8話 乗船拒否
宿を出て町の食堂で朝ご飯を貪るように食べた後、道具袋に仕舞っていた金の入った皮袋を、腰のベルト部分に括り付ける。たとえ道具袋を捨て置かなければならない状況になったとしても、金さえあれば問題ないと考えたからだ。
そして、俺はレベシュタットの町を出た。目的地は、北のヴァッサラントの町。半日くらいで着くかな、と見当を付け、俺は一人街道を歩き続ける。ヴァッサラントには、他の大陸へと渡る定期船が出ている。俺はそこから、他の大陸へ渡るつもりだった。
ミアとエルデの話では、魔晶石はこのオフティオン大陸だけにしか存在していない、というふうに聞こえた。しかし、俺はどうしても納得がいかなかったのだ。
そもそも冒険者協会は、他の大陸にもあるはずなのだ。修行時代、他の大陸から来たという冒険者と何度か会ったことがあるし。
他の大陸の冒険者は、魔晶石と全く関わらない生活をしているのか。本当に魔晶石は、他の大陸に存在しないのか――。
俺はそれを自分の目で確かめたいという、激しい衝動に駆られていたのだ。その一方で、なぜか胸がざわざわしていた。
半日ほど歩くと、港町ヴァッサラントに辿り着いた。この地に伝わる伝統なのか、目に入る全ての建物が白だ。日の光を反射してちょっと眩しい。町の入り口に構える門は鉄製っぽかったが、それも白色に塗装されていた。町に入る手前から潮の香りは漂ってきてはいたが、中に入るといっそう香りは強くなる。頬を撫でる潮風が気持ち良い。
入り口のすぐ前には、これまた白色の大きな噴水が設置されていた。ここは町の人達の憩いの場となっているようだ。大勢の人間が噴水の縁に腰掛けていた。噴水は魔法道具を使ったものらしく、時おり水の放出で様々な模様を描くらしい。ちなみに誰かに訊いたわけではなく、噴水のそばにある石にそういう説明が書かれていた。噴水の真ん中で佇む水瓶を持った白い美女の像を一瞥し、早速俺は港へと向かう。
俺の心は、町に着く直前から浮き足立っていた。のんびりゆっくりと、町中を見て回る気になれなかったのだ。
まずは乗船券を買わなければ。海が広がっているのは西と北の方向なので、とりあえずそっち方面に行ったら港は見つかるだろう。
鼓膜を震わす寄せては返す波の音が、徐々に大きくなっていく。ほどなくして連なっていた白い建物が途切れ、視界が開けた。その瞬間、俺は意図せず感嘆の息を洩らしていた。
すげえ……。
光る海面の上に、木造の大きな船が二艘、堂々たる姿で浮かんでいた。大きすぎて横も縦も、この距離だと視界に入り切らない。
間近で見ると、めちゃくちゃ大きいな。正直、ここまでとは思っていなかった。山育ちの俺は、実は船を見るのはこれが初めてだったりする。この未知の物と出逢うワクワク感も、村で暮らしたままだったら味わえなかっただろう。これこそ、冒険者としての醍醐味かもしれない。
と、感動に打ち震えて口を開けている場合ではなかった。既に日は傾き始めている。今日中に乗船できなくとも、事前に券を買うくらいはやっておきたい。
視線を船から少し手前に移すと、船着場の外れに小さな丸太小屋があった。建物上部に掲げられた木製の看板の文字を追う。どうやらあそこが乗船券売り場らしい。
止めていた足を再度踏み出し、売り場へと向かう。既に俺の意識は別の大陸に向いていた。
まずはどこの大陸に向かおうか? 一番近い、北西のカノメボラ大陸が無難かな。いやいや、どうせならもっと遠くの大陸に――。そんなことを考えながら中に入ると、すぐに受付のお姉さんと目が合う。濃い紫の髪を後ろで一つに纏めたお姉さんは、微笑しながら軽く首を傾けた。
「乗船の手続きですか?」
「あ、はい」
「申し訳ございませんが、本日の便は全て終了いたしました。次の出航は明日の朝七時の予定です。ご予約が可能ですので、乗船されるのでしたらこちらにご記入をお願いします」
そう言うとお姉さんは、カウンター越しに紙とペンを差し出してきた。
以前、話だけは聞いたことがある。密航を防ぐために、船に乗るには色々と手続きが必要らしい。何でも身体検査も行われるとか。まぁ、俺にはやましいことは何もないわけだし、それは大して問題ないだろう。
早速俺は、受け取ったペンで記入欄を埋めていく。まずは名前。そして性別と年齢。
滞りなく書き進めていたが『職業』と書かれた欄に差し掛かった時、俺の心臓の速度が僅かに加速した。
ついにきた。職業『冒険者』を他人に名乗る時が……!
心臓が爆音を鳴らす中、俺はゆっくりと『冒険者』の文字を書き終えた。ちょっと手が震えていたのか、若干ミミズの這ったような字になってしまっている。まぁ、読めるし問題はないだろう。受付のお姉さんは、俺が書いた文字を凝視している。俺が冒険者だということが意外だったのかな?
「確認ですが、あなたは冒険者の方ですか?」
「ああ、そうだ」
自信たっぷりに俺は頷く。誇らしささえ感じるくらいだった。しかし俺の返答に、何故かお姉さんの表情が曇った。
「ならば申し訳ございませんが、乗船券をお売りするわけにはいきません」
「え!? どういう意味だよ?」
「そのままです。冒険者は船に乗せないようにと、魔晶協会の方から各地の港に通達が出ております」
「なっ!?」
お姉さんの口から出てきた意外な名称に、俺の心臓が跳ね上がる。
魔晶協会から!? 一体どうしてそんな――。
「あと」
「何だよ。まだあるのか?」
「はい。他の冒険者の方と接触した場合、くれぐれもこの事は伝えないように、と」
「船に乗ることができないのを、秘密にしておけってことか?」
どうしてそんな情報規制をする必要が? 本当に意味がわからない。
「はい。もし伝えたことが発覚した場合ですが、その時は魔晶協会から登録を抹消する、とのことです」
「――――!」
俺はさすがに言葉を失った。魔晶協会から登録を抹消だって!? それってつまり、冒険者をやめさせられるってこと!?
「何だよそれ!?」
「申し訳ございませんが、私どもはそれだけしか伝えられておりませぬ故、これ以上のことはお答えできません」
受付のお姉さんは、少し困った顔をしながらも事務的に答えるだけ。この様子だと、本当に知らされていないらしい。俺は肩を落としながら、その場を去るしかなかった。
ヴァッサラントの町の魔晶協会は、海の近くにあった。しかしここの魔晶協会は、夕刻までしか開いていないらしい。俺が着いた頃には、既にあの杖と馬が描かれた旗は仕舞われており、魔晶協会の扉は堅く閉ざされていた。
乗船券売り場で聞いたことは、果たして本当なのか。本当ならば、なぜそんな通達を出しているのか――。早急に聞きたいことがたくさんあったというのに。何度かノッカーを鳴らしてみたが、うんともすんとも返事はない。
おそらく俺が本気を出せば、この木製の扉をぶち破ることは難なくできる。だがそんなことをしてしまうと、魔晶協会側の俺の印象は最悪なものになってしまうだろう。冒険者になったばかりだというのに、今後のことを考えるとさすがにそれは躊躇してしまう。
仕方がない。今日はもう宿で休むか……。朝からずっと歩き詰めだったし。
焦りと不安を強引に胸の奥底に仕舞った俺は、腰に括り付けていた金の入った皮袋に手を伸ばし――。
「……あれ?」
俺の手は皮袋に触れることなく、すかっと空振るだけで終わってしまった。
もう一度。
またもや、するりと垂直に落ちていく手。
まさか……。
恐る恐る、腰を見る。子供の頃初めて魔物と対峙した時以上に、心臓の速度は上昇していた。
…………ない。
レベシュタットの魔晶協会で得たお金が、ない。
ベルト部分に括り付けていた、大事な皮袋が――。
「おいおいおいおいおいおい!?」
え!? え!? なんでないの!? 嘘だろ!? もしかして、誰かに盗まれた!?
体中をペタペタと触ってみるが、当然体のどこかにくっ付いているわけもなく。
いや、思い出せ。冷静にだ。落ち着け俺。こういう時は慌てるな。一つずつ思い出していくんだ。
町に入ってから、色々な人とすれ違いはした。が、誰かに接触された覚えはない。何より、どの人間とも一定の距離を保って移動していたのだ。一番多くの人とすれ違ったのは噴水のある町の入り口だが、誰にも近付いていないし、誰も俺に近付いてこなかった。元々は拳闘士の修行をしていた俺。それなりに人の気配はわかるつもりだ。もっともプロの暗殺者が近付いてきた場合は、さすがにわからないかもしれないが。でも、俺はただのなりたての冒険者だ。そんな怪しい輩に狙われるような人間ではない。
となると、どこかで落としたってことか……。今まで通ってきた道を虱潰しに探して行くしかないのか。
あぁもう。どうして気付かなかったんだよ、俺……。あの皮袋の中には、まだ九百ルクル以上入っていたんだぞ! 結構ずっしりとしていたじゃないか!
でも確かに思い返してみれば、街道を歩いている時、俺の頭の中は魔晶石や次の大陸のことでいっぱいになっていて、道中の記憶がほとんどない。用心のために道具袋から出していたことが、仇となってしまった……。自分の注意力の散漫さに憤りつつ、俺は下を注視しながら、元来た道を戻るのだった。
じめっとした暗黒オーラを背負っているのが、きっと他人にも見えていたことだろう。