一望千頃(いちぼうせんけい)の陣営地
―――玄関の引き戸を開けると目の前にフローリングでできた廊下が現れる
玄関のすぐ左がダイニングルームになっていて
8畳ほどの広さの部屋に大きなテーブルが一つ、椅子が四つあった
その部屋に10代前半ぐらいの子供が二人居た
一人は頬を押さえて倒れており
もう一人は拳を握りしめて呆然と佇んでいる
色の無い世界でエリオは佇んでいる子供だった
面白くないと思った
何がと聞かれると困るのだが何かが面白くなくて
そうしてこの事態が起こったのだとエリオは考えていた
「エリオ、エリオ!お前また手を出したのか!何度言ったら分かるんだ!」
声のする方を振り向くとそこにはあちこちが尖った化け物がいて
俺の事を叱りながら何度も全力でぶってきた
「痛い、痛いよ父さん」
「お前が何度言っても同じ事を繰り返すからだ!ああ!?止めろと言ったら
止めろ!17歳にもなってお兄ちゃんが可哀相だと思わないのか!」
兄貴が可哀相だとは思わない
いつもあいつが先にちょっかいを出してくる
なのに怒られるのはいつも俺だった
「痛い、痛いよ父さん、、、
痛い痛い痛い痛い痛いって言ってんだろボケこらぁ!!」
父さんと呼んだ化け物に殴りかかった所でエリオは飛び起きた
「夢か、、、」
昨日とは別の悪夢を見た俺は川に飛び込んだようにびしょしょに汗で濡れた
服と体をどうしようかと考えていると昨日のベルの言葉を思い出した
「たしか朝から風呂に入れるんだっけ、、、」
ちょっと違った気もするがそんな事を言っていた気がする
濡れたままの服を着てままでは気分が悪いと思い天幕の中を見渡すと
幸いな事に服はいくつか畳まれておいてあったので早速袖を通してみると
随分サイズが大きいかった
そして草原のようなさわやかな香りがした
「これユーリ団長の服かな」
ほかに着るものもないのでだぼだぼなシャツだけ借りる事にした
濡れたパンツも脱ぎたいけどどうしようか
まあいいかしばらくノーパンでも
俺はパンツだけ脱ぐと素肌の状態でジーンズを履いた
幸い寝る時にジーンズは脱いでおいたので乾いた状態だ
準備万端。
光が漏れている場所まで近づき
上から垂れ下がった布を自分が通るのに邪魔にならない高さまで捲り上げた
そうすると光が視界に覆いかぶさる
思わず目を瞑り更にその上から手のひらで覆う
ゆっくりと目を開いていくとそこには想像以上の光景が広がっていた
まず天幕がある それは無数に等間隔に規則正しく並んでいた
周りには布でできた屋根に何やら書かれた幕が下がっており
天幕と言うよりは露店のようなものが立ち並んでいる
その下の机の上には食べ物がどっさりと置かれた露店もあれば
ぎらぎらと光る武器が大量に置かれた店もある
「まるで町だ、、、」
俺が想像していた陣営地はもっと無骨で髭モジャの中年が
小汚くやすっぽい天幕で歩くこともままならない程
敷き詰まって眠っており
それ以外の中年は酒瓶片手に喧嘩しているようなイメージだ
だが実際には髭モジャがいない
ついさっきまで一人いたが小奇麗な青空理髪店ですっかりそり落としていた
そしてどの天幕も小奇麗にされており中には小さいながらも眠るのに十分な
ベッドが用意されていた
だが酒に関してのイメージは大体合っていた
酒樽が机替わりの簡単な飲み屋に男達が折り重なって寝ており
それを枕替わりに未だに酒を飲んでいる男がいる
「団長だ、、、」
今は戦争状態じゃないのか?
朝から、否、昨日の夜からずっと飲んでいるんだろう
とても今日会合に行く姿とは思えない
今更だがこの世界に来て随分目が良くなった
目だけじゃあない、耳を澄ませば一里先の団長の鼻歌も聞き分けられそうだし鼻は1里先でユーリ団長が飲んでいる酒の種類まで当てられる
ちなみに鼻歌は支離滅裂でよくわからなかったが
飲んでいたのはおそらく麦酒だ
これらの変化も女神の加護のおかげだろうか
辺りの景色を眺めているとくしゅんとくしゃみが一つ出た
そうそう本来の目的を忘れる所だった
俺は出てきた天幕の近くを歩く人に声をかける
「すいません、この辺にお風呂があるって聞いたんですけど」
声をかけたのはまだ若い、俺と年は一緒ぐらいだろうか
「風呂?風呂なら川の隣にあるあの天幕だよ、、、
あんた見ない顔だな新入りか?」
「ああ昨日から、、、いや、まだ入った訳じゃあなんだけど
まだ分からないことだらけでさ、教えてくれてありがとう」
「いいって事よ!俺はロラン、俺もこの間入ったばかりでさ
これからよろしくな!」
ロランと名乗った若い男はそういうと右手をこちらに差し出した
いや俺はまだ入ると決まった訳じゃあないんだけど
と思ったがいちいち説明するのも面倒だ
新人同士仲良くなろうぜと言う雰囲気にまかせてその手を掴んだ
「こちらこそよろしく、俺はエリオだ、、、
悪い急いでいるからこれで」
「ああ!戦場で会ったらよろしくな!つっても戦場でする事なんてたかが知れてるけどな!」
戦場でできる事はたかが知れているとはどういう事だろう
やはり新兵には大した役割は与えられないのだろうか
もう少し話をしてもよかったなと思いながら俺はロランに教えてもらった方向へ歩いて行くとすぐに他の天幕よりも二回りは大きい天幕の前にたどり着いた
川のすぐ隣にあり天幕の隙間からは湯気が立ち上っている
良く見れば川の横に溝が掘られており
そこに木でできた水路がはめ込まれている
そこへ流れる水は天幕の中まで伸びていた
何と充実した駐屯地なんだ
ここでなら何年でも暮らしていけそうじゃあないか
逸る気持ちで天幕の中に入るとそこには
3段に別れた棚が左右に用意されており
棚には等間隔に籠が置かれていた
外から見た天幕の様子からは随分小さいその空間の先に
もう一つ布で仕切られた空間がある
ここはおそらく脱衣場だ
注意深く見るといくつかの籠には衣服が放り込んである
本当はもっと注意深く見るべきだったのだが今となってはもう遅い
俺はいそいそと服を脱ぐとひゃっほーいともう一つの幕を捲った
中に入ると辺り一面に湯気が立ち上りまるで霧の中に居るようだった
それでも一歩一歩歩いて行くと足元に湯船が張ってあった
ひゃっほーいと湯船に飛び込んでひゃっほーいとはしゃぎまわる
ひゃっほーいなんて広い湯船なんだ
なるほど地面を掘り下げてそこに水路から流れる水が溜まるようになっている
大きな湯船の中央にボイラーがありその熱で水を湯に変えているのか
あれ、けどずっと川から水が入ってきたらいつまでたっても温まらないんじゃ
「水が湯船に溜まったなら水路に栓をする。
排水は逆に川へ流れて行く水路への栓を外す
野営地なのに立派な施設でしょ」
聞き覚えのある声に話しかけられて周りを見渡すと
辺り一面を覆っていた湯気が何故か急激に晴れていく
すっかり周りが見渡せるようになって俺は目の前に金髪ポニーテールと隻眼の月下美人が一糸まとわぬ姿で居る事に気付いた
「いやぁああああああああああああ!!」
ベルが奇声をあげながらこちらになんでもかんでも投げつけてくる
「いや!違うんだ!だってお前が朝から風呂に入れるって言うから!」
「誰がそんな事を言ったぁ!このバカエリ!!」
「バカはおまえだろ!朝から風呂に入れるって、、、
あれ今思えばちょっと違う気がするかも」
「朝は風呂に入るなって言ったのよ!いいからさっさと出て行きなさい!」
湯冷めしちゃうだろと思ったが今回は俺が悪い、、、多分
いそいそと出て行こうとするとキーリさんから声がかかった
「エリオくんいいわよ温まるまでゆっくりしていって
そもそも傭兵の野営地に女湯を作ろうなんていうのが贅沢な話なんだから」
「はああああ!?副団長それはおかしいでしょ?普段は混浴でも
朝だけは女だけで使えるように交渉したのにこいつの事を許したら
全部ぱぁになっちゃうじゃない!」
「それよ。元々なかったのにベル、あなたのわがままで用意したんじゃない」
「副団長はいいの!?こんないやらしい事しか考えてない馬鹿と一緒の湯船に入る事が?」
「別にいいじゃない。同じ傭兵団の仲間なんだから。ああ、まだ入団するかは決まってなかったわね」
キーリさんはフォローしてくれたが俺自身が気まずいここは引くべきだと思う
「あの、ごめんなさい、ちょっと気が抜けてました。今回は本当に俺が悪いと思います、、、すぐに出ますね」
「当たり前よ!バカエリ!さっさと着替えてさっさと外に出なさい!
今日は一日中付き合ってもらうから覚悟しなさいよ!」
浴場にベルの声が響き渡る
あいつと一日中一緒にいると思うと今から気が重い
言われた通りにさっさと脱衣場に舞い戻りいそいそと着替え始める
説明してくれるのはキーリさんじゃあだめなのかな
団長と会合とか言ってたけどその団長は未だに酒を飲んでたし
そんな事を考えていると奥からキーリさんがバスタオルを巻いて出てきた
すらりとした手足はいくつもの切り傷と浮き出した筋繊維で構成されており
そして片方の目には深い切り傷が刻まれている
端正な顔立ちをしたキーリさんに不釣り合いだと思った
「おはようエリオ君 あなたへの女体への探求心はただただ自然発生的な
物だって今日理解したわ もう吹っ飛ばしたりしないから
たぶんね」
皮肉なのか本気なのかこんな状況でもキーリさんのペースは乱れない
どっかの金髪とはえらい違いだ
「すいません、、、寝てる時に汗を掻いて
どうしても体を洗い流したかったんです
けどベルからの話をちゃんと聞いてなくて」
「あの子も一方的な話方をするものね
、、、ねえエリオ君、君はあの場所に転生してきたって言ってたわね」
なんだか真面目な雰囲気に背筋が伸びるようだったが
バスタオル一枚のキーリさんの前でそれをする勇気はない
着替えはすでに済んでいたがなるべく不自然にならないように
竹のような素材でできたベンチに腰かけて足を組んでから応答した
「はい、荒唐無稽な話なんですけど、俺は本当につい昨日までは
こことはまったく別の場所に居たんです
だからここで見るものは何もかも新鮮で、、、」
「そう、だとしたらエリオ君、今日のベルの話は良く聞いて
私もね、団長に会うまでは別の世界に居たの
まあ別の世界って言うのは例えなんだけど
ともかくそれくらい劇的に生活が変化した
エリオ君がこことは別の世界から来たというなら
それには意味があると思う
団長はああ言ってたけどあなた自身がしっかり考えて
その上でここに残るかどうか
選ばなければならない
、、、まあ私としては入ってくれた方がうれしいけどね」
最後の一言を言い終えるて、にっこり笑ってこちらを見つめてくる
キーリさんにドキッとした
だが浮かれてばかりじゃいられない
キーリさんが言う事はもっともだ
俺がこの世界に来た目的
そして傭兵団に入るか否か
よくよく考えなければならない
、、、だが行く当てもない中でどうせならキーリさんの近くに居るのは
悪くない考えだと思う
「わかりました、一語一句聞き逃さないようにしっかりと聞いた上で
この先の身の振り方を考えます、、、キーリさんは会ったばかりなのに
なんというか、すごい面倒見がいいんですね」
馬鹿エリオめ、もっと気の利いた事を言えないのか
面倒見がいいんですねだって、なんともそっけない返し方だ
「私は団長に良くしてもらったから
だから私が関わった人には団長にしてもらったようにしてあげたいの」
どこか遠くを見つめるように語るキーリさんの横顔はもの悲しげに見えた
あれ団長と言えば、、、
「そういえば団長ですけどさっきまで酒場みたいな
露店で酒飲んでましたよ」
キーリさんの雰囲気が急に変わる
「この時間まで!?ユーリ、、、教育が必要ね」
そう言うとさっきまでバスタオル姿だったのに
いつの間にかキーリさんは服を着ていて
じゃあねエリオ君良く考えてと聞こえた気がした時
すでにキーリさんはそこにはいなかった
「なんちゅうスピードだ」
「着替えたらさっさと出ろって言ったでしょ!なんでまだいるのよ!」
心から湧きあがるものをキーリさんの言葉を思い出してぐっと飲み込む
そのまま黙って外へでて待機することにした
しばらく待っていると中からベルも出てきた
今日は昨日の甲冑姿と違い見るからに軽装で
甲冑を着ていない時と比べて随分華奢に見えた
「何じろじろ見ているのよ!いい!今日あんたを案内するのは団長に言われて仕方なくなんだから!終わったらそのままどこへでも行きなさいよね!」
昨日も似たような事を言われたなと思いつつ今日は
はっきりとベルに思いを伝える
「ベル、俺はお前の話を聞いて今後の人生をどう送るか決めるんだ
分かっているとは思うが真剣にやってくれ
そして俺はその上でどうするか決める
それがお前にとってどういう結果になろうともだ
いいな?」
うっ、ベルが上体を逸らした
だがすぐにきっ、と目じりを尖らせこちらを睨みつける
「言われなくても余すところなく説明してやるわよ!
だけどいい!?入団するまでは言えない事もあるんだから
あんまり細かい所まで根掘り葉掘り聞いてこないでよね!」
ああわかったよと返事をして目の前の光景を眺める
巨大な陣営地 守るべき領地 多くの傭兵達
胸の高鳴りは不安からか、期待からか
この異世界でどう生きていくのか
それが決まる一日が始まる