とある異世界へと突如迷い込んだ営業マン
気付くと俺は、なぜかだだっ広い草原のど真ん中に立っていた。
あり? 俺ってば今の今まで、東京は丸の内のオフィス街で営業に回るべく歩き回ってた筈なのに。
「...はい?」
訳が分からないのでもう一回周囲の状況と、自分が今身に付けているものを確認する。
うむ。着てるものはどう見ても、営業回りでヨレヨレになった長年付き添った馴染みのスーツじゃない。
ファンタジーに出てきそうなマントっぽいフード付きの黒の外套。その下には某元祖RPGの「旅人の服」的な感じの服。これも色は上下とも目立たない黒っぽい色。靴も履いていた筈の革靴ではなく、足から膝までの3分の2程を覆うブーツ。勿論コレも黒に近い焦げ茶色。
そして極め付きに、背中に背負ってる滅茶苦茶デカい鎌。
こんなデカ物背負ってるのに全然気が付かなかった辺り、俺の体自体もどうにかなっちゃってる可能性がある。
「...俺は死神にでもなったのか?」
少なくとも俺の(ファンタジーに関しては)少ない知識をもとに今の容姿を客観的に見ると、どう考えてもそういう風に思える。
しかも背中から取り出して気付いたのだが、みるだけでヒヤヒヤするほどの鋭利な刃がそのまま露出している。
日本なら銃刀法違反で現行犯逮捕間違いなし。
タダでさえこんな物騒なモノを刃を露出させたまんまじゃ、どこか人里に入ろうもんならすぐに連行されてしまうだろう。いや、それよりもだ。
「なんで俺はこんなふざけた展開に巻き込まれてる訳よ?」
これは夢だよな?夢だと思いたい。もし夢じゃなかったらどーすりゃ良いのよコレ。夢であってくれ!頼む!そう思って頬をつねる。
「......うそん」
むちゃくちゃ痛かった。
これから俺はどうすりゃいいんだ。気がつけやこんな原っぱに。
ご丁寧に武器やちょっと格好いい服装は付いてるけど、俺自身は高校の体育で柔道をやったこと以外に武術の経験なんてない。
農作業をやるためのチッチャイ鎌くらいなら雑草刈りに使った経験はある。
でも、こんな人殺しをするためのデカイ鎌は見るのも触るのも初めてだ。
だというのに、何故か分からないが鎌を持って構えると妙に落ち着く。
体に馴染むというか、これはまさしく俺の体の一部のような存在なんだと無意識に感じる自分がいる。
「おいおいおいおいおい」
そこまで思考して思わず自分にツッコミを入れる。
使ったことがねえと言ってるのに、なんで俺はこのどデカイ鎌に馴染んでるんだ。まるでこれじゃ俺が人殺しを生業にしてきたみたいじゃないか。
俺は『加賀 貴仁』という、真っ当な営業職の36歳会社員だ。
嫁さん子供はいなかったけど、親兄弟やご近所さん、職場の同僚ともそれなりに上手いこと関係を築けていた。
それなりに充実した生活を送っていたのに、いきなり訳も分からずこんなとこにたった一人放り出される。
俺は一体何をしたというのだ。なんでこんな目に合わなきゃなんねえんだ?
真っ当に生きてきたにも関わらずこの仕打ち? もし神様とやらがいるのならば、是非心の底からありったけの文句を申し上げたい。
「クソ...。誰だか知らねえが、俺をここに放り出した犯人見つけたら必ず落とし前を付けてやる」
ところで一つ思うんだが、なんで俺は比較的冷静に思考していられるのだろうか?
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とりあえず、いつまでもその場に突っ立ってても事は進まない。
ということでとにかく真っ直ぐ進むことにした。
方角やらその辺の地理情報は全く分からないものの、見える範囲に人が使うような道らしきものは見当たらない。
となれば、もともと立っていた場所にいつまでも居たら誰にも見つからずに飢え死ぬ可能性が濃厚。
もしかするとこのまま歩いても人里に辿り着けずに飢え死ぬ可能性も無くもないが、それでも行動せずに後悔するよりかは行動して後悔した方が良いだろうからな。
「はぁ〜あ。とは言うものの本っ当にだだっ広い草原だこと。日本にいるんじゃ絶対味わえないこの解放感溢れる空間というか、猿だった我ら人類のご先祖が見てきた地球の原風景というか。観光で来てたんなら今頃この風景に感動してたんだろうが、この状況じゃあ流石に感動よりも不安の方が大きいな...」
なんの情報もない現状。ただあても無く彷徨うしかない。
ざっくざっく歩みを進める。
ちょっとした雑草程の高さの草を踏みながら、ただひたすら歩き続ける。
やがて歩き続けて1時間位経っただろうか。
ふとどこかから視線を感じ、周りを見渡す。
友好的なものじゃない。むしろ敵意も入った威圧染みたものを感じた。
「なっ、何処だ?何処にいる?」
なんで向けられた視線に敵意が入ってるか明確に分かったのかという疑問、今は置いておく。
とにかく今は自己防衛が最優先だ。何処だ?相手は何処にいる?
少し焦りながらキョロキョロと周囲を見渡すと、ある一点で視界が止まる。
こちらに向かって駆けてくるチーターみたいな野獣が数匹。
いずれも黒く細い体をしているから、恐らくパワーよりかは俊敏性を求め進化した種の動物なんだろう。
数匹でこっちに来てるってことは、奴らが群れで生きてくタイプであるということも分かった。
問題はこっちに近づいてくるスピードだが、流石に自然で生きてるだけあって人間とは比べものにならない。
チーター級の時速120キロ出しちゃうような、ハナから勝負にならないような相手より若干遅い位か?
正確な速度は測れないが、多分50から60キロ位は出てるだろう。
見事に俺はそんな奴らのエサにされちゃった訳だ。
とは言っても、こんなだだっ広くて遮るもんは何もない大草原。
遅かれ早かれこの野獣らには見つかってただろうとも思う。
いずれにせよ、こんな訳のわからないシチュエーションに放り込まれた挙句、そこでお亡くなりになられましたなんて展開はノーセンキュー。
なんとしてでも生き残って、もとの営業マンの人生に戻ってやる。
え?どう見ても人生詰んでんだろって?バカやろう。理屈云々よりもまずは実行してみなくちゃ分かんねえだろうが。
「さあってと、そんじゃあ、生き残るために足掻いてみせますかねぇ...」
そう言って俺は背中に背負った鎌を構える......こともなく。
「命がけの文字通り『リアル鬼ごっこ』の開幕だぁっ!掛かって来いやァっ!!」
『コマンド:にげる』を使った。
だって、鎌持てば手に馴染むような感覚がするっていったってな。
俺は戦闘用の鎌なんて見たことも触れたこともなかった一般人。
とっさの営業トークならまだしも、武器をこんな土壇場な状況で初見で使いこなせる筈がない。
現状最も取るべき選択はただ一つ。『コマンド:にげる』なのだ。
ちょっとばかしみっともねえ気もしなくもないが、世の中なんでも全て命あっての物種だということを忘れちゃならんのだ。
泥水をすすろうが危険な猛獣に追っかけられてようが、生き残ってりゃいつかは挽回できるチャンスが来るってもんさ。例え今の状況が絶望的にヤバイとしてもな!
「かはっ、こりゃちょっと、やべえかもか、?」
全力疾走してるせいですぐに息が切れる。
相手の猛獣らにどれだけ距離が詰められたのかを確認しにふと後ろを見やると、あら不思議。
縮まるどころか逆に差が開いている。
一体どういうこっちゃ。
人間様の身体能力じゃあ猛獣様から逃げるなんてほぼ無理じゃないんかい。
もしかして、俺が知ってる常識って通用してない?
実を言うと策も無いから半ばヤケクソで全力疾走したんだが。
「もしかすると、これならほんとに、生き残れるかも?」
だとするなら、この現象の原理は不明だとしても利用しない手は無い!
とにかく全力疾走で駆ける駆ける駆けまくる。
時折奴らの方を見やると、どんどんと差が開いていくのが分かった。
これならイケる。本当に俺が生き残れる希望が見えてきた。
やがて、追っかけてきていた野獣の姿が完全に見えなくなるまで走ったところで休憩する。
流石に30代後半のおっさんがここまで全力疾走するってのも本当にキツイな。
汗が出て止まらないし、呼吸も中々整わない。
やっぱり人間が走り続けるような距離じゃねえ。......というかちょっと待て。
「なんで30後半の俺がこれだけの時間駆け続けられたんだ?てかそれ以前に、幾ら常識が通用しないっつっても、明らかに人間離れの域超えて異常の域に入ってんぞ」
野獣たちもさっき言ったように、走る速度が極端に遅かったわけじゃない。
俺の体力なら多分、追いかけっこしても10秒持たずに捕まって食われる自信がある。
それがこうして、互角どころか圧倒的な差を付けて振り切ってしまったのだ。ナゼナニ?ドユコト?
「...考えてもわっかんねえな。こういうとき、よくファンタジーを読んでる後輩くんがいりゃ、何か多少のヒントになりそうなアイデアや意見でも貰えたんだろうが...」
残念ながら、ヒントをもらえそうなその後輩社員は身近にいない。
生憎と自分は主に、ミステリー等の文学作品と心理学やら営業回りのコツ、それと日に日に進歩していくIT機器の使い方の手引きといった、自分の仕事に役立ちそうな実用書くらいしか読んでないのだ。
クソ、こんなことならファンタジー系の小説にも手を出しておくんだったな。今更後悔してももう遅いんだがな。
とりあえず、現時点では野獣に食われる心配が無くなった。
さっきは土壇場で使えるはずがないと思って封印した背中のデカイ鎌。
何もしないよりかは多少でも触って感触を確かめた方がマシだろうと思い、改めて手に持ってみる。
どう見ても自分の背丈くらいにある。でけえ。とにかくでけえ。
しかもコレ、素人目に見てもこれは下手な鍛冶屋が打った物じゃないのが分かる。
実に作りがしっかりしてらっしゃる。
どういうわけか違和感なく体に馴染んでるってのもあるんだろうが、それにしたって鎌全体の重心の位置がしっかり考えて作ってあるんだろう。持ち手としてはものすごく持ちやすい。
その上、ものすごく冷たい鋭利な刃の部分。
かぁー、久々に少年時代の憧 れ 心を刺激するカッコよさじゃないか。
狩った獲物の血が刃に滴っていたら途端にスプラッターもんのR18G武器だが、今はただ白銀の刃に光を反射するだけである。
見てるだけで心がヒヤッとするような冷たすぎるその切っ先。
命を刈り取る武器でありながらも、作り手の技術と武器に備わった美しさが見事に両立してるというか。
コレって実は相当の名品に相当するんじゃないか?改めて見たら見事に惚れちまった。
もとより俺の命沙であり手放す気はないとはいえ、改めて絶対手放さないようにしよう。
さて、とりあえずは自分の体の覚えているままに鎌を持って構えてみる。
戦闘用の構えというやつだ。俺の体は柄の方が上に、反り返る刃が下に来るように構えている。
なるほど、もともと鎌は草を刈り取るための道具だ。
鎌がデカイとこうやって立ったまま草を刈れるってわけか。
ってーことは、死神が鎌を持ってるのもニュアンス的にはこれと一緒ってことであってるのか?
と思ってると、無意識に鎌の柄をブンブンぶん回してさっきとは逆の配置に来るように構えなおした俺の体。
今度は両手で柄を持っている。
若干片方の足を後ろに置き、鎌も刃が自分より後ろに来るようになっている。
あれ、こっちが本来の戦闘用の構え方なの? じゃあさっきのは完全草刈り用の構え?
まあいいか。つまりはこれで勢いつけて、一気に前に向かって振り抜く姿勢ということか?
試しに力一杯に一振りしてみる。結構な勢いで振り抜いたおかげで、とても綺麗な風切り音が響く。
おぉう、こりゃすげえ。鎌自体もものすごく振りやすいし、どういうわけか完全に適応しちゃってる俺の体の鎌使いの才能が素晴らしい。
「なんつうかこれ、実はパワーバランス壊すレベルで結構な強さを持ってるんじゃ...」
さっきの野獣の件といい、見たことすらなかった鎌をこうして楽々と扱えてることといい、色々と規格外な要素を俺の体は有してしまっているのではないだろうか?
だとするなら俺の生存率が高まるわけだし素直に歓迎しよう。
が、ここで気を抜くと多分エライことになるんだろうなぁ。
何しろ、恐らくさっきみたいな”人を殺せそうな”野獣がウロチョロしてるっつうことを考えると、気を引き締めてかないとせっかく高まった生存率がまた下がってしまうだろう。
自分から死を呼び込むような真似をするのはアホ。
次に奴らみたいな野獣と遭遇した際に今度は迎撃できるように、鎌の扱いには今のうちに慣れておいた方が良いな。
あとは、アレだ。肉も狩らなきゃだし...。