正しき炎
腕を伸ばしたが、それが届く事はなかった。
また命を救えないのか。
こんな、悪人すらいない状況の中でも、人ひとり救えない程の無力さを感じた。
いや、それは違う。
もう人が死ぬのは嫌だ。
ダージリンの体が炎と化していく。
柵を乗り越えた時、スピルシャンは再び現れた。
姿勢を真下へ向け、一気に降りていく。
落ちる怖さなど、ない。
突き抜ける風を切り、無事、ユータを抱き締める事に成功。
だが、落ちている事には変わらない。
スピルシャンとなったダージリンはともかく、ユータは地面との衝撃に耐えられないだろう。
二人で落ちていく中、ダージリンは炎を真上に放った。
一直線に伸びた炎は不可思議に、クレア・タワーの柱に巻き付く。
炎の縄が効いた所で、ダージリンが引っ張ると縄は大きく撓り、二人を引き戻し、ぶら下がった。
「……や、やった」
ダージリンは一息ついた。
顔をユータに向けると、瞑ったままだった目が開いた。
やっぱりまだまだ子供だ。
目を丸くしたまま、キラキラと見つめている。
銀の仮面と宝玉の様な瞳。
それがもう綺麗で、安らぎを与える
「降りるから、掴まって」
ユータが無言で抱き着いた所で、ダージリンは炎を消して降りた。
力強く着地すると、周囲の群衆が後退りする。
目の前で大胆かつ派手な身なりをした男が降りたので、皆が注目した。
その群衆を裂く様に二人の男女が現れる。
「ゆ、ユータ!」
ダージリンがユータを降ろすと、ユミが真っ先にユータを抱き締めた。
戸惑うユータ。
だが、久しぶりの温もりを感じて、両手を回した。
そして、母の肩に涙を流した。
「ありがとうございました! 私の子供を助けてくれて!」
「本当に、感謝しかないです」
「……良いですか?」
ダージリンは数歩進んでハルタに詰め寄る。
「お子さんと真剣に向き合えば、こんな悲劇は起きなかった。貴方達にも非がある。子供を守れるのは親だけです。だから、絶対に一人にさせないでください」
「わ、わかりました……」
ハルタの肝が冷えた。
同時に、心の底に眠っていた思いが目覚めた。
その目は懐かしく、忘れかけていた恩人と同じ面影である。
――ありがとう。
涙ぐむハルタと広がる歓声。
今度はダージリンが戸惑いながら、辺りを見渡すと、群衆からエールが送られてきた。
拍手や口笛も集まって来る。
「ありがとう!」
「アンタはカメリアのヒーローだ!」
「かっこいい!」
顔が熱くなった。
人間の肌じゃないが、耳まで真っ赤になりそうだった。
恥ずかしくなってしまい、ダージリンは飛び上がって、強引にその場から離れた。
小さくなっていく英雄の背中。
ユータは父の横で立った。
「お父さん、僕、初めて会ったよ。スピルシャンに」
「……ああ。そうだな」
「お父さんも昔、スピルシャンに助けて貰ったんでしょ?」
「そうだよ。今でも覚えている。懐かしいな」
「お父さん、一体誰だろう? あの人?」
「ユータの初めての英雄『ビギンズ』」
「びぎんず?」
「そうだ。今日からあの英雄は『スピルシャンビギンズ』と呼ぼう」
火照った体は中々冷めなかった。
「……か、かゆい。帽子置いてきちゃった。取りに行かないと……」
民間の屋根の上で、ダージリンは体をかいた。
青い空からの光が海や街を照らしている。
――綺麗だ。
掌に浮かぶ小さな火。
ダージリンは街を眺めながら、亡き父に言葉を贈る。
――お父さん。まだ具体的には言えないけど、僕はカメリアを守ります。
――だから、見ていてください。
――この炎で、皆を助ける。
カメリアの街に、英雄が立っていた。
名はスピルシャンビギンズ。
正しき炎の、精霊人間である。
これで一区切り終わりました。
次回から新たなスタートです!!