5話 魔晶石
洞窟の構造は、ほぼ一本道と言っていいものだった。途中で分岐もあったのだが、少し進むとすぐに行き止まりだということがわかったので、いらぬ体力は費やしていない。
道中何度かスライムに襲われたが、先ほどと同様の戦い方で、俺達は難なく切り抜けていた。ただ戦闘を終えるごとに、少しずつ俺の全身が重くなっていくのがわかった。これが『魔法力が徐々になくなっている』ということらしい。この例えようのない気だるさとずっと付き合っているのかと思うと、『魔法使い』や『僧侶』といった職業の冒険者達に、急に尊敬の念が湧いてきた。
「ご主人様。あそこに何かあるよう」
横を歩いていたエルデが声を上げる。エルデの視線の先にカンテラを掲げ、暗闇の先にじっと目を凝らす。どうやらここは袋小路らしい。灰の岩壁が行く手を塞いでいた。その岩壁の下の方でカンテラの光を受け、一瞬だが何かが煌いた。周りを警戒しつつ、俺達はゆっくりとその光った物体に近寄る。
「これは……」
透き通った紫色。整っていない多角形。そして、地中から生えるようにして存在している宝石のような物――。
魔晶協会で説明を受けた物と、条件が一致している。これが魔晶石で間違いないだろう。
俺はすぐさまその場にしゃがみ、魔晶石に手をかける。指先から伝わる、ひんやりとした感触。深く埋まっているものだとばかり思っていたが、随分あっさりと魔晶石は地から離れ、俺の手に収まった。
「リュディガ。それ、持って帰るの?」
俺から数歩離れた所からミアが聞いてきた。その声には幾ばくかの不安が混じり、怪訝な目で魔晶石を見据えている。
「ああ。そもそも、これを取りにここへ来たわけだし。何か問題でもあるのか?」
「ミアが言いたいこと、私もわかるよう。なんかね、それ、すごく気持ち悪い感じがするんだよう……」
エルデは手と足を琥珀の甲羅に引っ込めて、ミアの言葉を補足した。もしかして魔晶石には、神獣が苦手な成分が含まれていたりとかするのだろうか?
……あ。
そういえば、一つ思い当たることがあるぞ。
「きっとこの魔晶石から『瘴気』が出ているからだろ」
魔物は、魔晶石が発する瘴気に誘われて集まってくる。つまり魔物がいる所には、高い確率で魔晶石がある、ということなのだ。この洞窟は入り口に結界が張ってあるので、外から他の魔物が入ってくることはない。それでも魔物を引き寄せてしまうほどの瘴気に、神獣達が良い感じを抱くわけがない。
と俺は考えたのだが……。
「ううん、瘴気は別に気にならないの。こう、何と言えばいいのか……。単純に気持ち悪いのよそれ」
「でも、そんなこと言われてもなぁ。これを魔晶協会に届けないとお金が貰えないんだよ」
冒険者の大半が、この魔晶石で生計を立てている。これを持って帰らないと、冒険者としての存在意義がほぼなくなってしまう。そもそも俺は、これを得るためにここまで来たんだ。
尚も不安顔のミアとエルデを尻目に、俺は道具袋にささっと魔晶石をしまう。結構な重さだが、その重さが気にならないほどの高揚感が俺の胸いっぱいに広がっていた。やはり何かを達成した後というのは、気持ちが良い。
「さあ、帰ろう。気持ち悪いのは町に着くまでだ。それまで我慢してくれ」
「わかったわ……。リュディガの魔法力はかなり減っているみたいだから、帰り道はできるだけ戦闘を回避しながら進みましょう」
ミアはそう言うと、長い体をくねらせながら先に進み出す。
「ご主人様、魔法力あまりないみたいだもんねぇ」
再び甲羅から手足を出したエルデが、若干溜め息を交えながら呟いた。
「お、俺は元々、拳闘士として修行してきたんだ。それは仕方がないことだろっ」
「へえ、そうだったんだねえ。確かにご主人様の格好、拳闘士みたいだもんねぇ」
神獣使いの宣託を受けた後も、俺は特に防具を揃えることなく、そのままの格好でここまでやって来ていた。だってこっちの方が動きやすいし。……というか神獣使い専用の防具は、当然のように女性用ばかりだったのだ。
「二人とも静かに。お喋りしてるとスライムに見つかっちゃうじゃない。ただでさえ、その気持ち悪い石でスライム達が寄ってきやすいというのにっ」
「はい、ごめんなさい」
「ごめんよう」
ミアに怒られた俺とエルデは、互いに顔を見合わせた後、口を真横に結んだのだった。
あれから、何とか俺達は無事に洞窟から脱出することができた。
スライム達に見つからないように慎重に進んだものの、やはり何回かは回避しきれない戦闘があった。その戦闘で俺の魔法力とやらはほとんどからっぽになってしまったらしく、体中に巡る倦怠感はピークを迎えていた。拳闘士としての修行をしていた頃も、ここまでの疲労を感じたのは三日三晩山歩きをした時だけだ。改めて、魔法力とやらの凄さと影響力を実感する。
町へと続く街道を進む間、二体とも俺から少し距離を取って移動していた。こういう街道には基本的に魔晶石は存在していないので魔物に襲われる心配は限りなく低いのだが、洞窟ではほぼくっ付いた状態で移動していただけに、やはりちょっぴり寂しい。
しかし、どうして二体とも魔晶石をそんなに避けるのだろうか。気持ち悪いと言っていたけれど、俺には綺麗な宝石にしか見えないけどなぁ。俺は単純に気になったので、二体に聞いてみることにした。
「なぁ。お前達を召喚したのは、俺が初めてなわけじゃないんだろ? 前の神獣使いの時も、魔晶石を手に入れた後はこんなふうにして距離を取っていたのか?」
「前のご主人様は、一度もそんな石を取りに行ったことはなかったよう」
「ええっ!?」
エルデの返答に、俺は思わず声を上げてしまった。
魔晶石を取りに行ったことがないだって!? それは冒険者として旅をしていなかったということか!? 驚愕する俺を置いて、さらにミアがすました顔で続ける。
「私もそんな石を見たのは、これが初めてよ。そもそも冒険者はその石を取りに行かなければならないって、それさえも初耳なんだけど」
ミアの口から出てきた衝撃的な事実に、俺は耳を疑った。
「どういうことだよそれ!?」
「私に言われても知らないわよ。ただ、私が前に喚び出されたのは、こことは別の大陸だったから、原因はそれなんじゃない? 大陸が違ったら冒険者のやることも違うのよ、きっと」
「え……。それじゃあ、魔晶石はこの大陸にしかないってこと? 他の大陸にはないってことなのか!?」
「そうなんじゃない?」
俺の心情など知る由もなく、あっけらかんと言うミア。俺は眩暈を覚えずにはいられなかった。
いずれは他の大陸に渡り、世界を股にかける冒険者になる予定だったのに。まさか魔晶石がこの大陸だけのものだったなんて……。
いや、まだだ。これは単なる推測でしかない。自分の目で確かめるまで、俺は信じないぞ。だって魔晶石がこの大陸だけの物だなんて――。
町に着くまで俺の頭の中は、そんなモヤモヤした考えでいっぱいになってしまったのだった。
煉瓦造りの家が建ち並ぶ、緑溢れる町、レベシュタット。町の至る所に大きな木があり、いかにものどかな風景が広がる町なのだが、俺が育った村とは人口の多さが天と地ほどの開きがあった。
冒険者が必ず属さないといけない『魔晶協会』は様々な町に支部を置いているのだが、職業を決める『宣託の神殿』があるのはこの町だけなので、必然的に大陸中の冒険者志望が集まってくる町でもあるのだ。
そのレベシュタットの町に入る直前で、俺はミアとエルデの召喚を解除していた。
「町には冒険者ではない人間の方が多いんだ。お前らを連れて歩いていると目立ってしまう」
というふうに二体には説明したのだが、それは俺の本音の半分だった。もう半分は、俺が『神獣使い』ということを、誰にも知られたくない、という理由からだった。
今まで、清き乙女だけしか選ばれたことがないという神獣使い。それなのに男の俺が神獣を引き連れて町中を歩いていようものなら、見世物同然の扱いをされてしまうことになるだろう。だから二人には少し悪いと思いつつも、町の手前であちらの世界に還ってもらったのだ。
まぁ、俺の下手糞な笛のスキルでも、召喚しようと思えばいつでもできるということはわかったからな。
と、安堵するにはまだ早い。さっき手に入れた魔晶石を、早く魔晶協会に届けなければ。
頭の中で目的を改めて確認した俺は、町の中心からやや西寄りにある魔晶協会へ、足早に向かうのだった。