1話 悩める少年
俺、リュディガ・ゾマーには、幼い頃からの夢があった。
それは、冒険者となり、世界中を旅して回ること。そして拳闘士の職に就き、魔物の悪行に苦しめられている人々を救うこと。
冒険者になるには、まず『魔晶協会』と呼ばれる組織に属さなければならない。その後『宣託の神殿』と呼ばれる場所で、自分に最適な職業を告げられ、その職業に就いたのち、ようやく冒険者になれるということだ。
俺は自分が、己の肉体を武器とする「拳闘士」の宣託を受けるものだと、信じて疑わなかった。
幼い頃、俺は森で迷子になったことがあった。その時、運悪く魔物に見つかってしまったのだ。あわや――というところを救ってくれたのが、冒険者の拳闘士の男だったのだ。
あとはまぁ、よくあるパターンだな。自分の身体一つだけで魔物を退けた男が、俺の目には英雄にしか見えなかった。そしてすっかりその拳闘士に憧れを抱いてしまった俺は、その日以来、拳闘士になるために血の滲むような修行をしてきたってわけだ。
来る日も来る日も、拳闘士の宣託を受けるその瞬間を夢見ながら修行をしていた。その努力が実り、見習い拳闘士達が集まる大会で、優勝したこともある。だから俺は拳闘士以外の宣託を受ける未来など、万が一にも想定していなかった。なぜなら宣託は、その人間に一番合った職業を告げられる、ということなのだから。
待ち焦がれていた十六の誕生日をやっと先日迎えた俺は、喜び勇んで宣託の神殿があるレベシュタットの町に行き、早速宣託を受けに行ったのだ。
それなのに。
「俺の職業は神獣使いだと!? ふざけるな! 俺にはそんな適正、絶対にないと断言できる!」
腹の底から湧き上がる激しい衝動を押さえることなく、俺は近くの街路樹を拳で殴りつけた。その衝撃で樹が揺れる。葉が擦れる音と共に、虫が何匹が飛び立った。
神獣使いは、今までに女性しか選ばれたことがない職業だ。それも、穢れのない乙女のみ。なのに、どうして俺が神獣使いなんかに選ばれたんだよ!? 本当に意味がわかんねえ! 確かに俺は、童貞という意味では清いのかもしれねえけどさ! ってやかましいわ!
くだらなさすぎる自分の考えに自分にツッコんだ後、俺は先ほど殴った街路樹の横に、背中から転がった。
空は、憎らしいほど青かった。その爽やかさは、今の俺の心とはまるで正反対だ。
……ずっと、拳闘士になりたかったのに。
拳闘士になることしか、考えていなかったのに。
村の大人達に反対されても、それでも俺は修行をやめなかった。ずっと諦めなかった。
ようやく、拳闘士として冒険に出ることができると思っていたのに――。
視界の端で、青い空に散りばめられた綿のような雲が、次々と風に流されていく。同じ形を留めることなく、流れ行く雲。
ふとそれは、時間の流れを体現しているように思えた。
時間、か……。
いくら胸中で文句を並べたところで、一度受けた宣託を取り消すことなどできない。なぜなら、宣託は冒険者にとって絶対だからだ。途中で職業を変えることなどできないのだ。
この場所でうじうじしていても、もうどうしようもない、か……。
俺は空に向かって、長い溜め息を吐き出した。
宣託を受けた後、俺は空虚な心を抱えながらも、レベシュタットの町中にある『魔晶協会』で、冒険者としての手続きを済ませていた。既に俺は神獣使いとして魔晶協会に登録され、冒険者となってしまったのだ。そして、冒険者のやることは決まっている。
俺は自棄になりかけた心を振り払うかのように、足を振って勢い良く起き上がる。そして、脇に置いていた荷物袋から地図を取り出し、広げた。地図には、この大陸全土が描かれている。俺は、地図の中央からやや左下辺りに目を落とした。
ここから、ほぼ真っ直ぐ東か。
目的地を確認した俺は地図を適当にたたみ、東の方角へと向きを変えた。
冒険者になったばかりの者は、まずはレベシュタットの町から一番近い洞窟に向かい、そこである物を取って来なければならない。言わば駆け出し冒険者のための、チュートリアル的なものだ。
そのある物とは、魔晶石。
魔晶石は、瘴気を発する石のことだ。一体いつから存在しているのかはわからないが、その洞窟の魔晶石のみ、取っても取っても時間が経てば、いつの間にか復活しているらしい。
だが、洞窟の魔晶石を持ち帰ることができるのは、一回のみと決められている。冒険者は各地のどこかに存在している魔晶石を見つけ出し、『魔晶協会』に持ち帰り、換金して生計を立てるのだ。何度も復活するという洞窟の魔晶石に制限をかけないと、洞窟に入り浸る冒険者が続出してしまうことは想像にかたくない。
たまに街の住民から依頼を受け、魔獣を狩るといった仕事も請け負うことがあるのだが、この魔晶石の換金が冒険者の主な生計手段なのには、変わりない。ちなみに、取ってきた魔晶石が大きくなるほど、勘金額も増えるという仕組みになっている。
とにかく、さっさと洞窟へと向かおう。
昔から、立ち直りの早さには定評のある俺である。拳闘士になるための修行では技だけではなく、心の在り方についてもそれなりに教えてもらった。今はただ、前を向いていくしかない。
俺は荷物袋の中から、一本の笛を取り出した。
木を削って作っただけの、簡素な木製の横笛。本体には申し訳程度に、花の模様が彫られていた。
宣託を受けた冒険者には、その後魔晶協会から餞別として武器が与えられる。そしてこの笛こそが、神獣使いの武器なのだ。笛の音で神獣達を呼び出し、操るそうだ。
ちなみに拳闘士には銀のナックルが贈られる。シンプルな形状だが、そこがカッコイイ。俺も銀のナックルを装備したかった……。
と、いかんいかん。無い物ねだりはカッコ悪いな。男らしくない。俺は神獣使いになってしまったが、心は男気溢れる拳闘士のままでいたい。
早速俺はぎこちない手付きで笛を持つ。自慢ではないが生まれてこの方、楽器なんぞに触れたことはない。それどころか、音楽に全く興味がなかったのだ。
音楽で人の心を癒すことはできても、魔物を倒すことなどできない。魔物の悪行に困っている人々を救うことなどできない。そういう考えを持っていたのだが、神獣使いとなってしまった今、それは誤った認識であったと認めなければならない。
これを吹くことができなければ、神獣使いとしてだけでなく、冒険者としても終わってしまう……。
決意を固めた俺は大きく息を吸い、穴に向かって恐る恐る息を吹きかけた。
『ぴしょー』
晴れた街道に渡る、ひょろりとした情けない笛の音。
…………。
恥ずかしい。何コレ恥ずかしい。自分で出した音とはいえ、これは恥ずかしい!
自分の顔の温度が瞬時に上昇するのがわかった。誰にも聞かれていなかったことが、不幸中の幸いか。町中で吹かなくて本当に良かった……。
そう安堵した次の瞬間、俺の目の前の空間から、突如水飛沫が上がった。
えっ!? 何だ!?
驚愕する俺を置いて、水飛沫は跳ね続ける。そしてその水の中から、細長い物体が天に向かって勢い良く飛び出してきた。