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君の隣に⑩

お久しぶりです。

少し長くなってしまいました。

「よくできました。秀一郎。今日はここまでにしましょう」

「はい。ありがとうございました」

にこりと微笑む白髪に青い瞳の老婦人に、ぼくはぺこりと頭を下げ、ピアノの前から立ち上がった。


彼女はぼくの新しいピアノの先生で、父様が過去、教えてもらっていた人でもある。

とても丁寧で穏やかな人だけど、ピアノの事になるととても厳しい。


ずっと師事していたライアン先生も、未だに頭が上がらないそうで、たまに顔を合わせれば一方的な駄目出しに首を竦めているらしい。


そんなことを言いながらも、定期的に訪ねてきているのが、2人の関係を示しているようで、微笑ましいと感じているのは秘密だ。

大人にはプライドがある、からね。



「賀川さん、お待たせしました。自宅にお願いします」

「了解致しました」

駐車場で待機していた賀川さんに扉を開けてもらい乗り込めば、直ぐに振動を感じさせない滑らかなスタートで車は走り出した。


車窓からぼんやりと眺める街並みは、石造の建物ばかりで古めかしい。

日本とは明らかに違うその風景が、すっかり目に馴染んでしまっていることに、なんとなく月日の流れを感じた。




祖父母の手を離れ、4年の歳月が過ぎようとしていた。

あの後、ぼくは父様と共に日本を飛び出し、ドイツの副都心であるこの街に住むことになった。


元々、医薬品に力を入れていた会社だったので、こちらに研究所兼会社を1つ立ち上げようという話はあったらしい。

それを、ワンマンだったお爺様が阻止していた為、会社がお爺様の呪縛から逃れた途端、コレを好機と踏み出したそうだ。


で、諸々の事情から日本を離れたかった父様がその立ち上げに手を挙げた……っていうか、それ込みで画策したんだろうな、きっと……。


それくらい、全てがあっという間に進んだんだ。


元々、パスポートは持っていたし、就学前の年齢だったから複雑な手続きは少なかったんだとは思うけど、ぼくが目を覚ましてから1週間後にはドイツの地に足をつけていたんだから、どれくらい急だったか、良く分かるってものだろう。


日本から一緒に来たのは、父様と賀川さん、そして、なぜかライアン先生。

「1人暮らしは寂しいだろ!」と一部屋を占領して住み着いてしまった。

と、いっても、ドイツに戻った途端「休息は十分に取ったでしょ?」とばかりにエージェントにリサイタルのスケジュールを積み上げられ、ほとんど部屋が活用されることは無かったけど。


ドイツに住み始めた頃はぎこちなかった父様との関係も、穏やかに流れる時間の中でゆっくりと修復されていった。


朝起きて「おはよう」の挨拶。

一緒にご飯を食べ、学校まで送ってもらう。

夕飯も余程のことが無い限りは一緒に取り、1日のことを話す。


何気無い、当たり前の日常は父様とのつながりを確かなものにしてくれたんだと思う。

今では、話しかけるときに緊張する事も、抱きしめられて固まる事も無い。

胸を張って「大好き」と言うことができた。




母様とはドイツに来てから2年後に再会した。

その間に、母様がどうやって過ごしていたか、ぼくは知らない。

ただ、自分の実家へと戻って祖父母とは別に暮らしているとだけは、聞いていた。


ドイツまで訪ねてきた母様は、なんだか別人のようだった。

明るい色に染めキツく巻かれていた髪は、黒く真っ直ぐに。

化粧も殆どしていなくて、シンプルなベージュのワンピースを着ていた。


大輪のバラのように華やかで、どこか近寄りがたい雰囲気の母様と、まるで正反対の雰囲気の今の母様。

あまりの違いに戸惑ってドアの所で止まってしまったぼくを、母様は少し泣きそうな顔で見つめていた。


「秀一郎様……」

背後にいた賀川さんがそっと背中を押して促してくる。

母様の向かいに腰掛けていた父様にも手招かれ、ぼくはなんだか重く感じる足を動かして、母様の側へと近づいていった。


愛されていたと、ぼくは知っていた。

ただ、その愛がひどく気まぐれで歪なものだという事にも、この2年の積み重ねで気付いていた。

だから、どうしていいか分からなくて、ぼくはただ、目の前にいる母様を見つめる事しか出来なかった。


「………抱きしめても、いい?」

しばらくの沈黙の後、とても小さな声が響いた。

囁くような声に、泣きそうなその瞳に困惑しながらも、ぼくはただ頷いた。


立ち上がった母様は、記憶の中よりも少し小さくて少し不思議な感じがした。

ふわりと伸ばされた腕がぼくを包み込む。

最初は、触れるのを戸惑うようにそっと。

それから、まるでぼくの存在を確かめる様にシッカリと。


「………秀一郎」

抱きしめられた腕の中。

ふんわりと香るかすかに甘い香りに、幼い頃の記憶がよみがえる。


ぼくがまだ小さな頃。

まだ、きちんとしゃべる事もできないくらい小さな頃。

母様は良くこうして抱きしめてくれた。

嬉しい時も悲しい時も、何もない時だって、いつでもこうして抱きしめて、そうして……。


「………かわいい。大好きよ。……しゅう。ママの秀ちゃん。生まれてきてくれてありがとう。ここにいてくれて、ありがとう」

囁かれる言葉は昔と違って涙声で途切れ途切れで………。

だけど、その声は、言葉は、確かに幼いぼくの中に残っているものと同じだった。


「………ま……ま」

みっともないと禁止されていた呼び方が気づけば口をついて出ていた。

ただ抱きしめられていた体が動き、シッカリと母様にしがみつく。

ポロポロと頬を溢れる涙はきっと幼い頃の自分が流したものだ。

大好きなだいすきな、自分の世界の全てだった(ママ)


2人で抱きしめ合ったまま散々泣いて、少し恥ずかしかったけど、なんだか心の何処かが満たされた様な気がした。


それから、母様は3日間滞在して日本に戻って行った。


「母様の心が弱かったの」

空港まで送って行ったぼくの手を握りしめ、母様はまるで懺悔する様にポツリポツリと話してくれた。


「小さな秀一郎が無理をしているのは分かってた。でも、お爺様達に逆らうには母様は弱虫で。「秀一郎の為だ」って言葉を言い訳に目を閉じてしまったの。そうしてしまえば、何も考えずに済んだ。嫌な事も気づかないふりで、ただお爺様達の言葉に従ってしまった。………そのせいで、結局1番大事なものを失くしてしまったの」


車の中、隣り合わせに座って、でも決してこっちを向かない母様は確かに弱虫だと思った。

だけど、決して離そうとしない震える手が、今の母様の精一杯の勇気なんだとなぜか分かっていたから、ぼくは合わない視線に不安になることは無かった。


「………許して、なんて言えない。1番、味方でいなければいけない私が、1番してはいけない事をしてしまったんだもの。……だけど……」

ぼくは、つないでいた手をほどくと、ぎゅっと母様に抱きついた。


「………母様、ぼく、覚えてるよ。夜中に、こっそり母様が来て抱きしめてくれてたこと。泣きながら何度も「ごめん」って「だいすきよ」って言ってくれてたこと。だから、昼間の母様にどれ程叱られても、悲しかったけど辛くは無かった」


いつも、半分夢の中で感じていた優しい記憶を話せば、母様の目が驚きに見開かれた。

その顔に、やっぱり本当のことだったのだと確信する。

あまりにも淡い記憶は、ぼくの都合のいい夢じゃないかと、少し疑っていたから。


「………また、会いに来てください。ぼく、待ってるから」

「………っ!………だいすきよ、秀一郎」

シッカリと抱き寄せられた胸の中、ぼくは幸せな気持ちで瞳を閉じた。




その後、母様は半年に一度くらいやって来て、少しずつ滞在期間を長くしていった。

最初はホテルに泊っていたけど、子供のわがままをふりかざし、家に泊まる事を了承させた時、ぼくはこっそり賀川さんとハイタッチをした。


父様と母様の関係は、正直子供のぼくには良くわからない。

ただ、少しずつ何かが変わっていっている様な気配はあったから、そのうち、ずっと一緒に居られる様になればいいなぁ、なんて、考えてたりする。


少し焦げ目がついて、少し変な味のする夕食がテーブルに乗るようになって来てるので、その幸せな想像はそう遠い未来じゃないんじゃないかな?って思うんだけど……。

まだ、気が早いかな?





そんな風に、ぼくの世界はとても優しいものに変化した。

だからこそ、ぼくはぼくの運命を変えたたった2回、会っただけの少女を懐かしく思い出す。


そっと胸ポケットを探り小さなコイン入れから出したのはビーズの花がついた髪飾り。

日にかざせば優しい光をキラキラと撒き散らすそれは、たぶん彼女の落し物だ。


約束の月曜日に行けなかったぼくは出国前の時間をやりくりして、少しだけあの公園に立ち寄ることができた。

ゆあに会うことは出来なかったけど、その時、あれだけ探しても見つけることのできなかった髪飾りを見つけたんだ。


何気なく覗いた小さな植え込みの中、それはあった。

傷1つなく、ポツンとそこに落ちていた髪飾りはゆあが説明していたままの形で、ぼくはコレだと確信して掌に握りこんだ。


「………必ず、いつか返すから」

言い訳のようにつぶやいて持ってきてしまったその髪飾りは、今も僕の掌の中にある。

本当に返せるか、なんて分からない。

名前しか知らない、たった2回しか会ったことのない小さな女の子。

もう4年も前の事だし、次会う時は、どんな風に変わっているかもわからない、けど。


記憶の中のゆあは、長い髪を揺らして今も鮮やかに笑ってるから。


「ちゃんと、返しに行くよ」


ビーズの花にそっと口づけて、僕はそれをもう一度大切にしまいこんだ。









読んでくださり、ありがとうございました。


ようやく、シュウ君を幸せに出来たかなぁ、と思います。

ご都合展開?

何のことでしょう。

子供は、幸せに笑っとかんといかんのです!


お父さんたちは一応、離婚はしておりません。

このままゆっくりと時間をかけて関係を修復していく予定です。

恋ではないけど、愛は育つと思うのです。子は鎹、とも言いますしね!


祖父母は………。

まぁ、どこかで2人で生きていくでしょう。

懲りない方ですが、あの歳になって生き方を変えるのは無理だと思うので(と、いうか、自分が悪いなどと微塵も思ってないでしょう)今後、和解は無いかと。

権力は奪ったけど、お金は困らないくらいに手元に残したので、生きていくには十分な、筈です。

幸せかは分かりませんが。





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