本音
馬車の座席が小刻みに体を揺らす。
外は流れる様に風景が変わっていた。
大荷物を背負いながら腰を曲げて歩く男。
散歩帰りに杖を突く老人。
母に手をしっかりと握られながらあんよする男の子。
もう皆、夕食が待ち遠しい。
だから早く帰って食卓に着きたい筈だ。
でも、ダージリンはとてもそんな気分にはなれなかった。
ただでさえ、毎日の夕食が『美味しい』と感動する事は少ないし、父と食べる夕食はとても心が苦しい。
今はただ、馬車の中で揺れながら行き行く人々を呆然と眺めた。
ただそれしか感じなかった。
反対側に座るセバスティアンが顔色を伺う。
「王子、お具合は如何ですか?」
「……あんまり良くない」
「そう、ですか……」
ダージリンは小声で答えると、視線を下ろした。
静けさは続き、馬車の走る音が響くだけの空間。
今、小石を踏んだのか、少し強く揺れた。
でも、二人が気にする事はなかった。
「……僕がもしいなかったら、お母さんは生きていたと思う?」
今度はダージリンが口を開く。
その言葉はセバスティアンに重みを与えた。
今、その内容に開いた口が塞がらずにいる。
答えが見つからなかった。
「ごめん。やっぱり何でもない」
あまりにも悲観的だったのか、ダージリンはなかった事にした。
ところが、答えられずにいたセバスティアンが口を開いた。
彼なりに考えた事をダージリンに告げる。
「ダージリン王子、国王様は何も虐めているわけではありません。王子が嫌いだなんて事は決してないのです。確かに国王様は……」
「わかってるよ、そんな事」
静かに、強く返された。
――言われなくたって、わかっている。
「父さんは、僕の為に悪い奴を探している。それなのに僕は怖くて逃げてるだけ。でも事故の記憶なんてないし、思い出したくない」
「王子、事故の事は良いんです。せめて少しだけでも国王様と向き合ってみてはいかがでしょうか? それが、今の王子に出来る事だと私は思います」
「……僕は、もう何も出来ないよ」
「本当に、そうですか?」
ダージリンは口を固く締め、セバスティアンの問いから逃げる様に黙り込んだ。
答えないダージリンに、セバスティアンは諦めたのか、視線を足元へ下ろす。
強い眼差しを感じた。
だから外を眺めたのだ。
再び静寂が訪れる。
しかし、ダージリンには気掛かりな事が一つだけあった。
それは、昼間見た夢である。
その中で、赤い鎧を着た人物がどうも頭の中から消えなかったのだ。
(……凄い夢だったな。赤い鎧の人、誰だったんだろう?)
伏し目のセバスティアンに目を向けて口を開けたが、喉から声が出ない。
静寂が二人を裂けていたのだ。
今、セバスティアンはうたた寝しかけているが、瞼を必死に開けて睡魔と戦っている。
――眠いのかな。
ダージリンは目を瞑った。
僕が先に寝ればセバスティアンも少しは楽になるだろう。
それに結構疲れたし、下手な心配を掛けたくない。
そう考えたのだ。
夢の事は、自分の中で収める事にした。
「ぎゃああああああああああああああああああああああああ」
突然の悲鳴。
思わず眠気が吹っ飛んでしまった。
ついでに、心臓も少し激しくなっている。
「な、何でしょう? 今の声は?」
「アクバル? いや、気のせいか」
呆気に取られる二人。
ダージリンは一瞬、それが友の声だと思い込んだが、特に気にすることはなく、再び目を瞑った。
馬車は大きな乳母車。
城に着くまで眠りが誘う。
王宮の玄関前では、侍女が箒を履いていた。
枯れ葉や枝が塵取りの中へ吸い込まれていく。
ふと、侍女が見上げると馬車がこちらに向かっている事に気付いた。
停止の邪魔にならない様に、箒と塵取りを一旦片付け、玄関で待機。
目の前に馬車が止まると、その扉が開かれ、セバスティアンが降りて来た。
「ダージリン様。到着しました」
「うん」
瞼を二、三回、開いて眠気を払う。
その後、鞄を手にして、ダージリンは馬車から降りた。
箒を持った侍女が心配そうに顔を覗く。
「お帰りなさいませ。王子様」
「……ただいま。ルピアさん」
「王子様、大丈夫ですか? 倒れてしまったとか……」
「……ご心配をかけました」
王家に仕える侍女。
ルピア・シール。
肩より先まで伸ばした丸みのある髪をした若い女性だ。
頭にある大きなリボンが可愛らしい。
「だ、ダージリン」
威厳ある声に三人は振り向いた。
スリランカが玄関を開けて心配そうに見ていた。
一歩下がったセバスティアンとルピアがお辞儀をするが、対してダージリンは口元を少し固めた。
「学校で倒れたってな……大丈夫か?」
「……もう、良くなったよ」
「そうか。なら良かった。父さん、凄く心配したぞ」
口元が緩み、安堵するスリランカ。
その横を、ダージリンは目元を隠す様に通る。
「父さんはいつも、セバスティアンに任せてれば『楽』だよね」
それは無意識の内に出た闇。
闇がスリランカの心を深く抉り、安堵していた顔を一気に青くさせた。
思考も止まってしまい、反論すら出来なかった。
「王子!」
「いいんだセバス。俺が迎えに行けば良かった話だ」
ダージリンの言葉に流石のセバスティアンも憤りを感じた。
後を追って叫んだが、スリランカにその足を止められる。
掴まれた腕から痛みが走っていく。
「し、しかし……」
「ダージリンは悪くないんだ。セバスはあの子の味方でいてくれ」
夕焼けの光がスリランカを照らす。
心の光。
セバスティアンにはそれが見えた。
王の中に宿る火は闇に屈していない。
影がスリランカを包んでいく。
だが、真っ直ぐな瞳がどこまでも輝いていた。
自分の部屋に入り、ダージリンは先程の言葉を思い出した。
――セバスティアンに任せていれば『楽』だよね。
ダージリンの眉が上がり、持っていた鞄も力が抜けたように落ちた。
心の闇が漏れていた。
後悔が圧し掛かり、理解を深めれば深める程、重たくなっていく。
引きずる様に進む足。
向かう先はベッドの上。
倒れる様に蹲ったが、苦しみは消えずに増すばかり。
震えた眼に少しずつ雫が溜まっていく。
しかし、それが流れ落ちる事は決してなかった。
夕焼けの光は、ダージリンには届いていない。
影がただ伸びるだけだった。
この後の話は、超ワクワクして書いています。
もうスラスラ進んで行く感じです。