2話 召喚
「おおおおっ!?」
思わず一歩後退する俺の頬を、冷たい水飛沫が撫でていく。
現れたのは、俺の身の丈ほどの大きさはあろうかという、蛇だった。蛇は虚空で何度か回転すると、輪を描くような体勢になった。
ふよふよと浮く蛇の体は淡い水色で、まるで水晶のように煌いている。俺はどこか幻想的なその光景に、しばらく口を開けたままポカンとすることしかできないでいた。
「もう、喚ぶならもっと綺麗な音で喚びなさいよね。何よ、あの情けない音」
そんな俺を見下ろしながら、蛇はいきなり喋りだす。非常にサバサバした声と話し方だ。薪をスッパリと割る、切れ味の良い斧のようだ。
空に浮いていた蛇は、そこで地に下りてとぐろを巻く。そしてコバルトブルーの目で、俺の全身を舐めるように見始めた。
「あ、あら、男? え、え!? どういうこと? それともあなた、実は男装癖のある神獣使いなの?」
そこでようやく俺は我に返る。どうやら今の言葉から判断するに、この蛇は俺が喚んだ神獣らしい。あんな音でも召喚できてしまうものなんだな……。宣託の偉大さをしみじみと実感した後、俺は少し眉根を寄せながら蛇に答える。
「俺は、正真正銘の男だ。悪かったな。男の神獣使いで」
俺だってなりたくはなかった、と口の中で小さく呟いたところで、蛇はくるりとその場で一回転した。
「……素敵」
「……は?」
蛇の言葉が一回で俺の脳に吸収されなかった。蛇はコバルトブルーの瞳をキラキラとさせながら続ける。
「素敵。あなた素敵。ねぇ、名前は?」
「お、俺はリュディガ」
「リュディガ。名前も男らしくて格好良いわね。海底を思わせるその藍色の髪も素敵だわ」
「ど、どうも……」
はっきり言って、今まで自分の容姿を誉められたことなどない。自分で言うのも何だが、俺の顔立ちは平凡という形容以外当てはまらないほどの、平凡顔だと思っている。子供の頃、村の女の子に「リュディガの顔って何の特徴もないよねえ」と言われたことがあるくらいだ。初めて自分の容姿を誉めてくれたのが蛇なのは若干残念ではあるが、それでも誉められたら嬉しいものである。
「その翡翠色の瞳、まるで活きの良いワカメみたいで本当に素敵」
「それはちょっと、言われた俺的には微妙な言葉なんだけど!?」
「あら、そう? 鮮やかだって言いたかったのよ」
「なら最初からそう言ってくれ」
それにしても、ここまで素敵を連発されると照れ臭い。これが蛇じゃなかったらもっと良かったんだが……。
「そうだ。君に聞きたいことがあるんだ。もう一体喚び出したいんだけどさ、それって俺が選べるの?」
「何を言っているの? あなた神獣使いなんでしょ」
「そうだけど……。実は俺、今まで笛とか吹いたことなくってさ。試しに吹いてみたら君が現れたもんだから、こっちとしても驚いているところなんだ」
俺は、神獣を喚びだそうと思って笛を吹いたわけではない。それなのにこの蛇が現れたのには、何か理由がある気がしたのだ。
「確かに、あの音は素人感丸出しだったわね。でも、あなたは神獣使いに選ばれたのよ。もっと自信を持ちなさい。心に思い描くだけでいいの」
「心に……」
えらい適当な感じがするのは、俺の気のせいだろうか。そんなざっくりとした感じで本当にいいのか?
「私が現れたのは、あなたのイメージに引っ張られたからよ。これからじめじめした場所に行こうとしていたんじゃない? 頭の隅に少しでもイメージがあれば、私達はそれに応えることができるの」
「すごいな。その通りだ」
確かに喚び出す前に、地図で洞窟の場所を確認していた。なるほど、それだけでも良いってわけか。
「ならばイメージしなさい。できるはずよ」
「わかった。やってみる」
これから俺が向かおうとしている場所は、洞窟だ。既に水属性は喚びだした。ならば喚び出すもう一体は決まっているようなものだ。洞窟内にどんな魔物が生息しているのかわからないので、ここはまず地理的状況に詳しそうなのを召喚しておくべきだろう。
俺は再び笛を構え、今度は思いっきり息を吹きかけた。
『ぴすー』
「うわ、やっぱりださっ」
「お前、散々乗せておいてそれは酷いだろ!?」
蛇に俺がツッコんだ、その時だった。
俺の足元の土が、急激に盛り上がり始めた。まるで意思を持ったかのように波打つその光景は、ちょっとだけ不気味だ。そしてギュルギュルと回転しながら、地を突き破って何かが飛び出てきた。
出てきたのは、亀だった。
亀と言っても、その甲羅は普通の亀とは違っていた。まるで大きな琥珀をそのままくっ付けたような、非常に美しい甲羅だったのだ。甲羅は日の光を反射し、キラキラと宝石のような輝きを放っている。その煌びやかな甲羅に、しばし俺は見惚れてしまった。売ったらかなりの値になりそうだな……。
そんなちょっとやましいことを考えている間に、亀は甲羅から頭と手足を出し、ペチペチと音を立てながら俺の足元まで移動してきた。なかなか和む光景かもしれない。
「あなたが、わたしを喚んだのー?」
その亀の喋り方は、非常にのっぺりとしたものだった。何というか、もっと巻いて欲しい。
「あ、ああ。そうだけど」
「男の人なんて初めてだぁ」
亀は黒く丸い目を輝かせている。やはり神獣側からしても、男の神獣使いは初めてみたいだな……。本当に何で俺、選ばれちゃったんだろ。
「うん。まぁ、俺も神獣使いになるつもりはなかったんだが、なってしまってな……」
「ううん。わたしは構わないよー。何だかあなた、すごくすてきだもの。ごつごつした腕の筋肉が、すごく好み」
「えっ!?」
またしても誉められてしまった。今まで人間の女の子にはまったくそういうことを言われたことがなかったのに、一体何なんだ。俺は神獣達の好みのタイプってことなのか?
「ちょっと。何色目使ってるのよ。私が最初に喚ばれたんだからね」
「色目なんか使ってないよう。そもそも神獣使いは二体連れて歩くのが基本なんだよう。順番はそんなに関係ないよぉ」
「何よドン亀のくせに」
「水蛇こわいよう。もう少し性格を丸くした方がいいと思うんだよぉ」
「え、えっと……」
どうしよう。いきなり言い争いを始めてしまったぞこいつら。本格的な喧嘩になる前に、どうにかして止めた方が良い気がする。
「そういえば、お前達の名前をまだ聞いていなかったな」
俺のその一言で、二体は揃ってこちらに顔を向ける。軋み合っていた空気は、ひとまず和らいだようだ。良かった……。俺としてはやはり仲良くしてもらいたい。見た目は爬虫類同士なわけだし。
「私はミアよ。水の神獣。よろしくねリュディガ」
「あっ。もう名前を聞いていたの? ずるいよぉ」
「ま、まぁまぁ。それで、君は?」
「わたしは、土の神獣のエルデだよお。早く契約をしようよぅ」
「あ、うん、わかった。契約ね、契約」
……おい。何だよ契約って!? そんなの聞いてないし知らないぞっ!? でも何となく馬鹿にされるのが嫌だったので、つい知ったかぶりをしてしまった! やばい。俺のちっぽけな自尊心がさらなるピンチを生み出してしまったぞ。
「わかったのなら、早くあなたの左手を出して」
ミアがせっついてきたので、言われるままに左手を出す。ミアとエルデは俺の手の前に並ぶと、同時に小指に噛み付いてきやがった!
「いてっ!?」
思わず手を引っ込める俺。見ると、小指の四箇所から点のような血が滲み出ている。二体はすかさずその血を舐めとった。
「よし、契約完了、と」
「よろしくねご主人様」
「お、おう」
今ので契約とやらは終わったのか。なるほど、ようするに血を舐めさせれば良かったってことか。心の準備もできないままに噛み付かれたので、かなりびびったじゃんか。
しかしご主人様、か……。うん、何だか照れる響きだな。ムズムズする。そんな胸の中に手を突っ込みたい衝動を抑えていた俺に、エルデがキラキラと輝く目を向けてきた。
「それにしてもご主人様の笛、とても下手くそだったですー」
「ぐっ……」
ズバリと言うエルデに、俺は思わず苦渋の声を洩らしてしまった。ていうか、それはそんなキラキラーンとした目で言うセリフじゃないだろ!?
「よね!? さすがにあれはないわよね!?」
「本当に喚ばれてもいいのか、少し悩んじゃったなぁ」
「私も私も!」
つい先ほどまで一触即発な雰囲気だったのに、あっという間に意気投合をする蛇と亀。だが俺の笛が下手くそなのは事実なので、何も言い返すことができない。
耐えろ俺。男気溢れる拳闘士――じゃなかった、神獣使いになるって決めたんだろ?
……まぁ、この場は丸く収まったから、結果オーライということにしておこう。
「とりあえず、行くぞ」
笛のことで盛り上がる二体を背に、俺は足早に歩き出す。これ以上笛のことについて触れてほしくなかったのもあるけれど。
「あ、待ってよ」
「待ってぇ」
二体は慌てて俺の後を追ってくるのだった。