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13話 僧侶

「う……」


 目を開けると、俺の眼前には濃い灰色が広がっていた。背中から伝わってくるのは、冷たく硬い感触。

 どうやら俺は今、仰向けになっているらしい。だが全身に伝わる軋みが邪魔をして、すぐに動くことができなかった。

 カビっぽいニオイが鼻をつく。ニオイ同様、体に(まと)わりつく空気もじめじめとしていた。太陽とは全く無縁そうな場所。もしかして俺は、牢の中にでも入れられたのだろうか。はて、何か悪いことでもしでかしたっけ?

 悪いこと――。

 その単語が引き金となり、徐々に意識と記憶が鮮明になっていく。俺はヴァッサラントの魔晶協会で、複数の男達に襲われたことをようやく思い出した。

 ちくしょう。何だったんだあれは。思い出すだけでムカムカする。

 いや、ちょっと待て。そういえば俺、左腕に矢が刺さってなかったっけ?

 頭を動かさぬまま、そっと手を腕に這わせてみる。ジンジンとした痛みは感じるものの、俺の右手が矢に触れることはなかった。


「あ……触らないで」


 突如聞こえた透明感溢れる女の子の声に、思わずビクリと体を震わせてしまった。声のした方に顔を向けると、白っぽいローブを着た女の子が座っていた。細く繊細な体は、まるで花の茎みたいだ。二つに分かれた長い髪は、耳の辺りから三つ編みになっている。暗くて顔ははっきりと見えないが、声から察するに年は俺と同じくらいだと思う。


「君は? それにここは――痛っ!?」


 起き上がろうと腕を付いたところで、左肩付近に強烈な痛みが走った。思わず顔を歪めてしまう俺。


「ああっ、無理はなさらないでください。一応治療術は施しましたが、杖がないので簡易な術しか使えなかったのです」

「もしかして、君が矢を抜いてくれたの?」


 俺が訊くと、三つ編みの女の子はこくりと頷いた。


「はい。出血もそこまでではなかったので、後遺症が残るような傷ではないはずです。念のため矢も調べましたが、毒は塗布されておりませんでした」


 毒――。

 その単語に、俺の全身に粟が立った。

 相手が俺を殺そうとしていなかったから助かったものの、これがもし別の状況だった場合のことを考えると、自分の油断に腹が立つと同時に怖気がする。拳闘士として修行してきた小さな自信が、今回は仇となってしまった。すぐに神獣達を召喚していれば、きっとこんな事態にはなっていなかっただろう。


『如何なる時も油断するべからず』


 修行時代、何度も聞いてきた言葉だったのに。その心をこんな実戦で忘れてしまうなんて。俺は拳闘士として失格だ……。

 いや、よく考えたら拳闘士じゃなかった。けれど、心は拳闘士のままだ、うん。

 胸中でそんなことを考えていたら、思いのほか俺の無言の時間は長いものになっていたらしい。女の子が若干眉根を寄せつつ、こちらを見ていた。


「あの、本当に大丈夫ですか? 痛いようでしたら、無理をせずもうしばらく寝ておいた方が良いかと」


 穏やかな口調で滑らかに喋る彼女。俺は痛みを我慢しながらも、何とか上体を起こした。


「いや、大丈夫だ。治療をしてくれてありがとう。俺はリュディガ」

「申し遅れました。私は、テアと申します。冒険者で、職業は僧侶です」


 お互いに、少しはにかみながら自己紹介をする。

 なるほど、彼女は僧侶なのか。治療術を施したと言ったしな。格好もそれっぽいし。


「それで、ここがどこなのかは知ってる?」

「ここは、その、ヴァッサラント冒険者協会の、地下倉庫です……。私達は、閉じ込められてしまったのです」


 少し言い淀みながら、彼女はそこで俯いた。

 ヴァッサラント冒険者協会。それはつまり、魔晶協会のことだ。ハゲ男達に襲われた後、俺はそのまま地下に放り込まれたってことか。

 俺は改めて周囲を見回す。

 薄暗いが夜の森ほど真っ暗ではないので、そこそこ見えると言ったら見える。地下倉庫とテアが言った通り、周りには幾つもの木箱が積み上げられていた。部屋はそこまで広くはない。レベシュタットの宿の部屋と、そう大差ない感じだ。ドアが一つあるが、当然鍵は掛けられているだろう。

 そういえば、背負っていた荷物袋がない。ここに放り込まれる前に、あちらさんがご丁寧に取り上げたってことか。笛は荷物袋に入れたままなので、このままでは神獣も呼べない。

 周りと自分の状況を確認したところで、俺はテアに向き直る。


「ところで、テアはどうしてここに?」


 俺が訊くと、テアは伏し目がちに答え始めた。


「私、昨日の昼にリーンガルド大陸からここにやって来たばかりなのです。そのまま船を乗り継いでガルヘルム大陸に渡ろうとしたところ、何故かできなくて……。そして他の大陸に渡れないことを、偶然出会った他の冒険者に伝えたのです。そしたら、大柄な男の人達が何人もやって来て――」

「ここに入れられてしまったと」


 言葉を継いだ俺に、テアは無言のまま頷く。

 乗船券売り場で受付のお姉さんが言っていたことは、本当だったってわけか。


「それで、君が情報を伝えた冒険者はどうなったの?」

「わかりません。自分の身のことで頭がいっぱいになってしまって……。おそらく私同様、別の部屋に閉じ込められているかと」


 不安と罪悪感からか、テアの語尾が次第に細くなっていく。きっとその冒険者も、他の場所に軟禁されているのだろう。


「でも、どうも腑に落ちないな。魔晶協会はどうしてそれを知ることができたんだ? わざわざ冒険者一人一人を監視しているわけでもないだろうに」

「それが、監視されていたようです」

「え?」


 思いがけないテアの言葉に、背筋がぞわりとなるのがわかった。


「この大陸、至るところに普通の属性精霊ではない精霊が浮遊しているみたいで。私も僧侶の端くれです。何となく、精霊の気配を感じることができるのですが……。きっと彼らが監視役を担っていたのでしょう」


 監視されていた――。

 毒水をガーゼが吸収していくかのように、テアの言葉が俺の全身に染み渡っていく。

 どうして、そんなことを。なぜ、そこまでして。

 魔晶協会は、一体どうしてしまったんだ?


「あの……私、こちらの大陸の冒険者協会が、『魔晶協会』と呼ばれていることに港に着いてから知ったのですが」


 テアの口から出た言葉は、さらに俺の体を硬直させることとなった。


「それって、いつから(・・・・)なのですか?」


 いつから――。

『魔晶協会』の名前が出てきた時期。

 そんなこと、俺は考えたことすらなかった。

 山奥の村で育ってきた俺は、拳闘士の男の人に助けられるあの日まで、冒険者を見たことがなかった。当然、冒険者についての知識もほぼなかったのだ。冒険者が皆、魔晶協会に属していることを知ったのも、修行のために村を出てからだった。


「俺が魔晶協会の名前を知ったのは、大体十年ほど前なんだけれど……。その時にはもう、魔晶協会と呼ばれていたよ」

「そうですか……」

「テア。魔晶協会は、ずっと昔から魔晶協会ではなかったということ?」

「それは、その、わかりません……。ただ他の大陸では、こういう組織は『冒険者協会』と呼ばれているものですから」

「へえ……」


 他の大陸、か。よくよく考えてみると、冒険者になることで頭がいっぱいだった俺は、他の大陸について知ろうともしなかった。冒険者になった後に、自分の目で確かめに行けば良いと。でも、それは間違っていたのかもしれない。やはり予備知識として、少しだけでも勉強はしておくべきだったのかもしれない。


「私、リーンガルド大陸以外のことには疎くて。オフティオン大陸の冒険者協会が、ここまで厳しいなんて、思ってもいなかったものですから」

「いや。冒険者になりたてとはいえ、俺も知らなかったわけだし。君が知らなくて当然だよ」

「はい……」


 テアはそこで俯いてしまった。

 しかし、不可解だ。なぜ魔晶協会はここまでして、冒険者をこの大陸に拘束しようとするのだろうか。顎に手をやりしばらく悩む俺だったが、考えたところで答えは見つからない。ただ、魔晶協会に対する不信感は増すばかりだ。


「そういえば俺、どれくらい寝てた?」


 ふと思いついたことをそのまま訊くと、テアは僅かに首を傾げる。


「ええと、おそらく半日くらいでしょうか。ここは暗くて時間の感覚がわかりにくいのですが、かなり長い間気を失っておられたのは確かです。私、心配でした……」


 俺、半日も気を失っていたのか。まぁ、昨晩は徹夜だったからな。その分の睡眠も取ったということなんだろうけど。でも、おかげで頭はスッキリしている。


「ところで、リュディガさんは拳闘士なのですか?」

「いや、その、俺は……」


 テアの直球な質問に、俺は言葉を詰まらせる。「俺は神獣使い(サマナー)だ」と言ったところで、果たして信じてもらえるのだろうか。

 彼女は僧侶だ。今まで魔法力や精霊についての勉強を全くしてこなかった俺より、知識はあることだろう。神獣使い(サマナー)が清き乙女しか選ばれたことがない職業だということも、当然知っているはずた。それに今の俺の格好は、拳闘士の修行をしていた時のままなのだ。この見た目から神獣使いを連想することは、不可能と言っても過言ではない。

 どう答えようか悩んでいる俺に、テアが訝しげな視線を送り始める。

 まずい。おもいっきり怪しまれているぞ俺。ここは正直に言うべきだろうか。でも、神獣使いになった理由とか訊かれたら困るしな……。それにやっぱり、少し恥ずかしい。「あなた本当は清き乙女だったのですか!?」などと言われてしまった時のことを考えると、どうしても躊躇してしまう。でも彼女に嘘をつくのも、俺としては嫌だしなぁ……。

 そんな堂々巡りな俺の悩みは、すぐさま中断されることとなってしまった。

 こつ、こつ、こつ。

 非常に小さな音だったが、このしんと静まる部屋の中では、その音はかなり大きく聞こえた。

 これは、誰かの足音だ。俺とテアは思わず顔を見合わせ、息を呑む。

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