雷親父
星々が照らす夜。
王都の住宅街にある広い庭。
乱雑とまでは行かないが、花壇に生えた草は適当な長さで生えており、手入れされた花が二、三本咲いている。
その庭に繋がる大きな一軒家の中に二人はいた。
二着のブレザーが食卓用の椅子に掛けられており、その下には鞄が一つ。
リビングを繋げるキッチンの流し台には、多分夕食で使ったであろう食器を、ミーナがシャツの袖を捲って、丁寧に洗っていた。
前腕の肌は乳白色に輝き、食器が重なり合う音と共に、蛇口から流れ出る水が肉の脂やソースを落としていく。
「別に洗わなくていい」
「とか何とか言って、朝まで放置するくせに」
「うっせえ」
皺の入った革張りのソファーに、リールフは腰を下ろし、活字で埋まった書籍を読んでいる。
表紙には『精霊の源と心の動作』と、その下に『モハメッド・ソルテクス』という名前が小さく刻まれていたが、白い亀裂が文字の上を走り、端も滲んで折り曲がっていた。
右から左、瞳を動かしてページを捲る。
ソファーの前に置かれている足が低いテーブルには、雑に置かれた新聞やチラシ、リールフが持ってきたであろう書籍が数冊置かれていた。
瞳を閉ざして本を畳み、次の本を選んだ。
しかし、今度はよく読まずにページを次々と捲る。
絵の入ったページだけ、少々眺めながら。
少し経った後、食器を洗い終えたミーナが、手に付いた水をパッパッと払いながらリールフの隣に座った。
リールフは流れる様に横になり、ミーナの膝を枕にするが、ミーナは特に気にせず、テーブルに置かれた書籍を適当に取り、パラパラと捲った。
「何これ? すっごく難しいんだけど」
「お前じゃあ、一生わかんねえものだよ」
「せいれい?」
首を傾げながらページを捲るも、やがてミーナは書籍を閉ざし、机の上へ戻すと、今度はチラシを手に取り、載られているレストランの料理に目を輝かせた。
ミーナに気にせず淡々と読書をしていたリールフだが、ふと上を見上げた先に布に包まれた二つの丘が目に入った。
ミーナの呼吸に合わせて丘も上下に膨らんでいく。
本を自分の腹の上に置き、ミーナの服を引っ張り、ぶかぁっとしていたカーディガンをピンと張らせた事で確実な大きさがわかった。
「ねえ、何してんの?」
「え? ああ」
「ああって……見過ぎでしょ」
胸を見続けるリールフに、ミーナは眉間を寄せるも頬が薄く染まっていた。
「世界で一番不思議な物体だと思うんだが……どう思う?」
「どう思うって……」
「クッションやミルクプリンと違ってさ……これは真に『柔らかい』って事を体現してる。服の上からじゃ布って感じしかしないが、弾力じゃなくて『温もり』がそれを表していると思う」
「わかんない。てか、おっぱいで哲学語んないで」
「別に語ってるつもりはない」
「……そんなに好き?」
「そうやって作られてんだから認めろ」
まじまじと膨らんだ胸を見ていたが、突如視界が真っ黒になった。
「もうダメ」
小鼻を膨らませたミーナが、リールフの両目を隠していた。
見られているだけとはいえ、徐々に恥じらう気持ちが浮き出て来たのであろう。
リールフは覆う手を退かそうとはせず、そのままの状態で喋り始める。
「……学校じゃあ埋めてくれたのに」
「私は良いよって言ってない」
「――わかったよ」
覆われた目に光が入り込むと、リールフは起き上がり、読んでいた本を閉ざした。
「あ、もうこんな時間」
壁に掛けられた時計の針は八時二十分辺りを差していた。
それを見たミーナは、急いで椅子に掛けてあったブレザーに手を通し、置いてあった鞄を持ち上げた。
「私、そろそろ帰るね」
「送ってやるよ」
「いいの?」
「一人で夜道歩くのは危険だしな。まあお前に関しちゃあそんな心配ねえか」
「むう」
ブレザーを着ながら小馬鹿にするリールフに、ミーナが頬を膨らます。
すると、玄関のドアが開く音が響き、視線をそちらに向けると何者かがこちらにやって来た。
「おや。二人でまたイチャイチャしてたな?」
「してねぇよ」
リールフと同じ金髪をした背丈の大きい男だった。
青い瞳、鼻の位置、顔の形、全てがリールフと似たこの男の名ははルーファス・ダルマイヤー。
無愛想なリールフに比べ、口元は柔らかく、鼻の下と顎には程よく生えた金色の髭があり、良い男と言った感じだ。
「こんばんは。ミーナちゃん」
「こ、こんばんは。ルーファスさん」
「今日も可愛く決まってるね」
「あ、いや、そんな」
「いつもありがとう。リールフの飯を作ってくれて。こいつ同じもんしか食べないから偏食家になっちまうよ」
ルーファスに話しかけられたミーナは頬を少し染めながら会話に応じる。
感謝の言葉に思わず俯くミーナに、反応を楽しむ様にルーファスが笑う。
それを見たリールフは歯がゆくなり、ミーナを庇う様に割り込み、ルーファスの前に立った。
「もういいだろ。仕事はどうしたんだよ?」
「もう済ませて来た。どこへ行くんだ?」
「ミーナ送って来る」
ふーん、と目を細めて口元を歪めるルーファス。
それを見たリールフは、眉間を寄せて苦い顔を浮かべた。
「なんだよ」
「いや別に。気を付けろよ」
「ああ」
息子の肩をポンと置きながらルーファスは横を通る
ミーナに別れの挨拶をし、彼女から一礼されると、二人が外へ出るのを見届けた。