和解
「あっ、おいニーナ!ミリいじめてんじゃねーよ」
「!!」
「おや…もう戻ってきたんですか」
バタン、と扉が開いて部屋に入ってきたのはベル。
そしてズンズン歩いてきたかと思えばニーナを脇に押しやって、まるでミリを守るように2人の間に割りこんだ。
ニーナはさして驚いた素振りも見せず、というよりもベルが戻ってきたことが残念そうに肩を竦めていた。
「おい大丈夫か?こいつに何言われたか知らねーけど気にすんなよ。こいつちょっと性格わりーから」
「ちょっと、失礼ですよ」
「…っ」
「ミリ?」
ベルは優しかった。
しかし今のミリにはその優しさが辛かった。
自分がイム家の人間だってバレたら、ベルもきっと優しくしてくれない。
ミリは何も言えずに、俯いた。そんなミリにベルは困惑したように首を傾げた。
「認めてしまえば良いでしょう、ミリ。自分がスパイだと」
「!!」
「へ、なにそれ何の話?」
「彼女、イムファミリーのスパイなんですよ」
「違う!だからスパイなんかじゃないって、言ってるのに…!」
聞きたくない、とミリは俯いたまま耳をふさいだ。
もうダメだ…きっと自分はこのままスパイの疑いをかけられて殺される。そう思った。
「え、おまえスパイだったの?すっげ」
「……へ?」
…が、頭上から落ちてきた言葉は想像とは遥かにかけ離れたもの過ぎて一瞬何を言われたのか理解が出来なかった。
ミリはポカンと目を丸くして、恐る恐る顔を上げる。
目の前にはベルの顔があった。
「じゃあ何、おまえもしかしてここに潜り込むためにそんなボロボロになって熱まで出してゴミ箱ん中入ってたのか?大変だったな…そりゃ泣きたくもなるよな」
「え…あ、あの…」
「僕もそう思ったんですよ、でも彼女まったく認めてくれなくてねえ。こんなに小さな女の子なのに、よほど厳しいスパイ訓練を受けてきたに違いないですよ」
するとニーナが腕を組んで、壁にもたれながら話に入って来る。
そして驚いたミリと目が合うと、ニーナはベルには見えない位置でニヤリと悪戯に笑って見せた。
「(…この人、まさか)」
「おいガキの女相手にいつまでも遊んでんじゃねーよドエスが」
「!!」
「なんだユチェ、いたんですか」
すると、部屋の入口の方から新たな声が割り込んで来た。
もはや何が何だか分からないミリが視線を向けるとそこには男が1人、ドアに凭れかかるようにして立っていた。
――目が吸い込まれてしまいそうな漆黒の髪。
ミリ自身や、ベルと全く同じ黒の髪のはずなのにその彼のものはどこか違う雰囲気を持っていて目が離せない。そして、髪と同じ黒い瞳。スラリと長い手足に、だらしなく着崩されたスーツの上からでも解るほどに引き締まった、バランスの良い体格の持ち主。そして何よりも彼自身の放つオーラが他とは違い過ぎていた。
彼こそがここ、マルシファミリーの殺し屋部隊のボス。
マルシ=ユチェだった。
「要件をさっさと言え。
俺ァ忙しいんだ」
「すぐに済みます。ユチェ、この子しばらくここに置いても良いですか。残念ながらスパイでは無さそうですけど」
「は、結局スパイじゃねーの?」
「面白そうだったので少し苛めてみただけです」
「……。」
「まじ性格わりーなオマエ!」
ユチェの黒い瞳が、ミリを捉えた。
そして暫くすると口角を軽く上げて、笑みを浮かべる。
「良いぜ、置いてやる」
「え?」
「もし俺の命が取りたくなったらいつでも来な。相手してやるよ」
ニヤリと楽しげに笑って、ユチェは出て行ってしまった。
…一体なんだったんだろう、とミリは訳も解らず間抜けな表情でその姿を見送った。
「ボスの許可を貰えて良かったですね」
「え…?」
「まあ、本当にスパイだったら面白いことになりそうでしたけど。残念ながら本当にただの小娘ですね君」
「…信じてくれるんですか?」
「まあ普通に考えれば解りますよ」
「言っただろ、こいつマジで性格わりーんだ」
「だからお詫びにここに置いて貰えるように頼んであげたじゃないですか」
どういう訳かは解らないが本当に信じてもらえたようだ。ニーナは面白そうだから苛めてみたとかそんなことを言ってるけど、ミリは違うと思った。
最初は本当にミリのことを疑っていたはずだ。
その証拠に今は、最初に感じたあの探るような色が彼の瞳から消えている。
「まあスパイでは無いにしろ、ただの反抗期の家出娘というわけでも無さそうですからね。いずれ事情は聞かせて貰いますよ」
「……は、い」
「ミリ?大丈夫か?」
「そろそろ薬が効いてきたんでしょう。横になって、眠ると良い。次に目が覚めた頃にはきっともう少し楽になってるはずですから」
「…あ、の…」
「なんですか?」
意識がまどろんでいく。
自分の意思に反して、徐々に閉じていこうとする瞼。更にニーナがミリの身体を支えながらゆっくりとベットの中に沈ませてくれた。
薄れゆく意識の中でミリは口を開いた。
「ありがとう」
その言葉が2人に届いたかどうか、確認する間もなくミリの意識は夢の中へと落ちてった。