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カフェの少年

 あれから、どれぐらい経ったのだろう。

 少なくとも一ヶ月くらいか。

 国王スリランカの葬式はひっそりと行われ、国民達には『殺された』という事実が静かに伝えられた。

 スリランカの体が入った棺桶を、国民の誰もが見る事はなく、一部の関係者だけが墓石に収められるのを見届けた。

 その時、喪服のダージリンは父の名が刻まれた墓石の前で蹲り泣いた。


 その横には、顔を曇らせた老夫婦がダージリンの背中を摩っていた。

 葬式が終わった後から、未だこの悲しみが抜けられない。

 いや、ずっと続いているのだ。

 父が死んだあの日から。

 七月に入り、夏が本格的になったのだが、今年はとても寒く感じた。


 今は夜だが、去年の方が暑かった気がする。

 ダージリンは薄着のまま、中庭にある椅子に座っていた。

 夜空は星々が輝いていたが瞳に映る事はなかった。

 傍の机に置かれた一杯のミルクティーも冷めている。

 飲みたいから持って来たのに、飲みたくなかった。


「ダージリン、何しているの?」


 白い寝間着を身に包んだ老婆がこちらへやってきた。

 ダージリンは顔を上げ、老婆の顔を見る。


「夜は冷えるわよ。ちゃんと上着を着なさい」

「……ありがとう。お婆ちゃん」


 髪を巻き上げたその老婆の名はクレア・アールグレイ。

 ダージリンの祖母であり、当然ながら亡きスリランカの母でもある。

 もう七十を超えたばかりだが、肌のしわは少なく、白髪一本も生えていない。

 孫と並べば親子に見えるかもしれない。

 クレアは手に持った上着をダージリンに被せた。


「さあ、もうお部屋に戻りなさい。いつ何処でダージリンの命を狙う者がいてもおかしくないんだから」

「……わかった」

「ちゃんと戸締りもしなさい」

「……うん」


 冷めたミルクティーを飲み干し、ダージリンは部屋へ戻った。

 ダージリンが使っていたカップを片手にクレアは明かりの灯った部屋へ入ると、そこには椅子に腰を掛ける老人が一人。

 机にばら撒かれた手紙を一枚ずつ覗いていた。


「皆、スリランカの死を悔やんでいる」

「エアーシャとシュガートからの返事はあった?」

「あった。先に読んでみたんだが、二人ともすぐに向かうとさ」

「あっちの仕事が余程忙しいのね」

「常に危険との隣り合わせだからな」


 老人は椅子の側に置いた杖を手に持ち、立ち上がった。

 右足を引き摺る様に歩き、クレアの前に立つ。

 口髭を揃えた強い顔はスリランカを彷彿させる。

 ジェームズ・アールグレイ。

 クレアの夫にして、ダージリンの祖父である。


「ダージリンは寝たか?」

「ええ。もう部屋に戻ったわ」

「そうか」


 再び重い右足を引き摺る。

 窓に映ったのは半透明の自分だった。

 暗黒の外を眺めながら、ジェームズは溜息を吐く。

 クレアも窓際へ寄り添い、隣に立った。


「スリランカまで……どうしてこんな事になってしまったんだ」

「もう嫌だわ。私達より若いのが死んでいくなんて」

「ダージリンだけでも生きていてホントに良かった」

「思い出すわ。ここへ来た時のあの子の顔」


 窓に手を掛けながら頭を付け、クレアは目を瞑る。

 光無き夜は王宮から都、そして南に広がる海までどこまでも包んでいった。






 翌日。

 ダージリンはあてもなく、ただ広い城内を歩き回っていた。

 外へ出る事は祖父母をはじめ、家臣達から禁じられている。

 まだMADの構成員が街の何処かに潜んでいるのかもしれないのだ。

 もしかすると城内に潜んでいる可能性だってある。


 それを懸念して、軟禁されているのだ。

 なので、やる事がなかった。

 仮にあったとしても、行動する気力がないので退屈は防げないだろう。

 ダージリンの右手には刃の無い、柄だけの刀があった。

 父が最期に託した形見を見つめながら、思う。


 ――自分らしい生き方と信念を見つけなさい。


 そう、最期にこう言ったのを覚えている。


「……父さん、僕に何が出来るの? これから……いつ死ぬかもわからないのに」


 目立ちたがる様にダージリンの目に光が差し込んで来る。

 空気の読めないお日様だ。

 今はこんなに眩しい陽光すら、真っ黒に染まって見える。

 街の人々はどうなっているのだろう。

 アクバル達は元気だろうか。


 哀情の静けさだけが伝わって来た。

 ふと視線を下ろすと、人気の無い小路で四人の少年達が腕や足を上げたり、下げたりしていた。

 一体何だろう。

 目を細めて凝視すると、その四人の少年達は一人の少年に手を上げていたのだ。

 壁にぶつけられ、倒れる少年を嘲笑い、暴言を吐く。


 ダージリンの身体は動いた。

 廊下を走り、階段を駆け下りていく。

 途中、庭で洗濯物を干すルピアをはじめとする使用人達の様子を伺い、余所見した隙に進んだ。

 正門を警備していた騎士達の視線を潜り抜け、街中へ飛び込んだ。


 そして路地を曲がった時、少年は一人座り込んでいた。

 四人の少年達はいない。

 帰ったみたいだ。

 荷物が酷く散らかり、教科書には泥が塗られている。

 父が死んだあの事件から一ヶ月くらい経ったが、もう小学生は普通に登校している様だ。


 ダージリンは少年に「だいじょうぶ?」と声を掛けてみるが、応えは無い。

 ただ座り込むだけの少年に代わり、取り敢えず、荷物を拾い、鞄へ詰める事にした。

 汚れた教科書を手で払い、落としていく。

 その最中、ノートの裏面に書かれた文字を見て呟いた。


「……ユータ……リプトン?」


 俯いたまま、少年は変わらず応えない。

 何だか、気持ちが疼く。

 少年の今の姿に、ダージリンはかつての自分と重なった。


 ――クソ王子。


 同級生達にいじめられ、塗られた汚泥の様な思いは今でも残っている。

 その汚泥をこの少年は塗られてしまったんだ。

 だが、こうしているわけにもいかない。

 ダージリンは少年の代わりに鞄を持ち、共に歩いた。

 空いた手で少年を押しながら街中を進んで行く。


 小さな背中だ。

 子供って、こんなに体温が高いのか。

 姉さん達に抱き着いた時、僕の温もりを姉さん達は感じていたのかな。

 そう考えていると、少年の足は止まった。


 目の前にあったのは、一件の喫茶店。

 店の扉には『トーマス』と書かれた看板があった。

 少年の自宅みたいだ。


「ここ? 君のお家?」


 少年は微妙に頷いたが、自宅へ入ろうとはしない。

 ダージリンは、今度は少年の手を引っ張った。

 扉が開くと同時に鳴り響くベル。

 その先に広がるのは、懐古な雰囲気が漂う店内だった。


 机は全部、艶のある輝きで、椅子も同様で、赤いクッションが付けられている。

 ランプもまた、夕焼けの様な心地よい光で照らされていた。

 お店の雰囲気に魅了され、暫く立ち尽くしていると、慌ただしく奥から店員が迎えてくれた。


「いらっしゃいませ」


 髪を短く纏めた若い女性が笑う。

 白い上着の上に、ベージュのエプロンをしている。

 すると、女性は二人を見るなり顔色を変えた。


「あれ? ユータ? その人は誰?」


 ダージリンは、その女性がユータのお母さんである事を理解した。

 視線を下ろすと、少年の顔はまだ悲しげに沈んでいる。


「もう、男がそんな顔しちゃダメよ。お父さんみたいになっちゃうわよ」


 少年の母は一息吐くと、眉と皺を寄せた。

 怖い。

 思わずダージリンも、胸が上がる様な苦しさを味わった。


「……お母さん、心配してるよ」


 少年が話しやすい様に助け舟を入れてみた。

 すると、少年はダージリンの手から鞄を奪い取ると、逃げる様に店の中、厨房の向こうへと消えて行った。


「ユータ! 聞いてるの! 返事しなさい!」


 怒鳴り声が店内に響く。

 だが、少年が応える事はなかった。


「ご、ごめんなさい。うちの子が少しお世話になっちゃったみたいで」

「……あ、い、いえ。大丈夫です」


 少年の母は気を静めると、落ち着いた様子でダージリンに頭を下げた。

 すると厨房から、今度は男性が慌ててこちらに飛び込んで来た。


「お、おい、ユミ。どうしたんだ? またお店の中で急に怒鳴らないでおくれよ」


 男性もまた、少年の母と同様の格好をしていた。

 口ひげを左右に少し蓄えており、何処か弱弱しい雰囲気がある。


「えっと、その人は?」

「あ、貴方。ユータがこの方のお世話になっちゃったみたいで」

「そ、そうか。それでユータは?」

「ただいまも言わずにさっさと家の中に入っちゃったわ」

「そ、そうか……」


 少し俯いてから、男性がダージリンの前に立つ。

 そして、男性は自分の手を前に出した。

 ダージリンもその手を握り、お互いに振り応える。


「ど、どうも。息子がお世話になってしまったみたいで」

「……い、いえ。たまたま見かけたから、それで……」

「このカフェの店主をやっています。ハルタ・リプトンです。そして妻の……」

「ユミです。息子がご迷惑をおかけしました」

「そんなご迷惑だなんて……」


 カフェ『トーマス』の主人であるハルタ・リプトンとその妻ユミ・リプトン。

 ご夫婦で経営している様だ。


「何かお礼をしないといけませんね。良かったらうちの紅茶を飲んで行ってくれませんか?」

「……い、いえ、大丈夫です。僕もう行かなきゃならないので。ごめんなさい」

「そんな事言わずに。お礼をするのは当然ですよ」

「で、でも、お金持ってないので」

「今日はサービスします。是非飲んでください」

「……じゃ、じゃあ。み、ミルクティー……お願いします」


 ハルタの気さくさに折れて、ダージリンは渋々席に着いた。

 鼻に訪れる優しい香り。

 コトコトと沸き出す水も耳に響いてきた。

 やがて丸いお盆に乗って、小さなカップに注がれたミルクティーが訪れた。

 ミルクティーはユミの手によって机に置かれ、今、ダージリンの前へ出される。

 親指から中指までを器用に使い、取っ手を持ち、口へ運んだ。


「……うん。とても美味しいです」

「ありがとうございます!」


 美味しい、という一言は人を幸せにする。

 リプトン夫妻の笑顔はとても眩しかった。


 まるでお日様だ。


 窓から放たれた光が強く増している気がする。

 さっきまで嫌だったのに、またこうやって見る事が出来るなんて。

 至福の一杯だった。

 ミルクティーを飲み干し、ダージリンは席を離れ、店を後にする。


「ごちそうさまでした」

「あ、あの、最後にお名前を!」

「……ダージリン・アールグレイです。また飲みに来ます」


 ハルタに突然名前を聞かれたが、ダージリンは快く答え、扉を開けた。


「また飲みに来るってさ。あれ? ユミ?」

「顔が似ているなぁって、思ったけど、アールグレイって……」

「アールグレイ? それはこのカメリアを治める由緒正しき王家の……え?」


 ベルが鳴り終えると共に、リプトン夫婦の叫びが店内に響く。

 カフェの二階から覗く小さな眼差し。

 ダージリンは振り返ると、精気のない顔で、あの少年がこっちを見ていた。


 重なる視線。


 ダージリンは口を少し曲げて、軽く手を振ってみた。

 すると、小さな手が応えてくれた。

 少年が窓の向こうへと消えて行く。

 今は辛いかもしれない。

 だけど、君もきっと光が見える時が来ると思う。

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