フィリピン撤退戦〜弐〜(山岡編)
四月四日 十一時三十二分 ケソンシティ
クラーク国際空港から南東へ約九十キロメートル、フィリピンの首都マニラの隣にあるケソンシティと呼ばれる街に来て早くも二日が経とうとしている。
現在は哨戒中のエンジェル他数名を除いた全員で食事をとっているところだ。
「おお! この缶詰美味しい! ちょっと薄味なのがニクいね。醤油とかかけたいなあ」
「おい山岡、それ猫缶だぞ」
「えっ! マジ?」
若宮に指摘され、山岡は手にした猫缶を床に置いた。
「いやでも美味しいものは美味しいからいいじゃないか!」
と再び猫缶の中身をガツガツと食べ始めた。
その光景を呆れながら見ていた若宮がポツリと呟く。
「腹壊してもしらんぞ」
「僕にその心配はナッシング」
「それもそうか」
山岡達がいるのはケソンシティにある雑居ビルの中、エンジェル小隊と共にここに身を隠している。
空港から脱出した後必死の思いでこの街に到着、街を移動中に襲ってきた奇獣との戦いで更に二人が死んだ。
今頃その二人の死体は奇獣に食い荒らされて見るも無残な姿になっているだろう。
ここで怪我の治療をしつつ武器の点検、更に情報収集と周囲の索敵に昨日丸一日使った。
食料は近くのスーパーやコンビニ等に残っていたものを拝借させてもらった。お金はあいにく日本円しか持っていないため、それぞれのお店のレジに諭吉を一枚か二枚引っ掛けて退散した。
足りない分はエッツェル研究所、株式会社ジッパー、志津馬警備会社のいずれかまでお願いします。
というメモも残しておいた。
「うるせえぞてめえら! 飯ぐらい静かに食え!」
突如吠えだしたのはエンジェル小隊の隊員の一人、名前は松尾と言い、エンジェルと違い痩せ型で細身の男だった。
周りを見ると、他の小隊メンバーも煩わしそうな瞳でこちらを見ていた。
「すいません、あっ松尾さんも猫缶食べますか? 美味しいですよ」
「ふざけるな!」
松尾は山岡の差し出した猫缶を裏拳で弾き飛ばした。中身をぶちまけながら猫缶がコロコロと転がり、壁にぶつかって止まる。
「あ〜、もったいない」
落ちた猫缶を拾い集め、レジ袋に入れていく。
三秒ルールはもう適用されないな、と思った。
「全く、救援もくるかわからない状況でよくそんな呑気にいられるぜ」
と松尾が口にするのを皮切りに、次々とエンジェル小隊のメンバーが愚痴をこぼしていく。
「実戦をろくに知らないんだよ、だから素人のガキと戦いたくなかったんだ」
「次からは混成部隊はお断りだ」
「つうかこのガキ共のせいで俺等の仲間が死んだんじゃねえか」
おっとそれは言いがかりだ。
と思いながら新しい猫缶を開けて食べ始める。
「おい猫野郎」
松尾が猫缶をひったくり、逆さまにして中身を山岡の頭に落とす。
山岡は頭に乗った分を口にしてゆっくり咀嚼する。
大丈夫、床に落ちてないからセーフ。ちょっと頭が生臭いけど。
そんな態度が気に入らないのか、松尾は山岡の胸倉を掴んで無理矢理立ち上がらせた。
松尾の方が背が高いため、山岡は自然と爪先立ちになる。
「ちっ、ふざけやがって。てめえみたいな浮ついた気持ちで来てるど素人が足を引っ張ったせいで仲間が死んだんだよ!」
だからそれは言いがかりである。
はぁと嘆息する。
「なんだそんな事か、たかが仲間が数人死んだだけで何を落ち込んでるんです。そういうのは帰ってから家でやってください」
というと松尾の胸倉を掴む力が更に強くなった。
「仲間だぞ! 家族のような奴らが死んだんだぞ! それをてめえはそんな事と! たかがと言った! てめえは仲間を失った事がないからそんな事を言えるんだ! てめえみたいなゴミ野郎に俺達の気持ちがわかるかよ!」
イラッと山岡の中に込み上がるものがあった。
「わかるさっ!」
山岡が叫ぶ。
ビクッと松尾の肩が震えた。それは他の小隊メンバーも同じだった。唯一動じてないのは若宮ぐらいだ。
「わかるさ、僕達も仲間を失った。まだ子供だった、未来に希望があった! 夢があった! 結婚を誓い合ったカップルもいた!」
山岡の中に沸々と煮えたぎる暗い情がある。それは重く心にのしかかり、理性を奪い感情的にならせていく。
「でも皆死んだ、事故じゃなく、奇獣にでもない。皆、身勝手な大人の理不尽な都合に殺された!」
そして山岡のその心は外見に明白な変化をもたらしていく。
「おいてめえ、その目」
自分ではその変化に気づけない、だが松尾の若干怯えた声と言葉で何となくの察しがついた。
「目の色、金に変わってますか?」
コクンと松尾が頷いた。
「これも大人の理不尽な都合が生んだものです。僕だけじゃない若宮も」
小隊メンバーが一斉に若宮を見る。若宮は気にする風でもなくただ淡々と缶詰を食べていた。
「殴って気がすむならどうぞ殴って下さい。出来れば戦闘に支障がない程度にお願いします」
「いやそれは……」
興が削がれたのか、松尾はゆっくりと山岡を床に下ろした。
「さっきは言い方が悪かったです。すいません。でも悲しむのも悼むのも生きて帰ってからにしてください。死んだ彼等もあなた達がここで嘆き悲しんで足踏みして欲しくは無いはずです」
「頭ではわかっているんだ。でもどうにもならない、この気持ちはどう折り合いつければいい」
この人達は本当に仲間を大事にしている。それは小隊長のエンジェルの方針によるものだろう。
エンジェルならこういう時どう言っただろうか、こんな状況は今までにもあっただろう、その時はどうしたのだろうか。
あの人なら持ち前の気の強さで、悲しむ暇もない程強引に引っ張ったかもしれない。
今ここにエンジェルはいない、尋ねられたのは自分だ。だから自分なりの答えを彼に提示しなければならない。
「今どうすればいいかなんて僕にはわからない、でも僕なら、彼等の健闘を称えて生き残ります。少なくとも彼等は死んで欲しいなんて思ってないだろうから」
「そうか……お前も、隊長と同じ事を言うんだな」
――――――――――――――――――――
エンジェルが帰ってきたのはそれから間もなくの事だった。
「救援が来る」
それが第一声だった。その言葉に力付けられた小隊メンバーが次々にエンジェルへ駆け寄った。
「本当ですか隊長!」
「俺達助かるんだ」
「いつ救援が来るんですか?」
「うるせえんだよてめえら!」
エンジェルの恫喝一回で室内がシーンと静まった。少し滑稽で笑えてくる。
エンジェルは静かになったのを確認すると、一度咳払いをして言葉を続けた。
「さっき哨戒中に静森小隊……あぁ〜、昨夜滑走路で俺達の隣で弾幕を張った小隊の副隊長に会ったんだが、そいつらここから南西のマニラにあるテレビ局を使って国連軍に救援を要請したらしい」
「おぉ」と歓喜の声が上がる。
「だが国連軍はそれに応じなかったらしい」
そこで小隊メンバーから怒りの声が上がった。「何故だ!」や「ふざけるな!」等、言っても詮無き事だった。
そして山岡には国連軍が救援を断った理由に目星をつけていた。
「僕達は囮、というわけですね」
「おそらくな」
オーストラリア大陸が占拠された後、国連軍はマレーシア、カリマンタン島まで後退した。
ニュースではやっていなかったが、情報通のエッツェルから戦況は芳しく無いことを聞いていた。
そしてつい最近カリマンタン島を廃棄して撤退したのだろう。
その後の国連軍の動きはわからないが、国連軍は自軍が安全に撤退するために奇獣をフィリピンに引き付けさせたと思われる。
それはオーストラリア陥落から一ヶ月も経つのに、フィリピンの住民の避難が未だに終わっていない事からわかる。
奇獣は餌(民間人)が一杯いるフィリピンへ侵攻、更に時間を稼がせるために警備会社を雇ったものと推測する。
「くそっ! 奴ら俺達を何だと思っていやがる!」
悔しさから松尾が床を拳で打ち付けた。二回床に叩きつける前に山岡がその拳を受け止める。
「良く言えば盾、悪く言えば捨て駒。どっちにしろ死んでもいい存在だとは思ってますね」
「クソがっ!」
「だから打ち付けちゃ駄目だって」
山岡が抑えてる方とは逆の拳を床に叩きつける松尾、今度は近くの小隊メンバーが抑えてくれた。
「さてと、国連軍に断られた静森小隊だが、今度は警備会社の総本山の美海市に救援を求めたそうだ。奴らの本社もそこにあるから一縷の希望を託したんだろうな。
そしてその希望は叶った。エッツェル研究所が主導で救援部隊をかき集めて編成してくれるそうだ」
再び「おぉ〜」という歓喜の声が上がった。
しかし山岡と若宮はエンジェルの言葉に引っかかるものを感じて顔をしかめた。
「小隊長、先ほどかき集めてと言ったが、それはつまり救援部隊に参加する会社や部隊が少ないという事か?」
若宮のその言葉でピタッと浮かれた空気が吹き飛び、代わりに緊迫した空気が部屋を満たし始めた。
「ああ、少ないそうだ。現状参加が確認出来たのは俺達の志津馬警備、エッツェル研究所、株式会社ジッパーの三社だけだ。静森小隊の会社は参加しないらしい」
それはつまり静森小隊は勤める会社に見捨てられたという事。
「それはキツイな、志津馬警備はともかく僕の所属するジッパーと研究所は戦闘員が少ないですしね」
「そうだ、だから俺達の方でも独自に動く必要がある。まず一つは周辺に散った他の小隊と合流する事、これは今静森小隊がやっている。そしてもう一つはクラーク国際空港の奪取だ」
「成程、救援部隊の輸送機が安全に着陸するための場所を確保するわけですね」
「いや松尾さん、それだけじゃない。それだけならマニラにある二ノイ・アキナ空港でいい。一番の目的は豊富にある弾薬ですね」
「ああ、空港を奪取した後そこを防衛するための弾薬が必要だ。まっ、まだ残っていればの話だがな」
二ノイ・アキナ空港よりは可能性はあるだろう。
そしてここから僕達の反撃が始まる。
捨てられた僕達が命懸けで行う精一杯の反撃が。