9話 風の神獣
結局ヴァッサラントの町中には、お金は落ちていなかった。見つかるのは、リンゴの芯やらゴミばかり。落し物として届けられていないか自警団の詰め所にも寄ってみたのだが、そのような物は届けられていないと、ある程度予想していた通りの返事が返ってきただけだった。
いかにも『お金が入っています』と言わんばかりの皮袋だからなぁ……。既に誰かの手に渡っている線が濃厚かもしれない。
でも、まだ街道のどこかに残っている可能性もある。今は、その小さな可能性にかけるしかなかった。旅の資金が根こそぎなくなってしまったのだ。このままでは食べる物一つ買うことができない。
町を出て早々、俺は荷物袋から笛を取り出した。ここは神獣を召喚して、探すのを手伝ってもらおう……。
首をぐるりと回し、周囲に誰もいないことを確認する。やはりあのひょろい笛の音を他人に聞かれるのには、まだ抵抗があるのだ。
簡素な木の笛を唇に当て、横に構えた。構えだけは少し様になってきたかもしれない。と自画自賛して気分を上げてみる。
本当は大陸を渡る前に、この木の笛をもう少し良いやつに変えるつもりだったんだけどな。見た目から入る作戦だったのだが、早くも頓挫するとは。
俺は溜め息に似た息を、笛の穴へと吹き出した。
『ぴょるー』
おおっ。これは今までの中で一番笛っぽい音だったぞ!?
自分が出した笛の音に感動していると、眼前で小さな旋風が舞いだした。
よし、どうやら召喚も成功したみたいだ。
小さく拳を握った瞬間、その旋風が大きく弾けた。
現れたのは、鮮やかな緑色の羽毛を持つ、鷹のような大きな鳥だった。目は羽毛よりも濃い新緑色。実物の鷹よりも一回り大きい鳥は、二、三度空中で羽ばたいたのち、俺の足元に着地する。
「……男?」
緑の鷹は俺を下から見上げると、ぼそりと呟いた。声から察するに、この鷹も雌らしい。というかやはり皆、最初の一言目は同じなんだな……。
「あぁ、男だ。俺もよくわかんないけど、神獣使いになっちゃったんだよ」
半ば投げやり気味に言った俺を見つめながら、鷹の神獣は表情一つ変えることなく呟いた。
「……クール。良いと思う」
「へ? あ? ありがとう」
まただ。また褒められてしまった。そんなに俺って、神獣好みの外見なのかな?
「とりあえず、契約しようか」
俺が左手を差し出すと、鷹は鋭い嘴で俺の指先を一突きする。じわりと血が滲み出したところで、短い舌でチロっと舐められた。
うん……やっぱり痛い。
「俺はリュディガっていうんだ。よろしくな」
「私はウィン。風の神獣」
ウィンは短く答えた後、大きな翼を羽ばたかせ、俺の目の高さまで浮いた。
ううむ、何というか、ミアやエルデと比べると若干素っ気ないな。ちょっと話しかけにくいタイプだ。しかし、今はそんなことを気にしている場合ではない。
「ウィン、早速だけどお願いがあるんだ。実は俺、どこかでお金を落としちゃってさ……」
「探せば良いのね」
「うん。初めての命令がこんな探し物でごめんな」
「別に。気にしない。ご主人様の命令は絶対」
そう言うとウィンは、俺の頭上まで上昇する。
良かった……。ウィンの言葉に俺は小さく安堵した。探し物なんてそんなことしたくない、と言われてしまうことも覚悟してたんだけれど、杞憂に終わったか。
「じゃあ、早速行くか。リンゴよりも一回り大きな皮袋を見つけたら教えてくれ」
「もう一体の召喚は?」
足を踏み出した俺に向けて、ウィンが少し焦りを含んだ声をあげる。ウィンの疑問はもっともだ。神獣使いは神獣を二体連れて歩くのが基本らしいからな。一体だけだと神獣に何かあった場合、すぐに神獣使いに危険が向いてしまうかららしい。だが、俺はそんなか弱い神獣使いではない。今までずっと、拳闘士になるべく修行をしてきた。清くてか弱い、そこらの女の子な神獣使いではないのだ。ある程度は自分の身を守る自信がある。
俺はウィンと目を合わせたまま、首を横に振った。
「召喚したいのはやまやまなんだけどさ。俺、魔法力がすげえ少ないらしくて……。何があるかわからんし、念のため温存しておこうと思って」
「……了解」
ウィンはそれ以上口を開くことなく、もう街道へと視線を送っていた。口数は少なくとっつきにくい印象だが、物分かりが良いという点では非常に助かる。
「リュディガ。一つ言っておく」
「え、何?」
「暗いから、遠くまでは見えない。私、鳥目」
「…………」
俺は痒くもない頬を、思わず指で掻いてしまった。
これは、喚び出す神獣を失敗してしまったかもしれない……。でも、何もしていないのに召喚を解除するのもちょっと悪い気が…。それに召喚するだけでも、多少魔法力を消費してしまうらしいのだ。それでは俺の少ない魔法力が無駄になってしまう。
「じゃあ俺が街道の西側を見るから、ウィンは東側を見てくれ。ゆっくりでいいからさ。それならいけそうだろ?」
「……わかった」
ウィンは俺と少し距離を取ると、早速街道を低く飛び始める。俺は荷物袋からカンテラを取り出し、慌ててウィンの後を追うのだった。
ゆっくりで良いと言ったのに、ウィンの飛ぶ速度はなかなかのものだった。俺が地面を見ながら歩いているせいかもしれないが、緑の羽はあっという間に夜の闇に紛れて消えてしまった。あの速度だと、レベシュタットの町まで行くのにもそう時間はかからないだろう。何とか見つかると良いのだが。
俺はカンテラを下にかざしながら、黙々と歩き続ける。一度通ってきた道を、こんな形で戻る羽目になろうとは。冒険者生活が始まったばかりだというのに、とんだ災難だ。
肩を落としながら、俺は石を敷き詰めただけの街道を踏み締める。
街道に沿うようにして、すぐ隣には馬車の轍が続いている。街道として敷かれた石の大きさや形は不揃いで、馬たちが走りにくいからと聞いたことがある。元々街道は町から町への道しるべ的な意味合いの方が強く、歩きやすさはあまり考慮されていないらしいので、仕方ないのかもしれない。
そんなどうでも良いことを考えていた時だった。
「リュディガ!」
前方から聞こえてきたウィンのその声は、焦りを含んだものだった。猛スピードで飛んで来たのか、俺が顔を上げた時には既に眼前にいた。ウィンはそのまま俺の頭上を旋回する。俺のお金を見つけたわけではないことは、訊かずともわかった。
「たっ、助けてくれ!」
中年の男の悲愴な声が、夜の空気を切り裂いた。その助けの声は、間違いなく俺に向けられたものだろう。
ウィンが今飛んできた方角から、一台の荷馬車がこちらに向かってきていたのだ。御者の男は、上質な服装から察するに商人だろうか。男は何度も手綱を振り、馬を急かしている。
何があったのかと、問うまでもなかった。複数の魔物がわらわらと行列をなし、馬車を追いかけていたからだ。
あれは、フォレストゴブリンか。老父のような顔の真ん中に、尖った長い鼻がくっ付いている。顔だけを見ると人間に見えなくもないが、木の枝を何本も編み込んだような体がそれを否定していた。腕や脚からは幾つもの木の枝が生えており、先に葉を茂らせている。
指先から蔓の鞭を繰り出し、危害を加えてくる魔物だ。普段は木に擬態して、近くを通りかかった動物や人間を襲う。俺が子供の頃に森で襲われた魔物は、実はこいつだったりする。待ち伏せ狩りが得意なくせに、走るのも速いという厄介な魔物だ。
俺は神獣使いだが、修行で得てきた体術は惜しみなく利用していくつもりだ。こいつらはスライムと違って軟体形の魔物ではないので、俺の体術でも通用するはず。
俺はすぐさま馬車を追う先頭のフォレストゴブリンに走りより、その勢いのまま回し蹴りを放った。
「ギッ!」
金属同士を擦り合わせたような耳障りな悲鳴を上げ、仰向けに倒れるフォレストゴブリン。いきなり横から繰り出された俺の攻撃に、後ろを追いかけていたフォレストゴブリン達の視線が一斉にこちらに集まる。
よし、読み通り。魔物の狙いが馬車から俺に移ったようだ。
「そのまま町に逃げろ!」
「すまない!」
馬車を操っていた男は短く俺に答えると、さらに手綱を縦に振るう。馬車はあっという間に街道を駆け抜けて行ってしまった。