お人形遊びは卒業です⑥
筆がかなり重かったです。
まぶしさにギュと目を閉じていると、柔らかな椅子の上に置かれました。
「サエとユキメを連れてきて」
誰かに告げている気配に目を開ければ、扉から出て行く黒づくめの男の背中がチラリと見えました。随分と大きな人で扉の上部に頭が届きそうになっていました。
……あの人が、協力者?
ジッと開かれたままの扉を見つめます。
その間に、男がホットミルクを入れて持ってきてくれました。
「飲んで。アンジェは丸一日寝たままだったんだ。お腹空いただろう?」
そう言われれば、お腹が空いた気がします。
そろりと手を伸ばしカップを手に取れば、じんわりと手のひらに温もりが染み込みました。
「………甘い」
少しだけ口に含めば、優しい甘さが広がります。
悔しいけど美味しいですね。
空っぽの胃に染み込む様で、気がつけば全て飲み干していました。
「おかわりはみんなが来てからね」
ボンヤリと空のカップを眺めているとそう言って頭を撫でられました。
優しい仕草に整った容姿。
それだけ見れば、まるで物語の王子様の様なのに。
(怖い)
優しく笑みの形に細められた目の奥にまるでこちらを観察している様な光を見つけてしまえば、恐怖で体が強張ります。
まるで、満腹の猫がどうやって遊ぼうかとネズミを眺めているかの様な。
本能的な恐怖に俯いてしまいそうになった時、コツコツと複数の足音がしました。
扉に視線を逸らした男に気づかれない様に細く息を吐き出します。
(大丈夫。まだ、何も始まってない)
自分に言い聞かせ、視線を扉の方に向ければ、開け放たれたそこから2人の少女が現れました。
1人は、さっきも会ったサエちゃん。
もう1人は、サエちゃんよりももう少し大きな子で10歳くらいでしょうか。
真っ白い髪に肌。伏せ目がちの瞳はまるでルビーの様な紅。
(アルビノ?)
人として見たことのない色彩に思わずジッとガン見してしまいます。
その様子がおかしかったのか、男がクスクスと楽しそうに笑いました。
「サエにはもう会ったね。もう1人の子がユキメ。しばらくはどっちかと一緒にいれるようにしてあげるから、仲良くね」
男の言葉に伏せていた瞳をあげ、ユキメちゃんがこっちを見ました。
吸い込まれてしまいそうな美しい紅い瞳。
だけどそこにはどんな感情も浮かんではいませんでした。
「はい。宗主様。仲良くします」
そうして言われるまま繰り返される言葉も何処か平坦で、少女の現実離れした美しさも相まってまるで動くお人形を見ているようでした。
少し眠そうなサエちゃんが、ユキメちゃんの声に慌ててペコリと頭を下げます。
「仲良くします」
そうして繰り返される言葉に男が満足そうに頷きました。
「2人ともいい子だね。さぁ、座って仲良くおしゃべりしよう」
「「はい、宗主様」」
2人が私を挟むように同じソファーに座り、すかさず温かいココアと目にも楽しいケーキや焼き菓子がテーブルへと並べられました。
最近読んだ絵本の話や、2人が普段している遊びを教えてくれるのを、私は大人しく聞いていました。
サエちゃんがお菓子の美味しさにはしゃぐ姿は可愛らしく、最初は無表情だったユキメちゃんも少しずつ微笑んでいて……。
それは、とても穏やかな時間でした。
向かいのソファーでそれを眺めていた彼が、爆弾を落とすまでは。
「そうだ、アンジェ。1つ聞きたいことがあったんだけど、良いかな?」
それまで賑やかだった少女達が、男が口を開いた途端に黙り込みました。
「それ、私の!!」
つられたように思わず口を閉じ男の方を向いた私は、机の上に置かれた物に思わず声をあげていました。
白地にハートマークが描かれた、お花の髪飾り。あの日、兄に貰って以来私の大切な宝物です。
手を伸ばした私よりも一瞬早く、男が髪飾りを取り上げました。
「やっぱり、そうなんだ。廊下に落ちていてね。見覚えのない物だったから。困ったな。ここに外からの物は持ち込まない決まりなんだよ」
軽く首を傾げながら困ったような顔。
だけど、やっぱりその目の奥は私をジッと観察していて、コレは罠なんだと直ぐに気づきました。
ココで私が取るべき行動は、そんな髪飾り、興味ありません。と、そっぽを向く事。
………分かっていたのに。
部屋の隅にあったゴミ箱に向かい男が髪飾りを放り投げた途端、体は無意識のうちにダッシュしていました。
拾い上げた髪飾りを胸に抱きしめた時、後ろからため息が聞こえました。
体が、ビクリと竦みます。
「アンジェ」
聞こえた声に、ギュッと目を閉じ、イヤイヤと首を横に振りました。
この選択は悪手だと、私の中の大人な部分が囁きます。
今すぐ髪飾りを手放せば、そう、ひどい事にはならない、と。
だけど、《ゆあ》として生きてきた日々が、絶対にイヤだと悲鳴をあげます。
兄に貰った大切な宝物。
捨てられると分かっていながら自分から手放すなんて、どうしても出来ませんでした。
「私を困らせるなんて、悪い子だね。アンジェ」
いつの間にか、男が背後に立ったのが分かりました。
体が恐怖で強張ります。
「アンジェ。どうしても、渡してくれないの?」
囁くような甘い声。
だけどそれはゾッとするような冷たさで、私の体に絡みつくようです。
誰に言われずとも、それが最終警告なのだと分かりました。
それでも。
愚かだと笑われても結構です。
髪飾りをシッカリと胸に抱きしめて、私は頑なに首を横に振り続けました。
「そう。じゃあ、渡したくなるまで部屋から出てはダメだよ。いいね」
言い渡された罰は思っても見ないものでした。
部屋って、さっきの?そこから出ないだけ?
一瞬、安心しかけましたが、宣言した男の声は、確かな愉悦を含んでいました。
ただ、閉じ込められて終わりなわけがない。
じゃぁ、何が起こるの?
「辰巳、連れて行って」
命令された黒づくめの大男が私を抱き上げ、部屋に連れ帰りました。
ベッドの上に降ろすと、辰巳と呼ばれた人は、丁寧な仕草で私を布団で包みました。
「早めに諦めな。自分が辛くなるだけだ」
そっと囁かれ、思わずその顔を見上げれば、何の表情も映さない真っ黒な瞳が見つめ返してきました。
「それを捨てる気になったらおっしゃって下さい。直ぐに対処いたします」
ほんの刹那見つめあった後、ずっと離れると慇懃な言葉でそう言って出て行きました。
パタン、と扉が閉まったその瞬間。
「………っつ!?」
全ての明かりが消え、部屋は暗闇に沈んだのです。
自分の指先すらも見えない完璧な闇。
試しに顔に触れそうなくらい近くで指を振ってみますが、微かな風を感じるだけで、やっぱり何にも見えません。
かつての人生を足しても経験した事のない完全な暗闇に、足元から悪寒が這い上がってきました。
ただ見えないという事が、こんなにも怖いなんて初めて知りました。
私は布団に頭まで潜り込むと、目を瞑り体を小さく丸めました。
手の中の髪飾りを改めてシッカリと握りしめ、ゆっくりと深呼吸をします。
男の意図は明白です。
自分から大切な家族との繋がりを捨てさせる事で、心を折ろうとしているんでしょう。
「………負けないもん」
ポツリと小さくつぶやきます。
静かな部屋の中、私の声は何かに吸い取られるように消えて行きました。
こうして異常者と私の暗闇の中でのガマン比べが始まったのです。
読んでくださり、ありがとうございました。