を見るとどうやらそういうわけではなさそうだ。
どうでもいい自慢だが、俺はこのスキルを習得してからというもの、対象の女性が俺の視線に気付いたそぶりを見せたことはない。
現行犯で生け捕りにするために、ただ泳がされてた可能性もあるが。
「いえ、先ほどからタカヒトさんが私の顔を見続けられているので、何か虫でも付いているのかなぁと」
「特にそういったことは…。お恥ずかしながら、伯爵様が今まで出会った女性の中でも一際綺麗だったものですから、つい見惚れてしまいました」
「えっ…?そ、そんなことをいきなり申されても困ります…」
「おっと、すみません。あくまで私は本心を述べただけで、口説くつもりは全く無かったのです。申し訳ありません」
「い、いえ…」
俺は紛うことない本心を率直に述べたのだが、考えてみるとこれ第三者から見たら『麗しのお嬢様を口説き落とそうとしてる男』という図になってるじゃねえか。
ヤバイヤバイ。
貴族様への振る舞い方を気を付けようと決めた矢先に、いきなりトチってどうするんだ。
俺のバカ。
さっきのここに来た際の冒険者に対する感謝の言葉と言いこの容姿と言い、ミシュリア様は他の貴族様からの縁談とか求婚やらなにやら、言い方は悪いがパートナー候補の男は文字通り選り取り見取りだろう。
出会ってまだ数刻だが、職業柄人を見抜くのに慣れてる俺のカンが彼女の人柄はとても良いと告げている。
天は二物を与えぬという言葉、あれは嘘だな。
内面も外面も美人とか、本当にとんでもねえ女性じゃないか。
なのにたかが平民風情の男が突如お嬢様の容姿を褒め称えるって。
どう見たってあからさまに相手を褒めてあわよくばお近づきになろう等という、とんだ勘違い野郎にしか思えねえ行動だ。
相手がミシュリア様じゃなかったら下手すると、今頃俺の首が首が飛んでるかもな…。
本当に気を付けよう。
ん?あれ?ミシュリア様の顔がちょっぴり赤いな。
なんでか両手で口元を押さえてらっしゃるが、その振る舞いもまた可愛らしいというか綺麗というか。
本当、美女とイケメンはやる事が何でも様になるから良いねぇ。
「タカヒトさん」
「何でしょうか?」
「あんまり先の様な事を、出会う女性一人一人に言って回るのはオススメ致しませんよ?」
これはおそらく、『今回は許してやるけど次はねえからな?身分を弁えなさい』という言外のメッセージと取るべきだろうな。
こうして周囲にあからさまに気付かせる事なく、当人だけに分かるようにさりげなく忠告をするってのは、貴族様のドロドロとした腹芸で培ったもんなのかな。
あぁ、相手が感情ですぐ人をぶった斬るような貴族様じゃなくて本当に良かったよ。
「ええ。御身自らのご忠告大変恐れ入ります。以後、このような言動は例え本心であっても控えるように致します」
「あっ...いえ、その…。タカヒトさんのような方にああ言われると、本気になってしまう方がいらっしゃるのではと…」
「は、はぁ…。確かに、今まで生きてる中で何度か女性から告白を受けた事はありますが、自分の容姿は特に優れている方では無いと認識しておりますが...」
「でしたら、その認識を改めた方が良いかと思いますわ。少なくとも私の感覚が人の常識より外れていないのならば、タカヒトさんの容姿はそれなりに格好良いほうであると思います」
え? ええ? まさかのここに来て貴方はイケメンなんですよって?
ちょっと待ってくれ。
確かに告白は何度かされたけど、それはいずれも職場で何かミスをしたり大変そうな女性社員をフォローして、それが積もりに積もって告白につながったケースが全部だ。
つまり面食いでの告白ではない。
俺の場合、勤めていた会社が業界の大手なだけあって、俺よりもずっとイケメンでモテモテの男性社員なんか腐る程...とはいかなくとも数はそれなりにいたはずだ。
俺個人の感覚で言うなら自分自身の容姿は可もなく不可もなく。
そしてそれは俺に近い部署の周囲の社員(老若男女一切を問わずだ)全員の意見でもある。
つまるところ、俺はイケメンと呼ばれるほど格好良いツラはしていないはずなのだ。
だからミシュリア様のおっしゃる事の意味がよく分からない。
単にこの世界と日本とのイケメンの価値観が違うのかもしれない。
が、それにしても、これだけの美少女が俺をこう言うってのがイマイチどうにも引っかかる。
「あら?ドムさんが戻られたようですわ。では、街へ入る事が出来るようになりましたら、ぜひ我らタイン家の屋敷の方にもお顔をお出し下さい。大したものは出せませんがお茶でもお淹れ致しますわ。それでは、私はまだ執務が残っておりますのでこれにて。皆さん、本日はお疲れ様でございました。ゆっくりと休んで下さい。では」
ミシュリア様は、街の一角からドムさんの馬車が戻ってきたのを見ると、用は済んだと言う事で自分の屋敷へと帰って行った。
さて、このエラく切れる鎌の刃を覆うカバー。
多分作るのに数時間は掛かりそうな気もしなくもないんだが、街に入るためにはどうしても必要になるものだから、急ピッチで仕上げてもらわないといけない。
実際のところ、急造品にデザインも何もケチを付ける必要性は無いし、とにかく実用性…つまり刃の鋭さに負けてカバーとして使い物にならなくなるなんて事が無ければそれで良いのだから。
とはいえ、ドムさんがどんな素材を持ってきてくれたのかは気になるところだな。
カバーする物が物なだけに、ツケにされた材料費はとんでもないモンになりそうだが。