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外間信道はろくでなし 2

<5>

 時間は戻って、本編より一カ月ほど前のお話。


 夜。

 草木も眠る丑三つ時――と言う表現はあれど、現代社会においてそれが適用されるのはおそらく田舎と呼ばれる一部地域だけだろう。大抵の場所なら働いている人間がいるか、電気とネットが繋がっている場所なら深夜のアニメを見たりしている人間がいる世の中である。

 そんな時間に外を歩くヒトがいるとすれば。残業が終わって帰ってきたサラリーマンとか、小腹が空いたからとコンビニに向かうにーちゃんとかそんなところだろうか。

 ただ、もしこれが虚構の物語ならば。

 本来ヒトが居るのが当然である場所で、夜だからこそ、その在るべきヒトの姿が無くなる場所に人影があるのなら。

 その人間はきっと――三流作家の妄想か、はたまた一流作家の売り物なのかは判らないが――物語の登場人物で、非日常に触れる機会を得た者であるのだろう。

「…………」

 ヒトという生物の縄張りというのは比較的狭い。

 比較的、というのはヒトが思っているよりという意味である。

 一般に、生活圏は住居を中心とした半径十キロと言われたりもする。これは非常に広い。なにせ、半径十キロの円が作り出す面積は実に三百十四平方キロメートルであり、東京ドームで換算すればその数は優に十を超えるのだから。

 しかし実質、ヒトはその範囲においての一部しか使っていない。

 例えば通学路。

 毎回通る道が違うというヒトは極々少数のはずだ。それぞれのヒトが、それぞれの道を選択して使っているとは言え、個人で見ればその通り道の組み合わせ自体が少ない。事情によっては――寝坊して時間がないとか――違う道を選択していることもあるのかもしれないが、それですら、その場合においてという括り方をしてしまえば数は絞られる。

 よく使われる言葉ではあるが、何年も住んでいる街でも知らない場所がある、というのはヒトが習慣の動物だからである。まぁ、習慣というものに従って動いているのは別にヒトに限ったことではないが。

 それはさておき。

 ヒトはそれぞれが持つテンプレートに則って毎日を生きている。

 なぜそれを選んでいるのか――そこに理由は殆ど無いだろう。大抵の場合、その意図は無意識に選ばれているのだろうし。

 ただ。

 夜。それも深夜と呼ばれる時刻において。

 学校に忍び込もうとする人影を目撃した場合は、その人影はいったいなんのテンプレートに従って行動しているのかと疑問を抱きたくもなるのが人情というものだと思われる。

「……まぁ、それを目撃してる俺も大概アレだが。無意識的か意識的かの違いしかないから同類ってところで落着させるのがベターか?」

 深夜の学校という物語の舞台としてのテンプレートにおいて。

 その塀をなぜか乗り越えて入ろうとする人影、それを目撃したもうひとつの人影はそう言ってやれやれと肩を落として溜息をひとつ吐く。

 目撃した側の人影は、一人の少年だった。

 黒髪黒目。髪は乱雑に短く切られ、その下にある相貌は特別醜いわけでも整っているわけでもないが、鋭く力のある視線を放つ瞳によって冷たい印象を伴っている。体格は中肉中背であり、シャツとジーンズの上にパーカーを羽織ったその姿からは、肥満体型というわけでも、特別鍛えているわけでもないことが窺えた。

「あんまり悠長に構えているわけにもいかないかな。――ぶっつけ本番は苦手なんだけどね、俺」

 そう言って、面倒くさそうに頭をがりがりと掻く彼の名前は外間・信道という。

 外間は視線を人影から外して背後のどこかへと一度投げた後で、調子を整えるように吐息をひとつ吐き、塀の上にいる人影へと近づいた。そして、ぞんざいに声を投げる。

「何やってんの? お譲ちゃん」

「……っ!?」

 声をかけられて初めて外間の存在に気付いたのか、塀の上の人影はびくりと肩を震わせて視線を外間に向けた。

 その人影は、一人の少女だった。

 黒髪黒目。髪は肩口より少し下の辺りで切り揃えられ、前髪は顔の左側に花をあしらったピンで留められている。露出した顔は幼いというよりも年の割には大人びているという雰囲気で、感情のよく見える大きな瞳が印象的だ。中肉中背で、サイズが一回り大きいと思しきシャツと丈が少し短く脚から足にかけての露出が多いスカートの上に、赤いコートを羽織っていた。

「な、なんなのよ、あんた」

「また哲学的な質問だなー、お譲ちゃん。まぁここは素直に名前を名乗っておくけれど。外間信道っていう、ここの学生――になる予定の人間だよ。ちなみに、文字としては外出の外に隙間の間に信じる道って書いて外間信道ね」

「同い年? ――なんだ、脅かさないでよ」

「おいおい、ヒトが名乗ったってのに自分は名乗らないとかまた礼儀のなってない奴だな。……言っとくけど。前科もしくは補導歴がつくと、いくら未成年でもどこかで足を引っ張ることになるぜ?」

 外間は呆れを口調に滲ませた上で、パーカーのポケットから閉じたままのケータイを指先でつまんでぷらぷらと揺らして見せる。

「……っ、か、川上萌よ。川の上にクサカンムリの萌」

「そうかい。――んで、川上さんはそんなところで何やってるワケ?」

 外間はケータイをポケットに入れ直しつつ、問いかける。

「見て判らない?」

「俺の視点から見て判るのはあんたが不審者ってことだけなんだが」

 一息。三白眼で見据えた後、しかし、ああそれと、と続けて外間は言う。

「俺にとっちゃその位置に居て貰えると眼福ってことくらいかな? ――現役女子中学生の生足にパンチラですから」

 言って、言いきって。外間は言っている自分がおかしくてたまらないと言うような笑みを浮かべた。

 塀の上に座り込む姿勢だった少女――川上は、外間に言われた言葉の意味を考えて、自分の姿を見て、

「~~~~っ!!」

 声にならない悲鳴をあげて、赤面した。

 それを見てるのか見てないのか。外間は笑みを苦笑に変えつつ言う。

「……ああ。今は女子中学生ってわけでもないのか? この時期は呼称に困るよな、お互いに」

「そういう問題じゃねーよ!」

「まぁそうだけど――ってあぶねえな!? 初対面の相手に飛び蹴りとか普通やるか!?」

 外間は塀の上から勢いつけて狙い澄ましたように飛んできた川上をかわしつつ、少し慌てた様子で声を荒げた。

 だん! と大きく音を立てて着地した後で。川上は怒りを隠すこともなく、時間を考えることもなく大声をあげて、これまた勢いよく――擬音でもつけるならば、ずびし! とでもつきそうな位である――外間を指差した。

「おまえこそ初対面の相手にいきなりパンチラ御馳走様みたいな発言するかぁあああ!? セクハラだろうが! 訴えて金取るぞ!?」

 しかし。外間はそんな川上の様子や発言に頓着した様子もなく、飄々とした態度で応じる。

「そんな格好で塀の上にいる方が悪いんですぅ。むしろ自覚させてやっただけマシだろうが。それともそのままずっと眺められてる方がよかったのか? 露出狂か? だったらすいませんでしたねぇ、趣味の邪魔して」

 というか、むしろその発言内容やジェスチャーは挑発的ですらあった。

 そして、既に怒りの沸点を超えている状態の川上がその発言に耐えられるわけもなく。

 川上はまず予備動作として上半身を右回りに深く捻った後で、

「んなわけあるかぁあああああああ!」

 右足を一歩前に踏むと同時に身体を捻ることで背後に回った右拳を勢いよく放った。

 平たく言っても言わなくても渾身の一撃である。

「うおおおおお!? 本気であぶねーな!」

 わずかに顔をそらしてその一撃を紙一重でかわした外間が、顔の横を通過した拳が作る風を肌に感じてその勢いに戦慄した。そして思う、これ以上からかうのはヤバイと。

 威嚇する猫のように、三白眼に力が漲っている上にふしゃーとか擬音がつきそうな状態で臨戦態勢という川上をなんとか宥めて、事なきを得た外間であった。

「いやしかし、ホントに何でこんな時間に学校になんて入り込もうとしてるわけ? 忘れ物を取りに来た、なんて時間でもねーだろ」

 外間はやれやれと溜息を吐く。

「それは……あんたには関係ないでしょ」

 川上は一呼吸分だけ迷うような間をおいた後で、そう答えた。

 外間はそれを見てそうかいと頷き、

「まぁ別に興味ないから理由なんて教えてくれなくてもいいんだけど。女の子の独り歩きは危ないぜ? 特に夜は。どういう意味であれ、襲われる可能性が高いんだしさ。あまり感心できたもんじゃないね」

 答えなかったことを気にかけられると思ったら気にする風でもなく話を続けた外間を見て、予想外の反応を得た川上は逆に動揺する。

「ならなんで聞くんだっ」

 外間は呆れの三白眼を川上に向けつつ言う。

「俺としては、後半部分に反応して欲しかったんだけど。……単なる会話の掴みだよ。大事だろ?」

 呆れの感情を向けられたことに、川上は動揺を深めて赤面する。

「うるさい、あたしの勝手だろうがっ」

「え、どの部分への反応――ってすいません、本気で判らなかったから聞いただけ! からかう意図は微塵もねーってだから拳は握らないでください!」

 ついさっき顔の真横を抜けて行った拳の恐怖を思い出しつつ、外間は半歩引いてビビリ全開で川上に訴える。

 それを見て毒気を抜かれたように、川上は吐息ひとつで表情を戻すと、

「……なんか変な音が聞こえたんだよ。がしゃんがしゃんっていうか、ぎぎぎぎっていうか」

 言葉を選びかねているような、躊躇っているような――そんな調子で、そう言った。

 外間はその内容に、判り切っていることを言われたと言わんばかりの退屈げな表情を浮かべた後で、

「……金属同士がぶつかったり、擦れ合ったりする音ってところ?」

 頭をがしがしと掻きながら、そうすることで表情を消しながら、川上の言葉を繋ぐ。

「そう、それだ!」

「語彙少なすぎるだろ……。いや、正直な反応だし事実だからそこで暴力に訴えるのは横暴以外の何ものでもないぞ?」

 外間の冷静な指摘に、川上は悔しげな表情を浮かべながら舌打ちひとつで構えた拳を収めた。

「で、わざわざそんな危ない音のするところに向かってたってわけ? ――正直言うけど無謀すぎるんじゃねーの、それ。死にたいってんなら止めないけど」

 川上の言葉を受けて出た外間の言葉に、川上は対応に困ったように、眉尻を下げた表情を見せる。

「そんな大げさな」

 その反応を見て、外間はやっぱり退屈そうに表情を歪めた後で、

「ここはこう言っておこうか。――平和とは何か考えたことはあるかい? お譲ちゃん」

「……あ?」

 唐突といえば唐突すぎる問いかけに、川上は表情を眉尻を下げたものから眉根を詰めた――しかめ面へと変化させる。その表情はいかにも、何を言ってるんだこいつはと言わんばかりに歪んでいた。

 外間はその表情を見て、退屈そうな表情から一変、苦笑を浮かべ、

「面倒だから問答は省くがね。平和ってのは尊い贅沢なんだぜ、お譲ちゃん。昨日みたいな今日、今日みたいな明日……それがいったいどういうものの上に成り立っているかを意識すると、ぞっとする。自分の足元は盤石ではなく、実に脆いもので固められていると。よくある例えだが、実際は薄氷の上を歩いているような状態なのさ。そのことを意識しながら生きていくことは到底出来やしないが。それでも、可能な範囲で危険を避けようと動くくらいは心掛けておくべきだ」

 川上は苦笑よりも嘲笑の色が濃い表情を浮かべて言う。

「……大仰な物言いだ。言葉だけが仰々しくて、説得力がまるでない」

「はっ、それこそお互い様だろう間抜け。あんたがいったい何をしようとしていたのかを考えてから物を言えよ。

 だからこそ聞くが。

 ここまで来るまでの間は結果として何にも巻き込まれなかった、それはいい。しかし、これから先。この塀を超えて目的地に着き、そこに着いた時。そこで命かもしくは尊厳が脅かされるような出来事が起こらないと思う理由は何だ? そして、もしそこで何も起こらず。何も知ることが出来ず。……そうだな、例えば落胆や失望を得た後で家路に着いた時。その行程で何も起こらないと思っているんだろうが、そうだと判断する根拠は何だ?」

「それは……」

 川上は外間の問いに、今回ばかりは明確に言い淀んだ。

 それはそうだろう。誰だって、こんな質問をされれば困惑する。

 そう思うことに根拠などないのだから。

 例えば、道路を歩いているときに自分が事故に遭うかもしれないと考えながら歩いている人間がいないのと同じように。

 俗っぽく言ってしまえば、ヒトは起こってほしくないことは起こらないだろうと高を括って日々生きている。

 だからこそ。事故や不都合に遭ったときに誰もが思うのだ。

 ――まさか、という後悔を。

「もしそれが。昨日みたいな今日が来て、今日みたいな明日が来る……そんな認識の上に成り立っている程度のものならば、君は現実を甘く見ているだけのお子さまだ。だってそうだろう? 

 見も知らぬ、初めて会った人間に対して、こうも簡単に警戒が緩んでいるのだから」

 外間は畳みかけるようにそう言って。そう言う自分がおかしくてたまらないと笑って。

「かは……っ!?」

 川上が羽織るコートの襟首を掴んで壁に叩きつけた。

 唐突な外間の行動に、川上は抵抗が出来なかった。

 偶然か、それとも狙ってやったのか――おそらく後者だろうが――壁に頭を当てるのではなく背中を当てる形で叩きつけられ、川上は肺に入っていた空気を一気に吐き出す。

 そしてそのまま数秒、外間はコートの襟首を掴んで、身体全体で川上の動きを封じながら布地で川上の首を圧迫し続けたが。

「……とまぁ、こういう状況にもなり得るわけだ。俺のは冗談だけどな。痛かったか?」

 やがて、そう言うとあっさりと川上を解放した。

 解放された勢いのまま地面に座り込み、急激に入ってきた空気に咳き込みながら、川上は自然と浮かんだ涙で潤んだ瞳に怒りの色を浮かべて外間を睨んだ。

「おまえ……!」

「おお、おっかないな。――だけど、俺の言いたいことの一部くらいは理解できたんじゃないか? ここまで来る間に、君はこんな風に、誰かに襲われる可能性があって。この塀を超えた先でもそうなる可能性があって。そこから帰る間にも、その可能性があったって話」

 外間のくつくつと笑いながら言った言葉に、川上は愕然となって問いかける。

「だ、だからって、本当にやる奴があるか!?」

 その問いに、外間は真顔で即答した。

「あ? やらなきゃ判らんだろ、こんなこと。百聞は一見に如かず、百見は一考に如かず、百考は一行に如かずだ」

「……っ」

「手は要るかい? お譲ちゃん。……それともハンカチとかの方が御入り用かな? 酷い顔になってるし」

「だ、誰のせいだと思って……」

「やったのは俺だ。だけど、君がやられたのはここに居て俺と出会ったからだな。そして、それだけだろう?」

「少しは悪びれなさいよ!?」

「悪いと思うくらいなら最初からやらないな、俺は。だから遠慮なく怒ってくれていいぜ? 謝る気なんて起きないが、文句を言うだけならいくらでもどうぞ。言われただけは聞いてやる。ただま、実害を出しそうになるなら、その前に叩くけどね」

 言って、外間はハンカチを取り出し、地面に座り込んだままの川上に差し出した。そして思い出したように付け足す。

「あと、そのままだと見えてるから。嫌なら押さえとけよスカート」

「~~~~っ!!」

 川上は差し出されたハンカチを奪い取るように受け取った後で、片方の手で顔を拭い、空いた手でスカートの裾を押さえた。

「で、これからどうするの? 川上萌さん」

「……なにが」

「可能性のお話は理解できただろ? その上で、君はこの壁を越えてその先に行くのかどうかって話さ。理解した上で行くのなら止めないけれど、そこで起こることに関しては君にも責任があることを忘れちゃいけない――とか言っておこうかと思って。いや、我ながら似合わねーことだと恥ずかしくなるわけだが」

 ひひひと笑って、外間は口元を押さえる。

「……結局、あんたは何が言いたいわけ?」

「言いたいことは全て言ってるけど? 何か勘違いしてるようだが。俺は言いたいことを、言ってみたかったことを、言ってるだけだ。

 ――なかなかこういう状況に出会うこともないからな。まるで物語の中にいるみたいだと思わないか? 夜中の学校、その塀を超えようとしてる人影。まさにそれらしい舞台だろう。

 考えたことはないか? もし自分がその場に居たら、こう言って見せるのに……なんて、他愛のない想像をしたことはないか? 俺は、ここぞとばかりにやってみてるだけだよ。俺の側からそれ以上の意味を持たせるつもりはない。そこに何かしらの意味を見出すのは自由だけどな」

「……二次元と三次元を一緒くたにするなよ、オタク」

 川上は心底呆れたと言わんばかりの三白眼で外間を見ながら、立ち上がり、スカートの尻を叩いて埃を落とす。

「別物だってのは判ってるさ。俺はただ、期待してるだけだよ」

 外間は肩をすくめて、両手を肩の高さまで上げてみせる。

「一緒よ、それ。夢見がち過ぎでしょ」

 言って、川上はハンカチを丸めて外間に投げつけた。

「素でつっこまれると響くね、流石に」

 外間は投げつけられたハンカチを難なく受け取り、全然響いてない様子でそう言った。

「で、もう一度聞くけど。どうするの? これから」

「帰るわよ。帰ればいいんでしょうが」

 言って、川上は言い淀むような、微妙な間をおいて続ける。

「言い訳くさいかもしれないけどね。なんとなく、ここに来なきゃいけない気がしたのよ。気になって気になって仕方なくって、自分ではどうしようもないくらい、行動に抑えが効かない感じでさ」

「まるでそうすることが決まっていたかのように?」

 外間の問いに、川上は困ったような、それでいて挑みかかるような笑みを口元に浮かべる。

「……ま、それこそ。あんたの言うところの物語の登場人物みたいに。サスペンスとかで、こんなところに居られるかって出ていってフラグ立てちゃうようなバカと同じことを、あたしはやってたわけだ。何でだろうな?」

「別に、夜の学校に来ること自体は不思議でもなんでもないだろ? 不良じゃねーが、頭が残念そうな連中で、夜な夜な学校に来ては窓ガラス割ったりとかしてるような奴もいるわけだし。学校に忘れ物を取りに来るような奴だって五万といるさ」

「あんたは言うこと二転三転しまくるわね」

「そうかぁ? そんなことねーと思うけどな。気のせい気のせい。――ま、帰るなら早く帰るといい。道中気をつけることだ」

「……あんた、あんだけ一人で云々言っておいて。送ったりとかしないワケ?」

「セクハラ発言するような人間に送ってほしいと思ってるなんて考えないだろうよ、フツー。だがまぁ、そうだな。あれだけ不安を煽っておいて、何もせずに帰すのは流石にマズイのか」

 仕方ないな、と肩を竦めながら言って、外間が取りだしたのはひとつの指輪だった。

「なによ、それ?」

「見たとおり、指輪だ。お守りみたいなもんさ」

 猜疑の眼差しを向ける川上に、外間はほれと指輪を差し出す。

 しぶしぶといった様子で受け取る川上に、外間は続けて言う。

「これは、無事にここまで辿り着いたという事実の証明だ。俺の道中に付き合い、そして、あんたがここまで五体満足無病息災――あと何かしらの美辞麗句つけてもいいが、まあそういうものの結果にもいきあった。二人分の無事を見届けたわけだな」

 で? と言いたげに先を促すように視線を向ける川上に外間は苦笑を浮かべ、

「だからお守りなんだって。二人分の往路を無事に済ませたものだ、一人分の復路を無事に終える程度の御利益くらいはあってもおかしくないだろう?」

 外間の言葉を受けた川上は、胡散臭いものを見るように疑り深げな視線を外間と指輪の間で往復させる。

「川上さん、あんたは神社の御守は信じる性質かい?」

「何よいきなり。……まぁ、しないわね。生憎と、あたしはそこまで信心深くないの。あんなの、ただの物でしょう」

「でも。あんたは昨日みたいな今日が来て、今日みたいな明日が来るであろうことは疑っていないだろ?」

「それはオマエもそうだろ?」

「いいや? 今日と昨日と明日は別物だと俺は思ってるが。――って俺のことはいいんだよ、別に。そう思うこと自体は悪いことじゃあなくて、そう思う人間にはそれ相応の結果が返ってきている事実があるという話をしたかったワケ」

「……結局何が言いたいのよ」

「不安に思うならそれを縁に帰るといいという話だよ。何も無いよりはマシだろう? 地獄の沙汰も金次第ってやつさ」

「それ、誤用だと思うけど? ……確か。閻魔でさえ金で判断を左右される、だから、金で解決できないことは無いって意味でしょうが」

「ああ、その通り。――でも、面白いよな? 死んだ後のことに関して、持っていける筈の無いものが。持って行けたとしても、もはや意味を為さない筈のものが、その場の趨勢を変え得ると思いこんじまってるんだから」

 一息。外間はくくくと喉を鳴らして笑い、

「結局、その程度なんだよ。人生なんて思い込み一つで悲劇的にも喜劇的にもなる、なんてのはよく聞く言葉だろう。まったく同じものでも視点が違えば評価が変わるように。その展開すら思い込み次第でどうとでも変わる、変えられる。役に立たないと思う物ですら、思い込み次第で有用になる」

 胡散臭いものを見るような視線を強めて、さらにそこに呆れの色も混ぜ始めた川上が唸るように問う。

「だからこれをお守りにしろと?」

 外間は川上の視線に頓着せず、ただ邪気のない自然な笑みを薄く浮かべた。

「そ。俺の言葉如きで容易く不安になる程度なら、これで十分だ」

 川上は外間の言葉にかっと顔を赤くして言う。

「あんたのは実演つきでしょうが!」

「それもそうだが。逆に言えば、俺がやったからあんたはもうこんな目に遭わないと考えることもできるぜ?」

 自分の言葉に表情を変えない外間を見て、川上は溜息を吐きながら肩を落とし、眉間をもみほぐすようにぐりぐりと指でもみつつ言う。

「……それも、あんたの言うところの思い込みってヤツ?」

「ああ。――まぁなんだ、結局のところ、気にするだけ損だってことさ。復路で何かあるかどうかも、その指輪にお守りとしての御利益があるかどうかもな。そうだな、例えば暴漢一人相手なら、それを投げつけて怯ませた隙に逃げることもできるだろう? 何事も使いようにして考えようだよ」

 一息。だから、と言うように。外間は川上の肩に軽く手を置いて、川上の身体をくるりと回転させて彼女にとっての帰路へと彼女の視線を向けさせた後で、

「いつも通り……って、まだあんたも俺もここに通い始めている訳ではなかったか。それならそれで、いつも通りになるであろう道を通って、家に帰りなお譲ちゃん。夜も遅いし、暗いからな。寄り道はするなよ?」

 外間は苦笑を浮かべてその手を離し、川上の背を軽く叩いて押した。

「……なんで、あんたがあたしの帰る方向知ってるワケ?」

 川上は押された勢いで二三歩歩いた後で、半身で相対するように身を回し、視線を外間へと向けた。

「偶然さ、偶然」

「どうだか。――ま、あんたはこう言うわけよね。そこに意味を見出すのはあたしだ、とでも」

 恥ずかしい台詞、と吐き捨てるように。しかし、笑みの色が見える声で言って、川上は外間に背を向けた。

「この指輪、ありがたく頂いておくことにするわ。返す必要は?」

「御自由にどーぞ。邪魔なら、家に帰った後ででもゴミ箱に捨てるといいさ。なんだ、何も無かったじゃない――なんて言いながら。それが一番いい結末だろうしな」

「気が向いたらそうする」

 川上はそう言って、ひらひらと手を振りながら歩き出して、その場から去って行った。

 その背が消えるまで見送った後で、外間はやれやれと吐息をひとつ吐く。

「予想以上に時間を食ったが、まぁ割合いい方向に進んだな」

 さて、と伸びをひとつして。

「残るは事後処理か。――いくつ手順が要ることになるか判らんが、とりあえず、やっておかないといけないことがひとつあるよなぁ」

 吐き捨てるようにそう言って、外間はその場から忽然と姿を消した。







 ――ほんの少しだけ時間は戻る。

 学校の近くで展開される外間と川上のやりとりを見ている男が一人いた。

 場所は二人のいる学校から遥か遠くにある、テナントの入りが少ないのか窓の明かりが少ないビルの屋上である。

 本来なら。普通なら。そんな遠くにいる場所にある会話や、そもそもヒトの姿を把握することなど不可能だろう。

 あるいは、望遠鏡や盗聴器の類を使用しているのなら実現可能であるのかもしれないが、少なくともその男の手には望遠鏡もなければ盗聴器で拾った音を出力するイヤホンも無い。

 しかし、男は確かに二人のやりとりを把握している。だからこそ、何を見ているでもない筈の状態である男の顔が、外間の言葉に促される形で川上が学校を去っていくと同時に表情を苦々しさと苛立たしさがないまぜになったものへと変化しているのだ。

 勿論、川上が立ち去ろうとした瞬間に男が何かしらの不快なことを思い出して表情を変えた――なんて説明もできるのかもしれない。

 しかし。

 常識的に考えれば。いい年をした大人が深夜にわざわざ立ち入り禁止になっているような場所に立って物思いに耽るようなことがあるだろうか? マトモな人間なら仕事がある。仕事のない人間でも、自殺をするのでもなければこんなところには来ないだろう。

 ならば、この状況を成立させる手段は一つしかない。

 現実という名の常識において、不可能だと判断される状況を説明し得る単語は一つしかない。

 魔術。

 魔法。

 手垢がつくほど使い古されて、聞く方が恥ずかしくなるような、そんな陳腐な言葉でしか。

 この状況は説明できなかった。

「……というか、厳密には説明したくないんだがな。馬鹿馬鹿しくて」

 それは男の言葉ではなかった。

 声音は男よりも遥かに若い、少年と言える年齢のものであり。男も先ほどまでこの場所で、遠くで使われていた音として覚えがある声だった。

 とは言え。

 男はその言葉に反応する余裕などありはしなかっただろう。その声に聞き覚えがあるかどうかにさえ気が回らなかっただろう。

 なにせ、

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ――!!」

 少年の声が響くと同時に、男は絶叫をあげていたのだから。

 それは痛みを訴えるものであり。

 男は悲痛そのものの大声をあげながら、まるで四肢が突然無くなったかのように、地面に崩れ落ちていた。

 原因は、言葉にしてみれば至極簡単だ。

 男は今、その四肢が本当に消し飛んだような感覚を味わっていて。体感的に四肢が消失しているからこそ、そこにあるべき力が抜けて崩れ落ちたのだ。

 ただ。

 そんな言葉では男のあげている絶叫を、その原因を、表現しきれないだろう。少し言葉を足すべきだ。

 男は現在四肢が消し飛んだような感覚と、その原因となる行為によって発生するであろう痛みを同時に味わっている。四肢の消失も、傷も負わない状態で。

 しかし。

 その原因となる手段がこの場合は問題だった。

 右腕では複数の虫に噛みちぎられていった痛みが。左腕では複数の刃で端から少しずつ斬り取られていった痛みが。右脚では末端からじわじわと腐り落ちていった痛みが。左脚では末端から高熱によって溶かされていった痛みが。

 それらの手段で、体感上は一瞬で消し飛ばされた筈なのに。

 実際には四肢が無事であるからこそ、いつまでもいつまでも続いている。

 終わったことが、終わっていない。

 だからこそ、男の叫びは止まらない。止められない。

「ああああああああああああああ――!?」

 だが、それでも。

 男は痛みの中で思考していた。――否、味わっている痛みを想像すれば、思考することができてしまっていたと表現する方が正しいのだろうか。

 過度の痛みで気を失う――なんてことがあるように。ヒトは痛覚の反応が一定以上になると、容易く気を失い、それ以上の刺激を遮断して自衛を図る機構を備えている。

 理由は簡単で。純粋に、その痛みによって発生する刺激に脳が耐えられないからだ。

 ならば。もし、痛みによって気を失うことができなかったらどうなるのか。

 答えは至極明解だ。

 規格外の電流量を電気回路に流すと回路の導線が焼き切れるように、脳が焼ける。そして、導線の焼けた回路が最早使い物にならないように、脳は思考することが出来なくなる。それは人間性の死、ひいてはヒトとしての死であるだろう。

 だから、今の男の状態は異常であった。

 明らかに過負荷のかかっている状態で、死んでしまってもおかしくない状態で、男は未だ人間らしさをひとかけらも失っていない。

「――っ!」

 それを自覚していても、出るのは痛みを訴える声だけだ。男の状態はどこまでも異常なのに、外界に露出している状態――状況は、どこまでも平凡だった。

 その様子を見て、この場に突然乱入してきた少年――外間信道という名の少年は、退屈そうに溜息を吐き、

「うるっせぇよ、クズが」

 地面に倒れこんだ男を蹴って転がし、仰向けにすることで晒された喉を微塵の容赦もなく、躊躇いも無く、踏み潰した。

 ごぎゅり、と不自然で不気味な音を立てて男の喉が潰れる。

 外間はそのまま数秒、喉を踏み潰したままの状態で足を置く。男は追加された痛みにぱくぱくと口を開いてぴくぴくと身体を震わせる。

 やがて、男の唇が酸欠によって変色を見せ始めた頃になって。

「……ふん? なるほどなるほど」

 外間は何かに納得するように頷きを見せた後で、男の首から足を外し、吐息をひとつ吐いた。

「おまえは何者だ……?」

 ふと。気付けば男は地面に転がった状態で外間に視線を向けていて。喉が潰されているが故にかすれた声でそう問いかけていた。

 外間はその事実に気付くと、舌打ちをひとつ落として。

「緩めてやるとすぐこれだ。テメーの頭は飾りか? 飾りじゃねーならちょっとは考えてから行動しろ。ペナルティは重いぞ」

 そう言った直後に、乾いた音が響いた。

 地面に倒れた男が向ける視線の内、片側のみが爆ぜたのだ。

 鮮血が散る。

 しかし無作為に飛散した筈の紅色は、外間には一滴たりとも近づかない。

 まるで、外間がそれを拒否しているかのように。

 外間は目が爆ぜた痛みに耐えるようにして地面に顔を伏せた男の頭を踏みにじり、言う。

「聞け。二度は言わん」

 一息。虫を見るような感情の伴わない視線を男に向けて、失笑をひとつ挟み、

「オマエはこれから先、俺に対して敵意を向けるようなことがあれば今さっきまで感じていた痛みを再び味わうことになる。俺に対して害になる可能性のある行動を採ればその痛みの結果が現実になる。嫌なら唯々諾々と俺に従え。それでも良いと言うなら――さっさと死ね。

 理解したなら返事をしろ。返答が無い場合は、」

 男はがたがたと震えながら、かすれた声で即座に答えを返す。

「……わ、わかった」

 男の返答を聞いて、外間は即座に男の頭を再度踏みつけた。

「返事の仕方くらい考えてみたらどうだ? その頭は飾りか」

「わかり、ました」

「……とは言え、別に逐一指示を出したりはしない。男と絡んで喜ぶ趣味は無いからな。必要な時に指示を出す。死にたくなければ言われたことをこなせ。

 とりあえず、だ。本来するはずだったオマエの仕事を果たすのは少し待て。俺はあの場でやることがあるんでな。終われば連絡する。連絡があり次第、本来の仕事に戻れ。また用があれば連絡する。連絡があるまでは、普段通りに仕事をしていろ」

 外間はひとつ吐息を吐いて、ああ、と思い出したように男の頭に乗せた足に力を入れ、

「もしかしなくても、オマエは今こう思ってるんだろうな? ――どうして自分がこんな目に、なんて。そんなことを。……ああ、返事をしようとしなくていい。喋りたいと思ってることを喋ってるだけだからな、そのまま黙ってろ。

 勘違いするなよ? オマエの趣味は悪くない。その目の付けどころは悪くない。仕事を利用して趣味を充実させる――それは、称賛するに値する程、人間らしい行動だ。共感どころか尊敬ものだろう。その内容が例え、左道にして外道であっても」

 だがな、と歪んだ笑みを見せて、

「あの場所は俺の領域だ。俺の感知する限りにおいて、気に食わない行動は全て潰す。例えそれが一流作家の考えるような素晴らしい展開の伏線であったとしても、死を劇的に扱うようなものは面白すぎる。面白すぎて――逆に白けるんだよ」

 そう言って、外間は男から足をどけた。

 感情の伴わない視線の先で、外間の語った言葉の不鮮明さに困惑し、理不尽な仕打ちとその展開に絶望する男がいる。

「意味が判らないか? まぁ、殆ど一方的な言いがかりだしな。単純に運が悪かったと思うか、オマエが今まで集めてきた玩具にやってきた分が自分に回ってきたと、そう理解するといい」

 出来るもんならな、と。

 外間はその視線と同様に、色の無い声でそう言い捨てて、この場に現れた時と同様に唐突に姿を消した。

 後に残された男は。

「ああ……」

 何が起こったのか理解できなかった。なぜ自分がこんな目に遭うのか理解できなかった。

 今日もいつも通りに仕事をして。そのついでに、自分好みの道具を手に入れて楽しむつもりだったのに。

 そう。

 ――いつも通りに、彼にとっての日常が滞りなく続くと思っていたのに。

 外間が去った直後、先ほどまでの激痛が嘘だったかのように引いていったことも手伝って、時間が経つに従い、男はふつふつと外間に対する怒りを認識するようになる。

 しかし。

 そうやって怒りを認識し、外間に対して敵意を抱いた瞬間に。

「が――っ!?」

 消え去っていた激痛が蘇り、男は再び指一本動かせない状態になった。

 男が真実、文字通りに、骨身に染み渡るほど外間の言葉の意味を理解することができたのはそれを何度か繰り返した後だった。







「さて、と」

 外間が次に現れたのは、川上と別れた場所のすぐ近く――学校の敷地内にある、使われなくなった校舎の近くである。

 川上と別れた後と同様に、男の前に現れた時と同様に。前触れもなく、その場にある筈の空気を押しのけて外間はその場に立っていた。

「この移動方法は便利だが疲れやすくていかんな」

 欠伸をひとつこぼしながらそう言って、ごきごきと音を鳴らしながら首と肩を回しつつ歩き出す。

「とりあえず今日はあと一場面というところなんだが。男が相手だったらやだなぁ俺。女の子だったらやる気出るんだけど」

 目的地は決まっている。

 この学校における旧校舎――その一角にある教室のひとつに、外から回り込むように外間は歩く。

 目的の教室は旧校舎の入り口から見て一階の右奥側にあり、外間は左手に旧校舎を置いて回り込んでいた。

「…………」

 やがて、目的の場所が窓を通して外間の視界に入る。

 そこには、築年数が重なることによって生じる劣化とは別の――明らかに人為的な破壊によって原型がなくなった教室があった。

 相当の築年数を重ねているとしても、この一角にある教室の壁やら窓だけが吹き飛んだり粉々になったりで原型がなくなっているなんてことが自然な変化によって起きた、ということはあり得ないだろう。

 その惨状の中心には、一人の少女がいた。

 金髪青目。ふわふわと緩く波打つ髪は後ろ髪が腰まで届く長さを持ち、前髪も目元を隠すほど長かった。そのせいで顔の大半が隠れてしまい表情を窺うことができなくなっているが、第一印象として暗いという印象を受けることはない。小柄と表現するべき体躯を包む露出の多い白のワンピースと、前髪の下からわずかに覗き見え、そこから続いて見える透通るような白い肌のためだろう。むしろ眩しく見える位だった。

 しかし。

 その白一色の立ち姿を台無しにするように、彼女の身体中に斑模様を描くように朱色が散っている。

 その赤は、彼女の足元を中心にして広がっていた。

 そしてそこには、原型など殆ど残っていない――それでも、ヒトの一部と判るそれを残した状態の肉片が蟠っている。

 外間はその二つを確かに視界に収めた上で、まず最初に口をついて出たのは、

「……女ではあるけど。なんつーか、人形みたいだなぁおい」

 惨状に対する言葉ではなく、普通ならばおぞましいと感覚する筈の物体に対する言葉でさえなく、それを目の前にして立っている少女への言葉だった。

 その言葉に反応するように、動きの残滓として髪先を揺らしながら少女が外間の方へと顔を動かす。

 少女が続く動きで虚空を掴むように手を動かしたのを見ながら、外間は溜息混じりに結論する。

「まぁ一応は女の子だし。男じゃねーならマトモに相手をするさ」

 直後。

 外間の視界から少女の姿が揺らいで消えて、甲高い割れ砕けの音が聞こえた。

 そして。

「……っ!」

 外間は背後から衝撃と共に肉を打つような鈍い音と、身体の内側から繊維質が断ち切られる音を聞いた。







 少女は闖入者に対して冷静に対処をした。

 自分の雇い主に教え込まれた通り、見られた以上は確実に生命活動を止めるために。

 参加している競争の審判に言われた通り、見た人間の身体を可能な限り傷つけないように。

 それらの条件を満たす現状の解決手段として。

 一瞬にして闖入者である人影の背後に回りこみ、後頭部は首の付け根に肘を叩き込んだ上で、片手に握った白い白い曲刀を心臓に突き立てた。

「……っ!」

 闖入者は、が、ともあ、とも聞こえるような音を口から漏らした後で、身体から力を抜く。――否、意識を失って力が抜けたというのが正しいのか。

 そして。身体に捻じ込んだ刃に闖入者の重みが乗るより早く、少女はその細い腕からは考えられないような膂力でもって、刃が繊維質に包まれたままの状態で捻じ回し、脇下から抜けるように腕を振る。

 ぎちぎちと耳障りな音が響いて、続く形で、その音が示す結果に反して酷くすっきりとした――ざくりと繊維質を断つ音が響いた。

「…………」

 しかし、少女の動きはそこで終わらない。

 闖入者の身体が力無く地面に膝をついたと同時、返す刃で首に半ばほどまでの切れ込みを入れる。

 刃の走りが鮮やかに朱色の曲線と銀孤を描き、その切れ込みから噴水のように紅色がしぶいた。

 それで終わり。

 ぱちゃぱちゃと吹き出る鮮血を浴びながら、少女は長い長い前髪の下にある表情を動かさず、血の色に等しい瞳で地面に横たわる闖入者の死体を見つめた。

 ……これはもう動かない、と。少女は自分のやったことを自覚する。

 意味もなく、意義もなく、意思もなく、意図もなく。ただ淡々とヒトの命を奪うことに対して、少女は何の感情も動かなかった。

 少女はそういう人間だった。

 少女はしばらく死体を眺めた後で、先ほどまで立っていた場所に戻るべく、死体に背を向ける。

 それが少女に指示されたことだから。ただそれを果たすべく少女は行動する。

 果たして。自我の下において己の行為を自覚しない精神性を人間と呼ぶのかどうか、それを判断できる人間は――

「……はっ、呼ぶわけねーだろクソッタレ」

 いない、筈だった。

「な――っ!?」

「あああああああああああああああああああ、もう、痛いったらねえ! 脊髄に一撃、身体の中心に武器叩き込んで半分斬り抉った上で首も斬るたぁ、なかなかエグイなお譲ちゃん。余裕も容赦もないとは、油断がないよりよろしくないぜ!?」

 ぼたぼたと傷口から血をこぼしながら、闖入者の死体が起き上がる。

 片手を首が落ちないように頭にあてながら、空いたもう片方の手を地面について上半身を持ち上げて、少女に背を向ける形で膝立ちの状態になった。

「……な、ぜ?」

「あぁん? 何がだよ、お譲ちゃん。この損傷で生きている筈がない――なんて当たり前で当然で常道で正道な感想だったら興醒めなんだがね。仮にも魔術使いだろうオカルト世界の住人だろう非日常の住人を自認してるんだろう?」

 闖入者の死体――ではないだろう、もはや――は少女に向かって苦笑含みの声を飛ばしながら、それぞれの手で少女の与えた傷をなぞるように撫でた。そうすることで傷が塞がったのだろう、だくだくと流れていた血の流れがぴたりと止まる。

 そして、地面とその服に血の跡を残したまま、闖入者は何事も無かったかのように立ち上がり、手についた血に頓着しないまま頭をがりがりと掻いて少女と向き合った。

「いやはや、美少女は何をしても許されるとは言うがこれはやりすぎだ。相手が俺だから良かったものの、普通なら死んでる。――やっぱり、あの子は引き帰させて正解だったなぁ」

 言って、闖入者である少年は楽しそうに笑った。

 その様子を目の前にして、少女は茫然としていた。目の前の事態が理解できなかったから、どう行動すべきか判らなかった。

 何で生きてるの? 何で動けるの? 何で何で何で何で―――いくつもいくつも、少女は常では考えられないほど思考していて。疑問していて、動けなかった。

「出会い頭の挨拶にしてはかなり斜め上でいい感じだけど、俺は常識人なんでね、普通に挨拶させてもらうよ。はじめまして、お譲ちゃん。俺の名前は外間信道というんだ。まぁ、見ての通りの人間だよ」

 言って、その発言の内容がおかしいというように闖入者――外間という少年は笑う。

 その言葉の内容と、目の前で起こった出来事の異常さに少女は背筋が冷たくなるような感覚を得て、

「……っ!」

 反射的に持った武器を構えていた。

 その反応を見て、外間は推し量るような視線を少女に向けながら眉を顰める。

「ん? なんだ、お前はそこから無いのか。他人が折角名乗ったなら、きちんと名乗るのが人間としての礼儀ってものだぞ。特に、相手の名前が知りたいのなら、自ら名乗るようにしなくてはな」

 少女からは外間の一挙手一投足も見逃すまいとするような、見ている側が気疲れするような緊張感のある無言が返ってくるだけだった。

 その反応に、外間は溜息をひとつ吐く。

「やれやれ。まぁ別段、会話をしなくてはならない訳でもないし、いい加減夜も遅いし、さっさとここの幕を引いて場面を進めよう」

 一息。今から口にする言葉を、実際に他人に聞かせる場面に立っている事実に苦笑しながら、

「怖いのか? お譲ちゃん。いいぜ、感情らしい感情を持ってる人間ってのは魅力的だ。だから、お前が行動を起こすために、お前の行動を正当化するための理由を与える意味も含めて、ここはこう言っておこう。

 ――俺を殺した責任は、しっかり取ってもらうぜ。お譲ちゃんの命でな」

 言って、外間は拳を握る。

 それを見て、少女は斬撃の初動として一歩、地面を踏みにじるような勢いで踏みつけた。

 少女の身が飛ぶように前へ動き、続く動きで携えた曲刀を振る。

 しかし。

「――!?」

 その刃は、外間を斬ることなくただ無様を晒すように空を切った。

 理由は簡単だ。

 踏み込む力が足りていなかったのだ。

「動くんなら自身の確認を怠るな。汝の罪は傲慢にして怠惰である、なんつって」

 いつも通りに踏みこみ、いつも通りの結果を目にする――それが当然であると疑わなかった少女は、外間の苦笑を含んだ呟きを聞き、身を捻じるという拳を撃ちだすための初動を見た。

「ただ殴られるのが嫌なら構えるくらいはしろよ? ――diffuse」

 外間は続く動きで一歩を前に踏み、そこから連動する形で身の捻じりを解放して拳を撃つ。

 狙いは少女の顔面、その頬だ。

「く……っ!」

 少女の反応は早かった。

 武器が届かなかったこと、外間が拳を構えたことを受けて、即座に防御の動きに移っていたのだ。

 少女は剣身を盾とするように、外間の拳、その軌道上に先置きする。

 外間はそれを見て面倒臭そうに表情を歪めつつ、拳を掌底の形に変化させる。

 鈍い金属質の音が響いた。

 しかし、外間の動きはそこで止まらなかった。

「ふ――っ!」

 呼気一つで更に身を回し、盾に見立てられた剣身ごと少女を押し飛ばす。

「が、あ!?」

 勢いにのまれて少女の身体が地面に叩きつけられ、地面を転がった。

「あー、痛いったらありゃしねー。まさか武器で防がれるとは思ってなかった。硬いものを殴ると手が痛くなるから嫌になるね、まったく」

 外間は殴ったほうの手をぷらぷらと振りながら、半笑いで地面に転がった少女を見ていた。

 地面に転がったままをよしとしなかったのだろう。少女はすぐさま立ち上がり、今度こそ明確な敵意をもって、動揺もなく自然な構えで曲刀を外間に向けた。

「おお? 元気がいいね、お譲ちゃん。今度は不用意には近づかない、というところかな。いい心掛けだけど、それは次に活かす方向で考えるべきだな、遅すぎる。だからここはこう言っておこう。――それが、今回の件から君が学ぶべき教訓だ」

 なんてなぁ、と言って。外間は心底楽しそうに笑い声をあげて笑った。

 少女は外間の隙だらけでしかないその様子を見ても、動くことは無かった。ただ静かに、己の状態を確認していた。

 結果として判ったことは、何も判らないということだけだったのだが。

 少なくとも、少女が判断できる範囲において異常はなく。先ほどの出力不全の原因がいったい何であったのかは判らないままだ。しかし、それでも戦うことを選ぶのならば、先ほどの失態を元に出力を補正する他に手段はないと、少女は即座に判断した。

 だから。

 少女は魔術を行使する。

 しかし。

「それで詰みだ」

 外間の言葉と同時。

 少女は世界が割れるような音を聞いた。







 外間の目の前で、少女は操り糸が切れた糸吊り人形のようにぱたりと力無く地面に倒れ伏した。

「……ふむ?」

 外間は地面に倒れた少女に近づき、地面に膝をついた後、その顔にかかる髪をどけてその額に手を置く。

 触れた部分からは少女がぴくぴくと痙攣するように身動ぎをしていることが感じられた。髪を退けることによって露わになった顔に備わる青い瞳は焦点が合わず、ただゆらゆらと揺れているのがよく見える。

「流石借り物。加減も含めて完璧だ。……とは言え、このままじゃ意味もないか」

 外間は苦笑を浮かべて少女の身体をうつ伏せから仰向けに変えてやり、

「purge」

 一息。そう呟いて虚空を掴み、

「言語、感覚機能のみ復帰。他機能における復帰速度は現状で固定。――ああ、あと表情くらいは動かせるようにはしないとな」

 いつのまにやらその手に納まっていた物体で少女の手を貫いた。

 さくりというあっさりした繊維質を断つ音が響き、続いて湿りを帯びて飛散する音が響く。

 そして。

「あ……っ!?」

「おはよう、お譲ちゃん」

 少女が痛みを得ることで覚醒したかのように、大きく声をあげて、身体がびくりと大きく震わせて、瞳の焦点を虚空のある一点に定めた。

 それを見て、外間は疲れたように吐息をひとつ吐き、少女の手に刺したものを抜いた。

 動きに合わせて、少女が新たに得た痛みに身動ぎするように身を震わせる。そしてそこで初めて、少女は自分の身がどうなっているのかということに気付いた。

「動かな、い……?」

「そりゃ、満足には動かせないだろうな。しかし、戦闘パートから気絶して、復帰して最初の疑問がそれか? ――お譲ちゃん、あんたは別なことを気にするべきじゃないかね。というか日本語喋れるんだなぁ、都合がいいから気にしないけど」

 外間が少女の顔をヤンキー座りで頬杖をつきながら見下ろして言う。

 その声を聞いて、少女はどうやら先ほどまで何をしていたのかを思い出したようだった。表情が茫然から愕然へと変化する。

 その表情を見て、外間は笑みを一つこぼした後で言う。

「何が知りたい? まずは現状説明が御入り用かな、お譲ちゃん。

 一言で言えばオマエは負けた。俺が負かした。経緯を詳しく知りたいだろうし、俺は女の子にゃ超優しいからちゃんと説明してやんよ。手段に関して言えば、まぁ、お譲ちゃんが使ってる魔術とは別な魔術で攻撃することによって、ありとあらゆる感覚を一時的に遮断したというところだ。結果として、本来継続的に入っていく筈の情報量が、途絶えていた分も含めて一時的に増量し、存在するために必要な処理機能が一時的に停止した。今はそれらの機能が復帰している最中というところかな。コンピュータで言うところの強制終了かけたような状態だ。厳密にいえば違うけど、感覚的には、知識として存在しているのなら判りやすいんじゃないかと思うね、この例え。しかしどうだろうな? お譲ちゃんの場合。魔術を使う人間なんてのの大半は、機械に疎いってのがありがちな設定だしなぁ。

 あと、お譲ちゃんが怯えた結果として斬りかかってきた時、予想以上に距離が足らなかっただろ? あれもそういうことだ。違う魔術でお譲ちゃんの魔術回路に介入して結果を弄ったのさ。どうやったかって? 自分で考えることも重要だが、時間が勿体ないし。さっきも言ったけど、俺は女の子には優しくするタイプだから教えちゃうぜ。お譲ちゃんはあの場に至るまでに俺に触れていただろう? 脊髄に一撃、身体を裂くのに一撃、首筋に一撃、そして斬った後噴出した俺の血にも触れた。都合四回の接触だ。それだけあれば、それだけのことを仕掛けるだけの時間と機会はあったと理解できるだろう? して貰わないと困るんだけどね。頑張って説明したし」

「…………」

 少女は無言だ。しかし、その表情からは戸惑いの色が読み取れた。

 何を言ってるのだこいつは、という心の声が聞こえてくるような視線を受けて、外間は苦笑する。

「おいおい、口は動くようにしてやったんだから、少しは会話しようや。まぁ嫌なら嫌で、そりゃ仕方のないことではあるが。そもそも言語機能を復活させたのは、別段会話を望んだからというわけではないし。だって、声聞こえないと艶っぽくねーじゃん、なぁ? とはいえ、現実は厳しいな。一石二鳥は本当、得難いものだと実感させられる」

 さて、と言って。外間はあまり品のよくない笑いを口元に浮かべて、少女を見下ろした。

「それじゃー、ここからお楽しみタイム。あんまりよろしいことではないが、うん、ここは変態らしくこう言い切っておこう。――今から、エロイことをします」

「……は?」

「おいおい、日本語判るんだろ? はい問題。エロイこと、十八禁ちっくなことと言えばなんでしょう。ヒント、英語で言えばSで始まってXで終わります。わーい、もろ答えだー」

 はっはっはと乾いた笑いをあげて、外間は少女の動かない両手を彼女の頭よりも上に持ち上げて重ね、その両手を持っていた武器で刺し貫いた。

「痛……っ」

 少女が痛みに声をあげるがそれを無視して、外間は少女の体に覆いかぶさるように、少女の体を膝の間に入れるように膝を立て、その顔の横に手をおいて身を支えながら自分の顔を寄せた。

「手を出す前に言ったろ? 俺を殺した責任をあんたの命で取って貰うと。――はっはー、乙女の純潔と書いて命と呼ぶとかどっかの小説とか漫画に書いてあったのでそうします」

「え、あ……!?」

 びりびりと、甲高い繊維質を引き裂く音が響いて。少女の肌が露わになった。

 それを見て、少女の顔が羞恥で赤く染まる。

 外間の手が少女の体に近づいていく。

 少女は抵抗したくても出来ない現状に、ただ目の端に涙を浮かべて、

「……っ」

 外間の手が身体に触れるか触れないかというところまで視界に収めたところで、目をぎゅっと閉じた。

 しかし。

 目を閉じてから一秒、二秒と経っても。

 少女が覚悟していたような感覚が訪れることはなかった。

 疑問に思った少女が目をゆっくりと開けると、

「……ぶ、ぷ」

 こらえきれない笑みを手で押さえて隠そうとしている外間の顔が近くにあった。

「え……?」

 少女が間の抜けた、気が抜けたようにぽっかりとした疑問符を顔に浮かべたのを見て、外間が笑みをこらえたのをやめた。

「あっはっはっはっは! あー、おもしれぇな。いや、冗談だよ、お譲ちゃん。俺はそこそこ外道だが、こういうのは二次で十分だ。三次元でやろうとは思ってない」

 でも、と外間は浮かべた笑みを意地の悪い笑みへと歪めて、

「これくらいはやらせて貰うかな。折角だし」

 少女の唇に自身の唇を重ねた。

「むぐっ!?」

 少女の表情が疑問から驚愕へと激変する。

 外間はむしろ楽しそうにその変化を眺めながら、その行為を続ける。

 そして唐突に、

「~~~~っ!!」

 少女の表情が驚愕の色を深めて、隙間から洩れる声が一オクターブあがった。

 それからたっぷり三十秒ほど、その状態を楽しんだ外間はゆっくりと自分の唇を離した。

 少女はぐったりと力を抜いて、恨めしげな色を視線に乗せて、外間を見る。

 糸を引くように垂れた涎を袖で拭いながら、外間は心底楽しいという笑みで口元を歪めて、

「ごちそうさま。――ここは、こう言っておくべきだよな?」

 そう言って、少女から身体を離した。続く動きで、少女から離れて校舎の中へと――少女の視界から姿を消す。

 そして、しばらく時間が経った後で。

「流石にこのまま放置ってのも多少後味が悪いからな。運よく、この校舎の中にカーテンが残ってたから持ってきたぜぃ。衛生云々はどうか知らんが、まぁ、肌を隠す程度には役立つだろう?」

 外間は苦笑を浮かべて、旧校舎の内部から持ってきた布きれを少女の体の上に被せた。

 少女はそれに感謝を示すわけでもなく、再び何かをしてきやしないかと、警戒の色が強く見える、しかしそれでも諦めの色も混じった視線を無言で外間に向けるだけだった。

「やれやれ。結局会話は出来ず終いか、残念だ。まぁ、あんたみたいに綺麗で可愛い女の子とキス出来ただけ儲けものだから、その辺は諦めておこう。……さて。あと五分もすれば、マトモに動けるようにはなるはずだ。その頃になれば管理者もやってくるはずだから、そのまま帰るといいさ、お譲ちゃん」 

「…………」

「ああ、そうだ。改めて名乗っておこう。あんたが恨みに思ったときに、詰る名前が無いと不便だろうからなぁ」

 少女のうらめしげな無言に、外間は笑みを浮かべて気軽な調子で続ける。

「俺の名前は外間信道という。文字は、外と間に、信じる道と書く。今年からこの学校に通う予定なんでね、仕返ししたいならいつでもどうぞ? もっとも、今以上に酷い目に遭いたいというのであればという話だけど」

 少女は外間の言葉、その内容に眉根を詰めた困惑を示す表情を浮かべた。そして、口をもごもごと動かし、何事かを言おうと言葉を探している様子も見て取れた。

 しかし。

「一番いいのは、お互いがお互いのことを忘れて、お互いがお互いの日常を続けていくことだ。それ以上のことは望むべきではないし、望めるものでもない。――なんてな。ただの独り言だ、忘れてくれていい。別れの挨拶、その枕詞というところでね」

 外間はあっさりと少女に背中を向けて、少女から離れる方向へと足を進めていく。

「サービス、というより、正確には副産物的なものでしかないのだけど。あんたとあんたの雇い主の間にあった契約と、管理側から一方的に取りつけられた識別票は砕けて壊れた。登録は残っているままで、だ」

 一息。少女が息を呑んだ気配を背中に感じつつ、続ける。

「後は好きにするといい。――はてさて。あんたはどこぞの神様の筋書き上においてサブヒロインだったのかヒロインだったのか。関わっちまった以上は最早どうだったのかなんて確かめることは出来ないけれど。ここから先は自己責任で、どうなりたいのか選んでみるといいよ」

 本当は常にそうなんだろうけどなぁ、と。

 外間は誰にともなく呟いて、見ているか見ていないのかも気にせずに、背後で横たわっているだろう少女に手をぷらぷらと振って見せながら、その場を去って行った。







 学校の敷地から出た外間は、ふと思い出したようにポケットから電源のついていない、一昔も二昔も前に消え去った型の携帯電話を耳にあてた。

『…………』

 電源が入っていないにも関わらず。その通話口からは確かにどこかの無音が返る。

 外間はそれを当然として、抑揚のない、感情の見えない――ただし、聞いている人間の背が凍るような声音で一方的に言う。

「俺のやりたいことは済んだ。仕事に戻れ。ただし、死んで無い方に関しては干渉するな。気付いたことがあったとしても動くな。あと、壊した校舎のところはしっかりと直しておけよ。――ああ、返事は要らん。結果で了解の意図を示せ」

 返事は無かった。しかし、それは外間の言葉通りの反応であったから、外間はそれ以上何も告げずに携帯を耳から外してポケットに仕舞い直す。

 そして、止めていた足を再び動かし始めながら、

「今日やるべき場面はこれにて終了、と。……さっさと家に帰って寝るか」

 欠伸をひとつ漏らして、血塗れのままで家路についた。







 それから数日後。

 入学式を終えた後で、外間は旧校舎へと足を運んでいた。

「面白い構造だよなぁ。出来ればこっちで学生生活を楽しんでみたかったもんだが。生まれるのがもう何十年か早かったなら、というところか」

 そのまま入口正面の階段をあがり、踊り場に腰をおろして頬杖をつく。そして、言う。

「やあ、お譲ちゃん。また会えるとは思っていなかったよ。しかも年上とはね、驚いた」

 笑みの響きでそう告げる言葉の先、見下ろす視線の先には一人の少女が立っていた。

 金髪青目。ふわふわと波打ち、腰まで届く長髪を制動の余韻としてゆらゆらと揺らすその姿は、ほんの数日前に会った時となんら変わるところはない。唯一違うところがあるとすれば、今その身を飾るのが、純白のワンピースではなく、この学校において今年の二年生であることを示す赤い校章が縫いこまれた女子制服であることだろうか。

「…………」

 少女は無言で、ただ外間を強い視線で見据えるだけだ。

 外間は苦笑を浮かべ、

「なんだ、折角人気のない所にわざわざ出向いて、出待ちをしてあげたっていうのに。下衆にかける言葉は無いと?」

 わざとらしく、残念そうに肩を落として見せる。

 その時、ほんの少しだけ視線を少女から視線を外した。

 その視線は少女から見て左手にある教室と教室の間――中央廊下のあたりにある死角に向けられていた。

 少女はそのことに気付いて、外間につられるように視線を動かそうとしたが、

「お譲ちゃん。あんたは、俺から視線を外しても五体満足で居られると、そう思うのか?」

「……っ」

 外間の言葉に、強引に視線を固定させられた。そのことに、苦虫を噛み潰したような、苦い表情を浮かべてみせる。

「それで? わざわざ会いに来てくれたのは嬉しいけれど。用件は何かな?」

 外間の質問に、少女はしばし逡巡するように口をもごもごと動かしていたが、やがて口を開いて言った。

「幾つか聞きたいことがあってここに来た」

 聞きたいこと? と外間が眉をひそめた視線で問うので、少女は続ける。

「あの夜。何の目的であの場に来たのか」

「大した目的じゃあない。昔読んだラノベで、似たような場面があったと思い出したんだ」

 ラノベ、という言葉に、少女はひどく残念なものを見るような視線を外間に向けた。

 その視線を受けて、外間はひどく歪んだ――それでいて楽しそうな笑みを浮かべて言う。

「とある夜。学校の使われていないだろう場所で、魔術による闘争があった。それを見た、何の関係もない人間が、その場における勝者に命を奪われる。……ここまでは、よくある話だろう? でもな、その話で面白いところは、それが仕組まれていたというところにある」

 一息。頬杖をつきなおして、傾ぐ視線で少女を見ながら、

「闘争はそもそも仕組まれていたものだ。トーナメントみたいなものだと思えばいい。だったら、その場を仕切る審判がいるはずだろう? その審判が、気に入った容姿を持つ一般人を巻き込ませて、秘匿するべきという心理に基づいた参加者に殺させる。そして、その死体で遊んでいた。遊びの内容はご想像にお任せするが、まぁ、性的なものも含まれていたんだろうな。

 そして、いずれ訪れる参加者と運営側との戦いにおいて。殺された人間が敵として現れるわけだ。なんで殺したんだと、その時になって初めて殺した人間は恐れを抱く。事実を突き付けられて初めて、秘匿するべきだから殺すという論理に疑問を抱く」

「…………」

 少女はわずかに、無表情の中に動揺による硬さを滲ませた。

 外間はにんまりと口元を笑みに歪めて片目を閉じて、

「ま、そういうお話しだったのさ。俺の語りじゃあ、大して感動は生まないだろうが。どうだ? 少しは思い至るところがないか、お譲ちゃん」

「それは現実と異なる。今回のことと、関係がない」

「ああ、そうだ。あの場とその話の違いをあげるなら。あんたが命を奪うために行動を起こした相手が、偶然として巻き込まれたわけでもなければ、誰かが巻き込ませたわけでもなく、自分の意思で関わりに来たというところだなぁ。そして、だからこそ。本当にそれと似通ったオハナシになったのかは、もはや誰にもわかりゃしねーってことでもあるわけだが」

「どういう意味だ?」

「そのまんまだ。また似たようなことを言う羽目になる気はするが、言っておこう。――可能性という言葉の意味を知っているならば、その問いを発した己を愚かしいと恥じれよ」

 外間は色の無い声でそう吐き捨てた後で、渋い声で唸りながら頭を掻いて、自嘲するような笑みを浮かべた。

「話の着地点が若干ずれたな、失礼した。あんたが聞きたいのは、端的な内容だった。

 そう、どこまで話したんだったかな。……ラノベで似たような場面があって、というところまでか。似たような場面があることを思い出した後で、俺がそれを読んだときにどう考えたか、ということを思い出したわけだ。

 ――ああ、もし俺がこの物語の片隅、その行間に存在した上で、介入が許される立場だったなら。この場面をぶち壊してやるのに、ってな」

 だから実行したんだ、と。

 外間はただ何でもないことを話すように、そう言った。

「ああ、それでも条件くらいはあったんだぜ? どっちも女の子だった場合だけ、そうしようと思ってた。――野郎を助けるような趣味は無いんでね。今回はたまたま、条件が重なっていたから実行したのさ」

 俺から用意出来る回答はこれだけだ、と外間はそう言って、降参というように両手を肩のあたりまで挙げて見せた。

「……私を、縛りから解放したのもその一環だと?」

「縛りってのは契約とか登録とかってことか? ありゃテキトーな推測だったんだが、当たりだったのか。……否、あんたが聞きたいのはそんな背景ではないか。こう答える方が意図にそうかな? 

 正確に言えば、それは俺が意図した結果じゃあない。起こった結果を、あんたがどう解釈するかという問題でしかない。俺が使える手段で、お譲ちゃん、あんたになるべく傷を与えることなく制圧するためには、あれが一番楽で確実だった。俺としては、それだけだ」

「結果として、私に都合のいいことが起こったと?」

「そういうことだ。そもそも、俺があんたにとって都合のいいことをわざわざしてやる理由があると?」

 外間がくつくつと笑いながらそう言うと、少女はわずかに顔を赤くして、

「……そうだな、あるわけがない」

 何でもないことのように、そう言った。

 しかし、少女の体の横に揺れる両腕、その手がわずかに握りこまれて震えているのを外間は視界の中に認める。口調で表されているほど、感情が波立っていないわけでもないということなのだろうと、外間はそれ以上の感情移入を行わずに問いを投げた。

「それで? お譲ちゃん、あんたの用件はそれだけかな」

「ああ」

「じゃあ、今度は俺の番だ」

「……? 私に何か用事があったのか?」

「もしも縁があって会うこともあればと。まぁ、趣味を楽しむ程度の意図だが」

「何だ?」

「これからどうするんだ?」

「何も考えてなどいない」

「ふぅん。普通の学生生活をしてみたいだとか、そういう考えは浮かばないのか?」

「どうせ私は、また戻ることになるのだろうからな」

「可能ならば戻りたくはない。もしくは、融和する方法が判らないから出来る自信がない。――ははっ、たったそれだけのことを、大仰な言葉で飾るのはいやはや本当に、物語の登場人物らしくて見ている側としては面白い」

「……っ!」

 外間が無遠慮に笑うその顔を、少女は鋭い目線で睨みつけた。

 外間はその反応すら面白いと笑みを深めながら、言う。

「そこで俺から一つ提案だ。どうせ戻ることになるという、去ることになるという、そんな諦観があるのなら。しばらくの間、今までとは違う形で学生生活を楽しんでみるといい。行動サンプルくらいなら、貸してやる」

 行動サンプル? と、少女は胡散臭いものを見るような、戸惑いの色の強い視線で問いかける。

 外間は踊り場におろしていた腰をあげて、階段を下りて少女に近づきながら、

「そうサンプルだ。誰かが、ある場において、こんな個性を持った人間であればこういう行動をするだろうという思考実験の結果を書き綴ったものを、何というか知ってるか?」

 言っている自分がおかしくてたまらないと、そう言うように外間は笑みを曲げる。

 少女は問いの内容に、訳が判らないと視線の色を戸惑いから困惑へと変化させる。

「答えられるか? お譲ちゃん」

「知らない」

「こりゃまた簡潔で、残念な回答だ。だから正解を教えよう。――正解は、物語だ」

 そう言って、外間は制服のポケットから二冊の薄い本を取り出して、少女に向かって差し出した。

「……は?」

「一冊は、さっきも言った似たような場面が書いてあったやつ。それで、もう一冊は日常系のどたばたコメディ――って今死語かなこれ。まぁいいけど。そんなやつな」

 ほれ、と。受け取れと、そんな意図を感じさせるように、外間は持っている本を上下に揺らした。

 少女は意味が判らないまでも、拒みきることが出来ずに渋々といった様子で、二冊の本を受け取った。

「その本を貸してもらったのか、それとも譲り受けたのか。その判断は、お譲ちゃん、あんたに任せよう。好きにしたらいい。

 貸して貰ったと思うのならば、読み終わって面白くて続きが読みたいと感じた場合に返しに来い。続きを貸してやる。譲り受けたと思うのならば、読むのも読まないのも自由だ。もし読んで、続きが気になったなら自分で買え」

「こんなもの、何の役に立つと」

「物語、読んだことあるのか?」

「ライトノベルという単語は知っている。漫画みたいな絵のついた、低俗なものだろう」

「イソップ物語からは教訓を読み解くことが出来る。今は絵本になっていても。哲学書からも人生の教訓を知ることができる。個人の経験を基にした、思考実験をただ主観に基づいて書き綴っただけなのに。それで、どうしてラノベだけが例外だ? 漫画だけが例外だ? 思考することを止めた人間が読めばそうなるだけだ。何を学び、活かすかはそれこそ別だろうに。肌に合う合わないがあるだけだと、俺は思うがね」

 一息。いいから、と呆れた吐息を吐いた後で、外間は続ける。

「お譲ちゃん、あんたは物事を難しく考えすぎてるきらいがあるように感じる。何かしらの娯楽を知って、それを得るために行動することを覚えろよ。とりあえず読んでみろ。日常系の方はそこそこお気に入りのやつなんだ、面白い。読んで損はねーと思うぞ」

「なぜ?」

「何の意図をもってそう尋ねたのか、判じかねるが。

 ラノベみたいな日常に身を置きながら、その楽しさがまったく理解できていないように思える人間が、俺は嫌いでね。折角、誰もが憧れるような役柄を貰っているのに、それをやる気なく演じられていては興醒めだ。なにより、俺は感情がよく見える人間の方が好きなんだよ。女なら特に。娯楽を知れば変わるかもしれないから、そうしているだけだ」

 少女は外間の言葉にしばし沈黙を返した後、手の中にある本に視線を落とし、再び視線を外間へと向けて、問う。

「あなたは毎日が楽しいの?」

「新しいラノベを読むのは楽しいし。たまに、こうやってそれらしく演じる機会にも恵まれてた身の上だ。――正直、退屈だと思ったことの方が少ない。この役回りを貰ってからは」

 そう言いきった外間を見て、少女はそう、と短く頷きを返した。

「御厚意、感謝する。ありがたく拝借させて頂こう」

「そうかい。だったらまぁ、人間らしくやっておくべきことがあるんじゃあないか? お譲ちゃん」

 外間の笑みを見て、少女は昨夜のことを思い出して、

「ああ。失礼した。――私の名前はアクセラ・カークストンという。以後お見知りおきを」

 優雅に見える、滑らかな動作で、スカートの裾をつまんで頭を下げた。

「外人らしい横文字ネームだ、いいねぇ。……末永いかどうかはともかく。どちらか一方が飽きるまで、そこそこ友好的な関係でいよう」

 外間はそう言って、少女――アクセラの肩に手を乗せた。

「ああ、その上で一つ約束して欲しいことがある」

「……何だ?」

「いやまぁ、無い方が嬉しいし、もしもあったらという程度なんだが。――もしも、昨日の場面を誰かに話すようなことがあれば、その時お前は色んな意味で酷い目にあったんだと、そういう扱いにしておいてくれ」

「……なぜ?」

「かっこつかねーじゃん。悪役っぽい立ち位置には、そういう事実が必要な時もあるんだ。口裏を合わようぜと、そういうお願いさ」

 アクセラは外間の言葉を数秒、頭の中で咀嚼していたが、やがてぽつりと言った。

「君は馬鹿だろう?」

「よく言われる」

 外間は苦笑を浮かべてそう答えた。







 中央廊下の奥を気にしてその場に残ろうとするアクセラを、外間は無理やりその場から追い出した。

 そして、戻ってくる気配が無くなったことを確認した上で、

「もう出てきてもいいぞ。それとも、俺がそちらに出向いた方がいいかな? お譲ちゃん」

 アクセラが気にしていた場所に向けて、声を投げる。

 その声を合図に、そこから一人の少女が廊下の陰から出てきながら、呆れと諦めをないまぜにしたような響きで言う。

「名前を知っているならそちらを使ってほしいものね、外間」

「いや、この呼びかけ方が好きなもんでね。好きなラノベに出てるカッコイイおっちゃんがこういう風に呼びかけてるのを真似てみてるんだ。キャラ作りの一環と思って許しておいてくれよ、川上さん」

 そういって出てきた少女――川上萌という名の少女に向かって、外間は楽しそうに笑いながらそう言った。

 川上は、その笑みを見て心底呆れたと言わんばかりに溜息を吐いてみせる。

 彼女の姿は、数日前とは少し異なっていた。

 とは言え、違うのは服装がこの学校の制服になっている点と、髪型が違うという点だ。髪は肩口よりも少し上の辺りにまで長さが短くなっている。

 どういう意図でもってそういうことをしたのかは知らないが、まぁ女の子は髪型を変えるのも遊びなんじゃないかなぁとか結論付けることにする外間であった。

「髪型変えたんだなぁ、川上さん。長いのもいいけど、それくらいの長さもなかなか似合ってるじゃあないですか」

「はっ」

 とりあえず誉めてみたら鼻で笑われたので、外間は吐息をひとつ吐いて頭を掻く。

「そんなことはいいのよ。私が聞きたいのは、なんでこんな場所に呼ばれたのかということと、さっきまでの出来事はどういうことなのかということよ」

「先夜、あんたが関わることになっていたかもしれない出来事の一端を聞かせてやるからここにいろ――なんて意味合いの文章を書いて、あんたに送りつけていた筈なんだけどね。前にも言ったじゃあないか、俺の言葉は基本的に字面以上の意味なんてないって」

「そりゃあ悪かったわね。生憎と、私は察しが悪いのよ。字面の意味さえマトモに読み取れやしないわ。特にあんたが相手の場合だとさ」

 だから説明しろと、力のこもった強い視線で川上は問うた。

 外間はお手上げだというように、両手を肩のあたりまであげてみせた後、続く動きで両手を下ろして肩を落としながら吐息をひとつ吐く。

「ま、別に大した話じゃない。そもそも終わった話だから、本当の意味でそうなったかどうかも判らんし。……正直、俺は好きじゃないんだけど」

 そう言う外間の声には、うんざりという感情が滲み出ていた。

 川上はそれを無視して、強い声音で宣告するように言い放つ。

「いいから、言え」

 外間は諦めたように吐息をひとつ吐き、とりあえず口を動かした。

「……川上さん、あんたがあの場に行ったのは誰かの差し金だった。なぜか判らないけど、と言ったがそれは当然。だって、あんたの意思じゃねーんだから。俺の見立てが正しければ、あの場で止めていなければあんたは死んでただろう。そして、自我の連続性はほぼそのままで、道具として使われていただろうし、その後、さっきの女の前に戦力として出ることになっただろう。

 ただし、これはあんたがあの場にいった場合における可能性だった。

 現実は違う。俺はあんたを止めた。だからあんたはあいつには会わなかったし、今ここにこうして生きて在る。そして、俺があんたの反応を楽しみたいがために、この場に呼ばれてここに居る」

 これで答えになったかな? と、外間は疲れたような笑みを見せた。

 川上は外間の発言内容を受け入れにくいと思いながらも、腕を組み、必死に咀嚼しようと眉間に皺を寄せながら、それを揉みほぐすように指をぐりぐりと押し当てる。そして、数秒考えた後で、唸るように言った。

「意味が、判らないんだけど」

「そうか? ああ、手段が判らないとかそういうところかな。魔術とか超能力で説明しちまえばいいだろう。それとも、それが現実に存在するという考え方をする自分がそもそも嫌だとかそういうことか? そればっかりは仕方ない、あるもんはあるんだから」

 外間は川上の意図するところが判らないので思いつくままにテキトーなことを言ってみた。

 川上は外間のそういう態度を見て、呆れと諦めを等分に含んだ視線で見ながら言う。

「そういうことを言ってるんじゃあないわよお馬鹿。いや、それもないことはないけどさ。あの日あの場で結局、何があったのか私には判らない。何をやったらあの子がこの場に来るの?」

「ん? あの子がこの場に来たのは俺の意図じゃないから知らない。あの日は、単に俺が刺されたり斬られたりしただけだ。いや、死ぬかと思ったし、死ぬほど痛かったわけだけど実際。女の子は大事に扱わないといけないからな、傷つけたりはしてない。それこそ魔術を使って丁寧に寝かしつけてあげたくらいだぞ? まぁ何もなしは悲しいからほんのちょこっとだけ悪戯したけど、致したわけでもないしなぁ」

「致した、ってあんた……」

 言葉の選び方とその内容に、川上は三白眼を向ける。

 女子としてそれは当然かと、外間はそう思いながら肩をすくめて見せた。

「気になるのはそっちか。俺としては斬られたり刺されたりしたってところに反応して欲しかったけど」

 川上は色々な感情を吐き捨てるように、大きな溜息をひとつ吐き、頭が痛いというように、うつむき加減の表情を隠すように、手をこめまみに当てた。

「……いいけどさ。結局、あんたは何がしたかったわけ? 私をここに呼んだ意味は結局何?」

「意味なんてないさ。やりたいことをやってるだけなんだから。ただ、聞いてみたいことがあってね」

 聞きたいこと? と、川上は顔から手を離して怪訝な表情を外間に向けて、問う。

「何よ?」

「そういう世界があると知って、川上さん、あんたはそれに関わりたいと思うかい?」

 外間の質問、その内容があまりにも予想外だったので、川上は反応を返すのが遅れた。そして、反応もほぼ反射的に間抜けな反問を口から漏らす程度のものだった。

「え?」

 外間はその様子に頓着せずに、畳みかけるように言う。

「魔術は便利だぞー。力の届く範囲で、あらゆることが可能になる。修練は必要不可欠だし、相性の問題も確かにあるんだけどさ。一番いいところは何と言っても、狭い世界だからこそ、現実社会で楽に生きることが出来るようになるというところだな。宝くじを買うときに確率を少し操作してやったり、馬券買うときに、参加する馬に対して仕掛けをすればある程度の確率で当たりが引けるようになる。儲けようはいくらでも。それだけで暮らしやすくはなるだろうし。例えヒトを殺したとしても、前後関係が不明だから、捕まったりもしない」

「もし興味があると言ったらどうするの?」

 川上は外間のその様子に困惑しつつも、挑むような笑みを浮かべてそう問うた。

 外間は何でもないことを聞かれたかのように、気軽な調子で答える。

「教えてあげようか? ただし、川上さんが魔術を使えるようになるように、教えるだけだが」

 ただし。だけ、という言葉だけ意味深に、ほんの少し強調するように、語調が強かった。

 その意味を少しだけ考えた後で、川上は吐き捨てるように、けれどほんの少し楽しそうに笑って見せた。

「……はっ。お断りよ。私は私の現実で精一杯。新しく加えても、対処しきれる自信なんてない」

「そうか。それは、まぁ、賢明な判断だと言っておくべきかな」

「それよりも。聞きたいことが増えたわ」

「何か?」

「魔術を使う人間ってのは、とにかく隠したがるものでしょう。バレたら殺すっていうのはフィクションとしては常套だけど、極端な例のひとつよね。でもさ、普通は隠すように頼んできたりするもんだと思うのよ。なんであんたは、そんなに開けっぴろげなワケ?」

 外間は川上の問いに、意外なことを聞かれたと少し驚いたように目を開いた後で、大きく笑った。

「隠したところで意味もない。というか、普通に考えれば判るだろ?

 あいつが魔術使ってました! とか言うのか素面でオマエ。俺はイヤだぜ、そんなの。何言ってんだこいつみたいな目で見られるのは勘弁だし、二次元と三次元の区別ついてないオタクってとか言われるのもイヤだっての。みんなそうだろ? だから、気にする意味もねーのさ。使ってるとこみられようが、俺がフィクションみてーな魔術を使えると知られようが、何かしら干渉する必要性を感じない」

 心底おかしいと言うように笑う外間を見て、毒気を抜かれたような表情で川上が茫然と尋ねる。

「はぁ、そんなもんなの?」

「あくまで俺はそう思う、というレベルの話だけどね。常道な連中はみんな大抵、対応は過激になりがちだ。ま、所属する魔術社会――否、この場合は狭い意味での世界と言う方が近いかもしれないが、そこにおける常識とか、それが形成された背景とか、色々複雑な要因があるのさ。物語なんかでは、魔女狩りの歴史がどーのこーのと、そういうもんが背景としてあったりしてるけど。それもなくはないのかもしれないが、今もそうだというわけでもないだろうし?」

 外間はけらけらと笑いながら、肩をすくめて見せる。

 川上は納得いかないような、眉根をつめた表情を見せながら言う。

「つまり、あんたは例外だってこと?」

「そういうこと。だから、人気のないところとかに行く時は注意しないとダメだよ、川上さん。そういう状況がよく書いてあるのがラノベだ。見ておくとフラグとかがよく判るから、見ておくことをオススメするぜ。面白いし」

「……だから、三次元と二次元を混同するなって」

「混同しているわけじゃあない。単に、参考にしているだけだよ。俺の価値観では考えることのない部分が見えたりするからな。利用価値は決して低くない。それだけ。

 あと訂正だ。俺がこうして優しいのは女と認めた相手に対してのみでね。男やその他が相手なら、基本的には無視か、記憶を消すなりで対応をする。男に絡まれて喜ぶ趣味はないんで」

 ご理解いただけたかな? と外間は笑う。

「……何が」

「あんたが知りたいと、ほんの少し、頭の片隅で思っていただろうことは納得の上で理解を得られたのかな? と問うているのさ。ついでに、俺の人となりも理解して頂けたなら幸い」

「まぁ、多少はね。常人としては、聞かなかったことにしておきたいけれど」

 言って、川上は盛大に、わざとらしく吐息をひとつ吐いた後で肩を落として見せた。

 外間はそれを見て、淡く笑みを浮かべて問う。

「改ざんしてあげようか?」

 その問いに、川上はまず吐き捨てるように笑みを投げた後で、挑むような視線を外間に向けながら、肩を竦めて見せた。

「いいわ、別に。ただの与太話だもの。面白い話が聞けたと、そう落着させておくことにするわ」

「かっこいいねぇ」

 外間はそう言って、川上に背を向ける。

「ま、お互い縁があったらまた会おう。同じ学校に居るんだから、縁が全く無いというわけでもないだろうし。その時はよろしく頼むわ」

「口止め、しなくていいわけ?」

「言いふらしてくれてもいいぜ? 出来るもんならな」

「……あんたがやらなくても、それが不都合だと思う他人が勝手にやると、そういう意味でもあるわけね。さっきの話」

「さてね。その辺は好きに解釈してくれよ。

 何はともあれ。おつかれさま、と。そう言っておく。無駄足に近いことをさせて悪かった」

「反省は?」

「謝罪含みという意味合いならしてはいない。たった一つのさえたやり方があったのではないかと――そういう意味では、反省してるけどね」

「なんだそりゃ。それもどこぞのキャラの真似?」

「そんなところだ」

「なぁ、外間」

「ん?」

「私はあんたに恩を感じるべきなのか?」

「はっ。馬鹿馬鹿しい。俺がやりたいことをやった結果として、あんたが勝手に助かっただけだ。恩を感じるところなどありゃしない。もしも気分が悪いなら、今度何か奢ってくれ。うまいものがいい。学食でも、外でもいい。その程度のことだ」

「……連絡先を知らないんだけど?」

「おお、そういえばそうだったなぁ。赤外線で交換するか?」

 お願いするわ、と川上が苦笑を浮かべて応えた。

 赤外線でお互いの連絡先を交換した後、でもなぁ、と外間は困ったような笑みを見せた。

「しばらく忙しくてな。お誘いを断るやもしれん」

「忙しい?」

「さっきの子とあんたを鉢合わせにするには、少し時期が早いだろう? ま、川上さんは川上さんで、自分の交友関係を固めるので忙しいだろうし。誘うなら一ヶ月くらい待ってほしいなぁ。それなら心おきなく行ける気もする」

「あの子、また来るの?」

「さあね。来るにせよ、来ないにせよ、だ。女の子の作る社会に関して、俺は男だから詳しくないので判らないけど。最初の一ヶ月って結構重要なんじゃないの? それを置いてまで、返す必要はないということさ。お互い、これからの学生生活は大事にしないと」

「命を救われた恩と、これからの自分のことを天秤にかけたら、普通は前者に傾くと思うのだけど?」

「だったら恩だなんて思わないでくれりゃーいい。それでチャラだ」

「……了解了解。わぁーかったわよ。一ヶ月後くらいに、うまい飯を奢ればいいんでしょう」

「ま、あの子同伴でも良ければ、いつでも構わないんだけどさ。悟られないように演技が出来るようには見えないし。面倒そうだから。もしもあの子がこれからも絡んでくるようであれば、一ヶ月程度でどーにかするよ。だからまぁ、あんまり期待はしてないけれど、一ヶ月後くらいに、飯を奢ってくれるって連絡が来るのを、個人的な楽しみにしておこう」

 じゃあね、と外間は言って、川上に背を向けて歩き出した。

 その背に向けて、川上は言う。

「期待は裏切らないよ」

「だと嬉しいけど」

 外間は背中にかかる声に、手をぷらぷらと振って見せることで応じて見せながら、その場を去った。

「私もさっさと帰るかな。しかしまぁ、我ながら変な奴と縁が出来たものよね。そこそこ面白いからいいけどさ」

 川上は外間の姿が完全に見えなくなってしばらくしてから、ぽつりと呟いて、外間と同様に旧校舎を後にした。

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