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第4話

 嫌いな授業の時間は、好きな人のことをゆっくり観察できる。

 壇上では、いつもヒステリックに喋る、バーコード頭の先生「田坂九八朗(通称QT)」が熱弁を振るっていた。

 現代文の時間、ひなはいつものように、窓際の越村をチラチラと盗み見していた。

 席替えの時、ミカの計らいで越村の隣の席に座るチャンスはあったのだが、ひなが選んだのは、越村から斜め後ろのこの席。

 ミカは消極的過ぎると怒ったが、ひなからしてみれば、ゆっくりと越村を観察できるこの席の方が、得だと思ったのだ。

 (──あ、居眠りしてる)

 ぽかぽかと暖かい日差しに包まれた窓際の席で、越村はこっくりこっくりと居眠りを始めていた。

 (──かわいい)

 ひなは微笑みながら、越村の様子を眺めていた。

 そんなひなに、セトは相変わらずの冷たい声で言い放つ。

 「そうやって見ているだけでは、想いは伝わりませんよ」

 ひなは自分の真横で、腕組みしながら立っているセトを思い切り睨みつけた。

 言葉に出すことはできないので、ノートの片隅に反撃の言葉を書き殴る。

 (わかってる!)

 「わかっていません。あなたの恋愛が成就しないと私も困るのです」

 ひなは再びシャーペンの芯をカチカチ忙しなく押し出すと、その下に書き足した。

 (じゃあどうすればいいの)

 「行動を起こしてください。今朝のように挨拶すら満足にできない今の状態では、いつになっても確率は上がりません。大体あなたは……」

 「もう、わかったってば!」

 痛いところをつかれて、思わずそう叫ぶ。

 ハッと我に返った時には、もう遅かった。

 辺りを見回すと、そこには何故か立たされている越村と、唖然とした顔でこちらを見ているQTの姿があった。

 QTは眉間に深い皺を刻みながら、その肩をふるふると振るわせている。

 「何がわかったんだ、三条。……あとで職員室に来なさい」

 低い声でそう言ったところで、授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。


 昼休み、ひなはいつも通りミカと裏庭でお弁当を広げていた。ミカは先程から興奮冷めやらぬ様子でひなに話し掛けている。

 「現代文の時間、ひな超かっこよくなかった!?見直したヨ!!」

 ひなはタコさんウインナーにフォークを突き刺しながら、口を尖らせる。

 「あれはQTに言ったんじゃ、なかったのに……」

 ひなが叫んだあの時、越村は居眠りが見つかり、ぐちぐちと絞られている最中だったらしい。皆が「いい加減しつこい」と思っていた所にひなのあの言葉だ。

 結果的に越村を助ける形になったのは良かったとしても、今後の事を考えると頭が痛い。

 QTに目をつけられた者は、授業中、特に難しい問題の時に指名され、答えられなかった場合は皆の前で吊るし上げられる。

 ただでさえ現代文の成績が悪いひなは、次回から、憧れの越村の前で恥をかかされる可能性が高くなったのだ。

 それもこれも、全てセトのせい。

 ひなは木の上に優雅に腰掛けているセトを見上げた。

 セトはその視線に気付かず、遠くを見つめている。その悪びれない様子に、ひなはさらに口をへの字に曲げた。

 「あ、誰だろ?」

 とその時、ミカのケイタイが派手に鳴り響いた。慌てて電話に出たミカのトーンが、半音上がる。どうやら最近付き合い始めた、他校の彼氏からのようだ。

 ミカは肩でケイタイを挟み、ゴメンと手で拝んで見せると、そそくさと去って行った。

 「いいなあ」

 ミカの後姿を見送りながら、そうぼやく。

 セトはその言葉を聞き逃さず、すかさず木の上から舞い降りた。

 「友達を羨ましいと思う前に、努力して下さい。……私を越村君だと思って練習してみましょうか」

 「練習って?」

 きょとんとセトを見上げる。

 「気軽に話す練習です。今私と話しているように。そうですね、無難に天気の話などから始めましょう」

 「練習して喋れるようなもんじゃ……」

 セトは言い訳がましく喋るひなに、冷たい視線を投げた。

 その視線をまともに受け、一瞬言葉が詰まる。そして諦めたようにため息をつくと、気合いを入れてセトを見つめ直した。

 自分の中でシミュレーションする。

 (──自分の前にいるのは、セトじゃなくて越村君。セトじゃなくて、越村君……)

 そこまで考えた所で、自分の顔が見る見る赤くなっていくのを感じた。

 心なしか、手も震えてきたような気がする。

 「き、今日はい、いいいい、おお天気です、ねっ…!」

 一瞬の沈黙。

 次の瞬間、真っ赤になったひなの前で、セトが小さく吹き出した。

 「……早口言葉の練習も必要ですね」

 初めて見た、セトの本当の笑顔。切れ長の目が微かに細められただけで、その場の空気が変わった。

 先程の冷たい視線の時とは全く違う、暖かい空気がセトを包んでいるようだった。

 (──天使なんだ…ホントに……)

 ひなは一瞬その笑顔に見とれたが、すぐに元のポーカーフェイスに戻ったセトを見ると、ぶんぶんと首を振って気を取り直した。

 「は、早口言葉なら言えるもん!なまむぎなまごめなまたまご!となりのかきはよくきゃくくうかきだ!!」

 間違っている早口言葉を自慢げに言い終えた途端、ひなの後ろでくっくっと笑いを噛み殺しているような声が聞こえた。

 慌てて振り向く。

 「あ、こ、越村君!」

 そこに立っていたのは、他でもない、越村だった。

 部活で焼けた浅黒い肌に、さっぱりとした短髪。ハッキリとした目鼻立ちに、サッカー部キャプテンということもあってか、越村は学年を問わず人気が高かった。

 当然、競争率も高い。

 「さっきはありがとな、マジで助かった!」

 両手を合わせ、拝むようなポーズで笑顔を見せる。そんな越村に、ひなは1人で慌てていた。

 「朝練キツくてさー、あの時間いつも眠っちゃうんだよな。……で、三条はこんなトコで何してんの?」

 「あ、ミカと一緒にお弁当……食べてて……」

 しどろもどろになりながら、懸命に答えを返す。

 先ほどのセトへの態度とは全く違う、他人と接する時のいつものひなに戻ってしまっていた。

 「いつもここで食べてんだ。それ三条の手作り?」

 うん、と返事をする間もなく、越村はひなのお弁当に手を伸ばすと、そこからキレイに巻かれた卵焼きを1つ、つまみ食いした。

 「うめー!俺いつも購買のパンだからうらやましいよ」

 そう言って屈託無く笑う。

 「あの、よかったら私、越村君のお弁当も作ってこようか?」

 (──えっ!?)

 その言葉に、ひなは目を見開いた。

 自分の声色だが、自分から発せられた声ではない。

 何がなんだかわからない、という風に口を押さえる。そしてきょろきょろと辺りを見回した。

 「マジで?サンキュー!」

 「え?え?あの……!?」

 越村はそう言うと、上機嫌で校舎へと戻っていった。1人状況が掴めないひなは、その後ろ姿を見送りながら呆然と立ち尽くしている。

 (──私、今喋った?例え喋ったとしても……)

 自分があんな積極的な言葉を言えるはずがない。考えられる可能性は──

 「これで一歩前進ですね」

 「セト!!私の声色を……!?」

 「良かったですね。練習の成果がこんなに早く表れて」

 再び木の上から様子を見ていたセトは、そう言うとニヤリと笑った。



 翌日、ひなは約束通り、越村にお弁当を作ってあげた。

 その日は渡すだけで逃げたのだが、ミカの強い押しもあって、2回目にお弁当を作ってきた時には、裏庭で一緒に食べる事ができた。

 もともと料理が好きだったひなのお弁当は越村に評判が良く、越村もひなのことはまんざらでもないように思えた。

 その為か、セトはここ数日機嫌がいい。

 日曜日の今日は、更なるステップアップの為「笑顔の練習」の真っ最中だった。

 「あなたはすぐ俯く癖がありますね。そのお陰で、せっかくの豊かな表情も隠されてしまうのです」

 そう言うと、セトはひなの表情を覗き込むように屈む。

 ひなはあまりに近くにセトの端麗な顔が近づけられたので、緊張していた。

 「まだ表情が硬いですね」

 「セトのせいなんだけど」とは言えず、更に俯く。

 「俯いては駄目です」

 「もう!……あ、そうだ、じゃあセトがお手本を見せてよ」

 ニヤリ、と悪戯っぽく笑う。

 「手本……ですか?」

 今度はセトがたじろぐ番だった。その表情に明らかに困惑の色を浮かべ、腕組みをしてそわそわし出す。

 その様子がなんだかかわいくて、ひなはここぞとばかりに強気に出た。

 「そうよ。セトだってもうちょっと天使らしく、愛想よくした方がいいと思う!」

 その言葉に心を動かされたのか、セトは極めて真面目な顔で言った。

 「やはりそうでしょうか?」

 ひなは無言で何度も頷くと、椅子を引き出し、そこにセトを座らせた。

 「いい?まず口の端をこう持ち上げて……」

 そう言いながら笑顔を作る。セトはそれを懸命に真似した。

 「こうでしょうか?」

 「目が笑ってない!」

 ひなの厳しい指摘が飛ぶ。

 「これではどうでしょう?」

 「口の端が引きつってる!」

 「では、これは?」

 「怒って見える!」


 しばらくの問答の末、セトはがくりと膝をついた。

 「案外難しいものですね……」

 ひなはセトのその様子を見ながら、小さくガッツポーズを取る。そして床に体育座りをして、今度はこちらからセトの顔を覗き込んだ。

 「笑顔って無理に作るものじゃないと思うんだ。本当に楽しかったり、嬉しかったりした時に自然に出てくるものだと思う」

 セトはひなのその言葉に、驚いたように顔を上げた。

 そして改めて床に座り直すと、しばらく何かを考えている風に黙った。

 「……そうですね、練習してできるようなものではありませんね」

 そうつぶやき、ひなの顔を見つめた。

 ひなは満足げな笑顔を浮かべる。

 セトも、思わずその笑顔につられて、顔がほころんだ。

 「あ、それ!今の顔!」

 「は?」

 「今の顔!すっごく素敵」

 セトはひなのその言葉に、ほんの少し顔を赤らめた。

 ひなには気づかれない程度の、ほんの少しのものだったが──


***


 「最近ひなって変わったよね」

 放課後、日課になっている「カフェ・クロエ」で、2人はいつもの席にいた。

 セトは、少し離れたところで、あたかも客のように英字新聞を広げ、くつろいでいる。

 「なんていうか、明るくなった。越村に対しても、結構積極的になったしさ。なんかすごいイイカンジ!」

 ミカは満足げにそう言うと、カラカラとストローで氷をつついた。

 「越村のお陰だね。恋のチカラってすごいねー」

 からかうようにそう言うミカに、ひなは慌てて否定した。

 「ち、違うったら。」

 最近、ひなは俯かなくなった。

 そのお陰で、もともと豊かなひなの表情が、生かされるようになったのである。

 でもそれは、越村のお陰だろうか?確かに越村のためにキレイになりたいと願ったが、今のひなの明るい表情は、セトとのやりとりで培われていったものだ。

 ひなはチラリとセトを振り向いた。

 セトは、その視線には気づかず、相変わらず小難しそうな新聞に視線を落としている。

 「なーに、否定してんのよ」

 ミカが再びからかうようにそう言う。

 そう、別に否定する必要はない。自分は越村の為に、明るく積極的になりたかった。

 セトは、その目標の為に手を貸してくれているだけ。ただそれだけなのだ。

 そう自分に言い聞かせる。

 だが、心の片隅で何かが引っかかっているような気がした。


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