君の隣に⑧
クックッと喉を鳴らし笑うこの人は誰だろう?
思わず惚けた様に見つめてしまったぼくは悪くないと思う。
だって、ぼくの中の父様は無表情か、かすかに眉を顰めた不機嫌そうな顔しかしていなかったから。
失礼な話だが、「笑う」なんて出来るとは思ってもみなかったんだ。
「もう少し、コッチへ」
一頻り笑った後、手招かれた。
ベッドから3歩分離れた場所で止まっていた身体をぎこちなく動かして側に近寄った。
手を伸ばせば届く距離。
そこまで近づけば、思ったよりも父様の肩幅が広い事も、血色が良さそうな事も分かった。
……て、いうか、病人な雰囲気があまりしない?
「幾つになったんだったかな?」
「………先月5歳になりました」
尋ねられ、答えれば、小さく頷かれた。
「まだ小さいのにしっかりしてるんだな。……どこまで知っている?」
再び重ねられた疑問の答えをぼくは持っていなかった。
「どこまで」って……?
「………父様が僕たちに興味が無いこと。ぼくの他にも子供がいる事。病気の為だけじゃなく、ぼくに会いたく無いからお家に帰ってこない事」
現在、ぼくが分かっている事をあげてみる。
父様の眉間にシワが寄るのが訳分からない。
どこか間違えてる?
「………なんとも微妙な情報なのは、誰もお前に教えてないって事か。噂と推測の域だな」
ため息混じりに断じられ、頬が熱くなる。
浅はかな子供だと言われた気がした。
「まぁ、全部が間違いという訳でもない。私にお前の他に子供がいる事も、お前の推測通り、お前の母親と望んで結婚した訳でも無いのは事実だな」
あっさりと母様を「望まない」と言い切られ、微妙な気持ちになる。
最初にそう匂わせたのは確かに僕だけど……。
「おま「秀一郎です」
父様の言葉を遮ったのは反射だった。
確かに僕は望まれない子供だったかもしれない。だとしても、名前くらい、呼んでくれてもいいじゃないか。
なんで「お前」なんて呼ばれなくちゃいけないんだ。
だって、ぼくはここに存在しているのに。
どうして、みんな「ぼく」を認めてくれないんだろう。
悔しさや悲しさ、いろんな感情がこみ上げてきてぼくは唇をかみしめた。
じゃないと、泣いてしまいそうだった。
「僕の名前は秀一郎です」
もう1度、目を見つめて宣言すれば、父様の目に何かが過ぎった。
「………すまなかった。どんな理由があれ、産まれてきた子供に罪があるわけもないのに、な」
囁く様な小さな声は悔恨に満ちていた。
「大人気のない事をした。すまなかったな、秀一郎」
そうして、しっかりと視線を合わせて謝られれば、どうにか堪えていたぼくの涙腺はあっけなく崩壊した。
「何をいまさら」「都合いい」「ゆるさない」
言いたい言葉は沢山あるはずなのに。
思い浮かべた言葉はただの1つも声にはならなかった。
口を開いても漏れるのは情けなくしゃくりあげる声だけで。
名前を呼んでもらえた。
ちゃんと目を見て話してくれた。
「ぼく」の存在を認めてくれた。
沸き起こる歓喜は、思い浮かぶ恨み言を涙と共にあっさりと押し流してしまった。
声をあげて泣きじゃくるなんて、物心ついてからたぶん初めての経験で、そんな自分の行動にも軽くパニックになってしまう。
止められない衝動に混乱していると、不意に身体がふわりと持ち上げられた。
「よしよし。父様が悪かったな。良い子……秀一郎は良い子だ」
しっかりとした腕に抱きしめられ、あやす様に背中をポンポンと叩かれる。
そうされて、ようやくぼくの混乱した意識は自分の現状を把握した。
父様に抱きしめられてる。
その時の気持ちをなんて表現したら良いのか、今だによく分からない。
ただ、その力強い腕の中、優しいリズムにのまれて、意識はふわりと闇に溶けていった。
とても幸せな余韻を残して。
言い訳させてもらえるなら、その時のぼくは混乱してたし、慣れない感情爆発(ゆあとの時も合わせると2回もだ)で疲れきっていた。
そんな時に優しく抱きしめられ、温もりを与えられてすっかり安心した神経が緩み、眠り込んでしまったとしても、それは、しょうがないと思う。
更に、知恵熱まがいの物を併発し2日ほど意識消失してコンコンと眠り続けたとしても、しょうがないんだ。
だって、ぼくはようやく心の底から安心できる場所にたどり着いたのだから。
読んでくださり、ありがとうございました。