『喧嘩百景』第1話「不知火羅牙VS緒方竜」
不知火羅牙VS緒方竜
「成瀬薫っちゅうんはあんたか」
教室の入り口で、身を屈めなければ鴨居に頭をぶつけてしまうほどの長身の一年生が、彼を待っていた。
「そうだけど、何か?」
薫はその一年生の挑戦的な視線にいやーな予感を感じて眉を顰めた。
「緒方竜や。今日転校してきたんで挨拶に来さしてもろた」
雰囲気からして、竜の言う挨拶とは決して穏便なものではなさそうだった。
しかし、
「それはどうも御丁寧に。全校を回ってるのか?大変だな」
薫はすっとぼけて彼の横を通り抜けようとした。
「んなわけないやろ。あんたに挨拶に来たんや」
竜はすっと移動して薫の進路に立ちはだかった。
「どっかで会ったことあったっけ?」
「惚けんなや。あんたが龍騎兵の総長やっちゅうんは聞いとんやで」
物凄い勢いで睨み付ける竜に、
「はあ?」
薫は思いっきり呆れ顔を作って応じた。
「どうしたの?薫ちゃん」
教室の出入口を二人が塞いでいるので中から出てきた女子生徒が何事かと声を掛けた。
「たぶん人違いだよ。龍騎兵の総長に挨拶に来たんだってさ」
薫は竜を避けて、道を開けた。不審な顔をしながら彼女が通り過ぎる。
「人違いやと?」
竜は眉をつり上げた。
「そうねぇ、だって、龍騎兵って、もうずいぶん前に解散したのよ」
女生徒は振り返って訳知り顔に教えてやった。
「今この辺りで悪いのって言ったら三高じゃないかしら?」
「お前みたいなのがおっかない顔して行ったから、やられると思って龍騎兵の名前出したんだよ」
薫はそう言って手を振った。
「ほな、何であんたの名前が出てきたんや」
「知らないよ。俺が入ってんのはお茶会同好会だけだよ」
「何やそりゃ」
空振りを喰らわされて拍子抜けする竜に「じゃな」と、もう一度手を振って薫は部屋を出ていった。
★ ★
「日栄一賀っちゅうんはあんたか」
クラスの人間から居所を聞いて、竜は保健室へ向かう通路の途中で彼を捕まえた。
龍騎兵のナンバー3。名目上のナンバー2、内藤彩子を除けば、実質ナンバー2のはずである。
薫に体よく逃げられた竜は、今度捕まえた彼にはまずがっかりした。――こいつはちゃうわ。
竜より頭一つほど背の低い色白の二年生は、クラスメイトの説明だと喘息持ちで、時折保健室の厄介になっているらしかった。
振り返った彼の名札には確かに日栄と書かれていたが、華奢な体つき、端整な顔立ち、顔色の悪さはどう見ても「最強最悪」と噂される人間と同一人物とは思えなかった。
「僕に何か用?これから保健室に行かなくちゃならないんだけど」
彼は竜を見上げて小首を傾げた。
「あんた、龍騎兵の日栄一賀か?」
竜は念のために訊いてみた。
日栄一賀なんて間違えようもない名前なのに、――やっぱあいつらデタラメ言いよったんか。
「うん。日栄一賀は僕だけど。でも龍騎兵はもう解散したよ」
一賀はどちらとも取れる言い回しで答えた。
薫のように無関係だとは言わなかった。
が。
少しかすれた一賀の声には、気管支から来る雑音が微かに混じっていた。――――喘息持ちか。
竜は口の中で「もうええわ」と呟いて一賀に背を向けた。
★ ★
「何やうちのクラスメイトかいな。授業出とくんやったで」
龍騎兵の三本柱と言われる、三人の最後の一人、不知火羅牙はまだ一年生だった。
しかも一年四組、彼のクラスメイトだ。
竜は授業の終わった教室に残っていた女子生徒から不知火羅牙の行き先を聞き出した。
「羅牙ならお茶会の人たちと図書館よ」
――お茶会?図書館?――竜は眉間に皺を寄せた。
どうなっとんのや。龍騎兵は。――ここいらの不良どもはあないにびびりあがっとったやないか。
「不知火羅牙っちゅうんはどいつや」
竜は図書館で手当たり次第に訊いて回った。
結局、五階建ての図書館の、五階にある会議室の一つで、漸く竜は「彼女」に会うことができた。
「あたしが不知火羅牙だけど」
彼女は言った。
その会議室にはどういうわけだか、成瀬薫とさっき薫の教室にいた女子生徒が一緒だった。
「女…かいな」
あからさまにがっかりする竜に、薫が面白そうに声を掛けた。
「お前、まだ挨拶して回ってたのか」
「礼儀正しい転校生ねぇ」
薫の横で女生徒もくすくすと笑う。名札には「内藤」と書かれていた。
――内藤、内藤彩子か。こいつらそろって惚けやがって。
竜はぎりっと歯を噛み締めた。
「成瀬薫。やっぱあんたやったんやな」
「だから、龍騎兵は解散したって言っただろ」
薫はティーカップで紅茶を啜りながらそう言った。
「龍騎兵がのうなっとったってかめへん。あんたの名前はまだこの辺りじゃ効いとるんや。日栄とあんたとどっちが最強か知らへんけど、あいつのあの様じゃ、どうせ勝負にゃならへん。総長自ら相手してもらうで」
竜は部屋の人間を睨み付けながら凄んだ。
部屋には薫、彩子、羅牙以外に女生徒が三人いるだけだった。
女に囲まれてへらへらしよって。
腑抜けとんなら俺様がきっちり引退させたる。
「緒方、あたしに挨拶に来たんじゃないのかよ」
もう薫以外眼中にない竜に羅牙が声をかけた。
「女にゃ用あらへん」
取り付くしまもない竜に、
「羅牙を女だと思わない方がいいぞ」
薫が忠告する。
「うちは女の方が強いからなぁ」
と、ティーポットから紅茶を注ぎ足す彩子を見上げながら付け足す。
「運動したいのならあたしが相手になってやるって」
茶請けらしい菓子をつまみながら羅牙。
「不足ならボクも加勢しようか?」
綺麗な黒髪の、とても喧嘩沙汰には縁のなさそうな色白の娘がくるりとした黒目がちの瞳を輝かせる。
「俺は龍騎兵の総長に用があるんや。関係ないやつぁ黙っとれ」
竜の言葉に薫は小さく肩を竦めた。
「しょうがない。表に出るか」
上を指差す。図書館には屋上があった。
「そうこな」
竜は嬉しそうに笑った。
★ ★
「来いよ、緒方」
屋上で竜の前に立ちはだかったのは羅牙だった。
他の連中は、部屋から机やら椅子やら茶道具やら持ち出してきて、茶会の続きを始めようとしていた。
「お前ら、なめとんのかっ。成瀬薫っ、何であんたが相手せんのや」
竜は完全に頭に来ていた。
「俺はいいよ、お前の勝ちで」
薫の方は全くやる気がない。
「そんなん聞けるかいっ、勝負せえっ」
竜は構わず薫に掴みかかった。
「あたしが相手するって言ってるだろ」
竜と薫の間に羅牙が飛び込んだ。
竜の両手首を掴む。
二人は正面から四つに組む形になった。
――何や、この女。何ちゅう馬鹿力や。
竜は手首を掴む羅牙の力に驚いた。
握力も腕力も男のそれ以上、いや、彼自身にも劣らないかもしれなかった。
「やる気になったか?」
羅牙はぎりぎりと竜の手を外側へ開いていった。
――確かにこの女ただもんやあらへん。けど――。
「あほいえ。女を殴れるかいな」
羅牙は竜の右手を思いっきり引いて、その場に引き倒した。
「じゃあ、殴らないであたしに負けを認めさせてごらんよ。そしたら薫ちゃんとやらせてやるよ」
「羅牙、勝手なこと言うなよ」
薫が不満そうに抗議したが、羅牙は「いいからいいから」と笑って手を振った。
「今の言葉、忘れんなや」
竜は身を起こして砂を払った。
この馬鹿力女、ふんづかまえてきゅうう言わしたる。
竜は羅牙に掴みかかった。
しかし、彼女は馬鹿力だけではなかった。軽い身のこなしですいすいと彼の腕をかいくぐり、紙一重のところでどうしても捕まえることができない。指先が時折触れるので、竜のいらいらは余計につのった。
後ろへ後ろへ逃げる羅牙を闇雲に追い立てる。、広くない屋上で、彼女はすぐにコンクリート製の手すりに背をついた。
もう後はない。
羅牙は拳を握ってウインクした。
「一発やっとこうか」
言葉と同時に彼女の姿が消える。
――何やっ…と!
羅牙は身を屈めて竜の懐に飛び込んでいた。
――早いっ。
竜は避けられないと覚って身構えた。
一発はもろうたる。けどそれで終いや。逃がさへんで。
攻撃してきた今が、ちょこまかと逃げ回る羅牙を捉える絶好のチャンスだ。いくら馬鹿力とはいえ女の細腕で一発殴られたくらい屁でもない――竜は打たれ強さには自信があった。
しかし、羅牙は彼の懐で身を捻った。鳩尾に拳ではなく痛烈な肘撃ちが叩き込まれる。彼女はそのまま腕を伸ばしてもう片方の手を添え、続けざまに竜の脇腹を殴りつけた。
「な――!」
横から殴りつけられ、竜はバランスを崩して蹌踉めいた。
すいっと下がる羅牙に手を伸ばすが届かない。
竜は痛みを堪えて追いすがった。
――効いたで、こん畜生。女のくせに喧嘩慣れしとるやないか。
羅牙はひょいと手すりに跳び上がった。
逃がさへん!
竜は手を伸ばして何とか彼女の腕を掴んだ。
「掴まえたで」
見上げると彼女はまだ笑っていた。
「よっ、と」
羅牙の手が竜の腕に掛かる。
掛け声とともに彼女は竜を引き上げた。
――うそやろ、こんな―――。
竜の身体は軽々と宙を舞った。
手すりを乗り越え、次の瞬間には背中から図書館の外壁に叩き付けられる。
竜の身体は五階建ての図書館の屋上から吊される形になった。
細身とはいえ七○キロはある竜の身体を小柄な羅牙が腕一本で支える。
背中から叩き付けられたので、竜の眼前には五階からの風景が広がっていた。すうっと背筋が冷える。
自分を支えているのが小柄な少女一人と知っているので、竜は身動き一つできなかった。下手に動けば二人とも真っ逆様になりかねない。
彼はそろーっと上を見上げた。
「聞いてるよ、百戦百勝、常勝不敗ってね――どうだい?初めて負けた気分は?」
ま、負け?――負けたやと?この俺が?
「まだや…、まだ負けてへん」
竜は羅牙の手首を握り締めた。
汗が滲む。
羅牙がにやりと笑った。
「あたしの勝ちにしとこうや、な、緒方。みんなにゃ黙っといてやるからさ」
がくがく震えている竜の手を羅牙はぎゅっと握ってやった。
――ま、ま、ま、負けてへんで、こん畜生。じ、じ、地面の上やったら、こ、こないなこと…。
竜は、足先からだんだん血の気が引いて、身体が凍り付いていくのを感じていた。極度の高所恐怖症――。
竜の初めての敗北はこうして決定した。
不知火羅牙VS緒方竜 あとがき
書き上げるのは順不同になりましたが、「喧嘩百景」の第一話です。
【お茶会同好会シリーズ】で最も蔑ろにされている緒方竜の転校当初の話です。シリーズの主人公で、シリーズ中最強の人物、不知火羅牙さんとの対戦。
羅牙さんは超能力者だから竜ちゃんが負けても仕方がないんですけど、女の子に力業で負けちゃうなんてちょっとかわいそうですね。
おまけに竜ちゃん、超高所恐怖症なのが羅牙さんに知られちゃうし。
話題になってる「龍騎兵」は、薫ちゃんたちが三年生になるときに解散しちゃいました。でも近隣校の生徒さんたちはまだあると思ってるんですね。「龍騎兵」っていう団体にびびってるんじゃなくて、薫ちゃんや一賀ちゃんに「龍騎兵」っていう肩書きが付いてきてるから。彼らがいる限り「龍騎兵」はなくならないのですな。だから竜ちゃんがお茶会同好会の会長になる頃には「龍騎兵」は本当に伝説になってしまいます。
最近、【惑星ブルージアの盗賊シリーズ】ばっかり書いてたから、みんな柄悪くなっちゃって。特に羅牙さんは、気をつけないとすぐ、リィみたいなしゃべり方になっちゃうから。きみたち女子高校生なんだぞ。
で、今回の話も二日ほどで書きました。書き上げて驚いちゃうのは三話ともページ数がちょっきりで終わってるということ。調節したわけじゃないのに。いや、ページ内に収まればいいなとは思ったけど。やっぱ、お茶会の人たちはしっかり動いてくれるわ。また頼むね。
ぢゃ、みなさんまた会いましょう。