ボス
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――あれから、なかなか戻ってこないミリが気になったキャメルは偶然廊下で一緒になったフィオナと共にユチェの部屋へとやってきた。
そうして扉を開けた、その向こうに広がっていた状況を見て2人は思わず目を疑った。
「…どういう状況よこれ」
「……さあ」
おかしいのは2つ。
まずユチェのデスクでパソコンへと向かうミリ。対して優雅にソファでコーヒーを片手に書類に目を通すユチェ、というそんな2人それぞれの立ち位置である。
ミリとしてもそんなキャメルとフィオナの視線を受けて、言いたいことは解るが自分としてもどうしてこうなったか、うまく説明できる自信はなく。ただ困ったような笑みを浮かべるしかなかった。
「何の用だ、さっさと言え」
…そんな空気を切り裂いたのはやはりボスであった。
入室してきてから一向に用件を言わない2人に痺れを切らしたのだろう。
「…そこのチビが戻ってこねえから様子見に来たんだよ」
「私もミーちゃんに用事だったんだけど…な、なんか忙しそうね」
「ああそうだな。諦めろ」
「ってオイ!その前に何でアイツがアンタの机でアンタの仕事をさせられてんのか説明しろよ」
「黙れやクソガキ。そもそもミリがやってんのは俺の仕事じゃねえ、テメエとクソギツネの分だろーが」
「…は?」
思いも寄らぬユチェの言葉にベルは目を丸くした。
そしてそれ以上に、滅多に部下の名前を覚えようとしないあのユチェの口から(キャメル自身のことはクソガキ、ラキに至ってはクソギツネ扱いだ)ミリの名が零れたことが何よりも驚きなのだ。
「テメエらがいつまでたってもまともに仕事ができねえから、コイツが尻拭いしてんだ。コイツに感謝するんだな」
「あ、あの…そんな大したことしてないんで、ホントに…」
しれっとした表情でコーヒーを啜るユチェに、ミリは恐縮しきった様子でオロオロと視線をユチェとキャメルの間を彷徨わせていた。
ユチェ曰く、まともに学校教育を受けていないというキャメルとラキ。実務任務に対する貢献度は大変に高いため特A階級に座っているが如何せん、彼らは任務報告書や事務処理系のスキルに問題があるらしい。
キャメル自身もそのことは充分に把握しているため何も言い返せなかったのだ。そんなキャメルを横目に、ユチェは意地の悪い笑みを浮かべた。
「良い拾いものしたじゃねーか、クソガキ」
「……。」
「キャメル情けなー」
「うるせえよ!」
ケタケタと笑いながら、フィオナはミリの方へと歩みよる。
「にしても、ホント凄いわねー。なんでアンタみたいなお嬢ちゃんがそんなにパソコンなんて扱えるの?」
「えっと…ルッチに教えてもらったことがあって」
「へえ。あのアロハ男もちょっとは役に立つじゃない」
「(アロハ男……)」
フィオナの言い様にミリは苦笑で返す。
確かに先日フィオナ達の前に現れたルッチの姿はマフィアらしからぬ派手なアロハシャツ姿だった。
ルッチがスーツを着てる所なんてミリですら滅多に見たことは無かったが、決していつもアロハシャツを着てるというわけじゃない。訂正するほどのことでは無いので何も言わなかったが…と、いうより。やはりまだ軽々しく彼の話題を口に出来るほど心の整理がついていないという方がミリの本音であった。
――いつかきっと、自分達は再び顔を合わせる機会は来るのだろう。
その時ミリはどんな行動を取れば良いんだろうか。
そんなことを考えると今から胸がモヤモヤして仕方がなかった。
「こんにゃろ」
「え、わ!?」
一瞬、暗い方向に思考が飛んでいたミリの意識を戻したのはキャメルだった。
いつの間にか、ミリを挟んでフィオナと反対側に来てパソコン画面を覗き込んでいたキャメルがミリの髪をボサボサにかき回したのだ。
「チビガキのくせに生意気」
「ハッ、クソガキが何言ってやがる」
「言っとくけど俺はやることが多くていちいち見直してる時間がねーんだよ。ラキの阿呆と一緒にすんな。ミリ、それちょっと貸せ」
「あ、はい」
キャメルは言いながらミリから操作端末を受け取り、いくつかの操作をしてファイルを閉じてしまった。
そんなキャメルに驚いてミリは彼を見上げた。
「阿呆のキツネの分も俺がやっとくから、お前はちょっとフィオナと一緒に出かけてこい」
「え?」
「買い物行こうよ、ミーちゃん」
「…へ、え?」
訳が分からずキャメルとフィオナの2人を交互に見比べる。
そんなミリにはお構いなしにフィオナは楽しげにミリの腕を引いた椅子から引きずり下ろした。
「これからの生活、いろいろいるモンもあるだろ」
「っていうか私はアンタの所持品の少なさに目を疑ったわよ。女の子なんだからもっと欲しいもんぐらいいっぱいあるでしょ?」
「え、で、でも…」
「大丈夫よアタシこのために今日の任務、午前中で全部終わらせてきちゃったんだから」
「終わらせたっつーか後始末を全部ラキに押し付けてきたんだろ」
「やることはやったんだから良いの」
…だから今日は朝からフィオナの姿もラキの姿を見えなかったのか、と頭の隅で納得しながら。しかしいきなり買い物に行こうと言われても困ってしまう。
確かに、ミリの所持品はほぼ身一つと言っても良いほどに少ない。ルッチの家から逃げて来るときに持ってきたものは、逃亡生活の中でほぼ売り払ってお金に変えてしまったからだ。
今着ている服は朝、メイドが用意してくれたシンプルなブラウスと黒のプリーツスカート。寝具も部屋にあったものを使わせてもらった。唯一自分のものを上げるとすれば今履いているボロボロのブーツのみである。
「で、でも私お金もないし」
「お金はほら、あそこにスポンサーがいるじゃない」
「あそこ…ってええ!?な、な、何言って」
「ほらパパにオネダリしてらっしゃいよ」
「フィオナさん!?」
やはり楽しんでいるとしか思えないフィオナに背中を押されたその先にいるのはユチェしかいない。解っているかとは思うが彼は決してパパでもスポンサーでもない。ボスだ。
さすがに怒られる、そう思ったミリだがしかし予想を反してユチェはただ呆れた表情でフィオナ達3人を見ていた。そしてゴソゴソとポケットを弄り何かを引き抜くとそれをポイと軽ーくミリの方へ投げて寄越した。
「ボ、ボスこれ…!」
「フィーには渡すんじゃねえぞ。アイツの物欲はブラックホールだからな」
「やだパパったら面白い冗談」
「殺すぞテメエ」
「……」
ミリの掌に乗ったのは1枚の黒いカードだった。
さすがのミリも見たことがある。義理の父であったヨナンも使っていたカードである。
ちなみにミリの幼い記憶によればどんなお店に入っても父親がこのカードを見せるだけで様々なものが簡単に手に入ったものだから、ミリはこれをずっと魔法のカードだと思っていたほどである。
「さ、それじゃあ行こっか」
「………」
――こうして、ミリとフィオナの初めてのショッピングへと出かけることになった。