ねぶた祭りの思い出〜前編〜
八月二日 日曜日 青森ねぶた祭り、一日目
ねぶた祭りとは青森県青森市で行われる東北最大の火祭りである。
八月二日~八月七日の六日間行われ、期間中色鮮やかな巨大山車が特定のルートを豪快にまわる。
そして前夜祭が終わった次の日、ねぶた祭り初日の十五時、片岡誠司は退屈と戦っていた。
「暇だ」
隣で読書に励む熊木一助に向けてポツリと呟いた。
当の熊木は片岡の言葉は耳に入ってないかのような振る舞いで読んでいる本のページを捲った。
片岡と熊木、矢島と委員長の四人は青森市から少し外れた栄山の麓で許可を得てキャンプをしている。
旅館に泊まるよりこの方が落ち着くのだ。
「休み貰ってもよ、この一年半で娯楽を忘れた俺達にどう過ごせっつうんだよ」
ペラリと乾いた紙の音と、風が耳を撫でる時の音だけが聞こえる。
「委員長はどこいったんだ」
「彼女とホテルに向かったぞ」
熊木は本から目を上げずにそう応えた。
「ちっ、後藤の刑だな。矢島は?」
「温泉と銭湯巡りだそうだ」
「あいつの風呂好きも相当だな」
「この六日間で全制覇すると意気込んでたな」
ねぶた祭りが終わる頃には肌がピカピカになっていそうだと片岡は思った。
「熊木はさ、どうすんだ?」
「後で親父と従姉妹が来るからそれの相手だな」
「ふ〜ん」
しばしの沈黙、そして悪戯を思い付いた童のような笑みを浮かべて告げる。
「それ、俺も一緒に行くわ」
熊木があからさまに不機嫌な顔になった。
――――――――――――――――
二時間後、青森駅前
熊木の家族を駅まで迎えに行った時、既にそこには目的の人物が到着していた。
軽く挨拶を交わした後早速片岡が自己紹介を始めたのだが。
「どうも、僕は片岡誠司といいます、熊木……一助君の親友をやってます」
片岡が気持ち悪い。エイリアンにでも身体が乗っ取られたのかって疑いたくなる程に気持ち悪いと熊木は思った。
熊木はおぞましさから片岡と三歩ぐらいの距離をとった。
「これはご丁寧に、私の名前は熊木宗四郎、この一助の父親をやっております」
父親の宗四郎は息子の一助と同じく体格に恵まれており、名前の通り熊のような印象を見る者に与えた。
続いて宗四郎の隣に控えている小柄な少女が挨拶をする。
赤みがかった髪が目を引き、吊り目と不敵な笑みが勝ち気なイメージを起こす。
「ほな次はウチやな、村井静流っちゅうんや。そこの一助とは従姉妹の関係やで。今年の十月で十四歳になるからよろしゅうな」
関西出身者特有の喋り方だ。
「いい友達を持ったようで俺は安心したぞ、よかったな一助」
「騙されるな親父、こいつの本性はもっと意地汚い」
と熊木が片岡の猫被りを指摘しようとした矢先、静流が跳び上がってその頭をバチンとしばいた。
「こら! 一助、友達の事は悪く言うもんやない! 大事にせなあかんで、暴力とか尚の事や」
「従兄弟の頭を叩くのはいいのかよ」
ボヤく熊木。
「さあこんなところで立ち話もあれですし、まずホテルに荷物を預けて観光しましょう……あっ荷物は俺が……僕が持ちますよ」
本当に片岡が気持ち悪い、熊木の体内でアレルギーに近い何かが生まれそうであった。
「そういえば、お父さんはどんな仕事をしているんだ……ですか?」
ホテルに向かう道すがら、片岡はガラにもなく何でもない雑談に華を咲かせようとしていた。
段々猫被りに無理が出てきている。
「今は経営者と言うべきか、今度新しく経ちあげる警備会社の社長をやる事になっている」
「社長!? まじでかスゲエ!!」
化けの皮が剥がれた。
「おい熊木、お前の親父すげえな」
「それはいいが、猫被らなくていいのか?」
指摘すると片岡は「あっ」と言ってから軽く咳払いをして再び気持ち悪い片岡に戻った。
「ところでその会社の社名は何て言うんですか?」
「株式会社ジッパーだ」
ボソッと片岡が「変な名前」と呟いたのを熊木は聞き逃さなかった。
熊木自身、その名前は変だと思っている。
「へ、へえ……由来とかあるんですか?」
「ああ、社名を決める時なんだが……あまり大仰な名前にすると名前負けするから、まずは少しダサい名前にしようと思ってな」
「ほうほう、一理ある」
「その時ふと自分のズボンのチャックが空いている事に気づいて、株式会社チャック……いや株式会社ジッパーにしよう……というわけだ」
「ごめん熊木俺よくわかんなかった」
「安心しろ片岡、息子の俺ですらこの親父の思考は読み取れん」
「なあなあはよいこうやー」
いつの間にかかなり前を歩いていた静流に小走りで追いついて四人は二列になって肩を並べる。
ホテルまではまだ少し距離がある。
――――――――――――――――――――
同じ頃、青森市東部にて。
長細い煙突と青い瓦屋根が目印の銭湯の暖簾を潜ってホクホク顔の矢島が出てくる。矢島は体から仄かに湯気をたゆたせながら乾ききっていない黒髪を日光に晒して自然乾燥を試みた。
続いて、付近の自販機で炭酸飲料を購入して喉を鳴らしながらそれを飲み干した。
「ふぃ〜、この一杯がたまらん」
尚、この発言は本日二度目である。
空き缶をゴミ箱に捨てて次なる湯浴みへ向かわんとした時、思いがけず知り合いに出会った。
「これは矢島さん、奇遇ですね」
「花恋さん、一人でいるのは珍しいですね」
ミーナの護衛兼世話役の郁島花恋だ。
背中まで伸びる茶色の髪は陽光を照り返して輝き、角度によっては金髪に見える。
クリーム色のレースプリーツロングスカートに薄い赤と白のストライプ柄のシャツ、青いスニーカーを履いてカジュアルなファッションに身を包んでいる。
色合いは地味ながらもその分彼女の魅力を十二分に引き出していた。
「お嬢様からお暇を頂きまして、少し市中をぶらぶらと歩いていたのです。そちらは、お風呂ですか?」
「そうですよ、銭湯巡り〜二軒目で既に体がフニャフニャですけど」
全身に上手く力が入らず一挙手一投足に違和感がある。普通に歩くように見せかけるのはできる。
「あまり無理をなさらないで下さいませ。矢島さんもお嬢様の選んだ婿候補なのですから」
「うんありがとう、気を付け……待って婿とか初耳なんだけど」
「矢島さんの知性、状況判断能力、咄嗟の決断力、何よりひたむきに努力できる姿勢をお嬢様は高く評価しておられます」
直球で褒められた事が無いため(ここ一年は罵声ばかり)恥ずかしさと照れから矢島の動悸が早くなり顔も赤く変色していく。
「家柄も考慮すると今の所矢島さんがお嬢様の最有力婿候補となります」
「そ、そうなんだ」
最早花恋の顔を直視出来ない程に心臓の動悸が早い。
「まあお嬢様の戯言ですのであまりお気になさらず、今は何も考えず休暇をお楽しみください」
「そうだね、最後の安心できる連続休暇だもん楽しまなきゃ」
「ええ、そうだ矢島さんさえ宜しければ私も銭湯巡りにご一緒してもよいでしょうか?」
「いいですよ、じゃあまずお風呂セット買いましょう」
「はい」
こうして矢島はねぶた祭りが始まるまで花恋と銭湯巡りをして過ごす事となった。
デートと言える程色っぽいものでは無い、矢島も花恋もただ楽しかった思い出を作ろうとしての事だ。
この先のもしものために。
そもそも学校側が用意した連休はそのためである。
実戦が始まる二年目後半からは確実に死者が出る。つまりいざ自分が死ぬ時のために楽しい思い出を作っておけという事だ。
戦術論の森田が言うには、敵に囲まれ味方の死体を踏みつけながら逃げる時、どうしようもなく心が折れそうな時、そんな時に己を支えるのは誇りでも力でも無く、楽しかった思い出なのだそうだ。
その楽しかった思い出があればこの世界も悪くないと感じて戦う気力になるらしい。
まだ実戦を経験していない士官学校生にはピンとこない話であった。