教師の使命
「ダージリン君、わかりましたか?」
スダップは穏やかにダージリンの顔を見る。
相変わらず彼の顔は暗かった。
今日も何かを抱えている様だ。
「あの、ホントに、すみません。集会あるのに……」
「どうしましたか? 今日はミッチリ教えてあげようと時間を作りましたのに」
「……いいえ。大丈夫です。ちょっと眠いだけです」
スダップはペンを置き、ダージリンの目を見た。
深く、永遠に続く様な闇の瞳。
今日はいつもに増して深く見えた。
「お父さんと何かあったのですか?」
心配そうに、優しく尋ねるスダップだが、ダージリンは口一つ開かず首を振る。
すると、スダップは語り始めた。
「ダージリン君、この前私に『誰かを亡くした事がありますか?』って聞きましたよね?」
「……はい」
「実は私、幼い頃に父を亡くしました」
父を亡くした。
突然の告白にダージリンは顔を上げた。
そして、スダップの顔を見ながら唖然と化してしまう。
そんなダージリンに、スダップは目もくれず話を続けた。
「剣を製造する仕事に就いていたのですが、仕事中に突然倒れてしまい、そのまま逝ってしまいました」
心なしか、スダップの声が少し落ちた様に聞こえた。
「それからは母と二人で暮らしていました」
脳裏に浮かび上がる母と二人で過ごした短くも濃い記憶。
ご飯を共に食べ、布団に入った自分の頭を撫でてくれる母の笑顔。
無邪気に笑う子供のスダップ。
母の作ったカレーライスはどんな料理よりも美味で、寝る前に読んでくれた絵本は脳裏に残るくらい楽しかった。
「私には、父がいなかったも同然でしたので、父親のいる友達が凄く羨ましかったですし、いざ大人になると、父親を持つ子供の気持ちがイマイチわからないのです。まあ、独身という事もありますが」
時には、自分と同い年くらいの子供が、背中が広く、長くて太い腕をした父親と歩く姿を見て心が痒くなったりもした。
「でも、親孝行で母を旅行に連れて行った時に、母は教えてくれました。『お父さんは貴方が生まれた時、顔が涙でいっぱいになるくらい喜んでいた』ってね」
しかし、それは父を亡くした息子と、旦那を亡くした妻が、辛さを乗り越え掴み取った幸せな光景であり、父親がいなくても幸せになれるという、矛盾な真実でもあった。
父が死んだ。
それは変えられない事実であり、己の運命が定めた残酷な過程。
しかし、悲しい事ばかりではなかった。
「だからダージリン君、君を大切にしてくれる人達は、本心から君を、大好きだと思いますよ。国王様もきっと――」
スダップはダージリンの顔を見た。
そこには、唇を噛みしめ瞳を震わすダージリンの姿があった。
「せ、先生は……お父さんの顔を……覚えていますか?」
「いいえ。でも私の心には、父が確かにいます」
「……でも、でも、僕の為に……僕の為に『死んだ』のなら、僕はその人達の期待に応えてられていない……」
喉が枝の様に引っ掛かり、上手く喋れない。
それでも一生懸命、ダージリンは口を動かした。
「先生、僕は弱い人間ですよね? 都合の悪い事実から逃げてますよね?」
己の思いが零れていく。
もう、自分でも抑える事が出来ない。
言葉が次々と飛び出した。
「どうして皆、希望を持たせようとするんですか? 何で皆、揃いも揃って『そんな事はない』って言うんですか? 僕にはもう、何もないのに」
スダップは見開いた。
この子は僕と比べものにならないくらい辛い目に遭っている。
おとぎ話の華やかしい王子様ではないのだ。
気付くのが、遅過ぎた。
彼の本音が出るまで、長い時を得たが、これ程までとは思わなかった。
それでもスダップは、教師として出来る事をやった。
「ダージリン君、君はまだ……」
――バァーン。
突然、廊下から轟音が聞こえた。
あまりにも強い響きは、先程の話題を一瞬だけ忘れさせた。
二人は会話を中断し、廊下へ繋がる扉に目を向ける。
「す、凄い音だ……」
「だ、誰かが机とかを動かしたのでしょう」
気のせいだろう、と勉強を再開しようとダージリンはペンを持った。
――バァーン。
まただ。
全く同じ轟音だ。
ダージリンは確信する。
「先生、何かおかしい気がします」
その時、またも廊下から轟音が響く。
今度はバンバンと連続で聞こえた。
軽く飛び上がりそうになった二人はお互いの顔を合わせる。
「そうですね。ちょっと様子を見てきます」
その不審な音に、遂にスダップは立ち上がり、ドアノブに手を掛けた。
ダージリンを部屋に待たせ、スダップは職員室へ向かう。
階段を降りる途中、不自然な静けさに身が凍り、呼吸する事さえも忘れた。
誰かひとりくらい廊下ですれ違っても良いはずなのに、それが全くないので、この校舎に一人だけいる様な気がした。
念の為、曲がり角を一度隠れてから様子を確認し、異常がなければ身を出して進んで行く。
その動作を繰り返す内に、遂に職員室の前まで辿り付いた。
中から荒い物音が聞こえる。
スダップはドアノブに手をかけ、ゆっくりと中の様子を確認した。
すると、見知らぬ男達が物色しており、床には、そこにいたのであろう職員が赤黒い血を流して倒れていた。
中には人としての原型を留めていないくらい、酷いものもあった。
物色する男達は、とあるファイルを見つけてその中を開けている。
狂った笑みで語り合っている様だ。
「これだこれ。生徒一人ひとりのデータだ」
「男にゃ興味ねぇが、女の方は中々可愛い奴がいるな」
「さて、アールグレイの名字を持つガキはどれかな?」
「確か『サンシャイン』と『ドラゴンナイト』の弟だったよな。王族の子供ってのは、やっぱりすげぇもんが生まれるんだな」
「生憎、アールグレイの末っ子はそこまでの天才じゃねぇ話らしいぜ」
男達は何故かアールグレイの名字を持つ生徒を探している。
腰にぶら下がった黒鉄を見て、スダップは男達がダージリンの命を狙っているのだと理解した。
先程の不可解な轟音も多分あの黒鉄に付いた引き金から発したものだろう。
「あ?」
「どうした?」
「誰かがいた様な気がしたんだが……」
一人の男がふと扉の方に顔を向けた。
扉はキチッと閉まっている。
確かにあった気配に、男は首を傾げた。
スダップの足が廊下を響かせる。
慣れない運動に肺が上がる様に苦しくなるが、気にも止めなかった。
階段を強引に飛び上がり、滑る様に角を曲がる。
そして、ドアノブに手を掛けて勢いよく開けた。
驚愕したダージリンがこちらを見て、固まっていた。
スダップの手が今、伸ばされる。
初の姪っ子ちゃんが生まれて浮かれてます。
姪っ子ちゃんも大きくなったら読んで欲しいな。