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23話 光

 体を動かすことができないのに、涙だけは俺の目から勝手に流れてきた。悲しいのか、怖いのか、絶望からか、別の感情なのか。よくわからないけれど、涙は頬を伝い続けた。

 ダルクヘイスの金色の瞳が、ゆっくり、ゆっくりと俺に向けられる。


『うぬは、神獣使い(サマナー)か』


 問われたが、俺は答えることができない。奥歯は噛み合わず、カタカタと音を鳴らすだけ。声が、出ない。だがダルクヘイスにとって、俺のその様子などどうでも良いことだったらしい。


『気に食わぬ。他の神獣は、如何なる理由を以って人間に使役されているというのだ』


 俺に、いや、神獣使い(サマナー)そのものに向けられる負の感情を乗せた言葉に、俺の心臓はさらに恐怖を感じ、速度を上げる。


『精霊界も腑抜けたものよ。やはり一度、我の闇に呑み込まれるべきだ』


 ダルクヘイスの掌が、俺に向けられる。何をしようとしているのか、考えなくともわかった。それなのに俺の足は、地に縫い付けられたかのように動かない。動けない。


『なかなか良い感情を醸し出しておるな。美味い。美味いぞ。精霊や神獣の絶望の味もなかなか美味であるが、人間の絶望ほど濃厚で美味いものはない』


 終わりか。

 こんなところで、俺の人生は終わってしまうのか――。


 頭の中で閃光が弾けたのは、絶望が胸を支配した、その時だった。

 光と共に次々と俺の中に流れくるのは、記憶という名の濁流。


 ――お前が冒険者になるだと?


 聞いたことのある男の声。これは隣に住んでいたおじさんの声だ。


 ――よせよせ。すぐにドジを踏むくせに。この前だって大事な生活費を落としていたじゃないか。冒険者なんぞ無理に決まっている。


 その声は、既に俺が記憶の彼方にやっていた言葉を紡ぎ出す。


 ――リュディガには危険だ。この村で姉さんと二人、のんびり暮らしていけばいいじゃないか。


 別の聞いたことのある声が、またしても俺に言ってくる。


 ――お前は、まだ子供だ。


 こんな時に、一体どうしてこんなことを思い出すんだ。これが俗に言う、走馬灯ってやつか?

 拳闘士になると言った時、村のみんなには(ことごと)く反対された。お前には無理だ。危険だ。諦めろと。

 けれど、俺は諦めなかった。諦めるなど、そんなことできなかった。

 村を飛び出た俺は、とにかく修行をした。拳闘士になった日のことだけを夢見て、ただひたすらに頑張ってきた。その夢は、結局叶うことはなかったけれど。

 それでも、俺は冒険者にはなれた。

 望んでいた形ではないが、冒険者にはなれたんだ。

 そう、俺は冒険者になったばかりだ。まだ何もしていないのに、ここで終わってしまうのか。あんなに希望に満ち溢れていた日々は、何だったのか。

 視界の端に映るテアは、胸の前で両手を強く握り締め、放心していた。

 ごめんな、テア。やっぱり連れてくるべきじゃなかった。こんな目に遭わせてしまって、ごめんな。

 心の中でテアに深く懺悔した、その時だった。

 突然俺の腹の奥底から、熱い何かが湧き上がってきた。腹の中で蝋燭(ろうそく)が燃えているのではないかと錯覚してしまうほど熱い。俺は堪らず顔を歪め、腹に手をやる。


『私を()びなさい。人の子よ』


 清流のように澄んだ声が、直接俺の頭の中に響いてきた。

 何だ、この声は? これは絶望に染められた俺の心が生み出した、幻聴か?


『幻聴ではありません。私を、()びなさい』

「誰だ? ()ぶって、一体何を喚べばいいんだ?」


 声の主がどこから語りかけているのかわからなかったので、俺は声に出して訊いた。いきなり独り言を発したようにしか見えなかったのだろう。テアは訝しげな視線を俺へと向けている。


『私は、既にあなたと会っている。私は、闇を滅する存在』

「会って――?」


 瞬間――。

 頭の中で、腹の奥で、熱い何かが弾けた。

 森の奥。

 蜘蛛の巣。

 綺麗な羽の蝶。

 白い果実。


『人間界側で、闇の神獣を復活させようとしている――。その兆候を感じた私は、あの日、自力で人間界へと降り立ったのです。私を召喚できる者は、今までいなかったから。人間には大き過ぎる力ゆえ。しかし、人間界では私はあまりにも無力でした。蜘蛛の巣に絡め取られてしまうほどに』


 あぁ、わかった。俺が助けた蝶は――白い果実をくれた少女は、この声の主だったんだ。


『神獣は人間界では、召喚されぬままだと百分の一ほどの力も発揮できない。身を()ってそれを知った私は、あの日力を振り絞り、あなたに託しました。真っ直ぐで優しい心を持つ、小さな小さな光の種を持った、人間の少年に』


 洪水のように頭の中に押し寄せてくるのは、白い果実を齧った『あの日』の記憶。


『あなたの中にある光を育てていけば、きっといつか、私の光にも耐えられるほどになるだろうと。私を召喚してくれるだろうと。それは、賭けに近かった。それでも、私はあなたに託した』


 俺はゆっくりと立ち上がる。腕が上がらない。俺が手にしているのはただの鉄パイプのはずなのに、まるで大木をぶら下げているのかと錯覚してしまうほど重い。でも、それに屈している場合ではない。

 俺は、『笛』を構えた。


『今まで私が見てきたどんな清き乙女達よりも、眩しい光の種を心に宿した少年』


 迷いは、ない。真っ直ぐと、ダルクヘイスを見据える。


『それは、希望。そして、未来』


 何をするべきなのか、心が、体が知っていた。


『リュディガ・ゾマー。今こそイメージするのです』


 鉄パイプが音を奏でた。それは今までで一番、澄んだ音だった。

 神殿を模した洞窟内に、低い音が反響する。


「来い! 光の神獣!」


 俺の()びかけに、光はすぐに応えた。まるで目の前に太陽が出現したのかと錯覚してしまうほどの凄まじい光量が、洞窟内を激しく照らす。俺はあまりの眩しさに堪らず目を閉じた。


『馬鹿な!? 光の神獣だと!?』


 ダルクヘイスの焦りに満ちた声が、俺の鼓膜を震わせた。

 瞼越しに光の収束を感知した俺は、ゆっくりと目を開ける。

 そこには、先ほどと全く同じ光景が広がっているばかり。何もない。

 実体はない。けれど、俺にはわかった。光の神獣は、今ここに居る。

 温かい光が、俺の右半身に巻き付くように覆った。重さも感じない。だが、右半身に光の鎧を纏ったかのような感触だった。


 ――勝てる。


 俺は確信した。この光の神獣を纏った一撃を叩き込めば、闇の神獣に勝てるはずだ!

 刹那、俺の視界がガクンとぶれた。気付いたら俺の両膝は、再度床との邂逅を果たしていた。瞬く間に、俺の心に絶望が広がっていく。

 何てことだ……。

 魔法力が――俺の体力がもう尽きているのだ。先ほどの召喚は、最後の力を振り絞ってやったようなものだった。

 腕に、足に、力が全く入らない。握っていた鉄パイプが俺の手から零れ落ち、甲高い音を立てて転がった。

 踏ん張れ。腹に力を入れろ。立て。

 歯を食い縛り、己の体に渇を入れる。だが、体は小刻みに痙攣するばかりで、俺の思う通りに動かない。

 ちくしょう……。

 ちくしょう、ちくしょう!

 一撃でいい。一撃だけでいいのに。あと少しなのに、届かない!

 床を殴りたいほどの悔しさが俺を襲うが、それすらも叶わない。怯んでいたダルクヘイスは、俺のその状態を見て口角を上げた。


『うぬはもう、力が残っておらぬのか。驚かすな、人の子よ。そのまま忌々しい光の神獣と共に果てるがよい』

「リュディガさん!」


 空間を切り裂いたのは、テアの声だった。テアはこちらまで走り寄ると、俺の背を支えるようにして両手を添えた。

 テアは背に手を添えたまま、俺だけに聞こえる声で早口で囁く。


「使ってください。私の、魔法力を」


 彼女の手が触れている背中が、急激に熱を帯びだした。

 先ほどの腹の中の熱さとは、また別の熱さだった。日差しのようにポカポカと優しく、温かい。そして、みるみるうちに俺の中から、力が湧き上がってくるのがわかった。

 これはもしかしなくても――別の人間に力を分け与える僧侶の術。


力与光(ダ・ルークス)


 テアの柔らかな声が鼓膜を震わせた瞬間、膨大な魔法力が俺の中に注ぎこまれたのがわかった。魔法力がどんなものかさえ禄にわかっていない俺だったが、今ならわかる。体の中で渦巻き続ける熱を感じながら、俺は立ち上がった。

 これなら、いける!

 俺と入れ替わるようにして、テアががっくりと床に両手を着き、荒い息を繰り返し始めた。

 でも、今は彼女の身を案じている場合ではない。ここで振り返ると、それこそ彼女に申し訳が立たない。テアがくれたこの力を、絶対に無駄にはさせない!

 俺は床を蹴り、真っ直ぐにダルクヘイスの元へと駆ける。


『人間風情が!』

「うおらああああああっ!」


 俺は光を纏った右の拳に渾身の力を込め、闇の神獣に向けて振り抜いた。


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